第12話 噂は駆け抜ける
朝の教室。扉を開けた瞬間、俺は違和感に気づいた。
なんか、妙にうるさい気がする。
騒がしいのはいつも通り。しかし、いつもであれば新しく登校した者がいたら、少なからず視線がこちらを向くはずだがそれがない。
今も話に夢中になっている。こんなことはめったにない。
俺が周囲の様子をうかがいつつ、中へと歩みを進めたら、それに気づいて駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「オッキー、聞いたか?」
「聞いてねぇよ」
今来たばっかりだわ。
あいさつもせずに俺に尋ねてきたのは同級生の嶺岸昂弥。俺とは高校に入ってからの付き合いだ。いつのまにか俺を変な愛称で呼んでいる。こいつのせいでクラスにこの呼び方が定着しつつある。あまり嬉しくない。
「おっ。じゃあ、オレが教えてやるよ」
ちょっと興奮気味な様子で話しかけてくる感じで、少し察した。内容は、女の子関連だ。こいつはいつもそうだ。
俺は軽くあしらう準備をしつつ、嶺岸の次の言葉を待った。
「今日、転校生が来るらしいぜ。それも、とびっきりの美少女が!」
「……なんだって?」
ただ、今回はさすがに興味が出た。
転校生? 夏休みの方が近くなった、こんな中途半端な時期に?
「ほら、オレ達のクラスって、もともと一人少なかったろ?」
それは嶺岸の言うとおりだった。進級時から、ずっと机が一つ余ってた。それが不思議だったのだが。
「どうも、二年の進級時に転入する予定が今日まで延びたんだってさ」
そういうことなら、つじつまが合う、か。信憑性が増した。
ちなみにその余っている席というのは窓側の一番後ろの席。ちなみに、俺の隣の席だ。
「よかったな、オッキー。イベント発生だ」
「なんだ、イベントって」
俺がチラリと自分の席を見たことで、何を考えたか察した嶺岸が親指を立ててくる。
「あれ、ノリ悪いな。もっと驚くかと思ったのに」
「正直、嶺岸みたいにそこまでワクワクする出来事だとは思えん」
俺は深く息を吐いた。なるほど、クラスの浮ついた空気はこの噂が原因か。誰も彼も、まだここに来ていない新たなクラスメイトに気持ちが向いている。
まぁ、それはいい。刺激的な出来事だってのは分かるから。それでも、色々と腑に落ちない点はある。
「誰が美少女だって言ってるんだ?」
まずはこれか。まだ会ってもいない同級生候補の容姿なんて、どこで知ることができるんだ。
「今日、職員室に行ったやつが見たんだってさ。この学校で見たことない可愛い女の子を」
なるほど。それをこのクラスに持ち込んだやつがいるから、こんなに騒然となっているんだな。
「ふーん」
まぁ、納得だ。それなら、今朝の違和感も理解できる。
そんな風に一人周囲を見渡していた俺を見て、嶺岸は大きく息を吐く。
「おまえさ、さすがに無関心すぎるだろ」
「だって、本当に美少女の転校生が来るとして、どうして自分に関係があるって思えるんだ? どうせ、他人事だろ。他人の心なんて、どうにもできないんだから」
だから、何でそんなに心躍るのだろうか、と思う。そんな俺の表情を見て、嶺岸はさらに大きく息を吐く。
「おまえはアレだな。自分の幸福に慣れきってるな」
「はぁ?」
嶺岸の言っていることが分からずに、俺は眉根を寄せた。いったん嶺岸から目を切って、自分の机の上に鞄を置いた。嶺岸はそのまま後ろについてきた。
「高校生男子たるもの、可愛い女の子とお近づきになれるチャンスを逃してなるもんかと必死になるもんだぞ」
そこまで必死になっているやつはおまえぐらいしか知らないぞ。まぁ、俺の交友関係の中にいないだけかもしれないが。
「で、何で俺が幸福だって?」
「だって、おまえ、美少女間に合ってるもんな」
おい。何だ、その言い方は。俺は嶺岸の言葉から嫉妬を感じて、こいつが何を言いたいのか悟ってしまった。
「ああ、違うか。美少女余ってるもんな」
さらに、待て。余ってるって何だ。人をものみたいに。
俺は頭を抱えた。この辺が、嶺岸の弱点だ。
嶺岸が彼女獲得に必死なのも、そういう生き方もあるだろうと理解はしている。女の子に声をかけまくっているのも、その勇気はたたえよう。
ただ、そのせいで色々と誤解されやすくはある。いいやつではあるんだけどさ。
「女子をもの扱いしてるみたいに聞こえるから、その言い方止めろ」
「へ、そう?」
そう、さっきの俺が引っかかった言動もこいつは無意識だ。
損をしてるな、と思う。こいつへの第一印象、「チャラいナンパ男」だったもんな。たぶん、それはこいつをそんなに知らない他人が抱く印象と大差ないだろう。
顔は男の俺から見てもそこそこいいんだから、それをもっと活かせばいいのに。もったいない。
ああ、あとさっきこいつが俺に間に合っているって言ってた美少女、静谷のことだな。あと、余らせているのは、たぶん都築だ。後者は会ったことないのに、何で知ってるんだ。
そんな風に考えてると、ふつふつと胸に湧き上がるものを感じた。これは怒りだ。思い出し怒りというやつ。
「な、なんだ、怖い顔して」
おっと、まずい。表情に出てた。にっこりと笑う。
「それ、もっと怖いから!」
俺は震える嶺岸の左肩に右手を置いた。さらに、笑顔を強調して、言い放つ。
「俺をだまして、静谷をデートに誘った件。まだ許してねぇから」
「ひえっ、すまん。あのときは本当にすまん」
嶺岸は引きつった顔で、必死に謝罪している。俺はそんなに怖い顔をしているのでしょうか。きっと、してるんだろうな。
「いや、まさか俺もね。人の親切を仇で返されるとは思ってなかったからさぁ」
あれは去年だ。嶺岸と話をするようになって、しばらくしてから。「バスケ部の話を聞きたい」とか言う嶺岸の頼みを聞いて、静谷を呼び出した。何か、バスケ部の部長が気になるからと相談されているから、それなら、と思ったんだ。
それで、会わせたらいきなり静谷の前で「練習風景を見て気になってました。週末、一緒に出かけませんか」ときた。どうやら、そのときの本命は静谷だったようだ。俺はまんまと利用された。
唖然とする俺の前で「ごめん、ムリ」と爽やかに断られてたのは痛快ではあったが。
バッサリと笑顔でぶった切る静谷を思い出して、ちょっと楽になった。
「反省しろ、ほんと。許しはしないが、見逃してやる」
俺は手を下ろした。解放された嶺岸は涙目になっている。
実際、その頃には嶺岸の行動原理が「まずは気になる子に声をかける。それで、運命の人を見逃さない」とかいう、実は結構夢見がちなものだと知っていたから、まぁ、怒りはあるが納得はしたんだ。
それを知らなかったら、こいつとの関係をすべて絶つぐらいの出来事だったな、あれは。
「で、でもな、オッキー。オレはオレで心配なわけよ」
「なにが?」
腰が抜けたみたいに床に座っている嶺岸が、椅子に座った俺を見上げている構図となる。周囲からみたら、どんな関係に見えるだろうか。
「静谷さんって、おまえは慣れてるから分からないだろうけど、けっこう可愛いだろ。あんなのと幼なじみやってたら、理想が高くなりすぎて、運命の人を見逃すんじゃないかって」
嶺岸は真剣な声色でそういった。だから、俺の目が丸くなる。
自分の価値基準とはいえ、俺を本気で心配していそうだ。これも静谷の言っていた関係値の見積もり、というやつか。俺が思っているより、嶺岸はちゃんと友情とやらを俺相手に持っているらしい。
「嶺岸、一つ訂正しよう」
だから、俺はごまかすことなく本気で答えようと思う。
「静谷は、『けっこう可愛い』じゃない。めちゃくちゃ可愛い」
「……はい?」
俺の言葉が完全に予想外だったようで、嶺岸の表情が固まった。
「だって、そうだろ。外見も内面も、あいつは昔からすごいんだ。魅力しかない」
俺は素直に、俺の中の静谷の評価を述べていく。こんなところで口にするのは恥ずかしいが、周囲はこっちを気にしてないから、マシだ。聞いているのは嶺岸しかいない。
「え、ちょっと待って。オレはてっきり、近すぎて異性として意識していないパターンだと」
なんだ、パターンって。
異性としての意識なら、思春期でとっくに済ませてる。
「逆にそれは俺があいつに言ってやりたいことだけど」
だから、いい加減、俺の部屋に入ってくるのを止めてほしい。そして、俺の言葉をうらやましそうに聞くな、嶺岸。こっちはこっちで色々大変なんだ。
「それでなんで付き合ってないの?」
「分からん」
本当に分からない。女子としては意識してる。じゃあ、恋愛的な感情があるのかというと、それは分からない。
想像ができない、が近いかな。静谷だけではない。俺が女の子と「そういう関係」になる未来が。
俺は、頭に思い浮かべることができない。
「そんなんで、静谷さんが他の男に取られたらどうすんの?」
また人を物みたいに。まぁ、でも、嶺岸が言いたいことは分かる。
「寂しいけど、あいつが幸せなら、いいかなぁ」
俺の一言に、嶺岸は天を仰いだ。
「……あれだな、おまえのこじらせ方はオレの予想以上だった」
俺の肩を、ぽんぽんと叩いてから嶺岸は自分の席に戻っていった。作戦考えないと、みたいな台詞が聞こえてくる。そんな背中を見ながら、俺は小さく息を吐く。
あいつの言うとおり、こじらせてんのかな、俺って。




