第13話 夏に吹く涼風
朝のホームルーム。教壇に立った先生は咳払いを一つした。
「今日はまず転入生の紹介をする」
その瞬間、クラスの空気がざわっと振動した。一人、歓声をあげた男子が先生に睨まれている。
俺は、ああ本当だったんだ、と。どこか冷めた思考で後ろから様子を眺めていた。
黒板に、先生が文字を書く。ご丁寧にふりがなまで振って。
そこには大きく『沢城 紗也夏』と書かれた。どちらも「さ」から始まるんだな、と俺はくだらないことを考えている。小さな頃は「さっちゃん」とか呼ばれてたりして。
あと、この名前だったら女子だろう。転校生は女の子だって噂は本当だった。さて、美少女というのは当てはまるのだろうか。それこそ、主観と願望が混じるしな。
「じゃあ、入ってきなさい」
「はい」
澄んだ声が開いている扉の向こうから聞こえてきた。そんなに大きな声じゃないのに、教室の後ろまでよく通った。
ゆっくりと、入る前に一礼して入ってくる。
その子を見た瞬間、俺の前を涼やかな風が吹いた気がした。
「ああ」
小さく間抜けな声が出る。ぽかんと、開いた口が締まらない。
あんなに気だるげだった気分が一気に吹き飛んだ。夏に涼を感じさせる一瞬の強い風。俺はそれを思い出した。
クラスの皆も大なり小なり、俺と同じものを感じたのか、あんなにざわざわしていた空気が一気に静まりかえっている。
真正面にたった彼女は、会釈の後に語り出す。
「沢城紗也夏です。昨年まで海外の学校に通っていました。慣れぬことも多々あり、ご迷惑をおかけすることがあるかと思いますが、どうか、よろしくお願いします」
すらすらと、流れる水のように言葉が出てくる。本当に、よく通る声だ。凜とした雰囲気に似合っている。
それだけ言うと、沢城さんは深々とお辞儀をした。それは、ぎこちなさを感じさせない完璧なもの。おそらく、幼い頃から磨かれた所作。
顔をあげた沢城さんの顔には、少しだけ緊張の色がある。そんな人間らしさに、安堵を覚えた自分がいた。
よく手入れの行き届いた長く、つややかな黒髪。はっきりとした意思を感じさせる強い輝きの瞳。歩き方も美しく、スラッとした容姿はファッションモデルを思い出させる。
舞台上で輝きそうな少女が、俺の前に実在しているのが信じられなかった。その現実感のなさが、教室が静まりかえった要因の一つだろう。
「それじゃあ、沢城。奥の空いている席に座ってくれ」
先生の視線がこっちに向いて、俺はびくりと震えた。そっか、席は隣か。そうだったよな。なぜか焦ってしまった。
沢城さんが、ゆっくりとこっちに歩いてくる。心臓が大きく高鳴った。そこで気づいた。ちょっと俺は凝視しすぎじゃないか。気持ち悪く思われないか。
ただ、ここで目線を外すのも失礼なことだろう。とりあえず、あまり意識しないようにそのまま沢城さんを見ていた。
あと少しで着く。そのタイミングで、初めて沢城さんと目が合った。
「!?……」
息を飲む音が聞こえる。キリッとした沢城さんの目が大きく見開かれた。時間としてはほんのわずかなものだけど、初めて沢城さんの振る舞いが崩れた。
あれ、驚いてる? 何に?
「よろしくね」
このまま見られているのも間が持たなかったので、俺は精一杯の笑顔を作って沢城さんに見せた。相手が緊張しているのは確かだし、これで敵意がないことを示せればいいけど。
「え、ええ。よろしくお願いします」
小さく頭を下げてから、沢城さんは自席に着いた。こちらに視線を向けたまま。
何だろう。アレかな。実は嶺岸が言っていたみたいなイベントとやらを期待していたとか。そうだよなー、どちらかと言えば転校してくる側の方が一大事だもんな。色々考えるよ。
それで隣が俺だったから、ちょっと期待外れだったとか。悪かったな、イケメンじゃなくて。まぁ、それでもいいけど。俺には関係ないし。
強がりじゃないぞ、ほんとだぞ。相手がどう思おうが他人事なんだから。俺にどうこう言う資格はない。
その後は大変だった。休み時間が来るたびに、隣の席に人だかりができるのだ。俺も話してみたい気はあったのだが、あまりの人だかりで断念した。俺のテリトリーを確保するので精一杯だ。なんせ、油断してたら押し出される。俺の席なのに。
「沢城さん、向こうの学校ではどんなことしてたの?」
「何も特筆したことはありませんよ」
「外国語もペラペラなのかな」
「苦にならない程度には話せます」
しばらく耳を澄ましていた。
なんか、おかしい感じがする。俺は内心で首を傾げた。
沢城さんは愛想が悪いってわけではない。しかし、彼女からは会話を広げようという意思を感じない。何か、AIみたいなんだよな。聞かれたことには答えるけど、自分からは相手に踏み込んでこない。ビシッと、黒と黄色の規制の線で通せんぼされてるみたいだ。
だから、話しかけた側がずっと話題を提供しなきゃいけない。だんだんと疲れてきたのか、沢城さんに話しかける人は減っていった。
「沢城さん、今日の放課後オレと一緒に出かけませんか?」
「……あまり知らない方とはご一緒するのは。ごめんなさい」
おい、嶺岸。だから外堀を埋める努力をしろ。堀を飛び越えようとするんじゃない。そして、即堀へと突き落とされてるんじゃない。
そういうところがもったいないんだって。俺は小さくため息をついた。




