第27話 踏み込む覚悟【Side : Moe】
部活が終わって、寮の玄関をくぐった瞬間。
「疲れた」
思わず声が漏れた。
いつもの美術部の活動はこんなに疲れないと思う。今日はやけに、たくさんの人に囲まれた。私がセンパイの近くにいるのはいつものことだけど、でも、そのセンパイに先輩達が次々に集まってきて。
「宮本先輩って、センパイの何なんだろう」
先生が宮本先輩の話をして、センパイがそれに応じて、さらに部長まで来て、他の先輩達も次々に加わって、私の周囲で宮本先輩の思い出話に花を咲かせていた。
聞いていると、いろいろな意味で伝説の人だった。紙をはみ出して床一面を作品にしてしまった話とか、集中しすぎて丸一日授業をサボったりとか。
私は一人、置いてけぼり。
……違うなぁ、センパイ達、私に向かって話してたよね、たぶん。視線が毎回、私に向いていたし。
それをそらしていたのは、私だ。
でも、仕方ないよ。だって、宮本先輩なんて知らないもん。センパイは私が「会ったことある」って言うけど、見たこともたぶん無いよ。あのときは、センパイしか見てなかったんだから。
……あれ? ちょっと待って。
「センパイ、きっと気づいてる」
回想の中で、はっきりと分かった。センパイはすでに学校見学の私と、今の私を結びつけている。
あれかな、この高校で再会したとき。「はじめまして」って言ったのが嘘だってのも気づいているのかな、きっと。
でも、仕方ないよね。
「可愛い私だけ、見せたいもん」
中三のときの私は、できればセンパイの記憶に残したくない。だから嘘ついちゃったんだけど。でも、そっかー、気づいてるのかぁ。
それなら、今度は今の私でセンパイの心をいっぱいにしないと。
そんなことを考えていたら、部屋のドアの前まで来た。一気に気分が沈む。廊下は静かで、遠くからかすかに笑い声がする。
ノック。
「はーい」
中から返事。あれ、いつもだったら私の方が早いのに。緊張が増した。
ゆっくりとドアを開けた。中を覗き込む。自分の机から、こっちを見ている近藤さんと目が合った。
「お、お帰りなさい、都築さん」
うわずった声。それでも、しっかりとこちらを見てした挨拶。
「……ただいま」
なのに、私は目をそらしてしまった。自分でも分かる。とても、冷たい声だ。
ああ、またやっちゃった。どうしても、普通にすることができない。そもそも、普通って何? 分かんない。
だから、今日も目を合わさずに自分の机に座ってしまった。そのまま視線を落とす。
分かってる。分かってるんだよ。ここから、三年生まで近藤さんと同じ部屋で、そういうのも覚悟して、この高校受験したんだ。それなのに、私は今日も踏み込めない。
誰かと仲良くしようとすると、どうしても思い出してしまうから。
中学の頃、仲のよかった友達がいた。その子には好きな人がいた。私は、そういうのよく分かんなかったから相づちだけ打っていた。告白するって言ったときも背中を押したっけ。
結果、フラれた。原因が私だった。私は何もしてない。相手が勝手に私を好きになっただけ。それで、「裏切り者:だっけ。他にもひどいこと、いっぱい言われた。
あんなに仲良かったのに、もう名前も思い出したくない。あれがきっかけで、周りから人がいなくなったから。あの空気は、二度と味わいたくない。
センパイだけだ。踏み込んでいいと思えるのは。嫌われる覚悟だってある。多少、空回りしたって構わない。
センパイの絵に恋したあの日から、私の世界には色がついたから。
でも、他の人相手には、まだ、怖いなぁ。
勇気が欲しくて引き出しを開けた。そこには、あの日、センパイにもらった似顔絵がしまってある。そこに描かれた私は、とてもまぶしい笑顔をしていた。
今、こんな風に、笑えるかな?
「それ、もしかして、沖田さんの」
え?
センパイの名前に反応して、思わず振り返ってしまった。
「ご、ごめんなさい。のぞき見するつもりはなくてね」
近藤さんが慌てて顔の前で両手を振っていた。ただ、その動きがゆっくりと遅くなる。そして、すっと腕を下ろすと、近藤さんは笑った。
「いい絵ですね、それ」
「……うん」
私は素直に頷いた。センパイの絵が褒められるのは嬉しい。
「でも、今の都築さんとは少し違うね。もうちょっと、年齢高めというか」
近藤さんは言葉を選んでる。自分でも分かるけど……つまり、今の私がこの絵よりも、もっと子どもっぽいって思ってるよね。
牛乳、効果無かったな。あの日から、あんなに頑張って飲んでるのに。
「センパイは未来予想図って言ってた」
そこからは意外と会話が続いた。センパイの絵の話だったからかな?
「そっかー。だから、沖田さん、似顔絵って言ってたのか」
近藤さんは一人で納得して、頷いている。その様子で私は気づいた。
「近藤さん、何でセンパイの名前知ってるの?」
それに似顔絵の話をセンパイとしてたの? 私とだけの思い出なのに。胸の奥がざらっとする。暗い気持ちがわき上がってくる。
その疑問に、近藤さんは「ああ」と一言呟いて。
「この前、メッセージでそんな話題が出て」
そう、衝撃的な言葉を言った。
ガツン、と頭を殴られた気がした。え、センパイと連絡先交換してるの、この子。
ニコニコとしていた近藤さんの顔色が悪くなった気がする。わかってる。私、ひどい顔になってる。
「もしかして、近藤さんって、敵?」
「ち、違うよ!」
それから近藤さんは必死に弁明を始めた。私との関係に困って相談した、なんてことも素直に答えてくれた。
それを言われると熱が冷めた。うん、それは私も……、悩んでたから。
近藤さんは潔白を証明するために、画面すら見せてくれた。
「ほ、ほら、沖田さんって私に対しては事務連絡みたいな感じですから。何にもないです」
たぶん、センパイは誰にでもそんな感じだと思うなぁ。簡単に想像できちゃう。でも、実際のことを私は知らないから正直うらやましい。
「都築さんのとは違うでしょ? でしょ?」
追い打ちだ。今度はクラクラしてきた。
「私、スマホ、持ってない」
だから、センパイと連絡なんて、とったことない。ただの事実なのに、悲しくなってきた。
私が持っているのは連絡用の小さいのだけだ。たぶん、もっとちっちゃい子が使うのを想定してるやつ。
「あっ」
近藤さんは、自分の失言に気づいて顔を青くした。何とか挽回しようと慌てている。
そんな様子を見て思った。たぶん、近藤さんっていい子なんだろうな。
もう少し、踏み込んでもいいかもしれない。そう思うと、少しだけ心が軽くなる。がんばって、みようかな。
……それでも、まだ、やっぱり怖いけど。




