プロローグ
こちらの作品はフィクションであり、現代の将棋の規則とはかけ離れた設定です。
あらかじめご了承ください。
また、こちらは不定期更新になります、すいません。
龍王の間は静寂に包まれていた。
将棋盤を挟んで座る棋士が二人。
記録係も時計係もいない、二人だけの世界が広がっている。
時折、パシンと駒を指す音だけが響き渡るが、それ以外の音は一切しない。
片方の棋士がチラリと相手の顔を盗み見た。
相手は涼しい顔をしていた。
笑みさえ浮かべている。
それを見て、その棋士は悟った。
(ああ、自分は負けるのだな)
と。
事実、数時間後にその棋士は詰まされていた。
棋士の最高峰と言われた名人がである。
しかし、この対局は公式の記録には残らなかった。
無敗の名人を打ち負かしたその男の名は、神木鉄心。
後に「棋神」と呼ばれる歴史上最強の棋士である。
彼ほど将棋を愛し、将棋に愛された男はいなかった。
神木は将棋を覚えたその日に、アマチュアの有段者を打ち負かしたことがある。
相手は初心者と侮って手を抜いていたのであろう。あるいは、将棋の楽しさを知ってもらうため、あえて負けようとしていたのかもしれない。
しかし盤面は中盤から拮抗状態となり、気づけば有段者はあっさりと詰まされていた。
あり得ないことであった。
将棋を覚えたての素人が、本気となった有段者を打ち負かす。
将棋界に衝撃が走った瞬間であった。
この出来事は噂となり、多くの棋士たちがこぞってその男に挑戦した。
しかし男はそのことごとくを返り討ちにした。
駒を持つ手もおぼつかないド素人に、誰もが負けてしまったのである。
男はその後「将棋の神」略して「棋神」と呼ばれ、将棋界の頂点に君臨する。
彼は生涯、何百、何千、何万局と将棋を指し続けた。
通算成績は勝率9割を超えたと言う。
しかし彼が対局した棋譜はひとつも存在していない。
なぜなら棋神と呼ばれた彼の戦法は滅茶苦茶で、将棋の定石などまったく無視していたからだ。
「この棋譜を残すと、後世に悪影響が出る」
そんな理由から彼の棋譜はすべて破棄され、以降、棋譜を書かれることもなくなった。
彼は晩年、こう語る。
「私は定石など知らぬ。定石など知らぬとも、将棋は指せる。それでいいじゃないか」
そんな棋神も、60歳でこの世を去る。
たった一人で誰もいない相手に対して飛車を指したまま事切れていたという。
そして、その顔はまだまだ将棋を指したいと訴えているかのようであったとも伝えられている。
これは、そんな棋神の魂が一人の少年に宿る物語である。