4章4話 「パンドラの箱① 〜ハンディーの秘密〜」
経櫃から出てきたのは、大量のボトルと、何ダースかも分からない数量のパン。
「あんな、小さな入れ物にあれだけの数が……」
「いったい、あれで何をする気なの……?」
ハンディーの背後に立ち尽くしていたクノとシノは訝しむ。
ボトルの中身は、妖しげな赤紫色の液体。
栓を開けた途端に、強めの甘酸っぱい香りが空気と混じり合っていく。酒の匂いだ。
パンの方は、小さな円形の薄型。中心部分には十字の模様が刻まれていた。水と小麦粉のみで作られた質素な仕様。
「持参しました、今年も。
三日三晩行った代物です、聖別の儀を」
それらは、リエントの創造神アイン・ソフに捧げる貢ぎ物だった。
ボトルの酒を実体なきアイン・ソフの血とし。
パンの方をアイン・ソフの肉体として供えるのである。
毎年のこの日には、必ずアイン・ソフへと貢ぎ物を捧げなければならない。
そうすることで天の恵みを施してもらい、この遺跡で発掘された古代の聖遺物の使用を赦されるのである。
〔ご苦労〕
「「!?」」
どこからか木霊する声。
驚いたのはそれだけではない。
ハンディーが差し出した貢ぎ物が、全て宙に浮き上がったのだ。
それらは糸で引っ張られるように壁画の方へと移動し…………そのまま壁画の中に吸い込まれていった。
〔美味い〕
満足気な一言。
「アイン・ソフ様……」
ハンディーはその声の下で、恭しく平伏した。
こんな長官の姿は、見たことがなかった。防衛大臣のワルクの前ですらやらない。
〔我に毎度捧げてくれる其方には、こちらも感謝している〕
「お言葉です、勿体なき……」
遂に姿を現し……はしなかった『アイン・ソフ』の物々しい低音は、威厳だけでなく、果てのない余裕を感じさせた。
〔……今日は、お馴染みの面々はいないのか……。
その代わりが、〕
ピシッ…………!!
「……な、なっ……」
「体が……!」
クノとシノの足が金縛りにあったように固まった。
「申し訳ありません、アイン・ソフ様。
今回はお休みしてもらいました、ルドメイシティの方々は。
代わりに連れてきました、この子らを。
教えたかったのです、この者達に」
〔何をだ?〕
「真実をです」
〔…………それが、今回の其方の望みか?〕
「左様」
〔……心得た……!
貢いでもらったからには、此度も叶えてやろう!〕
直後――
「うわああああっっ!!」
「きゃあああああっ!!」
話がまだあまり見えていない。
その上、硬直状態でもある。
そんな兄妹の双眸と脳内に、【真実】が拒否権もなく映し出された……。
* * *
見える光景は――ダクスのビフォンがいた城の内部。
殺風景な畳の部屋。
巫女装束に身を包んだ女性が正座している。
長い黒髪を結えた、美しい顔立ちの女性だった。
《お時間です、【ハンディー様】》
背後から現れた付き人は、クノとシノも知っているその名を口にした。
(うそ…………。
あれが長官……なの……?)
(ビフォン様が言っていた、ダクスの先代棟梁……。
やはり…………あの人が…………)
2人が放心している間にも、映された光景はどんどんと動いていく。
《では、行くとしましょうか。
いやぁ〜、楽しみね!
わくわくするわ!》
《またそのような能天気なことを!》
《あら、何かマズイ?》
《あなた様は本当に、お気楽と理想ばかりを口になさる!
これからどこに行くのか……本当に分かっていらっしゃるのですか!?
表向きは健全。
裏では策謀と陰謀が渦巻くと、その界隈では有名な――》
《ふふっ、大丈夫よ!
悪い人達じゃないわよ、きっと!》
《…………その根拠は……?》
《女の勘よ!》
《……アホ棟梁……》
先代棟梁は、現棟梁を彷彿とさせる太陽の如き明るさをひたすらに放っていた。
(どうなっているんだ…………?)
この光景が長官の過去を映したものだとは、とても思えなかった。
ハンディーの声も、性格も、喋り方も、その見た目さえも――全くの別人だった。……とはいえ、演技をしているようにも見えない。
(…………いつもと違って、女性らしい振る舞いをしている…………)
(本当に同じ人なの…………?
あの髪……ウィッグじゃないし……。
それに胸も、今と比べて全然大きいじゃない!)
もっとこの続きを見たいと思ったのも束の間――映像が切り替わる。
* * *
《よくぞ、この荒れ狂う気象の中で、遠路はるばるお越しくださった!
さぞお疲れでしょう!
どうぞ、ゆっくりしていってください!》
兄妹は、同時の拍子に気色悪いと感じた。
見たくない顔。
見たくない建物。
見たくない部屋。
そして――聞きたくない声。
しかもその声の主の台詞は、先程のハンディーと違い、媚びた演技100%だと一聴で確信できる。
《では、お言葉に甘えさせていただきますわ。
エクラシー様》
誰だお前状態のハンディーはにこやかに、あの忌まわしき父親に微笑んだ。
エクラシーの傍らには、秘書のシンダーもいる。
《まずは、温かいお茶でもお飲みになってください》
シンダーはソファに腰掛けたハンディーに、紅茶と茶菓子を差し出した。
《まぁ、ありがとうございます!》
《それから、お土産にこちらを。
我が機関が開発した栄養食品――【幸せの温泉饅頭】です》
シンダーが渡したソレの原材料には、【熊の血液大量牛乳】が使われている。だが、そうとは知らずにハンディーは無邪気に喜んでいる。
《あら、すみません!
私、お饅頭大好きなんですよ!
それに、私達が暮らすダクスも、栄養食品の開発に力を入れているんですよ!》
《それは奇遇ですなぁ!》
続いていく映像では、エクラシーとハンディーがお茶を飲みながら楽しそうに談笑している。
クノとシノは、どんな気持ちでそれを見ればいいのか分からなかった……。
やがて――更に場面が移り変わり……。
* * *
《本当に、よろしいのですかな?》
エクラシーが恐々と尋ねる(もちろん演技)。
《ええ、全力でどうぞ!》
ハンディーは爽やかに手を上げて軽く返した。
2人がいるのは、冷たい鋼鉄の床と壁に包まれた巨大な水槽――防音箱。
中から助けを求めても外には届かないし、外から爆音を鳴らしても中には聞こえない。クノとシノもここでよく訓練させられた。
《てええぇぇーーー!!》
エクラシーの号令に従って、箱の壁の四方八方に蜂の巣が空いた。
一つ一つの穴から飛び出す――硝煙と火薬の嵐。
機銃やミサイルの弾幕は、全て箱の中のハンディー個人のみに向けられている。
《…………!!》
ハンディーは前方に右手を突き出した。
キィィィィーーン……!!
甲高い音が鳴り響き、襲いかかる弾幕は停滞。
かろうじて視認ができる透明な【力場】が、彼女の右手から形成されていた。
《……ッッ!!》
ハンディーは右手を捻った。
すると。
力場が湾曲して、その周辺の次元も大きくカーブを描いていく。
ボンボンボンボン…………!!
変形した力場に弾道をそらされた弾幕はあえなく分裂。そこから、ハンディーとは無縁の方角へと放射されていく……。
《なんと、……あの霊力……異次元だ!
霊力保持者が、祭祀以外の場面でも躍進できるという噂は……やはり本当だったのか!》
箱中に響く、エクラシーの震えた驚嘆。
その後も、ハンディーへと次々に襲いかかるあらゆる魔の手。
彼女は先程と同じように、難なく力場を操ってそれらをあしらっていった……。
* * *
《…………圧巻です!
実に素晴らしく美しい妙技!
いや〜、今日は大変実りのある時間になりましたよ!》
《そうですか!
お役に立てたのであれば、リエント最北を治める棟梁として、光栄の極みです!》
エクラシーとハンディーは固い握手を熱く交わした。
《リエントを、バグや無限の厄災から守護し続けなければならない……。
そのためには、ハンディー様のような強い力を身につける必要があると、改めて再認識することができました!
我々も兵士一同も、こんな所で満足して立ち止まってはいられません!
もっと、精進致しますよ!》
《うふっ、ご健闘をお祈りしています……!》
機関が彼女を招いた目的は、どうやら。
彼女の噂に名高い霊力がもたらす事象をこの目で直接確かめて、今後の兵士達の糧にしよう……ということだったらしい。
《さて、私も帰ってから頑張らないと!》
《何か御予定でも?》
《実は私、ダクスの棟梁を務めている身ではありますが……。
神学校の設立と、そこの教官を目指しているんです!
私に宿る高い霊力を、もっと世の中のために活かしたことがしたい……そんなことを日々考えておりまして!》
《ほほう!
それはそれは!
ハンディー様の夢が叶うことを、私共も心から願っておりますよ!
(心にもない)》
クノとシノは、D機関内で起こったこの一連のイベントは知らなかった。
よって、これが【自分達が生まれる前に起きたこと】なのだと仮定することにした。
* * *
《どうだ、手に入ったか?》
《はい、この通り……僅かな隙の内に》
《ククク……。
いいぞ、よくやった……》
次の映像の中にいたエクラシーとシンダーは、醜悪な嫌らしい笑みで何やら企んでいた。
それは……自分達がよく知る姿だった。
《ダクス棟梁の毛と皮膚の一片……それに、糞!
あの女の遺伝子と、私の遺伝子を組み合わせて……!
最強の【ホムンクルス】を生み出してみせるわ!
ククク……クカカカカカカカッッ……!!》
それこそが、ハンディーがD機関に招かれた本当の理由……。
((!!))
クノが抱いていた疑惑の全てが繋がった――
シノも、今の彼の発言で全てを悟った……。
話に出てきた、そのホムンクルスの正体に…………。




