13
朝日が静かに洞窟の入り口から差し込み、薄暗かった空間を金色に染め始めていた。ロエナは気がつけばいつの間にか眠り込んでいたらしい。寝起きのまどろみの中で瞼を擦り、ゆっくりと身体を起こす。
まだ肌寒い空気の中、焚き火の残り香がほのかに漂っている。
「ロエナ様……!」
その声に、ロエナははっと顔を上げた。洞窟の入り口に、青白い光に縁取られながら、エリシャが心配そうに顔を覗かせていた。
「あら?エリシャ?よくここが分かったわね。村の人たちはどうしたの?」
「……引き止められそうだったので、こっそり抜け出してきちゃいました……!」
エリシャは小さく肩をすくめ、申し訳なさそうに笑う。その瞳は昨夜からの不安をまだ色濃く映している。
「あの、昨日の魔族の方は……ご無事なんですか?」
その問いかけに、ロエナは洞窟の奥へと視線を向ける。そこには、すでに目を覚ましていたウォロが、じっとこちらを見ていた。暗がりの中でもその紅い瞳はしっかりと生気を帯びている。さすが魔族───体の回復も早いのだろう、昨夜より顔色がいくぶん良くなっていた。
「心配しなくて大丈夫。彼ならちゃんと無事よ。ねえ、ウォロ?」
ロエナが言葉を向けると、ウォロは少しだけ気まずそうに目を伏せ、けれど小さく頷いた。
「よかったあ……!」
エリシャは胸を撫で下ろし、安堵でほっと息をついた。
「ロエナ様、一度この村を出ませんか?ウォロくんの傷も、ちゃんとお医者様に診せてあげた方が……」
純粋な善意に満ちた提案だった。ロエナも静かに頷き、洞窟の外の眩しい朝を一瞥する。
「そうね……村の人たちの誤解を解くのは後にしましょう。今は彼の身体の方が大切だもの」
と、その時だった。
「悪いけど、僕は村を離れるわけにはいかない」
ウォロが急に声を張った。まだ痛むはずの体を無理やり起こし、真っ直ぐロエナとエリシャに向き直る。
「な、何言ってるんですか……!」
エリシャが思わず声を上げる。いつもの控えめな態度はどこへやら、一歩前に出てウォロに詰め寄る。
「もし大きな怪我でもしてたら、どうするつもりですか!意地を張らないで、ちゃんとお医者様に診てもらってください!」
その必死な声音は、まるで怪我をした幼子を心配して諭す母親のようだった。
「なんだよお前……僕を子供扱いするな。僕はもう百三十歳だぞ」
「ひゃ、百三十……!?ごめんなさい、まさかそんな……」
「まったくだ。魔族の年齢を見た目で判断するな」
ウォロは苛立ったようにため息をひとつ吐く。その仕草はどこか子供っぽく、年齢不詳の不思議さが逆に際立った。
「どうして村を離れられないの?」
ロエナは会話を本題に戻した。落ち着いた声色で問いかける。ウォロはしばし視線を彷徨わせた後、じっとロエナを見据えた。
「ロエナ、お前も見ただろ。昨夜、残滓が消えた瞬間を」
「ええ。てっきり、あなたが倒したものだと思っていたわ」
ロエナは素直に頷く。エリシャも横で大きくうなずいている。ウォロはそっと首を横に振った。
「違うんだ。言っただろう、僕たち魔族にも残滓を倒す力はない。あれは、単に姿を消しただけで、まだどこかに潜んでいる」
ウォロは膝の上で拳を握りしめる。口調は淡々としているが、その奥に焦燥が滲む。
「残滓は、僕の魔法で一時的に魔国へ転移させているだけだ。完全に倒すことなんてできないからな」
朝の光が洞窟の入り口から差し込む。焚き火の赤い残り火がかすかに揺れている。
「ちゃんと転移させるまで、僕がここを離れるわけにはいかない。もし失敗したら、残滓はまた村に現れる。……それだけは、避けなきゃいけないんだ」
ウォロの声は、静かながらも強い意志を孕んでいた。その小さな背中に、重たい責任がのしかかっていることを、ロエナとエリシャはひしひしと感じ取った。
───計算外ね。
ロエナは密かに考える。ヴィルヘルトがもうすぐ村に到着する頃合いではないだろうか。彼が来てしまう前に、すべてを片付けておきたい。そうでなければ、また余計な混乱が広がってしまう───その懸念が、胸の奥でじわりと熱を持っていた。
静かに息を吸い、ロエナはウォロの方へと身体を向き直す。
「分かったわ。わたくしも協力する」
毅然とした声色。状況を見据え、決意を滲ませるロエナの表情に、ウォロは驚いたように目を見張った。
「ロエナ様!でしたら、私にも何かお手伝いをさせてください!」
エリシャが一歩、力強く踏み出す。そのエメラルドの瞳は揺るぎない光を宿していた。
「エリシャ……でも、あなたに万が一のことがあれば───」
「それでも、私はロエナ様のお役に立ちたいんです!ロエナ様には御恩もあるのに……まだ、何も恩返し出来ていない……頑張っているロエナ様を、ただ黙って見ていることなんて……絶対にできません!」
エリシャの声は震えていたが、その中に決意の芯が感じられた。ロエナは、その真っ直ぐな想いを受け止めるように、優しく微笑む。
「……ただ見ていろ、なんて言ってないでしょう?むしろ、あなたにも手伝ってもらいたいの」
「え……?」
戸惑いの表情を浮かべるエリシャに、ロエナは静かに語りかける。
「エリシャ、物に加護を施すことはできるかしら?」
そう言いながら、ロエナは腰に差したレイピアにそっと手を添える。
「昨夜、残滓と戦ったときに気づいたの。わたくしに触れようとした残滓の触手が、何かに弾かれるように跳ね返された。───もしかしたら、聖女の加護には残滓に対して特別な効力があるのかもしれないわ」
ロエナはそう言いながら、じっとエリシャを見つめる。その瞳には、新しい可能性に対する確信と、エリシャへの信頼が揺るぎなく宿っていた。
「だから、試してみたいの。エリシャ、わたくしの剣に加護をお願い出来る?」
「もっ、もちろんです!お任せください!」
エリシャはぱっと顔を明るくし、緊張と嬉しさがないまぜになった笑みを見せた。聖女として役に立てることが、心の底から嬉しいのだろう。
「あ、で、でも……一つだけ、気をつけていただきたいことがあって……!」
急に表情が引き締まる。エリシャは真剣な眼差しでロエナを見る。
「無機物への加護は、生き物みたいに意思がない分、とても流れやすいのです。もしどこかに強くぶつけたりすると、加護がぶつけた対象へ流れてしまいます。ですから、扱いには十分注意してください」
エリシャの言葉に、ロエナは一度目を細めて頷く。
「へぇ、じゃあ、もしロエナの剣がその辺の石ころにぶつかったら、〝加護のついた最強の石ころ〟が出来上がるってわけ?聖女の加護も、案外ずさんなんだね」
「なッ……!ち、違いますから!流れた加護は、そのまま石に残るわけじゃありません!徐々にではありますが、ちゃんと自然消滅するんです!」
ウォロがからかうように口元をゆがめて言った言葉に、エリシャはすかさず反論した。
「ふふ、大丈夫よエリシャ。大切に扱うわ」
ロエナは優しく微笑み、ゆっくりとレイピアを鞘から抜いた。銀の刃が朝の光を受け、神秘的に輝く。
エリシャは緊張した面持ちで一歩近づき、両手をレイピアの上にそっとかざす。指先から淡い光が零れ、やがて白く柔らかな光がレイピア全体を包み込んだ。その光はまるで生き物のように、刀身の上を滑りながら、静かに定着していく。
「……ど、どうでしょうか!全身全霊を注ぎました!」
やり切ったように息を吐くエリシャ。その顔には達成感と、ほんの少しの不安が入り混じっている。
ロエナのレイピアは、加護を受けて一段と眩い輝きを放っていた。まるで、ただの武器ではなく、伝説の宝剣にでも生まれ変わったかのようだ。
「……やりすぎじゃないか?」
「ロエナ様をお守りするためですから!むしろ足りないぐらいです!」
呆れるウォロに、エリシャは胸を張って鼻を鳴らした。ロエナは剣を掲げ、軽く振ってみせる。
「ありがとう、エリシャ」
───やり過ぎなくらいで、ちょうどいいわ。
そう内心で呟きながら、ロエナはウォロの方を振り返る。
「さあ、ウォロ。行きましょう。エリシャ、あなたは念のため村の人たちを避難させておいてくれる?」
ロエナの真剣な眼差しに、エリシャはぱっと顔を上げ、迷いなく頷く。
「はい、必ず!」
新しい朝の光が洞窟に差し込み、三人それぞれの決意を優しく照らし出していた。
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