第11話 信頼こそが証明
もう、すっかり日は落ちきっていた。空にはポツポツと星が見え始めている。
隣を一緒に歩いていた静谷が少し歩みを早めた。ちょっとだけ俺より前に出ると、くるりと振り返って笑った。
「そんなに怒られなくてよかったね」
俺はただ頷くしかできない。本当によかった。
ひとしきり説明し終わった後、何かに気づいた都築の顔が真っ青になった。どうやら、寮には門限があるらしく、盛大に破ってしまったのだ。都築の携帯電話には鬼のような着信履歴が残っていた。
とりあえず、すぐに連絡を取った都築だったが、あまり話を聞いてもらえないよう。俺が出るのも、かなりの誤解を生むので静谷が代わって対応してくれた。そのあと、直接出向いて謝罪して今に至る。
寮母さんにはかなり鋭い目を向けられたが、納得してもらえてよかったと心から思う。
俺は先に進んだ静谷に追いつくと、また隣に並ぶ。静谷がいなかったら、どうなったろうか。もっと面倒なことになっていたのは間違いない。
「苦労かけるな、ほんと」
「それは言わない約束でしょ!」
ドン、と背中を強く叩かれた。容赦が無い。ただ、その力加減が今はありがたかった。気を抜けばふがいなさで背が丸まりそうになる俺を、この痛みが引き締めてくれる。
そんな俺の顔を、静谷はじっと見上げていた。
「でも、反省はしてほしいかなぁ」
「うぐっ」
何も言うことはできない。落ち度は俺にしかない。お詫びに何かしろと言われたら、言うことをきくしかない。
そんな俺を見て、にやにやしていた静谷はムッとした表情で頬を膨らませた。
「沖田。あたしに迷惑かけたことを反省してるでしょ。あたし、そんなことで怒ってない」
急に真顔になって、静谷は言った。
「……ちがうのか?」
俺は俺の事情で巻き込んでしまっている状況を悔いている。しかし、そんな俺を静谷は気に入らないようで、唇をとがらせた。
「ちーがーいーまーすっ。あたしが『それは言わない約束』って言ったの、冗談だとでも思った?」
すみません、いつものノリで冗談かと思ってました。さすがにあれを真面目判定は難度が高い。
俺が肯定的な雰囲気を出したせいで、静谷はさらにすねていた。だから、心を読まないで欲しい。俺は何も言ってません。
「迷惑ならかけろっての。それこそ、今更でしょー」
今更か。確かに、な。
静谷がそんな考え方じゃなければ、俺はとっくに愛想を尽かされている。それこそ、感謝してもしきれない。
ただ、どうやら、俺がこうして恐縮している様が静谷は気に入らないようだ。
「あたしが言いたいのはねー」
静谷が肘で脇腹をついてくる。時々、けっこういい感じでえぐってくるので止めてほしい。
「あんたはもう少し、自分を勘定に入れた方がいいってこと」
「かんじょう?」
「そっ」
静谷はこくこくと頷く。
「あんたは、他人との関係値を軽んじすぎ」
関係値とは?
「関係の深さを、低く見積もりすぎなの」
なるほど?
「でも、相手が俺をどう思ってるかなんて、分かんないだろ。どうせ、他人事なんだから」
俺が反論しようとすると、静谷がビシッと俺の鼻に向けて指を指してきた。
「そう、それ!」
どれだ?
「その他人事ってやつ。あんたがあんまり他人からの感情を気にしてないのは知ってる。でも、だからと言って、その感情をないがしろにしていいわけがない」
静谷の顔は、どんどん紅潮していっている。感情が高ぶっていることが分かる。それだけ、俺に言いたかったことなんだろうな、と思うと背筋が伸びた。
「沖田って、迷惑かけそうだって黙ってること多いんだけど。それって寂しいんだからね。あたしは信用されてないなーって」
そういうものなのか。
あまり、しっくりこない。でも、静谷が言うのなら、そうなんだろうなって思う。そっか、俺、寂しがらせてたのか。
「萌ちゃんだって、そう。あの子には、あんたはあらかじめ話しておいた方がよかったし、話すべき相手だった。それぐらいの関係だった」
萌ちゃん、だってさ。いつのまにか、仲良くなってやがる。
しかし、話しておくべきだった、か。その説教は効く。俺だって、今は何で教えておかなかったんだと後悔しているのだから。
あの泣き顔、見たらなー。さすがに俺だって思うところがある。都築のそれは、初めて見る表情だった。あいつも泣くんだな、当たり前だけど。
静谷は右の人差し指をピンと立てる。
「と・も・か・く」
その指を、ビシッと俺に向けてきた。本日、二度目。
「あんたはもうちょっと周りを頼りなさい。大なり小なり、どうせ迷惑かけるんだから気にしないこと。分かった?」
「分かりました」
静谷の確認に、俺は驚くほど素直に頷けた。
「よろしい!」
そんな俺を見て、静谷はニカッと笑って指を下ろした。
しばらく無言で歩く。静谷は言いたいことを言い切ったみたいで、黙って俺の横を歩いている。心なしか、機嫌が良さそうだ。
でも、そっか。俺は、周りを、静谷を信用しきれていなかったんだな。
「なぁ、静谷」
「なぁに?」
にこにこ顔のまま、俺の方を向く静谷。
「さっそく頼っていいか」
「……」
俺の声色が真剣だったせいか、静谷はすっと真顔に戻った。
「どうぞ」
それだけ言って、俺の言葉を待ってくれている。言いにくいことだ、と分かっているのだろう。そのまま、また無言になってしまったが、静谷は俺の言葉を待ちながら、黙って歩いている。
俺は、ようやく意を決して口を開いた。
「俺は、何か、悪いこととかしてないよな?」
俺が口にしたのは不安だった。
そもそも、欠けている記憶があるのが気持ち悪い。そこには俺ではない、誰かがいるような気がする。そして、最も不安をあおるのは俺の知らない「事故」とやらだ。
頭痛がしたり、気を失ったり。何度か繰り返せば、原因は分かってくる。そして、気をつけることができている。
だからこそ、俺がリストアップしているその原因とやらを、客観的に眺めてみると感じるのだ。
不穏な空気、とやらを。
たぶん、普通じゃない何かがある。今も、ずきずきと痛む頭が俺に考えるのを止めさせようとしている。
「おまえの知っている俺は、ちゃんとずっと俺だよな」
俺は、ずっと抱いていたそんな不安を、初めて口にした。
静谷はしばらく黙っていた。
「……だいじょうぶ」
そして、一言を小さく、しかし力強く口に出した。
「あんたは、人に恥じる生き方はしていない。あたしの幼なじみは、そんな人間じゃない。あたしが保証する。これで、どう?」
あたしを信じることができるか。そんな挑むような瞳で、静谷は言った。
すっ、と心が軽くなる。まだ残っているものの、かなり軽くなった。とても、心強い。
「十分すぎるな。ありがとう」
「どういたしまして」
そして、静谷はヒマワリのように笑っていた。いつものように。俺の記憶に残る彼女と
同じ表情をしていた。




