第14話 意外な素顔
ちらりと、俺は横を見る。
「……」
沢城さんが本を広げていた。表紙を見てみるが、何が書いてあるか読めない。おそらく外国語だ。英語なら多少は読めるけど、意味の分からない文字列が並んでいた。
海外の学校に通っていたって言ってたな。外国語も苦にならないとも。実際、ページをめくるスピードはかなり早めである。瞳は全く動いていないが、速読だろうか。
あ、やばい。凝視しすぎた。しかも、顔を。俺は慌てて目をそらす。
こんな感じで、最初の方の喧噪はどこへやら。休み時間を重ねると、沢城さんの周りから人混みは消えた。彼女自身もこうして話題にできなさそうな本に没頭しているので、話しかけることができない。
近寄るな、というオーラを感じる。だから、他の生徒も俺と同じように遠巻きに眺めるだけとなっていた。
俺の周りに平穏が戻って何よりだ。
「……」
沢城さんはほとんど動くことなく本に没頭している。時々、ページをめくる音以外物音一つ立てない。それすら、周囲の音でかき消されてしまう。
教室の風景から切り取られ、彼女の周囲だけ無音だった。
しかし、絵になるな。
窓から差し込む光に照らされ、沢城さんの黒髪は艶やかに輝いている。そういう映画のワンシーンだと言われれば納得ができるほど、その光景は心を揺さぶってくる。
今なら話しかけられるけど、怖いんだよな。何か、壊してしまいそうで。ガラス細工のそれと似ている。
まぁ、でも、もう一回くらい見てもいいよな。
視線を戻す。
「!?……」
沢城さんと目が合った。それは予想外だ。反射的に目をそらす。
……いや、目ぐらい合うだろ。とっさに顔を背けるのは失礼じゃないか。ただ、今更戻すこともできない。俺はふて寝した。本当に寝るわけじゃないけど、起きている気になれなかった。
あーあ。沢城さんが本から目を離していたんなら、話しかけるチャンスだったじゃないか。色々と気になることはあるんだから。
結局、何もできずに昼の長い休みに入った。ちなみに授業中の沢城さんは、本当に隣にいるのか疑わしくなるくらいに静かだった。
お昼時。学食にでも行くか。俺は鞄から財布を取り出して立ち上がった。
「あっ」
さて、今日はどうしよう。いつも冒険せずに同じものだから、別のものにしてみようか。
「ん?」
前に進もうとした体が後ろに引き戻される。腰の当たりで後ろに引っ張られている。その引っかかりが何か確かめようと後ろを見た。
「えっ」
白く細い指が俺の服の裾をしっかりとつかんでいた。
「あ、ごめんなさい」
俺を引き留めたのは沢城さんだった。裾を引っ張っていた指を離し、恥ずかしそうに顔を隠す。
最初の印象とは違う、子どもっぽい仕草にドキッとした。
「えっと、どうしたの?」
俺は動揺を隠しつつ、まだうつむいている沢城さんに声をかけた。
「どこへ行かれるのかな、と思いまして」
よく通る声は変わらず。ただ、引っかかり気味で流ちょうではない語り口。沢城さんは、小さく首を傾げながら、俺に聞いてきた。
どこへ、と言われてもな。急に聞かれた俺は一瞬答えに迷った。沢城さんが何でそんなことを聞いてくるか分からなかったから。
まぁ、でも他人事か。分かるわけないんだから、普通に答えよう。求める答えじゃなかったら、会話はそこで止まるよな。
「学食に行こうかと思って。俺、弁当持ってきてないし」
この学校の生徒が選ぶ昼食の選択肢は主に三つ。弁当を持参するか、購買で購入するか、学生食堂に行くか。
俺は基本的に三番目の選択肢。時々、あまりにも偏った食事を心配した静谷が弁当を用意してくれることもある。あいつは昼も練習に行っているから、本当に稀だが。
「そういえば、カフェテリアがあるんでしたね。今、思い出しました」
カフェテリア、ねぇ。そんなしゃれたもんじゃないけどな、あそこ。行ってみれば分かるけど。どちらかと言えば、町の中華屋さんとかの方が近い気がする。
「説明を受けた時に、聞いた覚えがあります。こちらに来るのが予定より遅くなってしまったので、遠い記憶になっていました」
だんだんと会話の調子が出てきた沢城さん。俺は相づちを打ちながら、少し困惑していた。
さっきまで、どの生徒からの質問も単発で打ち終わっていたのに。それどころか、次々に自分から投げ込んできている。会話のキャッチボールができていないのは、俺の方だ。
沢城さんから次々に飛んでくる言葉の球を顔面で受け止めている気分になっている。それぐらい、まともに会話できていない。
「それで、一つお願いがあるんです」
「……なんでしょう?」
なぜか、敬語で返してしまう俺。かっこ悪い。
「よければ、ご一緒しませんか?」
ご一緒?
俺が呆けた顔をしていると、沢城さんは言い換えた。
「私も一緒に連れて行っていただけませんか」
唐突な申し出に目を丸くする。
「なんで?」
俺なの?
「今日はお昼の用意がないもので。一人で行くのは心細いものですから、助けていただけると嬉しいです」
俺が聞きたかったことには答えてくれなかったけど、どうやら困ってはいるようだ。だったら、助けてはあげたい。
約束はしてないが、普段は嶺岸と一緒に学食へ行く。どうするか、と思って周りを見渡して俺は気づいた。
げっ。すっごく、見られてる。注目の的とはこれのことか。
それはそうだ。だって、興味関心の中心にいた沢城さんが初めて自分から話しかけた相手が俺なんだから。
俺達の一挙手一投足を見守っている視線、なんであいつなんだと嫉妬している視線、様々だ。そんな中、一際目を輝かせている男と目が合った。その口がパクパクと動いている。
なになに……。
オ・レ・は・い・い・か・ら、・いっ・て・こ・い!
読心術の心得がなくても、あいつの言いたいことは分かった。口よりも、顔が言っている。まったく、大きなお世話だ。まぁ、嶺岸がそう言うんだったら、しない選択肢はないか。
「いいよ、沢城さん。案内する」
その瞬間、ぱっと顔色が明るくなる沢城さん。
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
最初の印象とは違う、どこか幼さの残る笑顔。それを見ていると、さっきまで感じていた気まずさとか恥ずかしさはどっかに行ってしまった。




