第十九話
将造ははらわたが煮えくり返っていた。
情けをかけて呼び戻した息子に侮辱されたのだ。腹を立てないほうがおかしい。
たかだかアカデミーで優秀な成績をおさめたぐらいでなにを天狗になっているのか。
こてんぱんに打ち負かさなければ腹の虫がおさまりそうもなかった。
こうなれば圧倒的な実力差を見せつけて公衆の面前で土下座させてやる。
将造は使用人の唐沢を呼んで命じた。
「この対局をネットで生配信してやれ。こいつの醜態を全国にさらすのだ」
棋士にとって自分の惨めな棋譜が人目にさらされるのは拷問に等しい。
場合によっては二度と駒が触れなくなるだろう。
それほどまでに将造は怒っていた。
「よろしいのですか?」
一度勘当したとはいえ、将吾は将造の息子だ。彼の無様な姿を全国にさらすというのは高倉家の威信に関わってくることにもなりかねない。
しかし将造は怒りに満ちた表情で唐沢に言った。
「今後一切高倉家とは関わりのなくなった男だ。いいからやれ」
「かしこまりました」
唐沢は将造の言いつけを守り、すぐに生配信を開始した。
実力のある有名な棋士は、仕事以外にもネットで生配信をしている者が多い。
将造もその一人で、A級棋士の配信は多くの将棋ファンが視聴していた。
今回も突然の生配信ということでネットが騒然となった。
将棋ファンに限らず、高倉家が支援する企業団体もこぞって視聴を始めた。
対局相手が誰かはわからない。
しかし将造が急遽、生配信を始めたからにはただ者ではないと感じていた。
「私に舐めた口をきいたことを後悔するんだな」
振り駒の結果、将吾の先手となった。
「後悔なんてしません」
将吾はそう言って真ん中の歩を前進させた。
中飛車の戦法としてなくはないが、初手から歩をつくのはあまり見ない指し方だ。
将造は一瞬面食らったが、すぐに平静を装って角道を開けた。
すると今度は端歩をついた。
初手とはまったく関係のない指し方だ。
さすがの将造も異を唱えざるを得なかった。
「……なんの真似だ?」
「なにがですか?」
「私をおちょくってるのか」
あまりにひどい指し方は、相手を舐めてるとしか思えない。
それがA級棋士相手ならなおさらだ。
「おちょくってはいません、これが戦法です」
あくまで冷静な将吾に、将造はそれ以上言うのをやめた。
将吾がそう言うのなら、咎めはしない。
しかし負けたからと言って言い訳はさせない。
将造は定跡通り、飛車を動かした。
「話にならんな」
それから数手指しただけで、将造は将吾の実力を把握した。
まるで将棋を知らない素人だ。
自分が指した意味をまったく理解せず、ただやみくもに駒を動かすだけ。
アカデミーで優秀な成績をおさめたから多少は強くなってるだろうと思っていたが、とんだ見当違いだ。
逆に勘当を解かなくて正解だった。
将吾の指し回しはネット上でも話題となった。
その多くは否定的なものばかりで、中には誹謗中傷まで含まれていた。
『これはひどい』
『幼稚園児と指してるんですか?』
『こんな将棋を指すヤツは死んだ方がいい』
そのあまりにひどさがSNS上で広がり、徐々に観戦者数は膨れ上がっていった。
唐沢はその様子をさりげなく将造に耳打ちして伝えた。
将造はただ一言「そうか」とつぶやいてほくそ笑んだ。
(これでこいつも終わりだな)
全国の将棋ファンが見ている中で無様な姿をさらしてやる。
将造は早くも攻めに転じた。
じっくりと玉を守りながら進めるプロの対局とは違い、将吾の玉を早くも詰もうという心づもりだ。
もちろん、ただで詰むことはしない。
徐々に徐々に玉の周りを自分の駒で埋めていき、行き場をなくしてから息の根を止めてやる。
将造は嬉々として指していった。
将造の攻めが始まると、ネットもおおいに盛り上がった。
素人相手にプロが本気を出したと捉えたのだ。
普通なら素人相手にプロが本気を出すことはあまりない。
しかし将造の攻め方は容赦がなかった。
的確に急所をついてくる。
将吾の玉が次第に追い詰められていくのが誰の目から見ても明らかだった。
(これで貴様は終わりだ)
将造が王手飛車取りの改心の一手を放った瞬間。
将吾は笑った。
「……なにがおかしい?」
その笑みに将造がいぶかしげに問いかける。
将吾は「いや」と肩をすかした。
「あなたの指し回しがあまりに滑稽だったもので」
「なんだと?」
将吾は感じ取っていた。
将造は確かに強い。A級棋士というのも頷ける強さだ。
しかしアカデミー生徒会長の火野とは違った将棋である。
将造は勝つための将棋。どこに何を置くか手に取るようにわかる。
対する火野は楽しむための将棋。時に予想もしない手を指してくる。
あれから何十局と火野と指したが、そのどれもが斬新で心地よいものだった。
それに比べ将造はあまりにありきたりで予想通りの動きをしている。
要はつまらないのだ。
長い将棋人生を歩んできた将吾だからこそ感じる不満だった。
「引導を渡してやる」
そう言って将吾は玉の前に香車を置いたのだった。
次回で最終回です。




