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第三話

 将吾は放心状態で寮へと向かっていた。


 これからどうすればいいのかまったくわからなかった。

 たった16年だが、将棋しかしてこなかった人生。

 一人で社会に放り出されて生きていける自信などない。



 父の言い分もわからなくはなかった。

 棋士の家系でありながらアカデミー最下位をキープし続ける落ちこぼれが家族にいたのでは、足を引っ張るだけだ。

 対局中に相手がその話題を出して心を乱させることもあるだろう。

 将棋はメンタルの部分が勝敗を大きく左右する。

 懸念材料を捨てることで弱点をなくすというのはA級棋士として当然のことかもしれない。



 弱い自分がすべて悪い。



 まともな思考回路ではなくなっていた将吾は、全部自分の責任だと思うようになっていた。


(明日は須藤と対局することになっているし……)


 今日の対局後、何度も殴られたことを思い出して将吾は身震いした。

 明日はもっとひどいことをされるかもしれない。

 高倉家から勘当されたことが知られれば、遠慮がなくなってさらに痛めつけられる可能性もある。



 そう思うと、殴られた痛みがぶり返してきた。



(なんで僕だけ……)



 目に涙があふれて来る。

 将棋は嫌いではない。

 しかし好きというわけでもない。


 生まれた時から身近にあったから、当たり前のように触れていた。

 だが、そんな将棋が自分の人生を左右している。


 正直、うんざりだった。

 将棋のない家に生まれていたら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれない。




 そんなことを考えながら、将吾は大きな橋に差し掛かった。


 高さ10メートルはある大きな橋だ。

 下には流れの早い川が流れている。

 昨晩の雨で増量しているようだ。


 そんな川を橋の欄干から覗き込みながら、将吾は思った。


(僕に将棋の才能はない。将棋の才能がない者はどこに行っても蔑まれる。そんな毎日など生きていてもツライだけだ)



 だったらいっそのこと……。



 気付けば将吾は橋の欄干の上に立っていた。

 時刻は夕方。

 夕日に照らされて川がキラキラと眩しく反射している。


 橋には車も通っておらず人もいない。

 ここから飛び降りたら間違いなく死ねるだろう。



 ドクン、と心臓が高鳴る。



 恐怖が将吾の全身を蝕んでいく。

 死ぬのが怖かった。

 飛び降りようとする足がすくむ。


 しかし自分を殴って笑う須藤や冷酷な父の顔を思い出すと、死の恐怖も薄れて行った。



(少し足を前に出すだけで、すべてから解放される)



 そう思った瞬間、将吾は橋の欄干から身を投げていた。

 誰もいない大きな橋の下に水しぶきがあがる。


 高さ10メートルの水面に叩きつけられた将吾は、川の激流に飲まれながら「今度は、将棋のない世界に生まれ変わりたいな」と思ったのだった。



     ※



 冷たく暗い水の底。

 川の流れは早く、将吾は川底の岩々にぶつかりながら流されて行った。


 不思議なことに恐怖は感じなかった。

 むしろこれで楽になれるという安心感があった。



 そんな中、光が見えた。

 将吾は薄れゆく意識の中で「誰だこれは」と思った。

 ただの丸い光にも関わらず、将吾はその光の玉を「人」だと思った。



 なぜそう思ったのか。

 それはわからない。

 しかしそんな疑問も、将吾の意識が途絶えると同時にすぐに消えた。



 光の玉はまっすぐに将吾に向かっていた。

 そして気を失った将吾の胸に溶け込むように入って行くと、彼の身体は覚醒し始めた。

 まるで別の誰かが将吾の身体を動かしているかのようにバタバタと両手両足をばたつかせる。



 操り人形のように動かされた将吾の身体は、そのまま川の水面に顔を出した。

 目は閉じられ、呼吸もない。

 しかしその状態で将吾は岸辺へと泳いでいった。



「ぶはっ!」



 やがて岸辺へとたどり着くと、将吾は目を見開き、体内に入った川の水を吐き出した。


「がはっ! げぼ、げぼ!」


 何度も吐いた。

 体内の不純物をすべて出し切るかのように、何度も何度も吐いた。


「げほ、げほ、げほ!」


 やがて全部の水を吐き出した彼はゴロンと横になった。


「はあ、はあ、はあ……」


 息を整えながら空を見上げる。

 夕日に染まった空が美しく将吾の目に映る。



 そして彼はつぶやいた。



「どこだ、ここは……」

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