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 王宮の練習場に、澄んだ金属音が何度も響き渡る。真剣な面持ちで向き合っているのは、ヴィルヘルトとロエナだ。


 ヴィルヘルトの重みのある一撃を、ロエナは華麗な足さばきで受け流し、逆に軽やかに剣先を突きつける。その動きは以前よりはるかに滑らかで、どこか柔らかな余裕すら感じさせるものだった。


「動きがだいぶ良くなってきたな、ロエナ」


 ヴィルヘルトが感心したように笑う。その額にはうっすらと汗が浮かび、息も少しだけ上がっている。


「殿下のご指導のおかげですわ。わたくし一人では、ここまで上達できませんでしたもの」


 ロエナは少し息を弾ませながらも、涼しげな笑顔で剣を下ろした。二人の間に流れる空気には、互いへの信頼と、穏やかな緊張感が混ざっていた。


 村の異変から、すでに数週間が過ぎていた。あの騒動が嘘だったかのように、王宮の日常は静かに続いている。ロエナもエリシャも、以前と変わらぬ日々を送っていたが、その内側では確かな変化があった。


 剣を納め、二人は練習場の隅で小さなベンチに腰かけて休憩を取る。涼やかな風が緑の葉を揺らし、遠くからは王宮の庭園を手入れする人々の声が微かに聞こえてくる。


「それにしても、よかったのか?」


 隣に座るヴィルヘルトが、不意に真剣な声音で問いかけてきた。ロエナは首をかしげて応じる。


「何がですか?」

「村の異変の件だよ。新聞では大々的に取り上げられていたが……載っていたのはエリシャ様の名前ばかりで、お前のことはどこにも書かれていなかった。……何者かが圧力をかけて、記事から消したんじゃないか?」


 その言葉に、ロエナは一瞬目を細める。けれど、すぐにふっと肩の力を抜いて微笑んだ。


「らしいですわね。エリシャからも聞いています。あの子、まるで自分のことのように怒っていましたのよ」


 ロエナは、そのときのエリシャの可愛らしい憤慨を思い出し、思わず頬を緩ませる。内心では、新聞から自分の名を消した張本人が誰なのか、すでに見当がついていた。


 ───新聞からロエナの名を消したのは、十中八九ルベルトだろう。ロエナが悪女の烙印を押されたままでなければ、正当な婚約破棄の大義名分が立たなくなる。


 けれど───わたくしの名前が新聞に載るかどうかなんて、正直、どうでもいい。


 ロエナは、エリシャが見せてくれた新聞の切り抜きをふと思い出していた。


 ───〝村を救った英雄の一人は、魔族か?〟

 ───〝魔国との関係は?〟


 世間の空気は変わりにくい。それでも、今までは絶対にありえなかった問いが公に出るだけで、確かに何かが動いたのだと実感できる。


 魔国は悪ではないのでは───その疑念を、ほんの少しでも世間に落とすことができた。それだけで、今は上出来だった。これから先、もっと大きく潮目を変えるための布石には十分すぎるほど。

 自分の名誉など、もとよりどうでもよかった。ただ、これから始まる長い戦いの中で、ほんの小さな突破口を掴めたことが、ロエナには何より大きな成果だった。


「お前がそれでいいなら、俺は何も言わないが……」


 ヴィルヘルトはふと静かな声でそう告げ、サファイアの瞳でロエナをじっと見つめる。その目はまっすぐで、どこまでも誠実だった。


「……ま、何か困ったことがあったら、遠慮せずに何でも言ってくれ」


 その言葉にロエナは一瞬目を剥いた後、そっと肩の力を抜いた。いくつもの策略や陰謀に揉まれてきた彼女にとって、ヴィルヘルトのまっすぐな思いやりはどこまでも眩しく、心強かった。


「……っと、もうこんな時間か」

「あら、この後何かご予定でも?」


 ヴィルヘルトは立ち上がり、立てかけていた剣を手に取る。


「宰相殿から頼まれてな。王都の視察があるんだ」

「そうでしたのね。では、本日の手合わせはここまでということで」


 ロエナはその剣先にちらりと視線を送り、唇に軽く笑みを浮かべた。


「あぁ。またいつでも声をかけてくれ」

「はい。ありがとうございます」


 二人は軽く会釈を交わす。ロエナはレイピアを丁寧に鞘へ収め、涼しい風を背に受けながら練習場をあとにした。



♦︎



 湯浴みを終えたロエナは、緩やかな歩調で自室へと向かっていた。窓越しに差し込む陽光が、白い床に柔らかな光の帯を描く。その中を歩きながら、彼女の思考はふと別の場所へと漂っていた。


(ウォロに頼んだ魔王陛下への謁見の件、どうなったのかしら。あの子なら上手くやってくれると思うけど……いい返事がもらえるといいわ)


 胸の奥に、ほんの少しの不安と、ほんの少しの期待が同居している。謁見が許可されれば、これからの未来を大きく左右することをロエナは知っていた。心のどこかで、その日が来るのを恐れている自分もいる。けれど同時に、抗いようのない時代の波に、きちんと立ち向かおうとする覚悟も生まれていた。


 そんなことを考えながら、いつものように自室の扉を押し開けた。


 部屋の中は静かだった。けれど、空気の密度がどこか違う。ふと、視線を上げる。

 カーテン越しに射す光の中、まるで自分の帰りを待っていたかのように、ウォロがぽつんと部屋の真ん中に立っていた。


「……驚いたわ。どうやって入ったの?」


 ロエナの反応に、ウォロはわずかに唇を尖らせ、不満げに肩を落とした。


「………もうちょっと驚けよ。普通、叫ぶとか、なんか反応するもんだろ」

「もちろん驚いてるわよ。突然部屋に現れたら、誰だって驚くもの。でも、ごめんなさいね、どうも顔に出すのは苦手みたい」


 ウォロが半ば呆れたように首をすくめる。ロエナはそんな彼の様子が可笑しくて、ほんの少しだけ微笑みを深くした。表情を不用意に出すなと妃教育で教え込まれた日々が、今となってはこうして無意識の仮面を作っているらしい。


「転移魔法だよ。それでここまで来たんだ。……バインベルクって、意外と平和ボケしてるんだな。仮にも王宮なのに、こんなに簡単に侵入できるなんてさ」

「仕方ないわ。バインベルクでは魔法が存在しないもの。魔法に対策した警備を考える必要がないのよ」


 ロエナの視線が、ふと目の前のウォロに向けられる。


「それで……謁見の件、魔王陛下には承諾していただけたのかしら」


 淡々とした口調の奥に、かすかな期待と緊張が混ざる。ウォロは小さくため息をつきながら、苦笑いを浮かべて答えた。


「うん。まあ、一応了承はしてもらえたよ。……かなり説得するの大変だったけど」


 苦笑いを浮かべるその表情には、努力の跡と少しの安堵がにじんでいる。本当に大変だったのだろうと、ロエナはそっと息を吐く。

 そのままウォロはふいに手をロエナへ差し出した。


「……ほら」

「……?」

「行くよ。人間は魔法が使えないんだろ? だったら僕の魔法で一緒に行くしかないじゃないか」

「あら……今から?」


 ロエナは思わず目を丸くする。これほど急な展開は予想していなかった。心の中でさっと様々な計画や準備が走馬灯のように駆け巡る。


「兄さんが待たせるなってうるさくてさ。でも……別にすぐじゃなくてもいいよ。少し準備の時間を取る?」


 ロエナはしばし考え込む。王宮での役目や、もしもの時のための用意───冷静な自分が頭の中でいくつも段取りを確認する。


「そうね……できれば、ほんの少しだけ支度をさせてもらえると助かるわ」

「うん、分かった。……あ、でも、護衛は連れて来るなって。一人で来いって、かなり強く言ってた。兄さん、僕より人間嫌いだから、あんまり人間を城に入れたくないんだ」


 ロエナは、しばし沈黙ののちに、差し出された手を見つめてそっと息を吐いた。


 ようやく辿り着いた、この運命の扉の前───怖くはない、と言えば嘘になる。けれど、それ以上に、やり遂げたい気持ちが強かった。


「……わかったわ。すぐに準備を済ませてくる」


 ロエナは静かに微笑み、覚悟を決めて歩み出す。その背筋は、先ほどよりわずかに強く、まっすぐに伸びていた。





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ロエナ頑張れ~~~!
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