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血定官

作者: はらけつ

人は赤、妖は青、宇は緑。


花びらは、赤に染まった。

「人間だな」

男は、相手の左胸に突き刺した花が、赤く広がっていくのを、じっと見つめていた。

開いた花びらは、真っ赤な色を、たたえていた。

相手は、氷結したように固まったまま、身動き一つしない。

そして難なく、男の後ろに控えていた、数人の人影に捕らえられた。


傘は、青へ染まった。

「妖魔か」

男は、傘布が、開いた傘の中央から色が変わっていくのを、じっと見つめていた。

傘は、傘の先の石突から伸びた細長いものを、相手の左胸に突き刺し、真っ青な色に染まっていった。

相手は、万力で固定されたように、身動き一つしない。

そして難なく、男の後ろに控えていた、数人の人影に捕らえられた。


リボンは、緑へ染まった。

「宇宙人ね」

女は、相手の左胸に突き刺したリボンが、端から色が変わっていくのを、じっと見つめていた。

リボンは、相手に刺さった先から、真緑に染まっていった。

相手は、フリーズしたように、身動き一つしない。

そして難なく、女の後ろに控えていた、数人の人影に捕らえられた。


男は、街角の喫茶店に、入っていく。

昔ながらの佇まいを見せ、常連さんに支えられているのを感じさせる喫茶店だった。

入り口ドア横に、A3サイズくらいの大きさの看板が掲げられてり、“巴絵”と書いてある。

木製の、ガラスを嵌め込んだドアを開けると、“カランコローン”とカウベルの音がした。

カウンターの中にいたマスターは、男の姿をみとめると、「いらっしゃい」と言う。

男は、軽く会釈し、足を踏み出す。

マスターも軽く会釈し、奥の方向へ、軽くアゴを動かす。

マスターの仕草を見て、男は奥に歩を進める。


奥まったテーブルは、イスが四脚備えられており、半個室の状態になっていた。

「‥‥」

男は、先に来ていた男と女に、目で挨拶する。

「おお、遅かったな」

男の方が挨拶を返し、女の方はニコッと微笑む。

「後の掃除に、ちょっと手間どった」

後から来た男が答えると、元からいた男も答える。

「俺の方は、サクサク~といった」

女の方も答えた。

「私の方も、サクサク~いきました」

後から来た男は、軽やかに答える二人を見て、苦笑する。


カウンター横のテーブルから、客が立ち上がる。

支払いを済ませて、店の外に出る。

マスターは、出て行った客が見えなくなるのを確認して、店の入り口の鍵を閉める。

入り口ドアの内側に掛かっていたプレートを裏返し、“Open”から“Close”にする。

これで店の中には、マスター、男二人、女の、四人だけになった。

マスターはカウンターへ戻ると、飲み物を作り始める。

ミルクたっぷりのカフェオレ、一つ。

ミルクも砂糖も入れないブラックコーヒー、一杯。

砂糖小さじ一杯のエスプレッソ、一つ。

本日のコーヒー(本日はモカ)、一杯。


マスターはカップを、銀盆に乗せて、三人のいるテーブルにやって来る。

「ほい、花澤」

マスターは、後から来た男の前に、カフェオレのカップを置く。

「ほい、傘原」

マスターは、最初から来ていた男の前に、ブラックコーヒーのカップを置く。

「ほい、絹川」

マスターは、最初から来ていた女の前に、エスプレッソのカップを置く。

そして、四人掛けのテーブルの空いた席に、本日のコーヒーのカップを置く。

そして、その席に、自分で座る。


マスターは座って、一息ついて、三人に尋ねる。

「今日の首尾は、どうやった?」

三人は、順に答える。

「ぼちぼち、です」

「同じく、ぼちぼち、です」

「同じく、ぼちぼち、ですね」

「ぼちぼちか‥‥ならええわ‥‥って、なんでやねん!」

マスターは、ノリツッコミする。

三人とも、変わらず聞いている。

暖簾に、腕押し。


お約束が済むと、三人は、報告を始める。

まずは、花澤から。

「俺の方は、人間でした。

 いつものように、処理しました」

次は、傘原。

「俺の方も、妖魔でした。

 俺も、いつものように処理しました」

最後に、絹川。

「私の方は、宇宙人でした。

 緑色でしたけど、今までに見たことが無い緑色だったんで、

 もしかしたら、新手の宇宙人かもしれません」


マスターは、三人の報告を聞くと、本日のコーヒーをすする。

三人それぞれの状況については、三人に出動命令が出た時、本部からマスターの元へ連絡が入っていた。

追々、本部から、三人が血定した対象について、報告が来るだろう。

新しい指示が本部より入っていない以上、今のところ、三人をとどめておく必要は無い。

マスターは、本日のコーヒーをすすっている間に、ザッとここまで考える。

「そうか。

 今日は、ほな解散」


「じゃあ、帰ります」

「さよなら」

「失礼します」

三人は、マスターの言葉を受けて、スックと席を立つ。

短いミーティングだが、議題や内容によってはかなり長いこともあるので、要はメリハリだった。

三人が去って、残された三つのカップは、しっかり空にされていた。

マスターは、三つのカップを銀盆に戻して、本日のコーヒーを再びすする。


発生する犯罪は、変わらない。

犯罪量も犯罪率も、毎年そう変わらない。

劇的に変わったのは、その中身だった。

もっと正確に言うならば、犯罪者だった。

例を二つほど挙げる。


例、その一。

ある日、高層ビルの最上階にある貴金属店から、宝飾品が盗まれた。

店内の主だった宝飾品が、盗まれた。

警報装置の状況から、犯人は窓から侵入したものと断定された。

だが窓は、六十階の高さの空に、面していた。

『よもや、そんな窓から侵入しようとする者はいまい』と、警報装置も窓側は手薄になっていた。

幸い、宝飾品の一部に発信機が付けられており、犯人の居所はたちまち分かった。

素早く、犯人を追い詰めたまではよかったが、犯人はそこから変容した。

手足が、うねうねと伸び、手指も足指も、うねうねと伸びた。

胸、腹、背中から無数の触手が飛び出した。

手足や指、飛び出した触手にはすべて、無数の吸盤が備わっていた。

うねうね、うねうね

うねうね、うねうね

犯人は、人の顔をした蛸、と呼ぶにふさわしかった。

『これはいかん』と思った警察は、機動隊の出動を要請した。

その為、無事、犯人を取り押さえることができた。

が、取り押さえるまでに、負傷者多数、被害甚大。

たかが宝石泥棒を捕まえるのに、多大な代償を払った。

それと共に、警察は、人間とは別の何かが、この世界に入り込んで、犯罪を犯していることを認識せざるをえなかった。


例、その二。

車上荒らしが、ある地区の駐車場において、多発した。

ただ、その車上荒らしは、車自体は完膚無きまでに破壊するのに、物は何も盗まなかった。

その、車自体の破壊のみを目的とした、車上荒らしの犯人は、なかなか見つからなかった。

それもそのはず、監視カメラに録画された映像には、ひとりでに壊れてゆく車ばかりが、映っていた。

この、直接手をくだした者がいない、奇妙で薄気味悪い事件には、警察も手の施しようがなかった。

よって、しばらくは事件が発生するがままに、任せる外なかった。

突破口を見つけたのは、科捜研だった。

監視カメラの映像を解析していた、科学捜査研究所の研究員が、あることに気付いた。

事件発生時に、必ずカメラに映り込む男がいる。

警察は、事件発生が多発している地区に絞り、ローラー作戦で駐車場を監視した。

その男を、ターゲットにして。

ついに、その男が駐車場に姿を現わした。

その男は、駐車場に止まっている車を凝視した。

その際、男の目は緑に光り、その体はも薄っすら緑に光った。

すると、駐車場に止まっていた車は、巨人の足で踏み潰されたように、端に止まっていた車から屋根を陥没させて、壊れていった。

ベコベコ、ベコベコ

ベコベコ、ベコベコ

『これはいかん』と思った警察は、機動隊の出動を要請した。

照明弾をくり出し、男の目を眩ませた隙に、男の目に目隠しをかまし、なんとか犯人の男を取り押さえることができた。

が、取り押さえるまでに、負傷者多数、被害甚大。

たかが車上荒らしを捕まえるのに、多大な代償を払った。

それと共に、警察は、人間とは別の複数の何かが、この世界に入り込んで、犯罪を犯していることを認識せざるをえなかった。


それら何かは、逮捕された数が増えるにつれ、ハッキリと二グループに分かれた。

一つは、多数の触手や二つに分かれた長い舌、尻尾や角を持つもの。

まるで、太古からのモンスターをイメージするもの。

これらは、妖魔グループと呼ばれ、血液が青いことが判明した。

もう一つは、人間の形をしているものの、目が緑に光り、体全体が薄っすら緑に光り、言うところの超能力を発揮するもの。

まるで、一昔前の宇宙人をイメージするもの。

これらは、宇宙人グループと呼ばれ、血液が緑であることが判明した。


妖魔と宇宙人を逮捕したものの、それらを裁くには、現行の刑法では、不充分で不適当だった。

そこで、妖魔と宇宙人、各々を対象に、新たに刑法が制定された。

それと同時に、刑法を確実に運用する為、犯罪者を正確に、「人間か妖魔か宇宙人か」を、判定する必要性が出て来た。

判定基準に用いられたのが、三者の血の色である。

人間は、赤。

妖魔は、青。

宇宙人は、緑。


なんとか犯罪者を傷付けず(傷付けるにしても、必要最小限の範囲で)、三者を判定できるよう養成されたのが、血定官である。

血で、何者か判定(決定)するので、血定官。

血定官養成所には、義務教育終了後、希望者による適正検査に合格すれば、入所できる。

養成所において三年の講習を修め、卒業試験に合格すれば、晴れて血定官として勤めることができる。

但し、入所時の適正検査には、通常の身体・精神であれば充分合格可能だが、卒業試験は、三年間の平均成績が上位20%には入っていないと、合格がおぼつかなかった。

その為、卒業できない、修了浪人が珍しくなかった。


血定官は各自、道具を用いて、対象の血の判定=血定を行なう。

ある者は、真っ白な花弁を持つ花を、道具にし、

ある者は、真っ白な傘布を持つ和傘を、道具にし、

ある者は、真っ白な生地を持つ絹を、道具にす。


対象が警察に追い詰められた時、まず血定官が対象の血定をする。

そして、血定官の仕事はそこで終わり、後の荒事は警察に任せるのだった。

血定官の地位は、地方勤務専門の国家公務員であるものの、あくまで技術官だった。

血定官は基本、三人で一組のチームを作り、チームにはリーダー兼世話役として、現役引退した血定官OBがつく。

この、計四人のチームで、血定官は行動する。


マスターは、“Close”にしたプレートを、“Open”に戻しに行く。

マスターがプレートにたどり着く前に、電話が鳴った。

店の電話ではなく、店のカウンターと自宅フロアの間にある、黒電話が鳴った。

昔の有線電話のように、その黒電話には、ボタンもダイヤルも無かった。

マスターは、速やかに動いて、カウンターの中に入る。

そして、カウンターと住居を隔てている、仕切りの暖簾をくぐって、電話に出る。


「はい」

<現在、大黒町三丁目の小学校で、不法侵入が発生しました。

 弁天署の署員が、犯人を追い詰めつつありますが、

 犯人が、人間とは異なるようなので、

 血定官の出動をお願いします>

「了解」

言いたいことを言って、返事をもらうと、相手方の電話はすぐに切れた。

血定官のチームは、一つの署内に、一チーム置かれていた。

だが、あくまで国家公務員なので、指示は署からではなく、府警本部内の血定官管理室から直接くだっていた。


マスターは、大黒町三丁目の地図を確かめ、点けっ放しにしてあるパソコンのモニターを見つめる。

モニター上の三つの動く点で、どれが一番近いか確かめる。

丸い点だった。

マスターは、エプロンの前ポケットから、携帯電話を取り出して、電話をかける。

トゥ‥トゥ‥トゥ‥トゥ‥‥トゥルルル‥‥トゥルルル‥‥

ブチッ

「はい」

「花澤か?」

「はい」

「大黒町三丁目の小学校で、事件発生。

 犯人の血定をお願いしたいとのこと。

 詳しい地図は、ケータイにすぐ送る。

 続けざまやけど、よろしく」

「了解しました」

マスターは、花澤の返事を聞くと、携帯電話をすぐに切った。

そして、すぐさまパソコンに向かうと、キーボードを数回カチャカチャ叩いて、Enterボタンを押す。

モニターの画面には、“送信終了”の文字が浮かび上がった。


花澤は、携帯電話に地図を受け取ると、大黒町三丁目に歩を進める。

現在位置から事件現場まで、数百メートルの距離だった。

花澤は、歩を速め、ほとんど速足のようにして、道を突き進む。

サッサッ‥サッサッ‥‥スッスッ‥スッスッ‥‥

サッサッ‥サッサッ‥‥スッスッ‥スッスッ‥‥

速足で歩きながら、花澤はタスキ掛けにしたショルダーバッグから、花を一輪取り出す。

花は、ふくよかな曲線を描いて、外方向へ反り返るように、真っ白な花弁を広げていた。

花の中心には、鮮やかな緑の雌しべが屹立し、その周りには、黄色い花粉を豊かにたたえた雄しべが、たたずんでいた。


花澤は、花弁を右にして、花の茎をくわえる。

茎から味わう花のコンディションを把握して、この花々で血定することに決める。

くわえていた花を、右手に持ち直し、道を急ぐ。

今進んでいる道の先に、紺の人だかりがあった。

近付くにつれ、それは警察官が半円形になった人だかりだった。

半円形の直線部分は、小学校の校門になっていた。

その校門の前に、女性が一人、たたずんでいた。


取り囲む警察官に向かって、怯えるでも強がるでもなく、ただそこに、たたずんでいる。

目を伏せ気味にした視線を、警察官の輪に向けて、たたずんでいる。

“追い詰められた”というよりも、“取り囲まれた”という風情だった。

花澤は、ジーンズの尻ポケットから、チェーンに繋がれたパスケースのような物を、取り出す。

パスケースを、パカッと上下に開けて、中身を警察官達に示して、前に出る。

パスケースの中には、血定官としての身分証明証が、収められていた。


花澤は、女性と対峙する。

花澤と対峙した女性は、ゆっくりと顔を上げ、花澤と視線を交わす。

女性のスゥーーーと伸びてくる視線を、受け止める。

女性からの視線を受け止めながら、花澤は、素早く女性を観察する。

背は高く、幅は狭く、全体的にほっそりとした印象だった。

顔の輪郭は少しばかり面長で、顔の造作は全体的に彫りが深かった。

髪は胸の辺りまである長髪で、少し栗色が目だっていた。

着ている服は純白のワンピースで、宝飾品を模して、ベージュ色の模様が全面に入っていた。

靴は、黒いパンプスを履き、足は素足だった。

花澤は、女性を観察して、ミレイの絵画“オフィーリア”を思い出す。


数秒、女性と対峙していた花澤は、右手に持っていた花を、おもむろに投げる。

女性に向かって、鋭く速く投げる。

ヒュッ!

ビシッ!

空気を裂き貫き飛んで行った花は、何かに見事に弾かれた。

花は、花澤と女性の間に、四方八方に花弁を散らせて、ふわふわと地面に落ちた。

女性は、ワンピースの左腕の袖をはためかせながら、変わらずそこに、たたずんでいた。

花澤は、ショルダーバッグから、花を三輪取り出し、右手の指の股に挟む。

左下から右上に、右手を振り上げる。

振り上げられた右手から投げ出された花は、女性に向かって突き進んだ。

ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!

ビシッ!ビシッ!ビシッ!

空気を裂いて飛んで行った花は、またもや何かに弾かれた。

花は、またもや四方八方に花弁を散らせて、ふわふわと地面に落ちた。

女性は、ワンピースの左袖をはためかせて、相変わらずたたずんでいる。


花澤の後ろに控える警察官達は、動揺をし始める。

「ダメだ」「どうするんだ」「ヤバいな」等の声が重なって、どよどよとした雰囲気を形作っていった。

花澤は、慌てず騒がずうろたえず、ショルダーバッグから花を六輪、取り出す。

三輪ずつ、左右の手に持つ。

左右の指に茎を挟まれた花は、手の甲側に白い花弁を揺らせていた。

またもや、花澤と女性の視線が、からまった。

女性は、相変わらず、意志があるのか無いのか分からない、スゥーーーとした視線を投げかける。

今度は、花澤も、スゥーーーとした視線を、女性に投げかける。

おもむろに、花澤は、胸元に両手を引き付ける。

掌を胸側、甲を外側にして、花びらが女性に見えるように、両手を引き付ける。


ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!

花澤は、両指に挟んでいた花を、両腕を開き振って投げる。

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

花は弾き飛ばされ、花弁を散らせて、ふわふわと地面に落ちた。

五輪、落ちた。

一輪、命中していた。

女性の左胸に、命中していた。

女性は、自分の左胸、胸ポケットの上から突き刺さった花をじっと見つめる。

そこには、何の感情の動きも見受けられず、ただ見ているだけだった。


白いワンピースに刺さった白い花は、根元から、徐々に、染まっていった。

まず縦に、白い花弁が染まっていった。

続いて、その縦線を起点にして、網を広げるように、横に染まっていった。

スゥーーーじわーーースゥーーーじわーーー

白い花弁は、赤味を帯びた色を広げていった。

花弁は、真っ赤に染まると思われたが、ほんのりと赤い色に、染まりきった。

それは、白とベージュのワンピースの花飾りとしては、なんとも似合うパステル調の色だった。


「ピンク?」

花澤は、目を鋭くして、つぶやく。

「ピンクだ」「赤じゃない」「青でもない」「フリーズしないぞ、どうすんだよおい」等の声が重なって、警察官達は、再び、どよどよとした雰囲気を形作っていく。

無理もない。

警察には、赤い血(人間)、青い血(妖魔)、緑の血(宇宙人)に対しての“取り押さえマニュアル”はあった。

が、それ以外の状況に対しては、何のマニュアルも無かった。

よって、臨機応変が、まったく利かなかった。


ピンクに染まった花に、花澤が戸惑い、警察官達が右往左往している間、女性はピンクに染まった花を、じっと見つめる。

そして、スッと左手を上げると、服に付いた埃を掃うように、服に刺さっていた花を抜いて放り捨てる。

女性は、左方向に体を向けると、警察官の包囲輪を無視して、歩みを始める。

警察官達は手を出すわけにもいかず、女性の歩みに応じて輪を変形させた。

輪は、半円の左側にイボができたような、歪な形になった。

歪な形には成りえども、輪は、女性と一定の距離を取って保たれていた。


女性は、警察官の輪を抜け、警察官の輪を取り囲んでいた、野次馬の輪の端に着く。

躊躇する素振りも見せず、女性は、野次馬の輪の中に、入ろうとする。

「おい!」

さすがに、警官の一人が、女性の左肩をつかもうとする。

ビシッ!

何かが空気を切り裂く音がし、その警察官は、腕を出そうとした状態で、固まる。

女性は、普通に町中を歩いてるように、野次馬の輪に入って行く。

野次馬達も、一定の距離を保って、歩む女性を見送る。

女性は、野次馬の輪も抜け、角を曲がる。


女性が曲がって一呼吸置かれた時、音がした。

ビシッ!‥ビシッ!‥ビシッ!‥‥ビシッ!‥‥ビシッ!‥‥‥

この後に及んで、警察官達は、動きを再開する。

慌てて、女性の曲がった角に駆けつけたが、女性の姿は無かった。

野次馬は、女性が、霧か神隠しのように消えたので、ザワつく。

大きなさざ波のように、ザワつく。

警察官達は、見事な逃走劇に、あっけにとられた。


花澤はひざまずいて、女性が放り捨てた花をつまみ取る。

右手の人差し指と親指に挟んで、つまみ取り上げた花の花弁を、じっと見る。

花びらは、明らかに、ピンク色をしていた。

それも、“濃淡やグラディエーションがあって、遠目にはピンクに見える”ではなく、近めで見ても、赤味が強いピンク色だった。

花澤は、人差し指と親指で、花をクルクル回して、様々な方向から観察する。

花びらは、どの面を見ても、ピンクだった。

花澤は、その花をショルダーバッグに仕舞い込み、スックと立つ。

立ち上がると、きびすを返して、警察官達の輪に近付く。

軽く会釈を繰り返し、花澤は、警察官達の輪を通り抜ける。

花澤が、警察官の輪を抜け、野次馬の輪に入ろうとした時、警察無線が聞こえた。

その内容が、花澤の耳に入る。

≪今回も逃げられただと!‥‥≫


キイ‥カランコローン‥‥。

花澤は、巴絵のドアをくぐる。

「いらっしゃい」

マスターは、挨拶と共に、軽く目配せをする。

花澤も軽く会釈し、ゆっくりと、でも迷うことなく、奥のテーブルに向かう。

他に客はいなかったので、マスターは花澤が通り過ぎると、すぐさま入り口ドアに向かう。

ドアに掛かっていたプレートを、“Open”から“Close”に裏返す。

おそらく近所では、『よく休憩する店やな~』と思っていることだろう。

そして、『まあ、マスターひとりでやってるんやから、飯とかトイレとかで、休んだりするんやろう』とも思っていることだろう。


ドアから真っ直ぐに、奥のテーブルにやって来たマスターは、開口一番、こう言う。

「逃げられたんやて?」

「はい‥‥」

花澤は、『逃げられてショック』というより、何か他の考えごとに気を取られているようだった。

マスターは、そんな花澤の様子を珍しく思いながら、尋ねる。

「何か、あったんか?」

花澤は、マスターの問いに答えるように、ショルダーバッグから、一輪の花を取り出す。

そして、その花を、マスターに手渡す。

マスターは、少し目を見開き、その花をしげしげと見つめて、言う。

「ピンクやな」

その花を、クルクル回して見つめても、言う。

「赤が強いけど、ピンクやな」

マスター自身も、このような色は見たことが無い。

血定官の使う道具に、この色が出たということは、対象の血の色がピンクだということを示していた。

ピンクの血。

人間は赤、妖魔は青、宇宙人は緑。

対象は、それ以外の何かということになる。


「もう一点、気になることがあるんです」

花澤が口を開くと、マスターは花澤の顔を、見つめ直す。

「対象に逃げられた時、警察無線が、≪今回も逃げられただと!‥‥≫と言ってた

 んです」

マスターは、花澤の問いかけるような視線と、数瞬視線を交わして、答える。

「その質問には、答えられる。

 資料と飲み物持って来るから、ちょっと待っといてくれ」

マスターはテーブルから離れて、カウンターに戻って行く。


マスターは、ミルクたっぷりカフェオレと本日のコーヒー(本日はキリマンジャロ)、資料を持って、テーブルに戻って来る。

マスターは銀盆からカフェオレを下ろし、花澤の前に置く。

花澤の向かいの席に、本日のコーヒーを置くと、その席にマスターは座る。

座ると同時に、エプロンの前ポケットから、資料を取り出してテーブルに置く。

「本部から入った連絡からすると、対象が以前起こした事件は、それやと思う」

花澤は、マスターが持って来た資料を手に取る。

資料は、A4用紙の一枚物で、透明なクリアファイルに綴じられていた。

資料の右上には、対象の写真が掲載されており、先ほど逃げおおせた女性に間違いなかった。

資料を読むと、女性は、一週間前にも、幼稚園への不法侵入を起こしていた。

今回は、小学校への不法侵入。

どちらも、園児や児童がいない、日曜の夕方の時間帯。


「前回、幼稚園へ侵入した時の映像があるから、ちょっと見てくれ」

マスターは、エプロンの前ポケットから、ネットブックを取り出す。

ネットブックの表には、丸ゴシック体で、“B”と書かれていた。

マスターは、ネットブックを立ち上げ、動画ファイルを再生する。

動画は、女性が幼稚園の門から出て来たところから、始まっていた。

女性は、今日と同じ、白とベージュのワンピースを着ていた。

今日と同じく、意志があるのか無いのか分からない、スゥーーーとした視線を、警察官達に向けている。

この時には、警察官も複数人いるだけで、輪を形作るほど出動していなかった。

血定官チーム(花澤たち)にも声が掛からなかったので、この時点では、その必要性が感じられなかったのだろう。

ということは、今回、声が掛かったのは?


動画では、警察官達が、女性を取り押さえようと、動き始めた。

その途端、あの音がした。

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

警察官達は、空気を切り裂く音を耳にし、空気を切り裂く風を感じているのか、その場に凍りついた。

怪訝な顔をしながらも、警察官達は、再び、動き始めようとする。

その途端、今度も、あの音がした。

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

音は、明らかに女性の方からしていた。

風も、女性の方からしているのだろうか。

警察官達は、再び、凍りついた。


マスターは、ネットブックのタッチパネルに指で触れ、動画再生ソフトの巻き戻しボタンを押す。

女性と警察官達は、キュルキュルと音がするように、丁寧に動作を逆向きに行なった。

キュルキュル‥‥キュルキュル‥‥

キュルキュル‥‥キュルキュル‥‥

最初に、警察官達が,女性を取り押さえようとした時。

曰く、一回目の“ビシッ!”音がした時の直前まで、動画は巻き戻った。

マスターは、スロー再生ボタンを押す。

警察官の動きが、スローモーションで再生される。

それはまるで、お笑いコントのようだった。

花澤は、少しおかしくなった。


警察官達が近付こうとした時、女性の左腕が、持ち上げられる。

そして、間髪入れず、音がした。

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

持ち上げられた女性の左腕は、再び、下げられた。

「まだ、分かりにくいな」

マスターは、再度、巻き戻しボタンを押す。

女性と警察官達は、再度、動作を逆向きに行なった。

キュルキュル‥‥キュルキュル‥‥

キュルキュル‥‥キュルキュル‥‥

先ほどの、警察官達が女性を取り押さえようとした時まで、巻き戻った。

マスターは、設定をMAXにして、スロー再生ボタンを、もう一度押す。

警察官の動きが、さっきの十倍ほども遅く、スローモーションで再生される。


警察官達が近付こうとした時、女性の左腕が、スローモーションで持ち上げられる。

そして、今度はゆとりを持って、音がした。

ビシッ!‥ビシッ!‥ビシッ!‥ビシッ!‥ビシッ!‥

花澤は、画面に釘付けになる。

目を見開く。

「ああ、これで分かるな。

 分かったか?」

マスターの声は、花澤に聞こえていなかった。



マスターの声は、花澤に聞こえていなかった。

花澤は、視線鋭く、画面を食い入るように見つめている。

画面の中の女性は、左腕をスッと差し上げ、左手をスッと伸ばした。

途端、左手の五指すべてが、うねうねと伸びた。

数メートルは伸びた指は、素早く大きく、振り下ろし振り上げられた。

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

指は、空気を切り裂き、鋭い音を響かせた。

指は、空気を切り裂くと、元の大きさにスッと戻った。

女性は、元に戻った左腕を、スッと下ろした。


マスターは、画面を食い入るように見つめ、そして考えている花澤に、話しかける。

「彼女は、妖魔の運動機能を身に付けてるみたいやな。

 ただ、お前の花がピンクに染まったところを見ると、妖魔そのものというわけではな

 いらしい」


動画は進み、彼女は、警察官の輪を抜けた。

手も足も出ない警察官達を尻目に、角を曲がった。

曲がるやいなや、あの音がした。

ビシッ!‥ビシッ!‥ビシッ!‥‥ビシッ!‥‥ビシッ!‥‥

慌てて警察官達が角に駆けつけた時、彼女の姿は、もう無かった。


マスターは、画面を覗き込んで言う。

「それと、気付いたか?

 彼女、誰も傷付けてないし、何も壊してない」

その通りだった。

彼女は、幼稚園から出て来て、逃げおおせるまで、誰も傷付けていないし、 何も壊していなかった。

マスターによると、幼稚園に侵入した際も、運動場の真ん中にたたずむだけで、何もしなかったらしい。

今まで、事件を起こした対象は、何らかの目に見える目的があって、事件を起こしていた。

盗難しかり、破壊しかり。

しかし、この対象は、この彼女は、その目的が見えなかった。

皆目、分からなかった。


花澤は、難しい顔をして、既に停止してしまった動画を見つめ続ける。

頭の中は、思考の波が、うねっていた。

そんな花澤を察して、マスターは新たな話を始める。

「本部も、二度、彼女が事件を起こしたので、三度目もあるとみているようやな。

 一度目の事件の後に調査した資料を、公開した。

 一度で済めば、公にする気は無かったらしいけど、そうもいかへんようになったみ

 たいやな」

マスターは、エプロンの前ポケットから、新しいクリアファイルを取り出して、花澤に渡す。

そこには、画像と共に、彼女の名前、住所、家族構成、経歴、犯罪歴などが書かれていた。


『ん?』

花澤は、経歴と犯罪歴を見比べて、気付く。

「気付いたか。

 彼女が不法侵入した幼稚園は、彼女の出身幼稚園や」

マスターは、花澤の気付きに答えるように、言う。

マスターは、そのまま話を続ける。

「そして、今日、彼女が不法侵入した小学校も、彼女の出身小学校や」


花澤は、彼女のたたずまいを思い出す。

スゥーーーと伸びて来る視線。

意志があるのか無いのか分からない雰囲気。

刺さった花を、無造作に放り捨てた行動。

警察官達や野次馬達が、存在していないかのような歩み。

彼女の体は、確かにそこにあるが、心は離れている印象だった。

心、あるいは記憶、あるいは大事なもの。

そのたたずまいは、それらを失うか、それらと遠く離れた者しか、醸し出せない。


「思うに‥‥」

マスターは自分の推理を、話し出す。

「彼女は、何らかの目的があって、自分の出身校を巡ってるんやな。

 幼稚園→小学校と来たら、次は中学校やろな」

マスターはここで一呼吸置いて、話を続ける。

「彼女が侵入する日は、二度とも日曜日の夕方、昼から夜に移行する時間帯や。

 おそらく、児童や教職員、その他の人々に、なるべく出くわさない、迷惑をかけな

 い為やろう。

 次も、日曜日の夕方に、出身中学校に侵入する可能性が高い」


花澤は、マスターの顔を見て、頷く。

先週の日曜日は幼稚園、今週の日曜日は小学校。

中学校は、来週の日曜日の可能性が、極めて高い。

だが、毎週日曜日に出没するとなれば、捕まる確立は高くなる。

でも、彼女はそんなことには、まるで無頓着のようだった。

まるで、捕まるよりも何よりも、出身校を辿ることが大事なような。

ちっちゃい頃に過ごした場所や、育んだ記憶を巡ることが、大事なような。

花澤は、来週の日曜日の予定を、頭で確かめる。

何も無いことを確認し、カフェオレを一口飲む。


その時、カウンターの中の電話が鳴った。

正確には、店のカウンターと自宅フロアの間にある、黒電話が鳴った。

マスターは、素早くカウンターの中に入り、電話を取る。

「はい」

≪現在、福禄町二丁目のコンビニで、強盗が発生しました。

 弁天署の署員が、犯人を追い詰めつつありますが、

 犯人の様子が、人間とは異なっているようなので、

 血定官の出動をお願いします>

「了解」

言いたいことを言ってしまうと、電話はすぐに切れた。

マスターは、事件発生現場の位置を確認すると、その地図をプリントアウトする。

マスターは、プリンターから吐き出された地図を手に、カウンターへ戻る。

カウンターの外では、花澤が既に待機していた。

マスターは、地図を花澤に手渡しながら、言う。

「急ぎでよろしく。

 彼女のことは、引き続き調べておく」

「よろしくお願いします」

花澤はこう言うと、地図を受け取って、巴絵を出て行く。

そのゆったりとした、それでいて遅くない着実な足取りを見て、マスターはつぶやいた。

「あいつは、ほんまに、あわ‥‥」


花澤は、血定を処理すると、事件のカタが付く前に、早々と現場から去る。

帰る道にあるパソコン量販店では、ディスプレイの店頭販売をやっていた。

複数台のディスプレイを店頭に出して、色の再現をアピールするデモンストレーションを行なっていた。

それは、RGBによる三原色(Red、Green、Blue)から様々な色に移行するデモンストレーションだった。

Redから様々な色を経てGreenへ、Greenから様々な色を経てBlueへ、Blueから様々な色を経てRedへ。

『ん?!』

ディスプレイを見ていた花澤は、その色に気付く。

花澤は、店頭で売り子をしていた店員に言う。

「“ストップ!”って言うから、そこで色の移行を一時停止させてくれ」

「へ?‥‥‥」

店員は、続けて何か言いたそうだったが、画面に集中する花澤を見て、肩をすくめて口をつぐむ。

店員は、ディスプレイに繋いであるDVDプレイヤーに向き合うと、一時停止ボタンに指をそえる。


花澤は、移りゆく色に目を凝らし、中腰の姿勢のまま微動だにしない。

そのまま、数秒が過ぎる。

花澤の周りだけ色に溢れているが、それ以外の全空間はモノクロであるかのように、時間は過ぎて行った。


「ストップ!」

花澤は叫ぶ。

店員は、タイミングよく、一時停止ボタンを押す。

花澤は、画面を凝視すると、ショルダーバッグから、花を一輪取り出す。

花をディスプレイに近付け、画面の色と花びらの色を見比べる。

画面と花に、何度か視線を行き来した後、花澤は店員に尋ねる。

「この色、何色?」

「あ、はい」

店員は、あわてて制服の胸ポケットから色見本帳を出す。

“RGB色見本帳”と書かれた見本帳から、数枚を抜き出し、ディスプレイの画面に当てる。

一枚ずつ手早く、画面に色見本を当ててゆく。

結論が出たのか、店員は画面から顔を上げ、花澤に向き直して言う。

「赤味がかったピンクですね」


花澤は、眼光鋭く、問い掛ける。

「赤と、その他の色の割合は?」

店員は、花澤の目つき顔つきに少しビビりながらも、健気に答える。

「赤75%、青15%、といったところでしょうか」

店員の答えをみなまで聞かないうちに、花澤は思考に没頭する。

『“赤75%の青15%”、“赤3に対し青1”、“赤4分ノ3で青4分ノ1”、‥‥‥』


花澤は、傍から見れば、ディスプレイ画面を見つめたまま、考えに浸る。

その実、画面など全く意識せずに、頭は働いていた。

花澤は、電源が入ったように、フイに動く。

そして、店員を、眼光鋭く睨み付ける。

ビビり気味の店員が、うるうるした目で、身を反らせる。

花澤は、店員にこう言って、その場を去る。

「ありがとう」

店員は、肩を落とし、体いっぱいで脱力感を表わす。

その顔は、気が抜けたような嬉しいような、ヘタレ顔になっていた。


カランコローン

花澤が巴絵に入ると、店長は軽く会釈する。

会釈をしながら、素早く『奥へ』と目配せする。

店長は、すぐにカウンターの客と談笑に戻る。

花澤は、そのまま迷うことなく、奥のテーブルに向かう。

奥のテーブルでは、傘原と絹川が談笑している。

血定を処理した報告に寄ったものらしく、テーブルの上にクリアファイルが伏せて置いてある。


花澤は、軽く頭を下げる

「よっ。

 なんか、めんどくさいことになってるな」

「こんにちは」

傘原は、苦笑と共に、挨拶を返す。

絹川も、苦笑と共に、会釈する。

花澤は、ショルダーバッグを床に置いて席に座ると、一呼吸置く。

一呼吸置いて、おもむろに二人に、話し出す。

「ちょっと、俺の仮説を聞いてくれ」


花澤から、女性不法侵入事件の経緯、女性の行動の仮説を聞いて、二人はうなずく。

「たぶん、そうやろうな」

傘原が、同意する。

「クオーターのサウダージ‥‥ですか」

絹川が、ワードを取り上げて、同意する。

「自分の世界・土台が崩れて、180度転換したんで、昔の大事な記憶を再確認した

 いんやと思う」

花澤は、傘原と絹川の同意を得て、改めて自分の仮説を、一言にまとめる。


その時、マスターが銀盆にカップを四つ乗せて、やって来る。

カフェオレ。

ブラックコーヒー。

エスプレッソ。

本日のコーヒー(本日はマンデリン)。

カップを各自の前に置くと、「まあ、ひと口」と言って、自ら一口飲む。

三人も、一口飲む。

マスターは、コーヒーを口と鼻で味わった後、一息つく。

「まずは、傘原と絹川の報告からしてもらおか」

マスターからうながされ、まずは傘原から報告が始まる。


報告は、傘原→絹川と進み、例の如く、サクサク終わった。

報告事項が無い花澤を、二人は不思議そうに見る。

そんな二人を見て、マスターは問い掛ける。

「傘原と絹川は、花澤が関わっている事件を知ってるか?」

「大体のところは」

傘原が答える。

「今も、その話をしていたところです」

絹川も答える。

「なら、話は早い。

 対象の女性について、新しい情報が出て来た。

 それを花澤に伝えると共に、二人にも聞いてもらおうと思って、三人に揃ってもらったんや」

マスターは、エプロンの前ポケットから、クリアファイルを取り出す。


「決まり‥‥やな」

傘原が、マスターの話が終わるやいなや言う。

「決まり‥‥でしょう」

絹川が傘原の言葉を繋いで、花澤の顔をうかがう。

花澤は、コクンと、うなづく。

マスターの話は、こうだった。


対象の女性は、市内の高校に通う、高校二年生。

一ヶ月ほど前に、急に失踪する。

現在も行方不明。

実家にも帰宅した形跡無し。

両親共に、れきっとした人間で、今までの定期健診では、本人も人間以外の生命体ではなかった。

母方の祖父母共に、健在。

だが、父方は、祖母のみ健在。

女性の父親は、幼少より、祖母の女手ひとつで育てられた。

父方の祖父は、祖母が身ごもった時には、既に不在だったらしい。


「隔世遺伝、急に発現‥‥か」

傘原のセリフに、マスターは『何や?』と言う顔で、三人を見回す。

疑問にとらわれているマスターに、花澤は、自分の仮説を話す。

マスターは、花澤の話を聞き終わると、口を開く。

「それやろな」

とは言ったものの、次の懸念が出て来たので、マスターは、引き続き口を開く。

「そうやったら、彼女、珍しい対象ということになるな。

 捕まったら、法による裁き以前に、実験動物扱いやな」


ピシッ‥‥!

マスターの一言に、空気は凍りついた。

花澤は、テーブルの上を、恐く厳しい顔で、じっと見つめる。

傘原は、バッと顔を起こして、マスターを見つめる。

絹川は、ゆるゆると首を動かして、マスターを見つめ、目を見開く。

マスターは、自分が何の気なしに口にした一言の影響を、今更ながら感じる。

「助けんとな‥‥」

花澤が、つぶやく。

「そうやな‥‥」

傘原も、つぶやく。

「そうしましょう‥‥」

絹川が、結論付ける。


『やれやれ』

本来ならば、マスターは、本部側に近い人間として、対象を逃がす計画などには、反対しなければならない。

協力するなんてのは以っての外、である。

が、この場合、人道的(正確には、4分の3は人道的、4分の1は妖魔)には、そして自分的には、三人に諸手を上げて賛成だった。

「じゃあ、計画練って、決まったら教えてくれ」

マスターは、銀盆に四つのカップを乗せると、お代わりを入れに、カウンターへ戻る。


日曜日の夕方。

花澤のケータイが、震える。

マスターからだった。

<彼女、やっぱり動き出した。

 寿老町一丁目の出身高校だ。

 よろしく>

「了解しました」

花澤は、マスターからの電話を切ると、そのままの指で、傘原に電話する。

「彼女、動いた。

 計画実行だ」

<了解>

花澤は、傘原への電話を切ると、そのままの指で、今度は絹川に電話する。

「彼女、動いた。

 計画実行だ」

<了解しました>

花澤は、連絡がひと段落すると、足を速める。


目的地に向かっている途中、マスターからメールが入る。

マスターからのメールによると、本部から、

  1.前回の血定で出たピンクが妥当かどうか確認したいので、花澤以外の

    血定官を派遣して欲しいとのこと。

    → 計画通り、マスターから、傘原と絹川に出動依頼済み。

  2.対象(の女性)の情報については、機密情報扱いにすること。

    マスター以外の人間(血定官含む)には、公開しないこと。

    → もう、遅い。

の、二点の指示があったことを、伝えていた。

やはり、本部としては、女性の血定を確実に行なう。

そして、血定が妥当だと確信した暁には、彼女を秘密裏に、研究・実験に回したいらしい。

花澤は、かねてより打ち合わせしておいた、自分の配置場所に向かう。


現場に一番乗りしたのは、絹川だった。

女性は、中学校の敷地から出て来たばかりらしく、校門の前でたたずんでいる。

やはり、目を伏し目がちにし、素足に黒のパンプスを履いている。

服装は、いつもの、ベージュの模様が前面に入った、純白のワンピース。

着たきりかもしれないのに、まったく汚れが無く、真っ白の、純白ワンピース。

絹川は、警察官の輪から、女性に向かって一歩踏み出す。

そこへ、傘原が到着する。

二人は、警察官の輪から数歩踏み出したところで、並ぶ。

女性に向かって、二人並んで、対峙する。

女性は、スゥーーーとした視線を、二人に投げかける。

その視線を受け止めると、二人は顔を見合わせて、目配せする。

そして、お互い、コクッと軽くうなづく。


傘原は、女性と絹川に背を向け、警察官の輪の中に戻る。

そのまま歩みを止めずに、傘原は現場から去る。

数人の警察官が、あわてて傘原の後を追う。

絹川は、傘原が去ったのを確認すると、タスキ掛けにしていたショルダーバッグを前に持って来る。

ショルダーバッグから、30センチくらいのスティックを取り出す。

スティックは二つに折れており、内部にある細い紐で繋がれていた。

カチッ!と音を立てて、スティックの折れを真っ直ぐにし、一本のスティックにする。

絹川がスティックの真ん中を握り、スティックをバッグから勢いよく離すと、それに伴い、バッグから、真っ白な帯が流れ出た。

サラサラ‥‥サラサラ‥‥

サラサラ‥‥サラサラ‥‥

その帯は、帯というには細く長かったが、光沢は絹帯というにふさわしいものだった。

しかし、細さと長さから見ると、それはリボンと呼ぶ方がふさわしかった。


リボンは、宙を舞う。

舞い続ける。

絹川は、スティックをしなやかに操作して、リボンを操る。

リボンは、地面に着くことなく、ショルダーバッグから、すべて出終わった。

リボンは、バッグから出終わっても地面に着くことなく、宙を舞い続ける。

龍のように中空を待っていたリボンは、鎌首をもたげるように、急に方向を転じた。

転じて、女性の元へ伸びてゆく。


ヒューーーーーーーーーー

ビシッ!

リボンは、何かに弾かれたが、すぐに体勢を立て直して、再び、女性の元へ伸びてゆく。

ヒューーーーーーーーーー

ビシッ!

リボンは、今度も弾かれた。

その際、女性は、薄く青に輝く左目で、リボンに何か書かれているのを認める。

リボンは、すぐに体勢を立て直して、またもや、女性の元へ伸びてゆく。

ヒューーーーーーーーーー

ビシッ!

リボンは、三たび、弾かれた。

その際、女性は、左目で、リボンに書かれている文を認めた。


<左にある、電柱の横の路地に、入ってください。>

リボンは、すぐに体勢を直したものの、その場で宙を舞っていた。

鎌首を女性の方に向けながら、宙を舞っていた。

絹川は、女性と目を合わせると、リボンを 女性の元へ伸ばす。

ヒューーーーーーーーーー

ビシッ!

リボンは、四たび、弾かれた。

しかし、弾かれたリボンは、今度は、体勢を立て直すことができなかった。

絹川が右手で操っていたリボンは、そのまま、絹川の右後方の警察官の輪へ飛んで行った。

女性から見て、左方へ、飛んで行った。

リボンは、警察官の輪に突入すると、のたうち回って、警察官達を混乱におとし入れた。

女性はその隙に、警察官の輪をかいくぐり、路地に入り込む。


ビシッ!

女性が路地に入ったと同時に、あの音がした。

ビシッ!

女性は、地面に左手指を打ち付けて、高速移動する。

二回目の高速移動を終えたところで、立ち尽くす。

女性の目の前に、傘原が立っていた。

傘原より、数メートル後方に離れて、警察官達が輪を作っていた。

警察本部は、女性に対して、“妖魔シフト”とでも言うべき、捕縛態勢を敷いていた。

現場を中心として、警察官によって構成された、小さい輪と大きい輪の、二重円態勢で臨んでいた。


傘原は、肩に担いでいた、円柱のプラスティック製図面ケースを、地面に下ろす。

ケースの蓋を取る。

ケースの中に、手を突っ込んだ傘原は、掴んだものを一気に抜き出す。

ケースの中から抜き出されたものは、5分の4が円錐形、5分の1が円柱形をしていた。

傘原は、その細長い棒のようなものを、空中に振る。

棒のようなものは、先を女性の方に向けて、停止した。

バッ!

間を置かず、棒のようなものは、勢いよく広がった。

簿の先を中心に、真円を描いて、広がった。

広がったと見えたが、その実、棒は、和紙を張った骨を開いていた。

傘だった。

真っ白な和傘だった。


女性の方に突き出された、和傘の突端部分である石突から、何かが飛び出した。

それは、石突から長い体を伸ばして、女性に向かって飛び伸びてゆく。

ヒュウーーーーーーーーーー

ビシッ!

石突から伸び出した、黒い細長い物体は、何かに弾かれて、進行を止めた。

ピタッと、その場に貼り付いたように、停止した。

細長い物体は、割りに硬さのある物質でできているらしく、鎌首をもたげたような態勢のまま止まっていた。

それは、体内を進んで行く胃カメラの、か細いバージョンを連想させた。


女性は、左目に映ったものに、気付く。

傘先から細長く飛び出している、黒いファイバースコープ状のものが、鎌首をもたげている真後ろに、何か書かれていた。

ファイバーの後方に開いている、傘布の部分に、文言が書かれていた。

<右にある、電柱の横の路地に、入ってくれ。>

女性が、文言を読んだことを確認すると、傘原は右手を動かす。

ファイバーは、止めていた動作を再び開始して、女性に伸びかかった。

ヒュウーーーーーーーーーー

ビシッ!

ファイバーは、またもや弾かれた。

しかし、弾かれたファイバーは、今度は、停止しなかった。

黒く細長いファイバーは、そのまま、傘原の左後方の警察官の輪へ飛んで行った。

女性から見て、右方へ、飛んで行った。

ファイバーは、警察官の輪に到達すると、身をくねらせて、警察官達を混乱におとし入れた。

女性はその隙に、警察官の輪をかいくぐり、路地に入り込む。


ビシッ!

女性が路地に入ったと同時に、あの音がした。

ビシッ!

女性は、地面に左手指を打ち付けて、高速移動する。

二回目の高速移動を終えたところで、立ち尽くす。

女性の目の前に、今度は、花澤が立っていた。

が、花澤の後方には、警察官達どころか、誰もいなかった。


花澤は、女性のスゥーーーとした視線を受け止める。

受け止めると、どことなくひきつりながらも、ニコッと微笑む。

無造作に、前にまわしたショルダーバッグに、手を突っ込む。

バッグから出した両手の股には、真っ白な花弁を付けた花が、挟まれていた。

右手に三輪、左手に三輪。

花澤は、両手を胸元に引き付け、両手首のスナップを利かせて、投げる。

六輪の花を、投げる。

投げられた花は、真っ直ぐに、女性へと向かう。


ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!

ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!ビシッ!

花は、弾き飛ばされた。

真っ白な花弁を散らしながら、五輪の花が、地面に落ちた。

一輪の花は、女性の胸ポケットに挿し込まれていた。

女性は、胸ポケットに挿し入っている花に、目力の無い視線を投げかける。

花の茎に、何かが、提がっていた。

女性は、胸ポケットから花を取り出し、目の高さまで花を掲げる。

花の茎には、短冊が、提がっていた。

短冊には、こう書かれていた。

<手助けする。ついて来い。>


女性の目に、顔に、初めて戸惑いが浮かんだ。

女性は、戸惑いを隠せぬまま、前方の花澤を見据える。

花澤は、女性の、もの問いたげな視線を受け止めると、どことなくひきつりながらニコッと微笑む。

花澤は、一息つくと、クルッと、きびすを返す。

そして、今来たであろう道に、歩を進める。

二、三歩進んだところで、立ち止まる。

振り返り、未だその場にたたずんでいる女性に向かって、再び、ひきつり微笑を投げ掛ける。

そして、今来たであろう道に、再び歩を進める。

女性は、再び歩み出した花澤の背を追うように、歩みを始める。


花澤と女性は、スピードを速めることなく、しかし遅めることもなく進む。

花澤と女性は、距離を近付けることなく、しかし遠ざけることもなく進む。

女性は、胸のポケットに挿しておいた花を、取り出す。

もう一度、茎に提げられた短冊を見る。

<手助けする。ついて来い。>

手助けしてくれるんだろうか。ついて行っていいんだろうか。

手助けして欲しい。ついて行く。

ザッザッザッザッ‥‥‥カッカッカッカッ‥‥‥‥

ザッザッザッザッ‥‥‥カッカッカッカッ‥‥‥‥


晴れ渡る青空の下、駅舎は日の光りを、はね返す。

駅員は待合室に、今日の分を入れた、大きなドラムバッグを出した。

駅員がいる駅ではあるが、朝と夕に一本ずつ、それが上下なので、駅に止まる列車は、日に四本だけだった。

駅員自体も、近隣住民による委託社員だった。

見れば、駅舎と駅員の住居が、一体化していた。

この駅は、集落からは離れていたが、集落唯一の交通手段であることには、変わりはなかった。


ここから徒歩にして約十分のところに、ムラはあった。

ムラは過疎化が進み、高齢者が多いこともあって、自動車をほとんど活用していなかった。

よって、ムラにとっては、駅が唯一の交通手段であると共に、唯一の外界との窓口だった。

その為、ムラ~駅間には、毎日一回、定期便が行き来していた。

今日も、もうすぐ、郵便物と新聞を取りに、ムラから定期便が来るはずだった。


「おはよう御座います」

「おはよう。

 今日も、いい天気やね」

駅員は、郵便物と新聞を取りに来た女性に、ニッコリ微笑む。

女性は、ジーンズに、真っ白な生地にベージュのストライプが入ったパーカーを着て、デニム地のシュシュで、髪を後ろにくくっていた。

数ヶ月前から、この女性が、ムラと駅の定期便役を勤めている。

ムラに若者はいなかったはずだから、多分、その頃から移住して来たのだろう。


女性は、郵便物と新聞の入ったドラムバッグを担ぐと、駅員に挨拶する。

「じゃあ」

ニッコリとした笑顔と共に。

「ほな、また明日な」

駅員は、言葉と一緒に笑顔も返し、駅の入り口から、女性を見送る。

女性は、駅前の道を、ムラに向かって進んで行く。

見送る駅員の目から女性が見えなくなった時、一呼吸置いて、音がした。

ビシッ!

地面を弾く、音がした。


「新聞は、まだか?」

「今、取りに行ってくれてます」

ムラの家屋の一つでは、老夫婦が、会話をしていた。

このムラは、過疎化が進み、何をするにも不自由を感じ始めていたところだった。

だが、ここ一年の内に、老夫婦の孫が、数人の若者を世話してくれていた。

若者達は移住するやいなや、ムラや各家庭の用事を、テキパキと片付け始めた。

そして、日常の用事も、毎日キチンとしてくれている。

そりゃ、大なり小なり問題はあるが、昔から居住しているムラ人は、総じて満足だった。

今も、最近来た女性が、駅まで、毎日の郵便物と新聞を取りに行ってくれている。


「それより、電話しはりました?」

「忘れてた」

おじいさんは、おばあさんの指摘を受けて、あわてて、でもゆっくりと、受話器を取る。

孫に毎日、自分達と若者達の安否連絡をすることになっているのだ。

おじいさんは、孫の家の電話番号を回して、受話器を耳に当てる。


リーンリーン‥‥リーンリーン‥‥

巴絵の電話が鳴り出す。

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