第8話 朱く染まる空
放課後の美術室。
「ねぇ、沖田君。一つ、聞いてもいいかな」
「なんでしょう」
先生が体ごと傾けて机の上に並んでいる物体を見つめている。つられて、俺も傾けてしまった。
「今日、ずっとここにあって気になって仕方がなかったんだけど、この埴輪って誰の作品?」
「都築です。けっこうなものでしょう」
そこには小さな埴輪が六体並んでいた。今朝、集中しすぎて固まってしまった俺への嫌がらせで都築がつくったもの。怒りが高まりすぎて、俺を埋葬する気だったのだろうか。
だが、これがけっこう気に入った俺は机に並べて置いておいた。先生もびっくりしただろう。授業をしようと思ったら、昨日まで無かった得体の知れないものが出迎えてくるのだから。
しかし、本当によくできていると思う。シンプルな埴輪なのに、全員表情が違って見てると楽しい。こいつは怒っていて、こいつは泣いていて、それでこいつは……なんか、スケベな顔で笑ってるな。
「そうね。今度の都築さんの課題、立体造形も面白いかも」
先生は真剣な顔で頷いた。この良さが分かってもらえて俺はうれしい。
「あの、先生。センパイも。人が遊びで作ったものを見て真剣に論評しないでください」
制作者が俺の服の袖をつかみ、背後に隠れながら、恥ずかしそうにもじもじしている。都築にも、羞恥心ってのがあったんだな。なんか新鮮だな。
しかし、都築よ。俺は遠慮しない。気に入ったものはとことん語ってやる。
俺と先生が都築の埴輪に対して議論し始める。あらかた話し終わったとき、都築の顔はゆでたタコみたいに真っ赤になっていた。
「ああ、もうこんな時間」
俺と一緒になって熱く語っていた先生が時計を見上げた。
「最初にも言ったけど、先生は会議があるから。ここを使うのはあなた達だけになるけど、大丈夫?」
それは事前に聞いていた。先生の指導を受けれない、ということで元々少なめの部員は今日の放課後の部活に参加していない。だから、俺も来ないつもりだったけど。
「約束なんで」
俺がそう言うと、先生はちょっと困った顔をしてから頷いた。
「分かりました。でも、気をつけなさい。沖田君は没頭する癖があるから。もし、帰りが遅くなったら」
「大丈夫ですよ。最近はマシになったんで」
「う~ん、大丈夫じゃ無い子はみんなそう言うのよね」
俺の返事にあまり納得できていなかったようだが、本当に時間がなかったみたいで先生は慌てた様子で出て行った。
さて、じゃあ、俺はいつのまにか部屋の隅で、猫みたいに丸くなってる都築をなだめて何か描かせるとするか。
それから、しばらくして。
俺は徐々に描き上がっていく都築の絵に文句を言いたい気持ちを抑え、ようやく完成したのを見届けてから口を開いた。
「なぁ、都築」
「はい、なんでしょう?」
都築は振り返って、一瞬ニコッと笑いかけてから真剣な表情に戻る。
「俺がおまえに指示したの、静物画のデッサンだよな」
「はい」
「モデルはそこの花瓶だよな」
「はい」
「そっか」
なるほど。都築はちゃんと花瓶を描いていたのか。じゃあ、俺の目がおかしくなったのか。
都築の制作をじっと見ていたら、俺の世界が崩れていくかのような錯覚を覚えた。それでも、夢の中では無く、かろうじて俺はまだ現実にいる。
「じゃあ、何で立体主義ができあがってるんだ?」
ピカソもビックリだ。
俺の、何とか現実にすがりつこうとする一言に、都築は首を傾げた。
「だって、こっちの方がかわくないですか」
その一言に、頭を殴られたような衝撃が広がる。
おっけー。分かった。都築の目に見えている世界がこうなのかと疑ったが、わざとなら創作の範囲だ。否定しない。
「いや」
やっぱり、ちゃんと否定したほうがいいぞ、俺。
都築の弱点は、まさにこれだ。技術に乏しいのは初心者だから仕方ないのだが、基礎を身につけようとしないのはいけない姿勢だ。
楽しく描ければいい、とは俺も思うし、キャンバスは自由だとこいつに語ったのも俺自身だから、のびのびとはやってほしい。それでも、都築が指導してと言ってきたのだから、俺はそれに応えてやらなければならない。
実際、もっと伸びそうなんだよな、こいつ。都築の描く世界観、けっこう好みだし。
「とにかく、これからはアレンジ禁止。分かった?」
きっと、都築は料理も調味料を目分量で投入して失敗するやつだ。中火を強火にすれば、半分の時間ですむとか考えていそうだ。まぁ、俺も人のことは言えないが。
技術を磨くことで感性が損なわれるわけではない。個性を出すのは、基本ができてからで十分だ。
「はい、分かりました」
素直には答えているが、不満顔を隠さない都築。たぶん、それではつまらないと思っているんだろう。
わかるよ、基礎って退屈だよな。俺も同じだった。
思い出すのは先生と先輩が並んで俺に見せた、ひきつった笑顔。俺も、けっこう癖のある教え子だったから、苦労したんだろうな。あの顔はドン引きされたんだと思っていたが、今なら分かる。あれは、この子を何とかしてあげようという優しさからの思案顔だったのだ、と。
俺も似たような顔をしているかもな。がんばろう。
そんなわけで、みっちりと。俺は俺のできることを都築に伝えてあげよう。
それから、また、しばらくして。
「センパ~イ、ちょっと休んで、いいですかぁ」
気づけば、都築はふらふらになっていた。頭をぐわんぐわんと回している。
しまった。やりすぎた。体力を使い果たした都築が目を回している。
「わるい、疲れたよな。今日はここまでにしよう」
「は~い」
俺の言葉に都築は立ち上がると、やっぱりふらふらとした足取りでどこかへ行ってしまった。大丈夫かな、あいつ。
とりあえず、都築を寮までは送るか。俺は俺の荷物をまとめようとしたとき、背後からシャラっと金属音がした。
「あー、センパイ。ちょっと、こっちを見てください」
さっきまでとは調子の違う、どこか楽しげな都築の声が聞こえて、俺は振り返った。
振り返って、しまった。
窓から入ってきた、蛍光灯の白とは違う朱色の明かり。まずい、と思ったときはすでに時遅く。体は止まらない。
「ほら、空がこんなに真っ赤」
空は、赤く染まっていた。焼き尽くしていた。視線をはずそうとしても、もう釘付けになって動かない。
「……センパイ?」
ぱちぱちと、瞬きが多くなる。それでも、容赦なく夕焼けの光が俺の目を刺してくる。
「センパイ、どうしたんですか、センパイ!」
よろめいたところを、駆け寄ってきてくれた都築が受け止めた。俺も、まだ抵抗できたから自分の力で踏みとどまった。
ぼんやりと、都築の小さな体を潰さなくてよかったと安堵する。
「しっかりしてください、センパイ!」
泣いている都築の顔に霞がかかる。
代わりに見えるのは、スライドショーのように切り替わる風景。
朱色に染まる夕焼け空。オレンジ色に輝く水面。そこに浮かぶ、白い肌。
そして。
赤く濡れる、俺の右手。
その映像を最後に、俺の意識は真っ暗な闇の中へと消えてしまった。




