第十一話
朝日萌絵のお願いというのは単純明快だった。
将吾から将棋を学びたい。
ただそれだけである。
氷堂との対局で見せられた将吾の圧倒的将棋センス。
彼女は一目でそれに惹かれた。
(この人の将棋をもっと見ていたい。ううん、真似てみたい)
そう思ったのだ。
「お願いします、私に将棋を教えていただけませんでしょうか」
ぶつけた頭をおさえながら、朝日は将吾に言った。
「ううむ……」
将吾は顎に手をやりながら思案した。
前世では、数多の棋士たちがこぞって弟子入りを志願してきた。
中には一週間土下座で頼み込んだ者もいる。
しかし将吾の将棋は定跡とはかけ離れていて、学ぶには向いていない側面があった。
あえて悪手を指し、それをうまく好手に化けさせるのが将吾の将棋だ。
天性のセンスと勘が必要であり、教えてできるものではなかった。
それでも、朝日は将吾に将棋を教わりたかった。
「ダメ……ですか?」
「ダメではないが……」
「お願いします! 将吾さんの将棋をもっともっと間近で学びたいんです!」
詰め寄られた将吾は少したじろいだ。
昨日のおどおどした態度はどこへやら。
必死に詰め寄ってくる彼女の姿に、アカデミーに来て初めて動揺してしまった。
「わ、わかった。では対局するというのでどうだ?」
「対局ですか?」
「正直、私は教えるというのは不向きだから対局して少しでも糧になってもらえればと思うのだが……」
自信のない提案だったが、朝日は顔を輝かせて「はい! お願いします!」と頷いた。
「じゃあ、今日の放課後、対局室で待ってます!」
そう言って朝日は嬉しそうに教室を後にしたのだった。
※
放課後。
約束通り、将吾は朝日と対局室で将棋を指していた。
ハンデなしの互い戦である。
序盤、先手の朝日は将吾の大駒をもぎ取った。
将吾にしてみたら、駒損だ。
しかし朝日は手を抜かなかった。
氷堂との対局をその目で見ているため、決して油断はしないぞと心に誓っていた。
中盤に差し掛かっても、形勢は朝日が圧倒的に優勢だった。
もしかしたら勝てるのではないか。
朝日の中に、そんな疑念が浮かんだ。
だが終盤に差し掛かるころには形勢が逆転していた。
気がつけばあれよあれよと攻め込まれ、朝日の玉はいつしか逃げ場のない位置にまで追い込まれていたのである。
「あれ? あれ?」
朝日は自分が負けたことに気づいていなかった。
それほどまでに、完璧な詰みであった。
「す、すごい……」
将棋を指す者にとって負けは相当悔しいものである。
しかしあまりに見事な指し回しに、朝日は悔しいという気持ちさえ起きなかった。
(これが、四天王を倒した人の力……)
朝日は「参りました」と言って頭を下げた。
その顔には将吾に対する尊敬の色が浮かんでいた。
「も、もう一局! もう一局いいですか?」
興奮気味に将吾に詰め寄る朝日。
将吾は苦笑しながら頷いた。
「ああ、君の気が済むまで指そう」
そう言って駒を並べる将吾。
こんなに楽しそうに将棋を指す相手は久しぶりだ。
将吾はアカデミーに来て初めて、
(この子とならずっと将棋を指し続けていたい)
と思ったのだった。




