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昨日は、更新を突如お休みしてしまい大変申し訳ございません。仕事が忙しく執筆ができない状態でした。お詫びとして本日は3話更新となります。




 国中は未曽有の混乱に包まれていた。


 王都での一件───魔王ルクルーシュの突然の出現と感謝の言葉は、王都を発端に瞬く間に王国全土へと伝わった。だが、それは人々に安堵をもたらすどころか、新たな火種を投げ込むこととなった。


 〝残り火〟とは何か。そもそも〝抑え込んでいた脅威〟とは、どれほどのものだったのか。

 すぐに、街角のあちこちで囁きが始まる。


 ─── あれは魔族による自作自演ではないのか。


 ─── 魔王は最初から脅威を解き放ち、人間の王子に討たせる茶番を演じたのだ。


 ─── いずれバインベルクを乗っ取るための策謀に違いない。



 噂は、瞬く間に市井の隅々にまで駆け巡った。

 一人の不安は、やがて十人、百人へと伝染し、見えない恐怖はいつしか現実よりも大きな影を落とす。

 広場での騒動に居合わせた者も、伝聞でしか知らぬ者も、同じように落ち着かない日々を過ごすこととなった。


 王宮の空気もまた、市井の不安と疑念に劣らず、重苦しいものとなっていた。


 宰相は山積みの文書を前に、額に深い皺を刻みつける。年経た知恵も、この混乱と不安には容易に対処できない。

 一方、貴族たちは声を荒げていた。


「魔族の言など、どこまで信じてよいものか!」

「しかし、現実に怪物は現れた。我らが手に余る存在だったではないか」

「すべて魔族の自作自演だ。王都での茶番を信じている者などいまい!」


 怒号と嘆息が交錯し、会議の場は混沌そのものだった。

 しかし誰もが内心で理解している。魔族の言葉を完全に退けることはできない─── 現実に、未知の脅威は現れ、それを討ったのは王太子であり、魔王は公然と感謝の意を示したのだ。


 そして、そのすべてがバインベルクの未来を左右しかねない重大事だった。


 混乱と動揺が渦巻く中、国王はただ一人、重い沈黙の中で思索を巡らせていた。王位にある者の苦悩。国と民の行く末を、軽々しく決断することなどできるはずがない。


 だが、いつまでも迷っていられる状況ではなかった。

 噂と不信が拡大し続ける今、明確な意思と対応を示さなければ、国そのものが瓦解しかねない。


 国王は、王座の上で静かに目を閉じ、やがて重々しく宣言する。


「……よい。魔国との会談を、正式に取り行う」


 その言葉が広間に響くと、貴族たちの声はぴたりと止み、場が張り詰めた空気に包まれた。

 誰もが、これから先に待ち受けるものの大きさを、否応なく思い知らされた。


 ─── 魔国と、バインベルク。


 その関係が、いま、大きく動こうとしていた。




♦︎




 ───さあ、魔国との会談がどう動くのか、見ものね。


 ロエナは胸の内に淡い期待と興味を潜ませながら、静かな王宮の回廊を歩いていた。磨き上げられた大理石の床に、自身の足音だけが静かに響く。その冷たさは、どこかこれから起こる非日常を予感させるものだった。


 ふと、曲がり角の向こうに見慣れた姿が現れる。

 白百合のように清らかな衣服をまとった少女───エリシャだ。

 ロエナが呼びかけるより先に、エリシャはロエナの存在に気が付きぱっと顔を上げて嬉しそうに駆け寄ってきた。


「ロエナ様!」


 その笑顔は、どこまでも無垢で人懐こい。だが、次の瞬間、エリシャは驚愕の色を宿し、ロエナの姿をまじまじと見つめた。


「ろ、ロエナ様の加護が……!ど、どうして解けているんですか?お怪我はありませんか?どこか痛むところは……!」


 加護は本来、聖女の力が絶えずロエナを守っている証。それが解けてしまうのは、よほどの異変か、強い外的な力が加わったときだけ───エリシャが焦るのも無理はなかった。

 そんなエリシャの姿を、ロエナは静かに見つめ、ふっと優しい微笑みを浮かべた。


「ふふ、大丈夫よエリシャ。ありがとう」

「そ、それならいいのですが……」


 ロエナの様子にエリシャは安堵しつつ、ほっと息を吐いた。


「それより、こんな朝早くから何をしていたの?」

「礼拝堂でお祈りをしていたんです。今日の魔国との会談が、無事に済んで、両国に平和が訪れるようにって……」

「そう。優しいのね、エリシャ」


 ロエナは自然に、静かな敬意を込めて言葉を紡ぐ。エリシャは赤くなり、慌てて手を振る。


「い、いえ!そんな……!これは聖女として、当たり前の務めですから!」


 その照れた様子に、ロエナは思わず柔らかな笑みを浮かべた。


「ロエナ〜!」


 突如、廊下に響く大きな声が、和やかだった空気を揺らした。

 見ると、ヴィルヘルトが慌てたように駆け寄ってくる。その姿は、いつもの気取らない軽装ではなく、王族らしい品格を纏った正装。深みのある上衣に金糸の刺繍、剣の代わりに細身の装飾短剣を腰に下げ、髪もきちんと整えられていた。

 だが、彼の歩き方や視線はどこか落ち着かず、ぎこちない。


「あら、ヴィルヘルト殿下。どうかされたのですか?」


 ロエナが声をかけると、ヴィルヘルトは小さく息を弾ませながら、周囲の装いを気にするように自分の服をさっと見下ろした。


「この後、魔国との会談があるだろう?……俺の服装、おかしくないか?どこか変なところ、ないか?」


 ロエナは上から下まで一度丁寧にヴィルヘルトに姿に視線を滑らせる。


「……えぇ、特段おかしなところは見当たりませんよ。むしろ、よくお似合いですわ」


 そう言うと、ヴィルヘルトはようやく少しだけ肩の力を抜き、安堵の溜息を漏らした。


「そうか……よかった……実はこういう場に当事者として呼ばれるのは初めてでな。昔から、こういうのはルベルトの役目だったから、どうにも慣れてなくて……」


 心なしか、ヴィルヘルトの声には遠い戸惑いと、隠しきれない緊張が混じっている。

 王宮の人々も、貴族たちも、誰一人として本気でヴィルヘルトを〝次期国王〟として見てはいない。会談の席に同席を許されたとしても、肩書きばかりの名誉職、あるいは形だけの見届け人───彼自身もまた、長くそんな立ち位置に甘んじてきた。


 けれど、今日は違う。

 歴史の転換点となる日、その現場に、否応なく当事者として立つことになった。その重みは、本人が思っている以上に、無意識のうちに彼の背にのしかかっていた。


 ロエナはそっと励ましの言葉を探そうとする。だが、その時───。


 それまで控えめにロエナの背後にいたエリシャが、ぱっと顔を上げて力強い声を放った。


「だっ、大丈夫です、ヴィルヘルト殿下!きっと、いつも通りの殿下でいてくだされば、それで……!」


 エリシャの声は小柄な身体に似合わぬほど真っ直ぐで、思いがけず響いた。その一言に、ヴィルヘルトもロエナも思わずぽかんと目を見開いて彼女を見つめてしまう。


 だがロエナは、すぐにエリシャの頬が真っ赤に染まっているのに気がついた。


(あらあら、これは……)


 心の中で小さく微笑む。

 ヴィルヘルトも、一瞬だけ戸惑い、次いでどこか優しく笑った。


「そ、そうですか?エリシャ様にそう言ってもらえると、なんだか心強いです。……ありがとうございます」

「いっ、いえ、そんな……!」


 エリシャは、照れ隠しに手を胸元でぎゅっと握りしめ、俯きがちに言葉を返した。

 ヴィルヘルトは気恥ずかしそうに頭をかきながら、ふと視線を外す。その仕草は、どこか年相応の不器用さと誠実さを感じさせた。


「……っと、そろそろ行かないと。エリシャ様、ありがとうございます。ロエナも、またな」


 ヴィルヘルトはそう言い残して、どこか軽やかに、けれど緊張の残る足取りで廊下を駆けていった。


「はっ、はい!ご武運を!」

「わたくしも、応援しておりますわ」


 ヴィルヘルトの背中が小さくなり、曲がり角の向こうへと消えていく。やがて、廊下に再び静けさが戻る。

 残されたロエナとエリシャ。朝の光が二人の間に落ち着きのある温もりをもたらしていた。


 ロエナは、ちらりとエリシャの横顔を見やる。その頬はほんのり赤く染まり、目元もどこか上気している。先ほどまで堂々とした口調だったのに、今は落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。


 ロエナは微笑みを深めると、まるで秘密を打ち明けるように、こっそり囁く。


「エリシャ、ヴィルヘルト殿下のことを想っているのね」


 突然の一言に、エリシャはびくりと肩を跳ね上げ、顔を真っ赤にしてロエナを見つめ返した。


「へっ!?そ、そん、そんな、私なんかが……!ぜんっぜん、そんなことっ……!」


 口ごもりながらも、声はどんどん小さくなり、やがて聞き取れないほどに。

 エリシャは頬を両手で覆い、ぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟き続けている。その様子があまりに真剣で、思わず微笑ましさがこみ上げる。


 ロエナはそっと目を細め、心の中で過去の日々を思い出す。


 ───ヴィルヘルトは、誰に対しても分け隔てなく優しい。

 かつて、悪女の噂が広まって孤立していた自分にも、彼は偏見なく接してくれた。その天性の包容力は、きっとエリシャにも向けられているのだろう。


 そして、先ほどのやりとり。

 ヴィルヘルトの方も、まんざらでもない様子だった。

 エリシャもまた、ヴィルヘルトと同じく他者に誠実で、思いやり深い人間だ。二人は立場も出自も違うが、その飾らない優しさだけはきっと共通しているのだろう。もしかしたら、ヴィルヘルトもその素朴な温かさに、自然と惹かれているのかもしれない。


(二人が本当に想い合っているなら、私が背中を押してあげるのも悪くないわね)


 ロエナは静かに考える。

 己を回帰させ、人生をやり直す機会を与えてくれたエリシャには、心からの感謝がある。そして、ヴィルヘルトにも、自分に優しく接してくれた恩義を感じている。だからこそ、二人には幸せになってほしい───その気持ちは、ごく自然に湧き上がるものだった。




閲覧ありがとうございました!!

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― 新着の感想 ―
王国が混乱している様子がよくわかって私にとってはとても良かったです。 ヴィルフェルトとエリシャの初々しい様子の表現も私は好きです。 主人公とは別に展開していく恋愛模様も楽しいですね。
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