表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/28

 翌朝、正門前には、既に数人の護衛騎士がきっちりと整列していた。

 ロエナとエリシャが歩み寄ると、騎士たちは一糸乱れず、その場で剣を胸に構え、最敬礼を捧げた。


「おはようございます、ロエナ様、聖女様。本日は、我ら護衛騎士一同、誠心誠意お仕えいたします。ご準備が整い次第、馬車へお乗りくださいませ」


 深く頭を垂れるその姿に、ロエナは微かな苛立ちを覚えた。

 護衛など不要だと、あれほど伝えておいたはず。誰の差し金かと考えれば、まず間違いなくルベルトだろう。彼のエリシャへの過剰な干渉が思い起こされて、ロエナは眉をひそめた。


「いいえ。今日は結構よ」


 ロエナは、毅然とした声で言った。


「今回は聖女様の祈りの巡礼───王家の正式な儀礼に則った、神聖な行事なの。あなた方の手は煩わせないわ」


 一瞬、その場の空気が固まった。

 騎士たちの間に戸惑いが走り、互いに視線を交わす。王家に仕える身として、宮中のしきたりにも通じている彼らですら、こうした前例は滅多にない。

 しばしの沈黙の後、隊長は額に皺を寄せ、慎重な面持ちで口を開く。


「し、しかし、ロエナ様……!次期王妃であらせられるお方と、尊き聖女様の外出に、護衛がつかないなど……もし万が一のことがあれば、我らは王命を果たせぬこととなりましょう。どうか、ご再考を……!」


「心配はいらないわ」


 ロエナは、真っ直ぐに騎士たちを見つめて静かに告げた。その声は、早朝の澄み切った空気の中に凛と響き、場の空気さえも引き締めていく。


「神聖なる聖女の祈りは、俗世の者が共にあるべきものではないもの。古きしきたりにもある通り、この巡礼においては、護衛の同伴は固く禁じられているの」


 凛と張り詰めたその言葉には、次期王妃としての威厳だけでなく、神聖な使命に身を投じる覚悟が滲んでいた。

 騎士たちは息を呑み、思わず背筋を正す。


「それに、エリシャの加護があれば、私たちに危険は及ばないわ」


 沈黙が降りる。

 忠誠心と職務への責任、二つの矛盾する義務のはざまで、隊長の胸は軋んだ。しかし、ロエナの眼差しは揺るがない。

 やがて、隊長は静かに深く膝を折り、甲冑の手で地面に触れながら、頭を深々と垂れた。


「……畏まりました。どうか、道中のご無事をお祈り申し上げます」


 他の騎士たちも、それに倣うように一斉に膝を折り、沈黙のまま深く頭を垂れる。

 静寂のなか、朝日がゆっくりと王宮の正門を照らし始めた。




♦︎




 王宮の厳かな石造りの門を離れ、人々の生活の匂いが漂う市井へ足を踏み入れると、そこには王宮とはまるで別世界の静けさと素朴さがあった。

 ロエナは、こぢんまりとした農家の老夫婦を訪ね、簡素ながら手入れの行き届いた馬車と、年季の入った優しい瞳の馬を借り受けた。豪奢な飾りも紋章もないその馬車は、町の雑踏に紛れれば、誰も王家の一行だとは気づかないだろう。


 老夫婦の温かい見送りを受け、ロエナとエリシャはそっと馬車に乗り込む。扉が閉じられ、車輪がごとりと小さく揺れると、さっきまでの緊張と重苦しい空気が、嘘のように和らいだ。


 沈黙を破ったのは、エリシャだった。遠慮がちに、膝の上で手をぎゅっと握りしめながら、そっと口を開く。


「あの、ロエナ様……さきほどのお話なのですが、本当に……今回の外出は祈りの巡礼なのですか?」


 ロエナは一瞬ぽかんとしてエリシャを見つめ、そして小さく吹き出す。


「まさか。あれは護衛を下がらせるための嘘よ。あんなに護衛が居たんじゃ、調査もし辛いし……」


 エリシャの大きな瞳が、ぱちりと見開かれる。


「そ、そうだったのですか……私……本当に正式な行事なのだと……!」

「ふふ、嘘も方便という東洋の諺があるそうよ。覚えておいて」



 馬車に揺られて、どれほどの時が過ぎただろう。早朝に王宮を出発したはずが、日が傾き始める頃には、周囲の景色はすっかり素朴な田園風景に変わっていた。


 村の入り口で馬車を降りると、辺りはどこか寂れた雰囲気を漂わせている。道端の草はまばらで、畑の作物も、瑞々しさを欠いて枯れかけている。空気は淀み、微かに土埃と腐葉土の匂いが混じっていた。


 ───ここが、ローサン村。


 ロエナは辺りを一通り見渡し、まずは村の現状を直接確かめるべく、道端に立っていた粗野な身なりの男に声をかけた。


「失礼、少しお時間をいただけるかしら?」


 ロエナは礼儀正しく声をかける。しかし男は、マント姿で深くフードを被った彼女たちを、あからさまに怪訝そうな目で見返してきた。

 その目は、よそ者に対する本能的な警戒と、どこか怯えにも似た色を含んでいる。村に不穏な空気が流れているのは、隠しようのない事実だった。


 ───こちらが何者か、はっきり示すしかない。


 そう心中で判断したロエナは、ゆっくりとフードを取った。

 銀色の髪が夕映えを受けてきらりと光る。その一瞬、男の顔に驚愕の色が走った。


「……ロ、ロエナ・エディノース嬢……!?本当に、あなた様で……?」


 男は思わず声を上ずらせ、周囲を気にするようにあたりを見回した。だが、すぐに表情を取り繕い、つくり笑いを浮かべてロエナに向き直る。


「これはこれは、お嬢様。まさか、こんな辺鄙な村までお越しになるとは……!一体何のご用で?」

「村に異変が続いていると伺いました。詳しい事情をお聞かせ願えますか?」


 ロエナは落ち着いた口調で問うたが、男はわざとらしく大仰に笑ってみせる。


「異変、ですか?はっはっはっ、何も心配なさることはございませんよ。お嬢様のお手を煩わせるほどのことでは……どうかご安心くださいませ」


 その言葉は一見すると丁重だが、どこか棘がある。

 ロエナは、内心で苛立ちを覚えた。男は形ばかりの礼儀を装っているが、隠しきれない嫌悪や警戒の色が言葉の端々に滲んでいる。明らかに、本心ではロエナと関わりたくないのだろう。


(……やはり、ルベルトのばら撒いた悪女の噂が、こんな片田舎の村にまで根を張っているのね)


 ロエナは苛立ちを覚えたが、表情だけは崩さずに男を見つめ続けた。


「どうか、そうおっしゃらずに……もしお困りのことがあるのなら、私たちにお力添えをさせていただけませんか?」


 男は一瞬、目を伏せて逡巡した。固く口を閉ざし、何か言いかけては言葉を飲み込む。

 村人たちの警戒と不信感の根は深く、ロエナがどれほど言葉を尽くしても、その心を解かすにはまだ足りないようだった。


 ロエナがさらに言葉を探そうとした、その時だった。


「あ、あの!」


 それまで控えめに後ろにいたエリシャが、不意に声を張り上げた。彼女は小さな手でフードを外し、朝の露のような瞳で男を真っすぐ見つめる。


「どうか、私たちを疑わないでください。私たちは、村を乱したり、誰かを傷つけるために来たのではありません……!どんな些細なことでも構いませんから、ご協力お願いします!」


 その一言は、柔らかながらも真剣な想いに満ちていた。

 村人の男はその姿を認めた途端、驚愕に息を呑む。金色の光に包まれたようなエリシャの佇まい───まさに聖女と呼ばれるにふさわしい清廉なオーラが、空気を一変させる。


「やや、まさか聖女様まで……!聖女様がご一緒とは、これはこれは……!」


 先ほどまでの猜疑と拒絶はどこへやら、男の顔にはみるみるうちに安堵と期待の色が浮かぶ。

 男は胸元で何度も手を擦り合わせ、頭を下げてぺこぺこと謝りながら、急に饒舌になった。 ロエナはその変わり身の早さに、内心で呆れと苛立ちを感じる。だがここで感情を露わにしても何も得られないと知っているからこそ、努めて表情は崩さず、男の言葉に耳を傾けた。 


「実は、ここ最近、村でどうにも説明のつかないことが続いているのです」


 男は言い淀みつつも、次第に早口になっていく。


「畑の作物が、まるで呪われたように一夜で枯れたり、井戸水が急に濁って飲めなくなったり……。それだけじゃありません。夜になると、村の外れや森の中に、得体の知れない影が蠢くのを見たという者もおりまして……。皆、気味が悪がって夜は戸を厳重に閉めているのです」


 村人の話を一通り聞き終えると、エリシャは不安げにロエナの横顔を見つめ、そっと小さな声で問いかけた。


「ロエナ様……やはり、これは魔族の仕業なのでしょうか?」


 その一言は、ごく控えめで思慮深い響きだったはずなのに、村人の男は思わず大きく息を呑み、敏感に反応した。


「聖女様もそうお考えですか!」


 男の声は、どこか恐れと興奮が入り混じったような調子だ。

 〝魔族〟という言葉は、このバインベルクという国では特別な重みを持っている。彼らは、尖った耳や角を持ち、人間離れした力を行使する異形として、根強い偏見と差別の対象とされてきた。村人たちにとって、魔族は遠い異国の噂話ではなく、身近な恐怖や憎悪の象徴でもあるのだ。


 エリシャは村人の過敏な反応に戸惑い、慌てて答える。


「……い、いえ、断定はできません。ただ、この土地を包む気配が、どうにも不自然で……」


 その言葉は、村人の疑念と恐怖に油を注ぐようでありながら、同時に不安な心を正面から受け止めるような優しさを含んでいた。


 ロエナはそんなエリシャの肩をそっと軽く叩き、視線を村人に戻した。


「どちらにせよ、まずはきちんと調べてみないと始まらないわね。……他にも、何か変わったことや気がかりな出来事があれば、教えてもらえませんか?もし可能なら、他の方にも直接お話を聞きたいのです」


 ロエナの言葉に、男は何度も頷きながら、「はい、もちろんです」と返した。




閲覧ありがとうございました!!

少しでも面白いと思ってくださったら、評価★やブックマークよろしくお願いします♪

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ