第16話 君にできることを
「本当は手製のお弁当に挑戦してみたかったんです」
沢城さんは、不意にそんなことを口にした。
「弁当?」
「はい。日本の高校生は教室でお弁当を広げているイメージがあったので」
確か、海外ではあんまり見ない光景なんだよな。弁当そのものが。
「……すればよかったのに。料理苦手?」
口に出してから、しまった、失言だったかなと思った。もしかしたら、やむを得ない事情を抱えているのかもしれない。
そんなのを聞き出してしまったら、何もできないのに事情だけ抱えることになる。所詮、他人事なのに。
俺がそんなことに悩んでいるとは気づかず、沢城さんは小さく首を傾げながら答えた。
「実戦経験に乏しいので、不安と言えば不安ですね。幼い頃に教えを受けたとはいえ、調理からはしばらく離れていますから」
沢城さんは俺の言い方を気にしている様子はない。ただ、これ以上突っ込むのはな、と思って俺は自重した。
しかし、あまり意味は無かった。沢城さんは、そのまま話を続けたからだ。
「私も、この機会に自作しようとしたんです。でも、裕美子さんが『厨房は私の仕事場だ』って言って、私を入れてくれないので」
「裕美子さん?」
「昔から私のことを助けてくれるお手伝いさんです」
メイド服を着た女性、割烹着を着たおばあさんを想像した。どっちだ。いや、どっちでもないのか。
でも、そっか、お手伝いさんがいるのか。予想通りというか、何というか。別世界の話だな、これは。
「その人にお願いするのは?」
俺の問いに、沢城さんは伏し目がちにふぅと小さく息を吐いた。あ、今度こそ失言だったかもしれない。
「貴方は運動会でもないのに、普段の昼食に三段重を用意された経験はございますか?」
「ございません」
沢城さんがじとっとした視線を向けてきたので、俺は素早く首を横に振った。
「裕美子さん曰く、足りないくらいなら余らせた方がよいという判断だそうです。残ったものは自分の夕食にする、と言って聞いてくれないので」
俺はそんな沢城さんの愚痴に苦笑いを浮かべることしかできない。やっぱり、解決なんてできないよな、他人事だもん。
「それに」
「それに?」
沢城さんは、俺から目をそらして続けた。
「裕美子さんがそれをすると、夕食を私一人のために用意させて。私一人で食べることになって。それは……、少し寂しくて、心苦しいなと思ってしまうんです」
沢城さんは肩を落としている。俺はそんな彼女を見て、胸が痛んだ。
……ああ、これこそ踏み込んではいけない。かなりプライベートな家庭の事情をはらんでいる。
でも、俺は分かってしまう。共感できてしまう。だから、口が開くのを止められない
「俺もさ。家に一人なことが多くて」
沢城さんが顔をあげた。その瞳は真剣な輝きを放っている。
「小さい頃は、隣の家の人が夕食用意してくれたりしたんだけど、だんだんそれを負担に感じるようになっちゃってさ。だから、断った」
人の好意を素直に受け取れなくなってしまった。自分のせいで、という思いがどうしてもわいてくる。だから、離れた。離れたくせに。
「それなのに、一人で夕食とってると寂しくて。なにやってんだー、って思うよな」
そこまで聞いて、沢城さんは口元を抑えて笑った。
「同じですね、私達」
「大分事情は違うけどな」
俺も笑った。
彼女の心が見えた気がする。それでも住む世界の違いを感じてはいたけど、そんなのは些細なことだった。
「貴方と話していて分かったことがあります」
食器を片付けながら、沢城さんがまた話しかけてきた。
「私、寂しかったんですね」
それはきっと、俺を昼食に誘った理由も含めてのことだろう。今なら、急に俺を引き留めた理由も何となく分かる。
「私、お父様から日本に帰れと言われたんです」
お父様、という響きも気になるが。
「帰れ?」
命令口調が引っかかった。少なくとも、沢城さんは父親にそう言われたと認識している。少し、怒りが生まれた。何様なんだと、自分でも思うけど。感じたものは仕方ない。
沢城さんは小さく頷いて話を続けた。
「きっと、私に失望したんだろうな、と。本当は高校を卒業するまでは、あちらで経験を積む予定でしたので。それなのに、裕美子さんが一緒とはいえ、私だけ日本に帰らされました」
沢城さんは俺にずいぶん心を開いてくれたな、と思う。こっちが心境を吐露したせいだろう。と、いうことは俺はこの会話を続ける義務がある。
まぁ、解決なんてできなくてもいい。俺は俺のしたいように話す。
「おじさんの真意は分かんないけどさ」
俺は右手を顔の前でひらひらとさせながら、できる限り軽い口調で話す。
「こっちはこっちで、やれることをすればいいんじゃないの?」
「やれること?」
沢城さんはきょとんとしていた。意味が分からないんだろう。まぁ、俺も考えなしでしゃべってはいる。
「さっき弁当作ってみたいって言ってたみたいにさ。せっかく予定外の経験ができるんだから、活かさないと」
それで自分の武器を磨ければ、それでいい。結局、コントロールできない他人の意思なんて気にしなくていい。何とかできるのは、結局自分の心持ちだけだ。
そこまで聞いて、沢城さんは思わず小さく吹き出した。
「他人事ですね」
「他人事だしな、実際」
そして、少しだけ沢城さんは遠くを見つめ、「わかりました」とだけ呟いた。
「こちらで、私はこの機会を活かしてみようと思います」
「それがいい」
さて、帰ろうか。
「……うわぁ」
そう思って、学食の入り口に視線を向けた瞬間、背中に寒気が走った。
あそこで睨んでるの、都築だよな?
沢城さんとは別の意味で避けられている。やっぱ、怖いよな、あれ。
入り口の壁に体を半分隠して顔だけ中をのぞき込んでいる。まだ距離はあるけれど、間違いは無い。
あいつ、人混み苦手なくせに、何やってんだ?
「沢城さん、ごめん。用事できたから、先に戻って」
実際、一緒に教室に行ったら周りの視線に耐えられる気がしない。都築の様子が心配なのもあるし、ここで別れたほうがいいだろう。
「分かりました」
沢城さんはこくりと頷く。その姿を見て、俺は早足になろうとして。
「今日は色々と、ありがとうございました。幸人くん」
沢城さんの突然の名前呼びに転びそうになった。あれ、聞き間違い……じゃないよな。
「あ、うん。どういたしまして」
間抜けな声が出る。動揺を隠しきれない俺は、足早に沢城さんから離れた。
あれ、都築がいなくなってる。あいつ、どこに行ったんだ。
都築の影を追いながら、俺の頭の中は沢城さんの最後の台詞が繰り返されていた。
幸人くん、幸人くん、かぁ。あんまり呼ばれなれていないな。なんだか、恥ずかしい気がする。悪い気はしないけど。
「あれ?」
そういえば、俺、沢城さんに自己紹介したっけ?




