第26話 その色に呼ばれるまで
都築との出会った頃のことを思い浮かべて、改めて思う。ああ、俺も結構なイレギュラーだよな、やっぱり。
どこが都築の琴線に触れたのか、さっぱり分からん。
似顔絵贈ればいいのか?
そんなことを懇願されて交換した近藤さんの連絡先に向けて呟く。シュポン、と音がしてすぐに返事が来た。
なんだ、これ? 頭に「?」を浮かべた猫?
近藤さん、スタンプ多用するんだよな。俺、この文化知らないからいまいち意味が分からない。
……いや、俺、そもそも同年代と連絡取り合わないな。静谷はこっちの都合考えずに生身で突撃してくるし、嶺岸とは事務連絡っぽくなるし、美術部のグループも先生の都合を把握するくらいしか使ってない。
あれ、俺、枯れてる?
「いや、今更か」
すまん、忘れてくれ、と。すぐに既読になった。たぶん、近藤さんは休憩中だな。ちょっと返事が速すぎる。それか、今日はオフなのかもしれない。
おっ、と。
スマホを注視していたら、何か背中に冷たいものを感じた。振り返る。そこにはじとっとした目で見ている都築がいた。
「何やら楽しそうですね、センパイ」
「そう見えたか?」
おまえのことで頭を悩ませてんだけどな。苦笑いを浮かべて、スマホをポケットにしまい込んだ。こっちは休憩終了だ。
自分の絵と向き合う。大体下書きは完成したかな。
「……」
都築が後ろに立っている気配がする。自分の課題はどうしたんだろうか。
「センパイって、何か見ながらとか描かないですよね」
心から漏れ出たような質問をする都築。たしかに、何かモチーフを前にして描いた覚えはない。これを趣味にした頃から、こんな感じだから気にもとめなかったけど。
都築はそれが気になるらしい。そういや、最初に都築が見ていた俺の絵も昔父さんの写真を見て感動したのを覚えてて記憶頼りに描いたんだよな。
「俺、覚えてるのを削り出すみたいな描き方するからな。デッサンの練習くらいかな、実物見るの」
「ああ、だから」
じっ、と都築が俺の下書きを見る。
「そんなに崩れてるんですね」
「いや、わざとだぞ」
さすがにそこを誤解されるのは屈辱だ。
「分かってますよ。やっぱり見たままを描くより、こういうのが可愛いですよね」
都築は俺に同意を求めてくる。
絶対に首を縦には振らんぞ。そんなに見て描く練習が嫌になったのか、もうちょっと頑張れ。
背中から小さく息を吐く声が聞こえた。俺が頑固なので諦めたようだ。
「それ、静谷先輩ですか?」
「おっ」
よく分かったな。話題が変わったタイミングで、俺は振り返った。それこそ、こいつが言った通り結構崩しているのに。
都築は俺の頭越しに、絵を大きな瞳で見つめていた。
「センパイ、人物画は描かないのに」
「まぁ、気分転換みたいなものだな。先生にも言われたし」
俺の返事を聞いて都築は不機嫌な顔を見せた。それを隠すように顔を伏せる。そして、何か、ぶつぶつと呟いていた。
失礼かもしれないが、ちょっと耳を澄ませてみるか。
「センパイの特別が……でも、ちゃんと描いてもらえてるのは私だけ」
俺は思わず笑ってしまった。
何を言ってるのかね、この子は。隠したいのか隠したくないのか、はっきりしなさい。
意識がそれた都築から視線を外し、俺は画材に向き直った。
色つけか。どうしよかな。あの時、静谷は赤いゼッケンつけてたな。チーム分け用の。
「赤か」
じっと、絵の具を睨む。そこには何色か、赤の系統が並んでいる。他のそれとは違い、丸々と中身を蓄えたそれは、俺の意識さえ飲み込もうとする。
俺はその中でも、一際鮮やかな赤いチューブに手を伸ばす。前は見るだけでもダメだったが、これぐらいなら。
がしっ、と伸ばした腕に抱きつかれた。
「えっ」
一点しか見えていなかった視界が一気に広がった。しがみつく都築と目が合った。彼女は泣きそうな顔でこちらを見ていた。
あ、これ、あの夕焼けのときと同じ顔。
「センパイ、顔が真っ青です」
ああ、そんなにひどい顔をしているのか。俺は固まっていた腕を引っ込めた。都築はいつもと違って、すぐに離してくれた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
背後から、荒れた息の音が聞こえて、急に思考が冷めた。振り返る。そこには焦りで表情を崩している先生がいた。
息も切れてるから、美術室の一番遠いところから走ってきたのかもしれない。部員の注目が集まっている。俺に、というより全力で駆けた先生に向けてだ、たぶん。
「ありがとう、都築さん。沖田くん、無理はしないでって忠告したでしょ?」
「あっ」
無理をした認識はなかった。でも、嫌な予感はした。ああいうときは踏み込まない方がいいって分かっているのに。
それが、無理ってことなんだな。気をつけないと。
「すみませんでした。まだ無理みたいです」
先生は一つ、息を吐く。もう息は切れていない。
「宮本さんも言ってたでしょ? 本当に必要なときは、向こうから呼んでくれるって」
先生の言葉がかつて鈴さんが俺に言ってくれた言葉を思い出させた。
――幸くん、使えないってことは、その子たちは今は必要ないんだよ。幸くんが本当に必要なとき、向こうから呼んでくれるよ。それまで待ってればいいんだって。
ちょっと胸がちくりとしたが、それ以上に喜びが大きかった。鈴さんらしい、画材を擬人化した言い回しは懐かしさを覚える。
「俺、鈴さんの教え、忘れてたみたいです」
「あら、ひどい。あんなに指導されてたのに」
「ははは」
乾いた笑いが出る。まぁ、色々あったんですよ。色々と。
「鈴さん?」
先ほどまで泣きそうだった都築の目が据わっていた。
「誰ですか、その人」
おっと、すごいプレッシャーだ。そうだな、都築が学校見学に来たとき、ずっと似顔絵描いてたから直接交流してないんだよな。
さて、何て言えばいいか。
「おお、鈴ちゃん先輩か。すげえぞ、あの人は」
いつのまにか近くまで来ていた部長が、都築の頭に腕を乗っける。都築が小柄で座っているからか腕の位置がジャストフィットだ。
肘おきにされた都築は憮然とした表情に代わっている。
「なんせ、『天使の筆使い』なんて呼ばれてたんだぞ。今は美大に進学してるし、あたしの目標だ」
けらけらと部長が笑っている。都築は頬を膨らませているが、あんまり気にしてない。たぶん、この人も都築に睨まれて動じない人だ。
「でも、あたしに『天使』は似合わないし、沖田の方が後継者っぽいよな」
俺に後継者は荷が重すぎるが、前半は同意。ですよね、あなたは『彫刻の鬼神』ですもんね。今も彫刻刀手に持ってるし。話に参加するのはいいけど、置いてから来て欲しい。
「あれ?」
そういや、俺を『色彩の魔術師』って評した人。もしかして先輩二人にあだ名をつけた人と同じ人じゃないか。センスが似ているし。
毎年似たような名前つけてるんだろうな、きっと。そうなると。
「センパイ?」
目が合った都築に首を傾げられた。たぶん、次はこいつが変な異名つけられる気がする。ちょっと面白くなって笑ってしまった。
都築はさらに傾げる首の角度が大きくなった。さらに笑わせるのは止めてくれ。




