第6話 策士策におぼれる 【Side : Moe】
「ちょっと待っててくれ。俺の方を確認してから、おまえの相手するから」
センパイがそう言ったのは三十分ほど前のこと。それからキャンバスの前に座って自分の作品を見つめだした。それから、ずっと、ずーっと、私は放置されてる。
真剣なまなざし、かっこいい。……ううん、そうじゃない。
「うう、これじゃあ、何のために早起きしたのか」
私の嘆きも、センパイには届いていない。こうなると、センパイは自分で集中を途切れさせるまで、周りの声は聞こえなくなるから。
私は知っている。初めて会ったときから、センパイはこうだった。他人のことをすっごく気にするくせに、他人事だと言って自分に返ってくるものには興味がない。マイペースと気配り上手が共存している、そんな人。
そんなところも、好きなんだよなー。
「はぁ」
でも、今日は私の方を見て欲しかったなぁ~。せっかく、センパイと二人きりなのに。
放課後の部活はほとんど参加せず、参加したとしてもセンパイはすぐに帰ってしまう。それなのに作品をちゃんと仕上げてくるから、ずっと気になっていた。聞いてみたら、「朝来て一人でやっている」と。
これだ、と思ってセンパイから指導してもらいたいということを口実に一緒に朝活動することになったのが今日のこと。もう、その時間も終わりそうだけど。
私は、当初の目的を果たせず、絵すら描かずに、美術室の片隅にあった粘土をいじっている。
もう楽しくなってきたくらいだ。センパイが気づいたときにビックリするように、埴輪でも作って、周囲に並べてあげようかな?
「もう、センパイがもっとかまってくれたら、こんな変な時間つぶししなくていいのに」
私は、両頬を膨らませる。私がこんなに怒っても、センパイはこっちを見てくれないけど。
私、都築萌には好きな人がいる。目の前で今も同じ姿勢で固まってる沖田幸人センパイだ。私は、この恋心を自覚してからずっと、ずーっと、センパイに振り向いてもらおうと努力している。でも、うまくいっている気はしない。から回っている自覚がある。
あれかな、新入部員紹介でいきなり「私の目標は沖田センパイのお嫁さんです」とか宣言したのが悪かったかな。センパイだけじゃなくて、他の人も引いてたし。でも、そのおかげで牽制できたし、動きやすくなったけど。
それよりも、その後に本気で告白しようとしたら、がっつり説教されたのが効いているかも。「女の子が軽々しく言っていい台詞じゃない」って、あの優しいセンパイがちょっと恐いくらいの表情で。
それから冗談っぽくつきまとうことしかできなくなった。きっと、センパイもからかわれてると思っている。だから、あの時みたいに本気で怒ってくることはなくなったけど、私が本気だってことも信じてもらえていない。
でも、いいんだ。今の目的は、センパイと仲良くなることだから。それで、少しでも私を意識してもらって。自信ができたら、もう一回告白するんだ。
そう、思っていたのに。
「あれが、静谷先輩か」
その名前を口にした瞬間、私の心はずしんと沈んだ。
センパイに女の影があることには気づいていた。
付き合ってる、というわけではない。彼女がいるかどうかはセンパイの口から直接聞いている。センパイは嘘をつくような人ではないから、それは信じている。
それでも噂は聞こえてくる。都築さんの好きな人、女の子と一緒に登校しているよ、とか。サッカー部の誰々がフラれたらしいんだけど、その相手の好きな人が沖田センパイらしいよー、とか。私がセンパイのことを好きだと公言してるから、わざわざ私に伝えてくる人がいる。大きなお世話なんだよなー、ほんと。
それだけじゃなくて、私も直接感じた出来事もある。普段、学食派のセンパイとお昼をご一緒しようと探しても見つからず。部活に来たセンパイに気になったので聞いてみたら、今日はお弁当だった、と。あれも、もしかしたら、静谷先輩が作ってきて、それだけじゃなくて、一緒に食べてたのでは、と今なら思う。だって、センパイ、いろいろと雑だし。寮住まいで共有キッチンじゃなかったら、私だって作ってくるのに。
そもそも、センパイが美術を志したきっかけとかが、幼なじみの女子にいいところを見せたかっただとか。「そいつ、すっごいから」とか笑ってたな、センパイ。
「……」
今朝の出来事を思い出す。
確かに、すっごかった。いろいろと。
私は立ち上がる。下を見る。つま先が見えた。むなしい。
「はっ」
もしかして、センパイはすでに籠絡されて!?
だから、あんなにスキンシップしてもセンパイは照れもしないんだろうか。そうなると、作戦の変更が必要だ。あのスタイルの良さと真正面から勝負するのは、今の私ではきつい。
「自分の武器で勝負するべきだ」、は他ならぬセンパイ自身の言葉だ。私の武器を見つけるんだ。どんとこい、だ。
そんな新たな決意を胸に脳内作戦会議を開いていたからか、時間がどんどん過ぎていっているのに気づかなかった。
「うん?」
あ。
「え、もうこんな時間。すまん。都築。なにもできなかった……って、なんで埴輪!?」
先に正気に戻ったのはセンパイだった。周囲に並んでいる埴輪に恐怖している。ちょっと、かわいい。
「なんだ、これ。よくできてるな」
センパイは一つ一つ丁寧に埴輪を横に並べだした。さらにかわいい。
「あー、これ都築か。すまん、暇だったんだよな。今日の放課後はちゃんと見るから」
恐縮するセンパイに、私は首を傾げた。
「センパイ、今日は帰る予定ですよね?」
確か、静谷先輩に予定がないと言っていたはずだ。美術部は自由参加だから、私も今日は帰る予定だった。だって、センパイ来ないって言ってたし。
「そうだったけど、約束だからな。都築さえよければ、だけど」
私の、どうしようもない口実を、センパイは気にしてくれている。今日初めて、センパイがこっちを見てくれて、とてもうれしくなった。
「はい、よろしくお願いします」
やっぱり好きだな。私はそう思った。




