1章4話 「おかえりなさい」
「――!」
「兄さん!」
目覚めた場所は、見たことのある部屋の中。
瞳を開いた瞬間に、最愛からの言葉が聞こえた。
「……ここは、」
「クノくん、大丈夫!?
大怪我はしてなかったから、わたし達の部屋で診てもらっていたの」
1人で寝るには広過ぎるベッドで、仰向けになっていたクノ。
隣に、シノと、あのベルウィン……そして知らない女性。
皆が心配そうな眼差しをこちらに向けていた。
「シノ……身体は?」
「うん、もう何ともないわ。
わたくしも兄さんも、あの時の痛みに反して、そんなに外傷はなかったみたい……」
「……そうですか。
よかった……」
「よくないわよ!」
安堵したクノを一括するのは、第三者。
ピンクのロングヘアを靡かせた、豊満なバストの謎の女性。
胸元のボタンが弾けそうになっているが、気にしてはいけない。
「天啓の使い方、ちゃんと聞いてなかったの!?
デタラメにぶちかましたから、こんなことになったのよ!
いくら子供だからって、命を粗末にする勝手は――」
「お、落ち着いてください!」
ベルウィンが(怯えている)シノを一瞥させながら、女性を宥めた。
「……ごめんなさい。
本当は、あなた達が悪くないのは分かってる……。
きっと、あの錬金術師は説明しなかったんでしょ、そういう大事なことを」
11歳の少女に頭を冷やされた彼女は、苦い顔をする。
「あの、すみませんけど……どちら様ですか?」
「……私は防衛省の『レディク』。
賢者のサポートを担当しているわ。
具体的には、バグが発生した時の住人の避難誘導。
他には、防衛設備の操作や、負傷した人の応急手当てとか」
先程の激しさとは打って変わった、冷静な自己紹介。
その声音には色気がこもり、妖艶な大人の雰囲気が醸し出されていた。
(あの村で、避難誘導と防衛を担当していたみたいなの。
わたくしと兄さんをここまで運んで、手当てもしてくれた。
この人はきっと、いい人…………だと思う)
シノからの、そっと近寄っての耳打ち。
クノにとって、心地の良い吐息だった。
(……シノからは考えられない言葉。
ということは、本心から言っているのか……)
クノは自分の腕をグーパー。
体の調子を確かめながら、ベッドから降りる。
「……シノとぼくを助けていただき、ありがとうございました」
「私は自分の仕事をしただけ。
あなた達が何度同じ目に遭っても、同じことをするだけよ。
それに、感謝するのは私よりも――」
レディクは(サイズの合っていない)スーツのポケットから、一輪の紫の花をこちらに差し出した。
「あなた達が守ったあの女の子が、お礼にってくれたの。
あの子が私を、倒れたあなた達の所まで連れて来たのよ。
早くしないと2人が死んでしまうから急いでって、泣いてた…。
だから、あの子にも感謝しなさい」
クノは、ひとまず差し出された花をポケットにしまった。
「……そうだったんですか。
ですが、何故彼女は避難勧告が出ていたのにも関わらず、わざわざバグ発生地点へと……」
「……実は、お母さんが病気みたいでね。
切らしてきた薬を買いに、となりの町まで1人で歩いて行った帰りだったって。
だから、あの村にバグが発生することも知らなかったようなの。
お父さんが亡くなって、もう家族はお母さんしかいないからって……必死だったみたい……」
(家族…………。
家族のためなら、自分の身を犠牲にする……)
「兄さん」
「?」
「あの時、あの子を守れていなかったら……。
あの子のお母さんは、大事な……たった1人の家族を失っていた。
もし、兄さんがそんな目に遭っていたらって考えたら…………わたくしが戦った意味があったんだと思う」
シノの言葉で、クノの心の中に光が差し込んだ。
「大切な家族を失うようなことがあってはならない。
それがぼく達にとっては無関係な人だとしても。
……そうですね、その通りです」
「そうだよ!」
ベルウィンがクノとシノの手を取って、自分の手と重ねた。
「わたしはいつでも、クノくんとシノちゃんの帰りを待ってる。
戦いから帰ってきたら安心して休めるように。
そんなことしかできないけど、もうわたし達3人は、一緒に暮らす大切なパートナーで、仲間で、家族だから!
血の繋がりがなくても!」
その手は温かくも、切ない儚さを抱えた冷たさも同居していた。
ベルウィンは自分達は家族だと何度も口にする。
その理由は出撃前に聞かされた。よっぽど家族を欲していたらしい。
クノとシノには、彼女の思いを否定することも、無碍にすることもできなかった。
その気持ちが分からないわけではなかったから……。
「「ベルウィンさん……」」
「かたいかたい!
呼び捨てでいいよっ!」
「ですが、わたくし達はそのような教育は――」
「じゃあ、今から覚えればよくない?」
天真爛漫なウインク。
ハートが飛ばされた……と、その目で錯覚する程の、穢れなき愛嬌……。
「……!?」
クノの胸が、ドキリと刺激された。
こんなこと、初めてかもしれない。
「そうね、自分の身内以外で対等な立場の人との付き合い方を学ぶのも大事なことよ。
2人ともまだ7歳なんでしょ?
大人ぶってるけど、人生まだまだこれから!
学ぶことが沢山あるわよ。
子供は子供らしく、明るく笑って、いっぱい勉強しなさい!」
ベルウィンの援護射撃をするレディク。
彼女も柔らかな笑みを向けてくる。
(……この人達は……シノの信じた通り、本当にいい人なのかもしれない……)
「じゃあ、クノくん、シノちゃん!
家族の団欒と言えば……ご飯にしよっ!
ちゃんと作って、待ってたんだからっ!」
「……え、灰を作ったんですか?」
「草はどこに……?」
「いや、違うから!
そんなのいっつも食べてたら、100%お身体に悪いよ!」
ベルウィンが異常な2人を全力でツッコミつつ、彼らの手を取ってリビングへ。
「レディクさんも!
作り過ぎちゃったからっ!」
「……いいの?」
「もっちろん!
【家族】を助けてくれたお礼です!
レディクさんも好きなオムライスです!」
* * *
これは――もしかして、夢の中なのではないか。
テレビ、ソファ、テーブル、ストーブ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジ、キッチン。
そのどれもが、機関にいた時の教材でしか見たことがなかった。
4人は座れる大きな食卓テーブル。
ラップをかけたオムライスがデーンと乗せられていた。
ライスを包む卵には、ケチャップで【おかえりなさい♡】と、ハートの主張が激しく書かれている。
「…………」
気がつくと、みんなが席に着いてスプーンを手にしていた。
スプーンの使い方は、過去にしこたま教えられたのでわかる。けれども、実際にこれを使って食べる料理を口にしたことがなかった。
「さぁ、一口目は2人からだよ!」
「「……いただきます……」」
クノとシノは阿吽の呼吸で戸惑いながら、スプーンを卵の端に恐る恐る突っ込んだ。
ケチャップライスを掬って、卵と一緒に口に運ぶ。
「…………どう?」
中に混じっている玉ねぎや豚肉は口にしたことがある。
それ以外は初めてだ。米も卵もケチャップも。
単品や生で食すのが当たり前。
料理なんてものは食べたことがない。
焼くことや炙ることはあっても、炒めたり、茹でたり、揚げたり、蒸したりなんてしたものを与えられたことなんてなかった。
……舌に通るこの感触は……。
「…………その、安心できる味がします……」
「おいしいと思ったものを食べるのは……初めてかもしれませんわ……」
「よかったあ~!
口に合ったみたいだね!」
緊張に溢れたご尊顔が、両手を合わせて、満面の喜色に変わった。
「これから毎日いろんなものを作るからね!
あまりのおいしさに感激させてあげるんだから♡」
彼女はあどけなく握り拳を頬に当てながら、首を傾けて、
「あ、せっかくだから、そのオムライスのレシピ……教えてあげよっか?
特別に……ふふふ……」
怪しく悪戯っぽく、白い歯を見せて、屈託なく。
(なんだか……この人、すごく眩しいな……。
胸の中が少し温かくなってくる笑顔と声……)
クノが胸中の心理に浸っていると、
「…………あの、」
「?」
シノがモジモジと、緊張の面持ちで口を開いた。
「教えてください……」
「お、シノちゃん料理に興味出ちゃった?
そんなに知りたい?
わたしのレシピ?」
「お願いします!
わたくしと兄さんに是非!」
(シノが何かに関心を抱いている。
意外だ……って、あれ?
ぼくも……教わらなきゃならないのか!?)
「いいよ、いいよ~!
まずはね、玉ねぎをみじん切りに――」
「天啓の使い方を……レディクさん!」
「って、そっちかい!?」
「私!?
なんでこのタイミングで!?」
……と思ったら、緊張のし過ぎで、思考回路がだいぶ過去に飛んだだけのようだ。
「あ、あの……す、すみません!」
同時にツッコむ、ベルウィンとレディク。
失言をしてしまったと、わたわたするシノ。
「…………ふふっ、」
それらをとなりで見つめるクノは、思わず吹き出してしまった。
(笑ったの……久しぶりだな……)
* * *
食事が終わって。
(空気を壊しそうだから、黙ってたけど……)
顔を背けたレディクが、心中にこぼした一言。
(おいしくなかった……)