第19話 確かな成長
「都築!」
俺はすぐに捕まれている左腕を見る。
「はい、あなたの都築萌です」
思った通り、そこには大きな瞳をきらきらと輝かせている都築がいた。がっつりと、全身を使って俺の腕をホールドしている。
「ここ、二年生の教室だぞ」
「だって、センパイ。急がないと、また浮気するじゃないですか」
何が浮気だ。そんな浮ついた心なんか、俺には……ないとはいえないが、おまえに言われることではない。
「私が、センパイと一緒にお昼ご飯食べようと、ずっとずっと声をかけようとしてたのに。なんで、急に女の子と二人で食べてるんですか!」
都築はちょっと涙目になっている。よっぽど、悔しかったらしい。やっぱり昼間見た姿は都築だったんだな。すぐに見失ったから確信持てなかったんだけど。
と、いうか、いつも来てたのかよ。おまえさえよければ、昼食くらい一緒に食べてるぞ。でも、おまえ、人が多いところ苦手だろ。分かってるんだから。
「だから、他の女性の匂いを私で上書きするんですっ!」
犬か猫か何かなのか、おまえは。それに、そんなにくっつくと色々危険なんだがな。分かってんのか。
「当ててるんですよ?」
おまえも俺の心を読むな! 俺の表情、そんなに分かりやすいのか? 何か、そういう訓練をしなきゃいけないレベルかもしれない。
「いいから離しなさいっ」
「いーやーでーすっ!」
しばらく、いつものような感じで都築に振り回される。そんな俺を助けるわけでも無く、ずっと見てるやつがいた。
「あー、この子が例の」
その声で、都築に引っ張られてた意識が元に戻った。嶺岸がうなずきながら俺達を見ている。
ああ、そうか。俺は嶺岸が都築のことを知っていた理由に思い至った。嶺岸は当然と言っていいのか、新入生の情報にも耳ざとい。そんな中、都築の噂も聞いたのだろう。
あと、俺にこんな感じでくっついているって話も当然耳に入ってたんだな。
「こんにちは。君、可愛いね。よかったら、お兄さんとお話ししない?」
あー、こいつ、またやってる。
嶺岸の甘えた感じの声色に、俺は空いた右手で頭を抱えた。
「誰ですか、あなたは。ナンパなら間に合ってるので、お帰りください」
都築はじろりと睨む。その思わぬ迫力に、嶺岸はたじろいだ。
そうだよな、嶺岸。それが普通の反応だ。やっぱり静谷の胆力が凄かっただけなんだな。
そして、思う。なぜ、嶺岸はこうも初手をミスるのか。沢城さんへの踏み込みすぎを本日やらかしたばかりだというのに。ちなみに、俺が知ってる都築の地雷は「子どもに見られること」と「顔を褒められること」だ。嶺岸は先ほどの一言で両方見事に踏み抜いている。
さらに静谷に対してもそうだ。あれも、静谷は何だかんだ言って優しいから、普通に誘っていればデートなら了承していた可能性もある。やらかしたのは、俺を騙して誘い出したことだな。事前に呼び出す理由、静谷に話してたし、俺。
あの時は、結局、俺達二人を置いて爽やかに去って行った静谷だったが、嵐は夜に訪れた。
――たのもーっ!
俺の部屋に全力で乗り込んできた静谷が、戸惑う俺の前で腕を組んで仁王立ちしていた。どうも、嶺岸の一件があったあと、ずっと怒りをため込んでいたようで、じろりと俺をにらみつけていた。何のようだ、と言うと急に顔を真っ赤にして怒鳴りだした。
――何のようか、だとぉ~。あんたこそ、あたしに言いたいことは無いのかっ。
自分が悪いと思っていた俺はひたすら謝っていたが、静谷の矛先は嶺岸に向いていたように思う。俺が騙されやすいことはすでに諦められているようだ。ちょっと悲しい。
――新しい友達作ることは否定しないけど、相手は選びなさい。あんたを騙すやつなんてろくなやつじゃない。
……今、思い出したら、ずいぶん心配されてたんだな、俺。その後、ろくに嶺岸のフォローをしなかった俺がまだ友達付き合いを続行していることを知った静谷が、今度は本当に心配そうに「まさか弱みとか握られてない?」と聞いてきたのは別の話。
おまえが知らない、俺の弱みがあるんだとしたら、教えて欲しいよ、静谷。
「そ、そんなこと言わずにお話ぐらい」
「結構です。あなたの軽薄そうな顔が不快ですので、どうかお帰りください」
おお、辛辣。
ただでさえ、都築の虫の居所が悪かったところに嶺岸の勇み足だ。都築の機嫌は最悪になっている。
それからしばらく挽回しようと奮闘していたが、嶺岸は心が折れたらしい。俺に近づき、右肩を叩いた後、俺に一言呟いた。
「じゃあ、あとは若いもん同士で」
「おい、まて」
おまえ、誕生日、俺より遅いだろ。
そんな感じで、嶺岸は去って行った。背中に哀愁が漂っている。何とかしてやりたいが、俺には無理だろうな。
「じゃあ、センパイ。一緒に部活に行きましょう」
都築は先ほどの表情はどこへやら。満面の笑みを見せる。
ああ、うん。「可愛い」は普通に褒め言葉だよな、こいつに対しては。
「部活って。俺、放課後はあんまり行かないぞ」
「いえ、できる限り出てほしいです」
なんでだよ。都築の言葉には強烈な意思を感じる。
「私、思ったんですよ。私の武器ってセンパイの後輩だってことなんです」
それは当たり前だろ。意味が分からない。
「それは静谷先輩にも、あの清楚系美女にもないことなんです」
後半は沢城さんのことを言ってるのか。都築は俺の腕をつかんだまま、左手をぐっと握りしめている。
「顔なら私、勝負できるので。他に勝てるとしたら、後輩としてセンパイにかわいがってもらうことなんですよ。だから、一緒に部活に行きましょう」
力説している都築だったが、俺は後半あまり聞いていなかった。
こいつ、何て言った?
顔なら勝負できるって?
――私、私の顔が嫌いなので。
フラッシュバックのようによみがえる記憶。その映像と、目の前の都築が重なった。瞬間、俺は思わず吹き出した。
「はは、ははは」
それだけでなく、笑いが止まらない。そんな俺を見て、怪訝な顔を見せる都築。
「え、センパイ。今、おもしろいところありました?」
「ああ、悪い」
困惑する都築の前で、出てきた涙を拭く。
「ずいぶん、自信家になったなって」
そうなると、嶺岸に対して機嫌が悪かったのは別の理由か。それは俺の見当違いだった。都築はそんな俺を見て、意味が分からないと言った顔で首を傾げた。
「いや、いいよ。分からないなら。まぁ、誘ってもらったことだし、美術室に行くか」
俺の一言に、ぱぁっと表情が明るくなる都築。さらに、俺にくっついてきたが、まぁ、今日くらいは許す。
こいつは、こんな風に笑うことができる。初めて会った時からは信じられない変化だ。
先輩として、成長を見ることができる。ああ、それは確かに、悪くない。都築が可愛い後輩なのは間違いない。少しくらい、こいつのやりたいことに付き合ってやろう。




