3章7話 「クノVS.アルシン④ ~戦いの果てに~」
シュルルルルルルル。
少年の元に引っ込んで回収される、大きく硬い棒状の物質。
それは――3つに分裂する鬼のように不気味な、血塗られた手のひらだった……。
枝角の如く分岐していた手のひらは、本来の1つに戻った。
毒々しい色合い以外は、人間の子供のそれと変わらない小さな器官。
「…………どうだ、おれの…………勝ちだ……」
顔中が血と汗でいっぱいのアルシンは、頭を押し潰されて倒れた相手を見下ろす。
「…………………」
うつ伏せのまま、クノはピクリとも動かなかった。
呼吸も鼓動も、スイッチが切れたように静止している。
「……コイツ、強すぎだ……!
たぶん、賢者としてバグと戦っていた時よりもだ!
自慢の毒も……ろくに使いモンにならなかった!
それだけ、コイツにとっても負けられない戦いだったんだろうが……」
既に勝負はついた。
アルシンのすべきことは、クノが持つ辰砂の回収。
そして、この場からの速やかな退却。
「…………はあっ、はあっ……!
……くそがっ、もうトドメを刺す力が残ってねぇよ……!」
乱れる動悸。
最後の粘りで放った、源躍流。
3つにした左腕でのピストン攻撃――【ブラッドパイル】による消耗。
全身から力が抜けたアルシンは、まるで全てから解放されたようにその場にへたり込んだ。
ガシッ!
「!?」
掴まれた左足。
「…………負けましたよ、あなたには……」
消え入りそうに小さいのに、折れない力強さを感じる声。
儚いのに、輝きの灯火がひたすらに絶えない声。
「――あなたの、執念には……ね……!
ここまでだとは……想定外でした!」
アルシンを斜めから見上げてきたその顔は、子供の落書きのように乱雑で無邪気に彩られていた。
幾千も交錯する爪痕と血痕で染められた、紅を通り越した臙脂色の、この世の者とは思えない顔だった。
「…………ですが、勝負に勝つのは――」
地面に平行で着いていた、クノの右足が動いた。
「――この、ぼくだアアッッ……!!」
ドッ!
「……ウアッ!」
アルシンの顔面は、回転する両腕の乱舞で抉られていた。
裏拳からの――空中に浮き上がるダブルラリアット。
「…………テメェ、まだ立ち上がるのか!」
力が抜けていたアルシンの体が再び強張る。
驚愕や動揺を通り越した恐怖が彼を襲っていた。
「当然ですよ……方法は確立されたわけではないですけど……シノを生き返らせること自体は可能なんですからね……。
まだ諦めるには早すぎますよ……ッ!!」
アルシン以上に血染めの顔面。
今にも倒れそうに痙攣している両足。
それでも――まっすぐに構えられた拳は、全くブレずにアルシンの喉元に向けられていた。
「………………上等だぜ、おれもまだ余力が僅かに残っていたようだ……。
互いに体力ゲージは真っ赤の点滅で間違いはねぇな……」
「ハアアアッッッ!!」
またも激しくぶつかり合う拳。
2つの小さなうねる竜巻が相剋。
* * *
「な、なんなんだ……一体、何が起こっているんだ……」
少年達の血みどろの激突を、物陰から見つめる男。
「英雄のクノが……あんなにボロボロになってる……。
相手のガキは誰なんだ……?」
先日、里の前でクノに助けられた青年だった。
懲りずにクノの強さを求めて鍛錬をしていた最中に、空から落下してきた2人を偶然見つけてしまったのだ。
ちなみに、クノにはサインも写真撮影も断られた。
(本人が柄じゃないというのと、居場所をネットに晒される可能性があるため。口止めもされている)
「……しかし、アイツら……目がマジだ……。
喧嘩とか、真剣勝負とかいう次元じゃねぇぞ……」
* * *
「オラアアッ!」
「……ヌゥアアッ!」
「デヤアッ!」
「グアアッ!」
まともな声にならない唸りを上げる者同士の、意地による殴り合い。
もはや、互いに一切の能力も小細工も用いることができなかった。
「オオオオオオオッッ!!」
虚空を割るハンマーパンチ。
「……ッッ!
…………これは――」
胸部を殴られたクノがもらす。
「――シノの無念の分!」
「……ブオッ!」
ボディーブロー。右手での正拳突き。
「そして、あの子を助けられる可能性を見出した、」
正拳をクイッと、縦に切り替えて。
「喜びに燃えて高鳴る――ぼくの思いの分!」
「………グフッ、」
アルシンは大きくのけ反った。白目を剥いて天を仰ぐ。
「ウルセエエエエエ!!」
ゴチーーン!
クノの額に振り下ろされたのは、陽の光をふんだんに浴びたアルシンの熱い頭。
「~~~~~~!!」
クノの脳に神速で伝わる、尾を引き浸透する振動。
「おれが、勝つんだよオオオオオ!!」
続いて、反撃で繰り出そうとしていたクノの左手が、ありったけの力で捻られた。
「……ウウッッ……!」
ダブルの冷酷なインパクトと、ジンジンと波打つ痛み。
迸る血涙。
弱まる意識。
倒れていく背中。
クノは堕ちていく――
(…………シノを生き返らせたい、取り戻したい……。
それはもちろん本当なんだ……)
目の前の相手は間違いなく、これまでのどの敵よりも強かった。
その相手との激闘で追い詰められていったクノの中で今、何かが目覚めようとしていた。
(だけど、それ以上に……それ以上の本当に……ぼくが彼に勝たなければならないのは――)
逆火で呼び起こされたのは、間違っていると言われても構わない――【クノの本音】だった。
(――ッ!!)
クノはアルシンの胸ぐらを掴んだ。
「何!?」
「ぼくが……ただ晴らしたいだけなんだ!!
シノを害されたことへの、収まらない怒りを!!
でないと、前に進めないから!!」
全てをかなぐり捨てる勢いで面と向かって告げて。
「!???!」
そして、すぐさま足を引っかけてアルシンを転倒させた。
「――カッ!?!??」
起き上がったアルシンの額に向けられたのは――自身が折ったばかりの左手。
「これまであなたから受けた……直接攻撃の全てッ!
今のもひっくるめて……全部この左手に込めました……!
だから、今のぼくの左腕は…………」
この先の道を進むためのヨレヨレの拳が、まっすぐに疾った――
「あなたのモノよりも強い!!
ぼくの怒りも、全部あなたにあげますよ!!」
* * *
「――!!」
アルシンの頭の中で電光。
《どうしてあんたはジッとしていられないのよ!
ファムも危険な目に遭わせて!
人様に大変な迷惑をかけておいて、反省も謝りもしない子にした覚えはないはずよ!?》
《こうなったのも、あなたがバグを倒すって、飛び出したせいよ!》
糾弾する声の土砂崩れ。
「……あ、ああ…………」
この極限状態で、アルシンの意識が目まぐるしく回転。
今まで歩いてきた人生が一気に蘇ってくる。
(そうだ、おれはいつも……気がつくのが遅ぇんだよ……)
もうこれ以上は身体が動かなかった。
(いや……本当はずっと前から分かっていたんだ。
自分の行為は誰かを傷つけるものであること……。
それでも、余裕がなかった。
大義のための行動なら仕方ないと思うようにすり替えてた……。
おれの選択が失敗だった場合――コイツの妹は、ファムと同じように死んだままになるのだって考慮しないで……)
《わたしはアルシンが無茶をするなら、それを支えて助けたい。
だから、アルシンはわたしの忠告をちゃんと聞いて守ってね?》
アルシンを闇から連れ出す天使の導きは、記憶に残り続ける大切な一言だった。
「……ファム、みんな……ごめん…………」
地に崩れ落ちる直前――アルシンは静かにそう呟き、暝目した……。
* * *
体が浮いたまま停滞していた。
膝が曲がっている。
「!?」
見上げた瞬間に飛び込んできたのは、
「……お、お前……!」
「3分で起きるなんて……流石ですね……」
アルシンは、クノにお姫様抱っこをされていた。
誰が見てもボロッボロの両者とも、マインを未だに纏っている。
「体が無意識にあなたを抱えていたんです……。
あなたの行為は絶対に許せないけど……やっぱり少しは嬉しかったのかもしれません――あなたが生きていてくれたことに」
顔を茹で蛸にして狼狽えるアルシンに対して、クノは至ってクールな振る舞いだった。
「……っ、そうかよ……。
だけど、ようやく分かった……。
間違っていたのは殺人者のおれの方だ……とっとと下ろして拘束してくれ」
クノの行為に呆気に取られたのか、素っ気なく口にするアルシンの毒気は抜けていた。
しかし――要請に反して、いつまで経っても両者の体の状態に変化はなかった。
「おい……?
早くその手と膝をどっけろよ……」
「それが……体が限界を迎えたのか、固まってしまって……この体勢のまま動けなくなりました……」
「そうかよ…………って、……は…………??」
顔を地面に背けていたアルシンは、思わずクノを見上げた。彼は済ました顔でこちらを抱えているくせに、へっぴり腰で何とも間抜けなことを口走っている。
「…………気功で活入れるくらいはできる。
――おらよっ!」
アルシンのミント掌底がクノの全身を撫でる。
「うっ、おおっ!」
硬直していたクノの筋肉が途端に柔くなり、生気が灯された。
「う、動ける……!
ありがとうございます!」
「礼なんて言われる資格ねぇよ……。
ほら、拘束しろよ」
アルシンは潔く両手を差し出した。
「その前に」
クノの声が、重りが加わったかのように急激に低くなった。
「シノを返してください」
アルシンの瞳の奥まで入り込む眼差し。
「ああ……分かってる。
妹はここから遠くない場所に隠してる。
おれを拘束してから行こう」
(シノ……ようやく……)
長かった。
この数日間、クノにとってはとても長かった。
(ぼくは、ずっとあなたの側にいたい……。
これからこの人と協力して、きっと本当の意味であなたを救ってみせる)




