第4話 色彩の魔術師
静谷はまじまじとこちらを見つめている。そして、何か思い当たったようでパアっと顔が明るくなった。
「へぇ~、そういうことか」
そして、今度はニヤニヤと笑いながら、こちらの顔を眺めてきた。
俺の表情でいろいろと察したようだ。心を読むな、心を。
「まぁ、でも、そういうことなら、あたしも一緒かな。『色彩の魔術師』さん?」
「ぶはっ」
静谷の口から出てくるとは思わなかった単語が飛び出してきて、思わず吹き出した。
え、聞き間違い?
「『あえて寒色のみを用い表現されたこの色使いは無限の可能性を感じさせます。その広がりを生む繊細さは、まさに色彩の魔術師と呼んでも過言ではないほどで……』」
「静谷、ストップ」
聞き間違いじゃなかった。こいつ、選評覚えてやがる。
「えー、褒められてるからいいじゃん」
静谷は本当にうれしそうに笑っている。これでいじっているつもりなら反論できるが、静谷の場合は本気で喜んでいるから何も言えない。
さっきのは直近のコンクールで入選した作品に対して贈られた審査員からのことばだ。結構大きな展示になって、誇らしさよりも恥ずかしさが勝った。
いや、だって、あの審査員の熱量、他と違ったし。そんなに気に入られるとは思わなかったし。褒められているところも苦肉の策だったわけで。
「沖田って、普段他人事だって他人の評価気にしないくせに、いざ評価されると照れるよね。堂々としなって。あの絵、あたしも大好きだよ」
「お、おう」
「また照れてるー」
そりゃ、そんなにまっすぐに褒められたらね。
「しかし、沖田の絵も相当上達したね。プロの人にあんなに言ってもらえるなんて。そっちの道に進むのもいいんじゃない?」
「そんな甘い世界じゃ無いのはわかるだろ」
「夢見るくらいはいいんじゃないかな?」
静谷は本当に嬉しそうに俺の将来を語っている。
夢、か。なんか、いろいろとピンとこないなぁ。なんだかんだ言って、今が精一杯だし。
「でも、繊細か。私生活はあんなに雑なのに」
さっきまで笑っていた静谷がムスッとした表情でこっちを睨んできた。感情がジェットコースターだな、こいつ。
「いいだろ、別に」
「よくない。丼飯とレンチンパスタのヘビーローテーションは止めな、ね?」
なんでだ、うまいだろ。どっちも。
「たまにならいいけど、炭水化物過多なんだって。だから、夕飯うちで食べてけばいいのにって言ってるの。お母さん、沖田がこなくなって寂しそうだし」
「いや、さすがにいつまでもそれじゃ駄目だろ」
「むぅ、だから今更だって」
俺の返答に、静谷は頬を膨らませた。
俺の両親はどちらもあちらこちら飛び回る仕事をしている。今みたいに、同時に家にいない状態も稀ではない。
そんな時、幼い頃はお隣、つまりは静谷の家に預けられた。だから、静谷家は俺の第二の実家みたいなもので、居心地も悪くはない。おじさんもおばさんもいい人なのは分かるし、今も気にかけてくれている。
ただ、その厚意を遠慮なく受け取れるほどに、子どもではなくなった。それだけだ。
「じゃあ、せめて前日の洗い物は前日に済ませな。片付けといたけど」
「それは本当にすみませんでした」
俺は慌てて頭を下げた。迷惑をかけてるんじゃ、本末転倒なんだけど。今日はちゃんと片付けよう、うん。
「はいはい。じゃあ、ちゃんと頑張ってね。『色彩の魔術師』さん」
ちょっとだけ先に歩いて振り返り、ニカッと笑う静谷。
気に入ってるのか、未だに人のことを魔術師呼ばわりしている。こいつの性格上、あおっているわけじゃないんだろうが、ちょっとイラッとしてきたな。
反撃してやろう。そうしよう。
「はいはい。そうしますよ、『彩華のスピードスター』さん」
「ぐはっ」
よし、効いた。
胸をおさえてうずくまる静谷。そこまでしなくてもいいんだが。ノリいいな、こいつ。
「な、なんで、その呼び方を?」
わなわなと震えている静谷。よっぽど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしている。
「おまえの試合、応援に行ったとき。おまえのところの後輩がきゃっきゃと噂していた」
『彩華のスピードスター』。
最初、誰のことを言っているか分からなかったが、その言葉を口走っているのは明らかに静谷の応援団だった。静谷が活躍するとハイタッチしていたし、そのあとに「さすが静谷先輩。彩華のスピードスター」とか言っていたから確定した。
ちなみにハイタッチは俺も巻き込まれた。陽キャのノリにはついていけない。恥ずかしい。
「ああ、後輩ちゃん達……外でも言ってるんだ、それ」
静谷は頭を抱えている。そう呼ばれているのは知っていたのだろう。しかし、いわゆる部外者であるはずの俺にまで届くように使っているとは思っていなかったようだ。
「いいんじゃねーか。褒められてるんだし」
意趣返し。俺はニヤニヤと静谷を見た。そんな俺を一瞬だけむっとした表情で睨んでから、静谷は大きく息を吐いて脱力した。
「分かった。褒められてるって分かってても恥ずかしいってことだね。理解した」
「そういうこと」
そんな他愛ない言葉の応酬を終えると、校門が見えてきた。登校している生徒は俺達以外見当たらない。
こんな時間に学校にいるのは運動部の連中くらいだろう。その中でも熱心な連中くらいだし、寮生も多いから、こうやって校門まで来ても俺達の姿しかない。
「じゃあ、あたしはまず部室かな。沖田は直接美術室?」
「いや、ここで待ち合わせ。後輩と約束してる」
「――ああ、例の」
一瞬、静谷の視線が鋭くなった気がしたけど、気のせいだろう。今は笑ってるし。
「帰りは? あたしは部活だけど」
静谷のそれはいつものことだな。中学の頃みたいに、公園で日が落ちるまで自主練するとかなら付き合ってやりたいところだけど。
「俺はとりあえず予定なし。明るいうちに帰ってこいよ。暗くなるなら連絡しろ」
そんな俺の物言いに静谷は苦笑いを浮かべている。
「早めに切り上げるけど……、え、なに、あんたはお母さん?」
二人でそんなくだらない会話をしていたからだろう。
俺の背後で、俺達をじっと見つめる冷たい視線に気づかなかったのは。




