2章26話 「激突」
時は、ミープがドクロバグと遭遇する少し前。
彼女が渦に飲み込まれた直後の海底洞窟入り口付近。
〔…………〕
天井に突如出現したホワイトホールから神々しく舞い降りた影。
サファイアの瞳。
エメラルド色の屈強な全身。
頭部には、ゴージャスなルビーで彩られた王冠。
右手で軽々と掲げている、オニキスの大鎌。
新たなるアンノウンが宙に威風堂々と浮遊している。
「あ、ああ……」
仲間の犠牲。一瞬にして覆った状況の曇り。
シノに急激に押し寄せる不。
走る絶望。
駆け巡る圧迫。
〔…………〕
王者のような風体の覇者バグは、大鎌の先端に光輝くエネルギーを収束し始めた。
〈シノちゃん、早く立って!〉
マリア・マリン越しのレディクから、必死の念。
(…………何年振りなの、この恐怖は……。
心が潰されて、無になりそう……)
恐怖を支えてくれる人がいた。共に歩んでくれる人がいた。
だから恐怖も次第に恐怖ではなくなっていった。
けれども、今は……。
(わたくしは、どうせ勝てない……。
どうせ負ける……。
ここで死ぬ……)
すっかりシノの心中は、後ろ向きな言葉だけで満たされてしまっていた。
覇者バグの王冠には、【目に見えない魔法】が宿っている。
オドセンサーで捉えた人間を畏怖させて、自己肯定感を滅ぼす威光の輝き。
これに打ち勝たない限り――シノは戦うことができない。
〔!〕
立ち上がれないシノへ、熱の光。
雷撃の槍。
「…………」
雷撃の槍は洞窟の地を抉り、シノの足元で衝撃爆破。
彼女の本能が間一髪で稼働――戦意喪失状態でありながらも、持ち前の回避で直撃を免れていた。
〔!!〕
背後からもシノに襲いかかる攻撃。
からくりバグの柔軟な足の裏から発射される、ビームキャノン!
「……」
シノはこれも、直撃スレスレで回避に成功。
〔!!!〕
からくりバグの猛攻は止まらない。
今度は、両手から無のショットガンの乱射。
「……」
シノは千鳥足でふらつきながら、最小限の動きで避け続ける。
しかし、本能に助けられているだけに過ぎず、命中するのは時間の問題。
後ろからの無属性と水を織り交ぜた攻撃は、どんどん苛烈さを増していく。
前方から飛んでくる稲妻の範囲も徐々に広がってきている。
〈シノちゃん、しっかりして!
このまま何もしなかったら、死ぬわよ!〉
〈……ダメです……〉
レディクの念に、シノはようやく力なく返答。
〈アンノウン2体……勝てる気がしません……〉
〈今までだってあなたは頑張ってきた!
負けるはずないわ!〉
〈わたくしは、兄さんがいたからやれたんです……。
でも……今は兄さんがいません……。
それに……ミープさんも……わたくしのせいで……〉
〈きっとあの子は大丈夫よ、今は応答ないけどすぐに戻って来てくれる!
アンノウンを全て倒さないと島のバグが無限に出続ける……このままじゃ、犠牲者が出るわよ!〉
〈……犠牲…者……〉
犠牲者。
戦いの中で最も存在してはいけないと思うもの。
〈こんなところでチミは終わる気か!
何のために、チミは生きたのだ!?〉
〈シノさん……あなたならやれます……!
過去のトラウマを乗り越えたように……今回も……!〉
更に飛んでくる念。
本部からの発破。
海底洞窟の観測ができていないながらも、レディクとシノの念話を傍受して状況を察したのだろう。
(わたくしが……生きた意味……。
乗り越える……わたくしが……)
〈がっかりだよ、君には〉
ため息混じりの勿体ぶった念も割り込んできた。
〈本当にがっかりだ、心底にね。
報われないだろうな、君の兄は〉
〈!?〉
〈ここで死ぬのだからね、最愛の妹が。
どんな顔をするだろうな、その無様な最期を知ったら〉
〈!!〉
シノの目が反射的にカッと見開かれた。
〈ぼくはこんな妹を愛して守って、共に生きてきたのか!
その結果がこれか、裏切られた!〉
念の主は無理して裏声の念を出し、全く似ていない兄の声で過剰に演じながら告げてくる。
〈やめて……〉
〈悲しい、ぼくは悲しい!
あんなやつ、ぼくの妹なんかじゃありません!〉
ピキッ……。
最後にシノを刺激したのはその言葉だった。
発破や激励、同調。
それらを超越する言霊が、シノの全身を奮い立たせた。
「ああああああああ!!」
* * *
天まで高く浮き上がる1つの影――
「ッ!」
流星のような速度を伴って降り注ぐ、飛び蹴り。
それは、優美に宙を漂って稲妻を迸らせる、覇者バグの胸部目掛けて――
〔〔!!〕〕
瞬時にそのオドの動きを察知した覇者バグの、雷霆の刃。
真下の地上に構える、からくりバグの水の大砲。
(アンノウン同士の連携……!)
蹴りを放ったシノは一度身を翻し、地上へと降下して退避。
〈ノンちゃん、無事!?〉
(!!)
傾いた脳内に、遠くからの光の声が差した。
〈…………ミープさん……ミープさん……!
あなたこそ……ご無事ですか!?〉
〈塩水飲み大会なんて、ナンセンスにも程があるっての……!
こんなに飲んじゃったの初めてだよ……ギネス記録だよ……!
しかも塩分が濃すぎ!
コレ、致死量確実……プンプン!〉
咳き込みながらも愚痴るミープの念が、シノの脳内にジンジンと響いていく……。
〈……ミープさん、こちらにはアンノウンが2体いますわ!
ですが、負けません!!〉
〈マジ!?
ホントに!?
びっくりして母乳が出そう!!〉
〈……出るわけないでしょう!!〉
アホなボケに呆れつつも、いい意味で気が緩んだ。
(ミープさんはこんな時でもいつものペースを崩してない……わたくしも!)
自分を和ませようとしてくれているのだろうと、シノはミープの心遣いに胸の中で感謝する。
〈ノンちゃんごめん……!
少し態勢を整えたらすぐに戻るから、待ってて……!〉
〈……はい、待ってます!
ですが、無理なさらないでくださいね!〉
〈…………了解☆〉
念話を終えたシノは、目の前のアンノウン2体を見据える。
(わたくしが死ねば兄さんが悲しむ……苦しめてしまう……。
もしわたくしが命を落としたとしても……立派な最期だったという報告が兄さんに届けられるように、わたくしは戦い抜く……!!)
頬に流れる汗を拭い、無意識に小刻みに震える呼吸を整え、自分に喝を入れる。
(もちろん、本気でここで死ぬつもりはないわ……!
絶対に、兄さんと……姉さんのところに帰るんだ!!
兄さんだって、向こうで勝利して帰ってきてくれるはず!)
〔〔!!〕〕
再び、アンノウンの連携攻撃がシノに襲いかかる。
シノはバク転の連続で後退しながら、機敏に回避。
「……今のままでは……いずれ挟み撃ちでわたくしの方が直撃させられる……」
2対1のこの劣勢を、一気に逆転させる方法が1つだけある。
自分の頭でも思いつく簡単な方法だ。
だが、もしその読みが外れていた場合は意味をなさない。
〈ルードゥスさん、お聞きしたいことが!〉
〈……チミの方から念を送ってきたのは、初めてだな。
僕だけに念を送るということは、錬金術のことか?〉
だから――自称英雄の錬金術師にその特性を聞き出さなければならない。
* * *
〈…………分かりましたわ。
ありがとうございます……〉
〈ふふん、僕も役に立つだろう!
もっと僕をたたえるがいい!〉
読みは当たっていた。
ならば後は――
「ッ!!」
シノは覇者バグに向かって一散にダッシュ!
〔!!〕
覇者バグが迎え撃とうと、雷撃を放ってきた。
「天啓!
クリサンセマム!」 【五大:水】
シノは瞬時にターンして踵を返す。
菊水文様のうねる流水走法。
「はああああ!!」
ホーミングして猛スピードで飛来してくる雷撃から、背中を向けて逃げ続けるシノ。
(雷とわたくしの、速さ勝負……!!
後は……賭け!)
シノは周囲の空間を揺るがす程の勢いで、ひたすら疾る。
木々を揺らしながら林の中を駆けていく強風のように。
〔!!〕
シノの向かう先にはからくりバグ。
ハイドロ光線と大津波を繰り出して、返り討ちを狙っているようだ。
(今ッ!)
シノの瞳に、キラリと稲妻の光芒――
「天啓!!
ダーティ!」 【五大:土】
雷を大きく引き離したシノは、技を発動する間際のからくりバグの背後に素早く回り込んだ。
そこから、対象だけでなく地面ごと抉って蹴り砕く、泥臭い必殺シュート!
〔!?!?〕
サッカーボールのように蹴り飛ばされたからくりバグ。
シノをホーミングしていた雷に当たりながらも、覇者バグへと一直線に飛んでいく。
〔〔!?!???!!??〕〕
ズドォォォォォン!!
ビリビリビリビリ!!
2体のバグは激突した。
瞬間――からくりバグが繰り出そうとしていた海水の技が時間差で発動。
からくりバグと覇者バグの全身には、ありったけの海水と、高電圧の雷撃。
〔〔!?!!??!!!??!!〕〕
両者、瞬く間に黒焦げに染まっていく……。
水は電気を通す。
……とはよく言うが、正確には水に含まれているミネラルやイオン等の不純物が電気を通す働きを持っている。
よって、そういった物質のない完全なる【純水】は、絶縁体であるために電気を通さない。
【水】属性の天啓が生み出す水は純水。故に電気と作用させることは不可能。
しかし、からくりバグが放っていた水は電気を通す塩分が含まれた【海水】である。しかも、通常の海水とは塩分濃度が桁違いの特殊性。
ミープとの念話でその事実を掴んだシノは、ルードゥスに水と電気の性質を再確認した。
そして、シノはこの作戦を遂行した。
2体同時には相手にできないが、2体同時に倒す方法があると……。
アンノウンにアンノウンを倒してもらう作戦。
からくりバグが水の技を発動してくれることが絶対条件の賭けだったが、1回目で上手くいった。
「これが、決まってくれれば……!」
やがて、からくりバグの方は跡形もなく消滅した。
残るは、覇者バグ1体のみ。
厄介な王冠も、雷を起こせる槍も破壊されている。
そして、相手は虫の息。
「いける……勝てる!!」




