14
エリシャが村に向かったあと、ロエナとウォロは朝の冷気に包まれた洞窟を出て、昨夜激しい戦いの痕が残る森へと足を踏み入れた。木々の合間から差し込む光はどこか鈍く、夜の名残を色濃く残している。土の匂いと、遠く鳥のさえずりだけが静けさを破る。
「残滓は闇を好むんだ。……きっと、このあたりにまだ潜んでいるはず」
ウォロは立ち止まり、目を細めて周囲を見渡した。その仕草は、単に目視しているというより、空気の流れや気配までもを研ぎ澄まして感じ取ろうとしているかのようだった。
「……この辺り、瘴気が濃い。間違いなく近くにいる」
彼は静かに目を閉じ、深く息を吸い込む。その呼吸すら、森の中の空気をわずかに震わせた。
「……でも、何も見えないわ」
ロエナはレイピアの柄に手を添え、周囲の木々や地面に視線を走らせた。小鳥すら近寄らない異様な静けさ───不穏な気配が辺りを満たしている。
そのとき、ウォロが静かに口を開いた。
「ロエナ……僕から少し離れてくれないか」
「……? えぇ、分かったわ」
ロエナは訝しみながらも、素直に数歩後ろに下がる。ウォロの顔はどこか張り詰めていて、口元には覚悟が滲んでいた。
彼はゆっくりと膝をつき、手のひらを地面に当てる。冷たい土の感触が指先に伝わる。そのまま、短く深呼吸をし、何事かを心の中で祈るように呟いた。
「これも……村のためだ。許してくれよ」
呟きが終わると同時に、ウォロの手元から魔力が奔流となって放たれた。地面は低く唸りをあげ、周囲の土が振動し始める。轟音と共に地面に巨大な亀裂が走り、森の大地が力強くうねった。木の根が引きちぎられ、黒い瘴気が地中から吹き上がる。
(やはり、魔族の力は桁違いね……)
ロエナは目の当たりにした規格外の力に、思わず息を呑む。だが、恐れる暇もない。地割れの奥から、異形の何かが蠢き始める。
「……来た!」
ウォロが叫ぶや否や、地面の亀裂から闇に包まれた残滓が姿を現した。黒く濁った触手が何本も蠢き、空気そのものを汚染するような気配が森全体を覆う。
ロエナは反射的に地面を蹴った。風を切る勢いで、レイピアを構え、光に輝く刃先を残滓へと向ける。
森の深い闇の中、ひび割れた大地から現れた残滓は、まるで夜そのものが具現化したかのような禍々しい姿をしていた。黒い瘴気をまとい、何本もの触手がうねりながら周囲の空間を浸食していく。その存在だけで空気が重く淀み、肌を刺すような圧迫感が森一帯に広がった。
「ロエナ、気をつけて……!」
ウォロが鋭く叫ぶと同時に、ロエナは加護を帯びたレイピアを構えて残滓へと迫った。
だが───残滓はロエナに対して異様な反応を見せた。彼女が近づけば近づくほど、まるで忌避するかのように素早く身をよじり、触手を引く。レイピアの輝きが一閃するたび、残滓の瘴気は切り裂かれる前に後退し、まるでロエナの存在そのものを避けているようだった。
(……攻撃が、当たらない……!)
ロエナは唇を噛みしめ、数度目の突きを放つ。しかし、レイピアが残滓に触れる直前、まるで結界に弾かれるかのように残滓の体が跳ね退く。加護の光を浴びた箇所には一瞬だけ瘴気が薄まるが、実体をとらえることはできない。
周囲の瘴気がさらに濃くなり、森の木々すら黒ずみ始める。
「ロエナ、そのまま引きつけろ!」
ウォロが地面を蹴り、魔力の奔流を纏って跳躍する。彼の周囲には紫色の魔法陣がいくつも展開され、宙に浮かび上がるルーンが残滓の動きを封じようと光を放つ。
「逃すかっ……!」
ウォロは空中から鋭い魔力の槍を放つ。だが残滓はウォロの魔法に反応し、触手を振り回して魔力を分散させる。地面が爆ぜ、瘴気が煙のように広がるが、ロエナのいる方角だけは避けるように動いていた。
再び、ロエナが間合いを詰める。だが残滓は、彼女の剣が届くより早く大きく身を引き、瘴気で視界を攪乱しようとする。
(やはり、残滓は、聖女の加護を本能的に忌避しているんだわ)
ロエナはその事実を確信し、あえて大胆に残滓の進路を塞ぐ。相手の動きを読み、じりじりと間合いを制しながら、決して正面からは逃さないように立ち回る。
何度も剣を振るい、間合いを詰めようとするが、残滓は加護を纏ったロエナに近づくどころか、彼女の動きを読むかのように、闇の塊のような身体をひらりひらりと滑らせ、獲物を避ける獣のように逃げ回る。
(このままじゃ、決定打が届かない……!)
───そのとき、脳裏にエリシャの声が蘇った。
───「もしどこかに強くぶつけたりすると、加護がぶつけた対象へ流れてしまいます。ですので……」
ロエナは自分の呼吸を整え、剣を強く握る。攻撃の標的を、残滓そのものから、〝退路〟へと切り替えた。
ロエナは走った。森の地面を蹴り、剣を振り下ろす。残滓が逃げようとするその進路を読み、剣先で地面や木の幹を次々となぞるように斬った。鋭い金属音とともに、加護の光が土や樹皮に宿っていく。まるで聖なる光が大地に封印の陣を描くように、ロエナは残滓の進路を囲い込んだ。
残滓は進むたび、足元に宿った加護の光を本能的に忌避して跳ね上がり、ルートを逸らす。その動きは、獲物を失いかけた猛獣の焦りそのものだった。
やがて、残された退路も尽き、残滓は一瞬動きを止めた。
(いける!)
しかし───残滓は咄嗟に跳躍し、瘴気の翼のように闇を広げて、空へ逃れようとする。
「させるか!」
ウォロが鋭く叫び、即座に両手を掲げて魔法陣を発動させた。紫紺の光が空中に広がり、複雑なルーンが高速で回転する。次の瞬間、空中に奔る残滓の身体を、見えない鎖が縛るようにピタリと停止させた。空間ごと縫い留めるかのような、魔族特有の規格外の力だ。
「ロエナ!」
ウォロの叫びとともに、ロエナは一気に間合いを詰める。地を蹴り、腕に加護の力が満ちる。剣先が、逃げ場を失った残滓に向かって一直線に突き出された。
レイピアの刃が、光の尾を引きながら残滓を貫く───。
淡い光が闇を裂き、聖女の加護が瘴気を一気に焼き払う。残滓は絶叫ともつかぬ奇怪な音を上げ、黒い体が激しく痙攣したかと思うと、ついには霧散し、闇の欠片となって爆ぜた。
瘴気も、淀んでいた空気も、風が吹き払うように静かに消えていく。
(……た、倒したのかしら)
ロエナは剣を構えたまま、呼吸を整えつつ慎重に辺りを見回す。森の空気は明らかに変わっていた。異質な気配はすっかり消え、葉擦れの音や遠い小鳥の囀りが、まるで世界が蘇ったかのように戻ってきていた。
「や……やった!すごい!まさか倒しちゃうなんて!」
ウォロが興奮気味に声を弾ませて叫ぶ。その瞳は、達成感と安堵で生き生きと輝いていた。
けれど、ハッとしたウォロはすぐに咳払いをして態度を引き締め、照れくさそうにロエナのそばへと歩み寄る。
「いや……まあ、うん。人間のくせに、やるじゃん」
素直じゃないその物言いに、ロエナは思わず微笑んだ。
「ウォロが魔法で残滓の動きを止めてくれたおかげよ。二人で戦ったからこそ、倒せたんだと思うわ」
静かにそう言うと、ウォロは一瞬だけ目を合わせ、すぐに頬を赤らめてそっぽを向いた。耳の先まで赤いのが見て取れ、ロエナは内心くすりと笑う。
ロエナはレイピアに聖女の加護が充分残っているのを感じながら、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
森は静かだった。朝の光が木々の間からこぼれ落ち、ほんのわずか前までの死闘が嘘のように、柔らかな空気が辺りを包む。
「ウォロ、異変の正体はこれで取り除いたわ。村へ行って、ちゃんと報告しましょう」
ロエナがそう提案すると、ウォロは露骨に顔をしかめて、慌てて否定した。
「は!?い、いいよ。どうせ信じてもらえない。犯人扱いされて終わりだ」
その拗ねた声の奥に、これまで何度も積み重ねられた誤解や孤独がにじんでいた。
ロエナは静かに歩み寄り、そっとウォロの頭に手を置く。優しい手つきで、子供を慰めるように、けれどしっかりと温もりを伝えて。
「大丈夫よ、信じさせてみせるわ。これだけ頑張ったんだもの。あなたの功績を、ちゃんとみんなに知ってもらいましょう」
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