第7話 それでも側に 【Side : Kana】
あたし、静谷可南は悩んでいる。
「ほんと、どっしよーかな」
その悩みのせいで、今日は練習にならなかった。走ればコケるし、パスは精度低いし、シュートも外れまくるし、全く集中力が足りていない。諦めて、早めに切り上げた。
そして、一人、教室でため息をついている。少しずつ、人数が増えている。あたしのクラスは運動部が多いから、みんな朝練後だ。椅子に座るなり、爆睡しだした男子を見たときはさすがに笑ってしまった。
ぼんやりとクラスの様子を眺めながら考えるのは今朝のこと。
「あれが、例の後輩ちゃんかぁ」
その存在は、あいつから相談を受けていたから知っていた。でも、聞いていた話とはずいぶん違う印象を受ける。
たしか、距離感がおかしいって言っていったっけ。同性の俺が注意しても、なかなか響かないとか。他の部員はちょっと面白がってるしで、最近は四面楚歌だって。
どうにか分かってもらえないか、とあいつは嘆いた。曰く、子どもっぽさが抜けていない、と。何とか教えてやらないと、いつか痛い目を見る、と。
あんたはお父さんか。
「そっかなー」
あいつの言葉を思い出しつつ、あたしは首を傾げる。あたしの印象は違う。あの子はきっと本気じゃないかな、と思う。
理由は一つ、あいつに向けるあの子の視線の熱さ。二つ、あたしに向けるあの子の視線の鋭さ。きっと、あの態度も無邪気と言うより、狙ってやってるんじゃないかな。
根拠はないけど、きっと当たっている。あたしの勘がそう言っている。
そんなわけで、念のため考えていた対処法はすべて効果がないと悟って、あの場は立ち去った。お願いするなら、もうちょっと、正確に伝えるべきでしょうに。あいつにそれを期待してもムダなんだけども。
「まぁ、それはそれで」
今度は別の問題が大発生。あの場にあれ以上いたら、考えなしの感情を口走りそうになってたから、立ち去ったのは大正解なんだけど。
さて、ほんとに、どっしようかなぁ。
「カナちゃん」
そんな風に悩んでいたから、あたしはすぐそばで人が立ってたことに気づかなかった。
見上げると、ふわふわの髪が最初に目に入った。色素の薄い肌が、朝の光を浴びて透き通っている。
「メグ」
あたしが名前を呼ぶと、その子はにっこりと笑った。
「カナちゃん、珍しいね。いつもはチャイムぎりぎりで教室に入ってくるのに」
この子の名前は榊原恵。あたしはメグって呼んでる。
こんなふわふわした見た目をしていて、この子は『特待組』。所属しているテニス部の有力選手だ。プロ転向したら優勝賞金がもらえそうな大会にまで招待されるほどの。
ちなみに特待組ってのは、うちの学校の運動部連中が勝手に話してる枠組み。どんな入試で入ったか、で分けられる。一般組、推薦組、特待組って感じ。仕方ないことだけど、入部当初は差別される。全然、実力でひっくり返せるけど。
あたし?
あたしは一般組。誘われたのは別の高校だもん。ここには普通に筆記試験で入ったから。
「あー、ちょっと色々あって」
あたしが頭をかくと、ぐいっとメグが顔を近づけてきた。
「それって沖田くんのことですか?」
メグの瞳が迫ってくる。この圧力には覚えがあった。
あれは、メグの応援に行ったときのこと。格上の相手に翻弄されながら、精神力勝負に出て粘り勝ちをした。そのときの表情に似ている。
この子は「コートの貴婦人」なんて呼ばれてて、どっかで貴の字は実は「鬼」なんじゃないかとも言われていた。信じられなかったけど、あの試合を見たら納得できた。ゆるくて儚げな見た目をしているのに、一度勝機を見つけると鬼の形相で食らいつく。あの根性は見習いたい。
それより、うちの高校、異名好きすぎない? あたし、他にも知ってるよ。「小さな人魚姫」とか。
「沖田くんのことですよね!」
メグは、もうつかみかかるかという距離にまで来ている。もう、目がまん丸だ。
うん、あたし、ロックオンされてる。ちょっと、恐い。
「な、なんで、ここで沖田の名前が出てくるのかな?」
「だって、私、今朝見てましたから!」
あー、あれ見られてたのか。それなら、メグの様子がおかしいことにも納得。
「二人の女の子が、男の子を取り合う。あれが修羅場ってやつですよね。私、初めて見ました。感激です!」
感激するようなものじゃないし、そもそも修羅場じゃないし。というか、あたし、修羅場が何を指してるのか分かんないし。
「ああ、どうなるんでしょう。私はもちろんカナちゃんを応援しています。でも、お相手の子も本当にかわいらしい子で。絵になりますよね!」
メグは祈るように両手を合わせながら、きゃっきゃと飛び跳ねている。
「ははは」
あたしは暴走するメグをただただ笑って見ているしかなかった。
メグと仲良くなったきっかけも、こんな感じだった。
確か、「あなたは何故、男の子とあんなに親しげにお話しできるんですか?」だったっけな。入学したばっかで、同じクラスだったあいつと仲良く話している姿がメグには新鮮に映ったみたい。メグは女子校育ちで、学外のテニススクールでの成績がよくて、ここの特待生になったと聞いた。
メグの男の子に対する知識はあの子が読んでいる漫画からできている。だから、あたしとあいつの関係を話したときの興奮はすごかった。
「隣人で、窓伝いで部屋を行き来できて、しかも、幼稚園から高校まで一緒……漫画じゃないですよね。本当なんですね!?」だったかな。
うん、あたしも珍しいとは思うよ。そこまで、わくわくすることじゃないと思うけど。
それ以来、あの子の目の届く範囲であいつと関わっていると、メグが今みたいに顔の前で両手を合わせながら目をキラキラとさせていた。二年の進級時にクラスが分かれたから、今日みたいになるのは久々だ。
「危機こそ機会。近すぎて意識していなかった相手を、気になる異性にする恋敵の存在。これまでと同じではいられないと悟った二人は次の舞台へ。やっぱり、こういうイベントって必要ですよね。これは私も新しいイベントを演出してカナちゃんの背中を押さないと」
あ、まずい。メグが、ちょっと変な方向に舵を切ってる。
これは心苦しいけど、止めた方がいいかな。
「ねぇ、メグ」
「なんでしょう?」
なんかクルクルと回っていたメグが振り返った。あたしは精一杯の笑顔をメグに向ける。
「ごめん、あたし、もうフラれてる」
一瞬、時が止まった気がした。
「え、今、なんて」
少なくとも、メグの熱かった思考は一気に冷え切ったみたいだ。
「だから、あたしは沖田にフラれてる。メグのいう、イベントとかはもう通過済みってことになるのかな。だから、ごめんね」
私は笑顔を崩さぬまま、固まっているメグに頭を下げた。
「えっと、フラれたってのは」
「あたしが告白して、断られたの。分かるでしょ?」
メグが言葉の意味を問うてるわけではないことは理解しつつ、あたしは丁寧に言い換えた。
「え、いや、それは分かってますが」
すごく、ばつが悪そうな顔をしている。それは、そうか。メグは自分の発言に罪悪感を覚えているんだ。ようは傷口に塩を塗り込む行為だもんね。
気にしなくてもいいのに、とあたしは思う。
「でも、本当にそうだとしたら、何で、あんなに仲良く」
「うん? ほら、恋愛と友情って別だから」
メグは眉根を寄せている。納得できてないみたい。
「そりゃ、キツかったけど、あたしもふっきってさ。前みたいな友達に戻ってるの。それで、今が楽しい」
あたしがニコニコと明るく話しているからか、メグの青くなっていた顔色が戻ってきていた。
「だから、まぁ、見守ってくれるとうれしいかな」
メグは小さく息を吐いた。
「わかりました。それでは、また後ほど」
とぼとぼと、自分の席に戻っていくメグの背中を見て胸がチクリと痛んだ。
「ああ、嘘、ついちゃったな」
今度は、あたしが罪悪感でいっぱいになった。




