3章30話 「アルベド」
「動きがトロイぜ、兄貴!」
「――!!」
あの日のことが脳裏をよぎっていた間。
現実では忌まわしい弟の正拳が、文字通り脳髄付近をよぎっていた。
「久しぶりの再会に感傷でも浸ったか……?」
タコ足もイカ足もあっさりとさばいてきたブウェイブの一撃が、エクラシーの頭部を貫通……。
「それとも――昔以上に差が開いたか……!?」
ブウェイブは捻りを加えて正拳を引き抜いた。
「ゴアアアアアアアアッッ……!!」
「…………ウグゥゥ……!!」
途端に、紅い飛沫が唸りを上げるお互いの顔を染めた。
「……チッ、思ったよりは……やるじゃねぇか……」
ブウェイブの腹部は裂かれていた……。
エクラシーがブウェイブの動作中にできた隙に合わせて、長剣で真一文字に薙いだのである。
頭に穴の空いた男と、体が横に真っ二つの男。
凄惨な光景だが、両者とも源躍流の十八番――【自身の生気を知覚して操作する回復術】を体得していることにより、このくらいですぐに死にはしない。
「……力が……抜ける……!?」
だが。
ブウェイブはリカバリーをすることができずに、あえなく崩れ落ちていっている……。
「何……しやがった……!!」
「ハハハハ……!
あの巫女が私にした【封印】を、貴様はわざわざ破ってくれたな……!
その情けが敗因だ!」
エクラシーが弟を見下ろす眼差しは、かつて弟自身から向けられたものと同じだった。
まるであの日の意趣返しをするかのように――
* * *
(そういえば、機関のことを知ってるような素振りがあった……)
ブウェイブとエクラシーが兄弟だったと知った兄妹は、これまでの記憶をたどっていた。
(源躍流を彷彿とさせる術を使っていた……)
マインの力は関係なしに、繋がっていく真実。
「――そこの2人!
何ボサっとしてんの!」
背後からピシャリと容赦なく打ち付けてくる、低音の女性ボイス。
「……!?」
ビフォンが早くこっちに来いと手招きしていた。
「始めるわよ、本番を!」
その言葉に、クノとシノの背筋がピンと立って、身が引き締まる。
「あの人のせいで……こんな歪な姿になってしまいましたけど……大丈夫なんですか……?」
クノはビフォンに駆け寄りながら尋ねる。
皆の目線の先には、エクラシーが脱ぎ捨てた神の肉体……が、謎の繭と化したモノ。
こんな状態にはなっているが、その中には室内にいたバグや死者の魂達がもれなく宿っている。
「仏様なのは変わらないわ……。
むしろ集合体になってくれたから、好都合かもね!
的が一つに、それも大きくなってるから!」
「儀式を行う規模が狭くなり、更に一回の儀式で確実に済む……ということか……!」
「確かに、それはラッキーかもしれないけど……。
巫女さんとしてその発言はどうかと思う……」
納得したドリアンはポンと手を打っているが、ミープは冷や汗を浮かべていた。
「クノにシノ!
前の儀式の時と同じで、錬金術師様とやらが言ってた……【ナントカ】【ナントカ】【ナントカ】をやるんだよな!?」
「ええ、時が止まった時にそう仰ってましたわ……」
「その方が、確実に死者を癒して成仏させられる……。
すなわち、バグを絶対的に現世に呼ばないようにできる……らしいです」
(【ニグレド】【アルベド】【ルベド】だよ、アルシン……。
シノもクノさんも……ツッコんだり、訂正したりしないんだ……)
「全く、巫女であるこの私を差し置いて勝手なことを……って言いたいけど、やれそうなことは何でも試した方がいいわ」
錬金術師ルードゥスの介入によって、儀式の内容は路線変更されていた。
儀式を行う当事者であるビフォンは、そんな無茶振りも受け入れて今回の任務に参加してくれていたのである。
「それじゃ、お願いね。
マインダーの皆んな!
特にアルシン君――あなたは要かも!
よろしく!」
「?」
サバサバとしたビフォンの瞳には。
先の戦闘で覚醒した、アルシンに眠る【本質】が見えていたのである。
* * *
数刻後。
マインダー全員の力でニグレドを行った成れの果て――
〔…………〕
〔…………〕
一行の中には、コモンタイプのバグが2体。
お察しの通り、クノとシノである。
前回の黒化と同じく、【クノは硫黄】【シノは水銀】として位置付けられている。
「よっしゃ!
行くぜェェ!」
「すぐに戻してあげるから!」
アルシンの左腕と、ファムの右腕が本領を発揮し――
「ゴホッ……、これで……ニグレドは、終了……!
こっからが、初の領域……ですよ……!」
「ンン……、賢者の石の、精製段階の折り返し……ですわ……っ!」
クノとシノは難なく再び人間に戻れたものの……。
2人の心身が摩耗しているのは誰が見ても一目瞭然だった。
癒しを与えてくれるベルウィンの不在もあるが、人間→バグ→人間→バグをホイホイと繰り返していることが、2人を苦しめている主な要因だった。
天啓もこの場では使用不可能なので、ブウェイブの【カタルシス】で少しは痛みの軽減を……ということもできない。
「ウアアアアアアアアアア!!」
「ガアアアアアアアアアア!!」
ニグレドの過程を得た直後のボロボロの状態であろうとも――
クノとシノは、心臓に宿る辰砂のエネルギーを更に外へと放出させた。
そして――それぞれが放ったエネルギー同士を、物理的に結合させようと試みる。
バグから人間に戻って完全復活する様を、
【腐敗からの浄化と再生――白化】に置き換えているのである……。
* * *
…………それから、しばらくの時が経ち――
「「…………ウエエッッ……!!」」
阿吽の呼吸で紅い滝を流して倒れる兄妹。
「クー君、ノンちゃん!!」
「大丈夫か、お前ら!?」
「――待って!
ファムちゃん、2人を回復して一旦休ませてあげて。
他は勝手なこと禁止!」
血の海に駆け寄ろうとした者達を、ビフォンは腕をまっすぐ伸ばして静止。
「「……は、はい……!!」」
その貫禄と、厳めしい剣幕から出された指示に、皆は従わざるを得なかった。
「よし……それじゃ、こっからは私に任せて……!」
ビフォンは皆の先頭に立ち、右手の指を全て揃えて前に向け――施無畏印を作る。
「我の名はビフォン。
此岸に住む一人。
ダクスの棟梁を務める巫女なり。
彷徨う永劫の夜に、黎明の光をもたらす者――」
仏様の集合体に語りかけるビフォンは、空いた左手に白い精気を纏わせ、右手の甲に重ねた。
「腐敗から浄化の道を目指す賢者の石に、解放の導きを……。
然る後に、言の葉を持たぬ亡者に――対話と言語の解放を……!」
霊力と呪術から作られた圧倒的な【白】が、二枚重ねの手のひらからあふれ……クノとシノが決死で作った辰砂のエネルギーと混合……。
「アルシン君、【血】を出せる!?」
「血!?」
「……今のあなたの血には、
【場の空気に干渉して状況を自在に変えてしまえる力】が秘められている……。
クノ君、シノちゃん、私――3人で繋いだエネルギーを本格的に再構築する要はあなたなの!
だから、あなたの血潮を目の前のエネルギーに浴びせて!
――心をいっぱい込めて!!」
「…………とりあえず、やってみます!!」
アルシンは左手の爪で右腕を引っかいた。
吹き出てくる鮮血を左手に握って抽出。そのまま思いっきり、ビフォンが示す方角へと投げつけた。
「おうるぅらああああああアアアアァァァーーーー!!
心、込めるぜええええぇェェェェ!!」
巻き舌で放った台詞は非常に雑だが、気持ちは本物。
バァァァァァァァァァァ…………!!
血液がエネルギーとぶつかった瞬間。
全てのエネルギーを統合させた逆巻く柱が発生し、中央に漂うバグと魂の集合体を侵食していく……。
「これが、アルシン君の……力か……。
あの腕といい、不思議な子だな……」
「ムーちゃんもね……。
でも、2人ともすっごくいい子だよ!」
「そうだな……
(またあだ名つけてるし)」
見守るしかないドリアンとミープが会話をしている間にも、着々とビフォンの目論見は進んでいき……。
やっと出来上がった【アルベド】をぶつけられた集合体の中心が割れて――像が現れた。
「あ……れ?」
それを認識した途端。
「…………そんな……うそ、でしょ……!?」
ビフォンが静かに狼狽えた。
「どうした、ビフォン?」
ドリアンが尋ねると、彼女は下手な真顔で振り返ってくる。
「…………」
この時、ビフォンはあまりの衝撃に脳が機能しなくなったのか、咄嗟の返しができなかった……。
* * *
ビフォンが霊力で作り出す精気には特別な効果がある。
黒い精気が、あらゆるものに結界をかけて封じる、夜の象徴――【封印の力】。
反対に白い精気が、あらゆるものを呪縛から解き放つ、朝の象徴――【解放の力】。
ビフォンが他人の心や隠しているモノを見たり、透視などをすることができるのは、この【解放の力】の作用によって、自身の瞳に心眼めいた効果が発揮されているからだとされている。
「……人…………?」
「あの姿……誰かに似て――」
首を傾げるアルシンと、顎に手を当てるミープ。
ビフォンにだけは真実が見えているその像は、段々と人間の形に移ろっていき……皆にも漠然と分かるようになってきた。
おかっぱの金髪。
澄んだ黄金の瞳。
あどけなさが多分に残りつつも、優れた品位と尊厳を感じる風貌をした、中学生くらいの少年。
「……な、何故!?!?」
「リーさん――まさか……」
ミープは初めて見る姿。しかし、その容姿からくる面影で全てを悟ってしまった。
「…………ポ、【ポース】……」
一方、ドリアンの方は口をパクパクと動かして、腰を抜かしていた。
「………………あれは…………【僕の弟】だ――」
…………!!
一同は息を呑んで驚愕。
「8年前――僕が賢者になってすぐ……故郷がバグの大軍に襲撃された……。
あの時からずっと行方不明になっていた……僕の弟だ……」
「そうよ、あの子よ……あそこにいるのは……」
全員の心に剪断された亀裂が入り、その隙間に隕石のように重い絶望の鉛が一斉に落とされた……。




