4章1話 「ヒュドール」
「実はね……」
あれは――ダクスから帰還してすぐのこと……。
呼び出してきた長官が告げてきた。
「要請があったんだ、君に」
それは――D機関から送られてきた救援の要請。
【機関代表の息子であり、バグの発生を止めたメンバーの一員でもあるクノに、臨時の代表になってもらいたい】……という内容だった。
「……そんな誘い……兄さんが受けるわけ――」
「シノ、姉さん……。
ぼくは――D機関の代表を、あの人の地位を継ぐことにしました。
お別れです」
シノは耳を疑った。
「兄さん……どうして……?
機関のことなんて……そんなの、どうだっていいじゃない……。
そんな、急に……。
よりにもよって、なんであんな場所に……」
〈あるかもしれないんです、【パンドラの箱】が……〉
〈!?〉
憂を帯びたクノは、口を開かずに念で答えた。
〈ぼくはどの道、もう賢者にはいられない。
だったら、どうせなら今やりたいことをやりたい。
知りたくはありませんか、シノは――〉
* * *
(機関の代表も来るってことは……兄さんが……)
賢者庁屋上への階段を駆け上がるシノは、あの時の念を思い出していた。
《……このことは、誰にも言わないでください……。
姉さんにも……》
もちろん、喋っていない。
ベルウィンは、クノがその道を自ら進んだ理由が分かっていない。
それでも、頭ごなしにクノを批判などはせず、何か事情があるのだと察してくれていた(始めはシノと同じように、結構動揺していたが……)。
(兄さん……)
クノは、機関に行ってから今日までの期間、一切の念話やメールも送ってこなかった。
こちらからのそれらにも応答なし。忙しかったのか、他の理由でもあるのか……。
(でも兄さん……もうすぐ会えるのね……。
パンドラの箱……見つかったのかな……)
階段を一段上がる度に、気持ちが逸る。
顔どころか、声もしばらく聞いていない兄に近づいているのだと……。
「…………あっ!」
何度も転倒へ誘ってくる利き足のふらつきは、その実感が湧かないからこそ。
「…………く……」
片手で受け身を取って踊り場に倒れたシノは、自らの精神に思いを馳せる。
《シノ》
やがて、クノの姿が鮮明に脳内を満たしてくる。
心に住まうクノは、大人びた微笑みを向けている。
(兄さん……。
姉さんも、兄さんに会いたがってるよ……。
家族だもん、わたくし達は……みんな……)
心の中に身を委ねたシノは、そこに滞在するクノへと唇を重ねた……。
(兄さん。
いつも――冷静で、強くて、毅然としていて……わたくしのことをずっと考えてくれていて……でも、わたくしと同じで弱いところもあって……。
わたくしの大切な……大切な……)
頭がのぼせ上がり、鼻と口が紅に染まる。
(ア……アア……!
兄さん……兄さあぁぁん!!
早く、早く会いたい!!
やっぱり、わたくしは兄さんがいないとダメ!!)
まとまらない気持ちに、シノは身悶えした。
(辰砂を手に入れてから、今日まで……!
任務をバラバラにされたり!
謹慎で隔離されたり!
騙されて殺されたり!
生き返ったと思ったら、今度は兄さんが賢者をクビにされて!
そして遂に、兄さんが出ていっちゃって!
あの時からまともに会えていない日が圧倒的に多いのは、どういうことなの!?
遠距離恋愛してるわけじゃあるまいし!!)
八つ当たりするように、床に何度も何度も踵をぶつける。
「大丈夫か、シノ……」
身を屈めて背中をさすってくれている長官の気遣いに、全然気づかない程に……。
* * *
クノとシンダーは、D機関の輸送機から降り立った。
長大な石橋の下に広がった、森に山に古墳に遺跡。
以前は飛び込みたいと思った雄大な自然の光景の中に自分はいる。
だが今は、降り積もる雪と一体化して白一色。
あの感動の面影は感じられず、むしろ心に寂しいモノを落としていく……。
「お久しぶりですなぁ、クノさん!!
あなたはルドメイシティの誇りですよ!!」
ブレインマップに表示された地名は、【アイン・ソフ遺跡……前の祭壇】。
到着するなり、陽気なアドクスの挨拶が真っ先に飛び込んできた。
「!?」
神殿跡地の余計な遮蔽物や凹凸を取り除いて、平地に削ったような祭壇。
防寒着に身を包んでいるアドクスや他の役人達が、祭壇の下でこちらに向かって手を振っている。
…………だが、クノが驚いたのはそこではない。
彼らがいる祭壇の中央――そこに、甲冑……というより、人型ロボットのようなモノが直立不動になっていた。
そのバックには、三角形が幾重にも乗っかった奇天烈な風情の遺跡。
地下深くへと続いているのであろう入り口の闇は、こちらを誘惑する異彩のフェロモンを放出している。
そして、そんな遺跡の右隣を覆い隠す、屹然たる谷の頂を見上げると。
大雪を被った 豪壮とした卵型の岩石が、崖をはみ出してこっくりこっくりと眠っていた。
ズシン……!!
こちらの姿を捉えたブルー甲冑ロボが一歩踏み出した。
威嚇するような歩法に、地面が揺れる……。
「うご……」
《おっそい!!》
クノが見惚れる間もなく、甲冑ロボから大音量で漏れ出す女の怒鳴り声がエコーした。
(……喋っ……??!?!!??)
キィィィーーーーン! と嫌な耳鳴りが、頭の中を支配する。
「…………代表、ご無事ですか……?」
両耳を耳栓で塞いだシンダーが、淡々とこちらの容態を確認しにきた。何故、都合よくそんなものを用意しているのか……。
(…………昔から思ってたけど。
何を考えているのか、皆目分からない……。
この人に限ったことじゃないけど……)
心中を悟られないよう、達観と呼吸を整える。
「……すみません、少し驚きました……」
「事前に騒音が鳴ると想定していれば、音響外傷も抑えられるというものです」
シンダーは冷たい笑みを浮かべた。クノは彼への懐疑心を隠して歩き出す。
《全く、レディを待たせるなんてどういうことさ!
そんなんじゃ、将来イイ男になれないわよ!》
またも、甲冑から聞こえてくるはすっぱ。
「いい……男……?」
きょとんとするクノの背後で低い声がする。横目で見やると、シンダーがクスクスと嗤っていた。
「――バリーさん、久しぶりにお会いした方に対して失礼でしょう。
それも、前回にも暴言を吐いておきながら……。
まだ懲りないのですか?」
《いやぁだ!
冗談ですよ、市長さん!》
名前を聞く前から、その子供っぽい声質と喋り方で分かっていたが。
やはり甲冑に乗り込んでいるのは、彼女だった。
* * *
ウィィィーーーーン。
巨大な甲冑の臀部が、垂直方向にスライド。
臀部から、棒状のカプセルが飛び出し――
「おひさ!
それから、メリクリ!
女の子になってバズった、英雄のクノすけ君!
もう、賢者じゃないんだって!?」
開かれたカプセルの中から現れたのは、軽いノリで手を上げるバリー。
季節感を出したいのか、緑色のファーコートに赤黒チェックの厚手のマフラーを着用している。
相変わらず、成人しているようには見えない小柄な容姿と声帯をしているが、以前とは違ってすっかり毒気が抜けていた。
「お、おひさ……です、バリーさん……。
クノすけって……?」
「ノンノン!
かたいよ、ぎこちないよ!」
バリーは腕を高く掲げ、クノの肩を叩こう……としたが、身長が足りずに失敗。
「フ……ン……!
フ……ン……!」
ピョンピョンジャンプも、甲斐なし。
「ギロッ!」
「…………」
睨んできた。
クノは姿勢を低くして彼女と目線を合わせる。
「この間よりも、10cmは伸びたんじゃなぁい?」
「そうですか……?
それより、どういうことなんですか?
そのロボットのようなモノ…………は!?」
クノは会話の途中で、ハッと上を見上げた。
雪崩のように猛烈な勢いで。
谷のてっぺんで眠っていたあの大岩が、こちらに狙いを定めて落下してきていた。
「――って、いやああああああああ!!」
バリーはムンクのポーズで発狂乱舞。
(ロボットの歩行と振動で落ちてきたんだ!)
クノはすかさず駆け出した。
「伏せてください!」
岩石の落下速度・質量・構成成分を目視で適当に分析。瞬時に、自分が繰り出すべき拳のエネルギーレベルを計算。
「水破」 【五行:水】
かなりおひさの、天啓発動。
岩石の目前で、流れるようにステップを止めて。
速射されるワンインチの波紋――
ズガガガガガガガガガガガガ……!!
(ええ〜〜、すごい……!
あの時よりも、格段に……!)
少年が難なく起こした奇跡のような芸当に、バリーは思わず感心した。
「…………それで、そのロボットは?」
「う、うん」
即座に何事もなかったかのように振る舞うクノに、面食らいながらも、
「え〜〜〜っとね……。
そう!
アタシは今――この完成した【ヒュドール】のテストパイロットをやってるってわけよ!」
バリーは腕を伸ばしてロボットを紹介。
全身ブルーに染まった3m程度のサイズ。
その頭部には、兜のような立派な赤いツノが2本生えている。
両肩の下部からは、眩しく光るイエローのラインが腰まで走っていた。
(あれが……ヒュドール………)
シンダーの口元が斜めに歪んだ……。




