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 重く厳かな扉を叩く音が、広い王座の間に静かに響き渡った。


 その瞬間、会議に参加していた宰相や大臣、国王、そして王太子───すべての視線が一斉に入口へと注がれる。荘厳な赤絨毯の上を、ひときわ凛とした気配が歩みを進める。


 ───ロエナだった。


「失礼いたします。突然の席入りをお許しください」


 ロエナは一礼すると、淡い色のドレスの裾を静かに持ち上げ、まるで舞踏の一幕のように優雅な足取りで進み出る。長い髪は丁寧にまとめ上げられ、首筋のラインが一層気品を際立たせている。彼女の佇まいは、ひとかけらの緊張も乱れも見せない。ひとつひとつの所作が完璧に洗練されており、見守る者たちに自然と畏敬の念を抱かせる。


「……ろ、ロエナ?なんでここに……」


 ヴィルヘルトが思わず声を漏らした。その顔には驚愕と戸惑いが混じり、場の空気がわずかに揺れる。

 だが、その空気を破るように、王座のすぐ脇に立つルベルトが冷たく口を開いた。


「……ロエナ。ここは遊び場ではない。身の程をわきまえろ。女の分際で、この場に口を挟むとは何事だ。余計な真似はせず、大人しく控えていろ」


 その目はあからさまな軽蔑に満ちている。ルベルトの高圧的な声が、広間の空気を一気に冷たく染め上げた。


 だが、ロエナは一歩も退かず、微笑みさえ浮かべる。


「まあ……それは大変失礼いたしました。てっきりルベルト殿下は───最近はもっぱら聖女様のご機嫌取りにご執心と伺っておりましたので、このような重要な会談には、ご関心が薄いのではと思っておりましたわ」


 ───直後、誰かが堪えきれずに吹き出した。思わず唇を押さえる者もいれば、肩を揺らして笑いを堪える者もいる。ロエナの皮肉は、この場にいる誰もの胸を突き、確かな波紋を広げていく。


 ルベルトはみるみる顔を紅潮させ、憤然とロエナを睨みつけた。


「貴様……っ!」


 エリシャを追い回し、政務を疎かにしている───そんな噂が宮廷中に広まっていることを、ロエナはあえて公然と突きつけたのだ。彼女の痛烈な皮肉は、誰よりもルベルトのプライドを傷つけた。


「……ゴホン、エディノース令嬢……本来、この場にそなたの席は設けておらぬはずだが……」


 国王が咳払いをしつつ、困惑と戸惑いを滲ませながら口を挟む。王座の間の空気が、ほんの僅かにざわめいた。金の燭台の炎が揺れ、天井の装飾が不気味な影を落とす。 


「ええ、承知しております。ですが───」


 ロエナが落ち着いた声で返そうとした、その時だった。


 重々しい気配が、王座の間を満たす。誰も気付かぬうちに、ロエナの背後に黒き影が立っていた。


「───私が列席を許した」


 その声は、低く、地の底から響くようだった。思わず誰もが背筋を凍らせ、視線をロエナの背後に向ける。


 魔王、ルクルーシュ。氷のごとき無表情、だがその瞳の奥底には、容易には測れぬ闇と威圧が渦巻いている。その登場は、まるで闇夜に浮かぶ幻影のように静かで、それでいて場の空気を一気に呑み込んだ。


「次期王妃───ロエナ・エディノース嬢。聡明で知られていると聞くが、その噂が本物かどうか、どうにも興味が湧いてね」


 ルクルーシュの口元が、不気味なまでに薄く吊り上がる。だがその笑みには、温もりも情もない。まるで刃物のような冷ややかさが漂う。


「昨日は……残念ながら、まともな対話の場とはならなかった。今日は、改めてじっくり話を聞かせてもらおう。貴族たちの世迷い言ではなく、貴殿ら自身の真意を」


 魔王のひと声ひと声が、石造りの壁に反響するたびに、大臣たちは喉を鳴らし、顔をこわばらせた。宰相は椅子の肘掛けを強く握りしめ、王は無意識に額の汗をぬぐう。


 かくして、会談は幕を開けた。


 重い沈黙。

 まず王が何かを言おうと唇を開きかける。だが、その動きを鋭く察したルクルーシュが、わずかに指を持ち上げるだけで場の流れは凍りついた。誰もがその無言の圧力を、肌に突き刺さるように感じ取る。


「さて───議題に入ろう」


 魔王の声は、氷の刃のように鋭く、それでいて深い井戸の底から響くような不気味さを含んでいた。


「〝制約〟についてだ」


 ルクルーシュは卓をゆっくり見渡す。その双眸は獣のように光り、誰の虚勢も見逃さない。


「昨日、貴殿らは制約の全容について知りたがっていたな?」


 ルクルーシュの言葉に、ウォロが無造作に右手の指を鳴らした。次の瞬間、空気がわずかに歪む。宙に渦巻く淡い光、その中心から、まるで長い時を経て眠りから呼び覚まされたかのように、一枚の羊皮紙がふわりと現れる。


 羊皮紙は褪せた金色の文様に縁取られ、古代語の文字が黒々と刻まれている。紙そのものから、ただならぬ呪術的な気配が立ち上る。居並ぶ大臣たちは一様に息を呑み、誰かが思わず椅子をきしませた。


 ウォロは、それをごく自然な仕草で手に取り、隣の兄へと差し出す。


「これこそが、太古にバインベルクと我ら魔国とで交わされた制約だ」


 すると、魔王の掌から淡い黒光りが羊皮紙を包み込み、滑るように宙へ浮かせる。


 羊皮紙はまるで意志を持つ生き物のように舞い、やがて国王の前へ───王の手のひらの中に、ふわりと静かに収まった。


 王は思わず肩を強張らせ、指先を震わせながら羊皮紙を見下ろす。その古びた紙片には、血で染め抜かれたような紋章、そして何より、時を超えた重い呪いの気配が漂っていた。


「……説明しよう。この制約は、かつて我が魔国が犯した咎───バインベルクに対する贖罪として、深淵胎を抑え込むことを誓った契約だ。先代、先々代、さらにその前の王が、命を削る魔術をもって結び、我々魔族の王家に血の烙印として刻まれている」


 重い声が、石壁に鈍く反響する。


「この制約を、私が自らの意志で破ることはできぬ。たとえ王であろうとも───魔術の理に縛られた、絶対の契約だ」


 ルクルーシュが羊皮紙を軽く指先で弾くと、紙片に刻まれた魔術式が微かに紫紺の光を帯びて揺らめく。


「我が国は、五百年にわたりこの役目を果たしてきた。深淵胎という災厄を、王家の血と魂をもって押し留めてきたのだ」


 ルクルーシュの語り口に、かすかな疲労と、しかしそれ以上の誇りが滲む。だが、その誇りはやがて薄氷のような静けさに変わる。


「───だが、限界が来た」


 彼は静かに言い切った。

 まるで、何百年もの蓄積された重圧が、この一言に凝縮されているかのようだ。


「膨れ続ける深淵胎を抑え込むには、もはや我らの力では足りない」


 広間には、沈痛な静けさが訪れる。


 その沈黙を破るように、ルベルトがわざとらしく椅子を軋ませて身を乗り出した。彼の声は硬く、どこか刺々しい。


「それで……魔王陛下は、我々に一体何を望まれるのですか?その制約とやらを破ることは、あなた方魔族や、魔王陛下ですらできない。ならば我らにどうしろというのです?」


 会議卓を囲む大臣たちも、その言葉に賛同するかのように小さく頷き合った。


 だが、沈黙を破ったのはヴィルヘルトだった。


「しかし、五百年もの間、脅威を抑え続けていただいたのは紛れもない事実です。魔国が背負うべき贖罪は、すでに果たされたのではないでしょうか。ですから、ここは責任をなすりつけ合うのではなく、皆で解決策を───」


 ヴィルヘルトの発言に、ルベルトは鼻先で嗤い、すぐさまその言葉に割って入る。


「兄上……具体的な策も示せずに、理想論だけを並べるのはやめていただきたいものです。現実を見ましょう。我々がどう足掻こうと、魔王陛下すら打ち破れぬ契約が目の前にあるのです」


 わずかに顔をしかめ、ヴィルヘルトを横目で睨む。その眼差しには、兄を見下す軽蔑と苛立ちが滲んでいた。


「具体的な手立てをお持ちでないのなら、どうか黙っていてください。無責任な理想論は、今この場に必要ありませんので」


 ルベルトの冷淡な一言が、広間に響き渡る。


「……だが───」


 ヴィルヘルトがなおも何か言いかけた、その時───。


「わたくしも、ヴィルヘルト殿下のご意見に賛成ですわ」


 澄んだ声が、静寂を切り裂いた。ロエナだった。

 会議卓を囲む全員の視線が一斉に彼女へと注がれる。ロエナは気品に満ちた微笑みを浮かべている。その笑みは、決して侮れない芯の強さを感じさせるものだった。


「……ほう? それは驚いたな、ロエナ。で?お前は、何か具体策でもあるのか?」


 ルベルトはあからさまに鼻で笑い、ロエナを子ども扱いするような視線を投げつけた。彼女の発言など取るに足らぬ、とでも言いたげだ。

 その態度に、ルクルーシュが眉をわずかにひそめる。


 だがロエナは、まったく動じることなく、さらに口元の微笑を深めた。彼女は会議卓の上に両手を静かに置き、堂々と宣言する。


「そうですわね。……では、提案させていただきます。たとえば───」


 その一瞬、広間の空気がピンと張り詰める。

 誰もがロエナの口元に注目し、息を詰める。

 彼女は自信に満ちた眼差しで、ルベルトを、そして王とルクルーシュを正面から見つめた。


「制約そのものを、書き換えてしまうのはいかがでしょう?」






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― 新着の感想 ―
ヴィルフェルトが頑張っているのがよくわかります。 ルベルトも心の中では必死なのでしょうね。 ロエナの雰囲気も良く表現されていて、前回の会議とは違う雰囲気が出ていて面白く感じました。 次回ロエナの提案が…
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