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 朝日が静かに洞窟の入り口から差し込み、薄暗かった空間を金色に染め始めていた。ロエナは気がつけばいつの間にか眠り込んでいたらしい。寝起きのまどろみの中で瞼を擦り、ゆっくりと身体を起こす。


 まだ肌寒い空気の中、焚き火の残り香がほのかに漂っている。


「ロエナ様……!」


 その声に、ロエナははっと顔を上げた。洞窟の入り口に、青白い光に縁取られながら、エリシャが心配そうに顔を覗かせていた。


「あら?エリシャ?よくここが分かったわね。村の人たちはどうしたの?」

「……引き止められそうだったので、こっそり抜け出してきちゃいました……!」


 エリシャは小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに笑う。その瞳は昨夜からの不安をまだ色濃く映している。


「あの、昨日の魔族の方は……ご無事なんですか?」


 その問いかけに、ロエナは洞窟の奥へと視線を向ける。そこには、すでに目を覚ましていたウォロが、じっとこちらを見ていた。暗がりの中でもその紅い瞳はしっかりと生気を帯びている。さすが魔族───体の回復も早いのだろう、昨夜より顔色がいくぶん良くなっていた。


「心配しなくて大丈夫。彼ならちゃんと無事よ。ねえ、ウォロ?」


 ロエナが言葉を向けると、ウォロは少しだけ気まずそうに目を伏せ、けれど小さく頷いた。


「よかったあ……!」


 エリシャは胸を撫で下ろし、安堵でほっと息をついた。


「ロエナ様、一度この村を出ませんか?ウォロくんの傷も、ちゃんとお医者様に診せてあげた方が……」


 純粋な善意に満ちた提案だった。ロエナも静かに頷き、洞窟の外の眩しい朝を一瞥する。


「そうね……村の人たちの誤解を解くのは後にしましょう。今は彼の身体の方が大切だもの」


 と、その時だった。


「悪いけど、僕は村を離れるわけにはいかない」


 ウォロが急に声を張った。まだ痛むはずの体を無理やり起こし、真っ直ぐロエナとエリシャに向き直る。


「な、何言ってるんですか……!」


 エリシャが思わず声を上げる。いつもの控えめな態度はどこへやら、一歩前に出てウォロに詰め寄る。


「もし大きな怪我でもしてたら、どうするつもりですか!意地を張らないで、ちゃんとお医者様に診てもらってください!」


 その必死な声音は、まるで怪我をした幼子を心配して諭す母親のようだった。


「なんだよお前……僕を子供扱いするな。僕はもう百三十歳だぞ」

「ひゃ、百三十……!?ごめんなさい、まさかそんな……」

「まったくだ。魔族の年齢を見た目で判断するな」


 ウォロは苛立ったようにため息をひとつ吐く。その仕草はどこか子供っぽく、年齢不詳の不思議さが逆に際立った。


「どうして村を離れられないの?」


 ロエナは会話を本題に戻した。落ち着いた声色で問いかける。ウォロはしばし視線を彷徨わせた後、じっとロエナを見据えた。


「ロエナ、お前も見ただろ。昨夜、残滓が消えた瞬間を」

「ええ。てっきり、あなたが倒したものだと思っていたわ」


 ロエナは素直に頷く。エリシャも横で大きくうなずいている。ウォロはそっと首を横に振った。


「違うんだ。言っただろう、僕たち魔族にも残滓を倒す力はない。あれは、単に姿を消しただけで、まだどこかに潜んでいる」


 ウォロは膝の上で拳を握りしめる。口調は淡々としているが、その奥に焦燥が滲む。


「残滓は、僕の魔法で一時的に魔国へ転移させているだけだ。完全に倒すことなんてできないからな」


 朝の光が洞窟の入り口から差し込む。焚き火の赤い残り火がかすかに揺れている。


「ちゃんと転移させるまで、僕がここを離れるわけにはいかない。もし失敗したら、残滓はまた村に現れる。……それだけは、避けなきゃいけないんだ」


 ウォロの声は、静かながらも強い意志を孕んでいた。その小さな背中に、重たい責任がのしかかっていることを、ロエナとエリシャはひしひしと感じ取った。


 ───計算外ね。


 ロエナは密かに考える。ヴィルヘルトがもうすぐ村に到着する頃合いではないだろうか。彼が来てしまう前に、すべてを片付けておきたい。そうでなければ、また余計な混乱が広がってしまう───その懸念が、胸の奥でじわりと熱を持っていた。


 静かに息を吸い、ロエナはウォロの方へと身体を向き直す。


「分かったわ。わたくしも協力する」


 毅然とした声色。状況を見据え、決意を滲ませるロエナの表情に、ウォロは驚いたように目を見張った。


「ロエナ様!でしたら、私にも何かお手伝いをさせてください!」


 エリシャが一歩、力強く踏み出す。そのエメラルドの瞳は揺るぎない光を宿していた。


「エリシャ……でも、あなたに万が一のことがあれば───」

「それでも、私はロエナ様のお役に立ちたいんです!ロエナ様には御恩もあるのに……まだ、何も恩返し出来ていない……頑張っているロエナ様を、ただ黙って見ていることなんて……絶対にできません!」


 エリシャの声は震えていたが、その中に決意の芯が感じられた。ロエナは、その真っ直ぐな想いを受け止めるように、優しく微笑む。


「……ただ見ていろ、なんて言ってないでしょう?むしろ、あなたにも手伝ってもらいたいの」

「え……?」


 戸惑いの表情を浮かべるエリシャに、ロエナは静かに語りかける。


「エリシャ、物に加護を施すことはできるかしら?」


 そう言いながら、ロエナは腰に差したレイピアにそっと手を添える。


「昨夜、残滓と戦ったときに気づいたの。わたくしに触れようとした残滓の触手が、何かに弾かれるように跳ね返された。───もしかしたら、聖女の加護には残滓に対して特別な効力があるのかもしれないわ」


 ロエナはそう言いながら、じっとエリシャを見つめる。その瞳には、新しい可能性に対する確信と、エリシャへの信頼が揺るぎなく宿っていた。


「だから、試してみたいの。エリシャ、わたくしの剣に加護をお願い出来る?」

「もっ、もちろんです!お任せください!」


 エリシャはぱっと顔を明るくし、緊張と嬉しさがないまぜになった笑みを見せた。聖女として役に立てることが、心の底から嬉しいのだろう。


「あ、で、でも……一つだけ、気をつけていただきたいことがあって……!」


 急に表情が引き締まる。エリシャは真剣な眼差しでロエナを見る。


「無機物への加護は、生き物みたいに意思がない分、とても流れやすいのです。もしどこかに強くぶつけたりすると、加護がぶつけた対象へ流れてしまいます。ですから、扱いには十分注意してください」


 エリシャの言葉に、ロエナは一度目を細めて頷く。


「へぇ、じゃあ、もしロエナの剣がその辺の石ころにぶつかったら、〝加護のついた最強の石ころ〟が出来上がるってわけ?聖女の加護も、案外ずさんなんだね」

「なッ……!ち、違いますから!流れた加護は、そのまま石に残るわけじゃありません!徐々にではありますが、ちゃんと自然消滅するんです!」


 ウォロがからかうように口元をゆがめて言った言葉に、エリシャはすかさず反論した。


「ふふ、大丈夫よエリシャ。大切に扱うわ」


 ロエナは優しく微笑み、ゆっくりとレイピアを鞘から抜いた。銀の刃が朝の光を受け、神秘的に輝く。


 エリシャは緊張した面持ちで一歩近づき、両手をレイピアの上にそっとかざす。指先から淡い光が零れ、やがて白く柔らかな光がレイピア全体を包み込んだ。その光はまるで生き物のように、刀身の上を滑りながら、静かに定着していく。


「……ど、どうでしょうか!全身全霊を注ぎました!」


 やり切ったように息を吐くエリシャ。その顔には達成感と、ほんの少しの不安が入り混じっている。

 ロエナのレイピアは、加護を受けて一段と眩い輝きを放っていた。まるで、ただの武器ではなく、伝説の宝剣にでも生まれ変わったかのようだ。


「……やりすぎじゃないか?」

「ロエナ様をお守りするためですから!むしろ足りないぐらいです!」


 呆れるウォロに、エリシャは胸を張って鼻を鳴らした。ロエナは剣を掲げ、軽く振ってみせる。


「ありがとう、エリシャ」


 ───やり過ぎなくらいで、ちょうどいいわ。


 そう内心で呟きながら、ロエナはウォロの方を振り返る。


「さあ、ウォロ。行きましょう。エリシャ、あなたは念のため村の人たちを避難させておいてくれる?」


 ロエナの真剣な眼差しに、エリシャはぱっと顔を上げ、迷いなく頷く。


「はい、必ず!」


 新しい朝の光が洞窟に差し込み、三人それぞれの決意を優しく照らし出していた。





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