1章1話 「断捨離」
【アイン・ソフ】という神が創造した惑星――【リエント】。
リエントに蔓延る、人類の脅威である闇の種族――【バグ】。
【賢者】――それは本来なら読んで字の如く、賢い者という意味だが、リエントにおいては、バグと戦うために強い力を得た改造人間のことを指す。
これは、バグを滅ぼすために命を懸けて泥臭く戦う、賢者達の物語……。
* * *
四方に座る大人達の訝しむ視線の先には、穴だらけの麻衣を被った2人の子供。
少年と少女。
揃って不安げな目をしているが、特に少女の方がその傾向が強い。
「『クノ』君と『シノ』さん。
7歳…………」
「防衛大臣殿にはお気に召しませんかな、私の錬成させた作品が?」
深紅のベルベット絨毯が敷かれた広闊な会議室。
政府組織の棟梁の席に座る人物は、目の前の不遜な男性から手渡された資料と、男性の後ろに立つ子供達を、眉をしかめて何度も見比べる。
「リエント北部独立防衛機関――通称【D機関】代表エクラシー殿。
あなたのご子息とご息女が、戦力になるとは到底思えませんが。
まだ幼すぎる」
「それが貴殿の……いえ、満場の返答ということでよろしいのですかな?」
「単刀直入に言うとそうなりますね。
少なくとも、規定通り義務教育仮定を4年は経験してからではないと……」
後退した生え際。
対照的に、直角に曲がって先進したもみあげに長鼻の棟梁――防衛大臣の言葉に、長机を囲う高官達が次々と頷く。
防衛大臣の前に立つ、D機関代表の『エクラシー』は、おもむろに着物の懐へと手を沈めた。
「そうですか。
しかしこちらも、いつまでもこの作品達に、時間と資金をつぎ込んではいられません……」
パーーーーン!!
エクラシーの振り向きざまに、甲高い音が部屋中に鳴り響く。
硝煙が上がった……。
その場にいる皆は急な事態に反応ができず、ピタりと固まった。
「………………くっ……」
「兄さん……!!」
上半身を撃たれた少年――クノは、低い声を上げて崩れ落ち、たちまち絶叫の少女―シノが駆け寄っていく。
「何を!?」
「不要と判断された商品をこの場で廃棄させて頂きます。
なぁに、断捨離というやつですよ、クク……」
周囲の非難や悲鳴、救護を要請する声なんてどこ吹く風。
白い歯を光らせてエクラシーは頬に狂気を描く。
そのまま、右手に持った【特殊高速誘導弾(対オド特化型)】が込められたリボルバーを連射。
クノにトドメを刺すかのように。
そして、ついでのゴミを片付けるかのように。
「――!」
クノとエクラシーの動線上に割って入る人影。
刹那に、列を成して飛行する弾丸の嵐が反射された。
「ひ…………っ!」
弾倉分全て発砲された銃弾は、目を見張って硬直している防衛大臣の耳元を通り過ぎて、ズタズタと壁を蜂の巣にした。
クノの前に素足で降り立ったシノの瞳は、先程までの怯えたものから一転していた。獲物を狙う獣と化してエクラシーに敵愾心という刃を向けている。
彼女の足には、小さな弾痕の円と、染み付く火薬の臭い。
「銃弾を全て……蹴り返したのか!?」
「あんな小さな女の子が!?」
「あり得ない!
あの年で、しかもあの速度!!」
ギャラリーからのどよめきが次々と上がる。
「兄さんは……わたくしが!」
「その出来損ないを庇うか。
ならば、貴様から黄泉へと逝くがよい!」
タマを失ったエクラシーは銃を捨て、腰に携えた鞘から真剣を抜刀、床を捲り上げるように跳んだ。
突風と紅の繊維が、ダイレクトに背後の防衛大臣に降りかかり、椅子の上から光る頭を中心に後転。
猛烈な速度で突撃、長剣を容赦なく振り下ろすエクラシー。
対して、シノは無謀ともいえる程、一直線に躊躇いなく間合いに入っていく。
ギロチンのように鋭く、重く振り下ろされた幼子への一撃。
恐怖心から止めることができない高官達は、目を覆うほかなかった。
「……!」
だが、無情に切断しようとしていたエクラシーの動きが停止する。途端に彼は姿勢バランスを崩して倒れ込んだ。
高官達の目には、狂った顔つきで床に伏すエクラシー。
と、彼の右足を両足で挟み込んで、巻き付くように体を捻らせるシノ。
「…………一体、何が起こっているんだ?」
「あえて相手との間合いを詰めて、長大なリーチの攻撃を塞ぐ。
それから身を屈めて、自身の首を視点としている相手から逃れる。
そして、相手が目標を見失っている一瞬で、両サイドからの剪断力を利用した捻体足絡み……」
狼狽える高官の迎えに座っている、若々しい外見の男。
飄々と眺めていた彼は、今の攻防の詳細を淡々と説明した。
「……これで勝ったつもりか、小娘!」
30歳以上年齢が離れた少女に制圧されてもエクラシーは平常運転。
……ではなく、体がバインと浮き上がって、シノを空中へと放り出した。
続いて、右腕がボコボコと盛り上がり、目の錯覚ではないかと疑いたくなる程に巨大化。
「死ねぇぃ!!」
シノの心臓へと、真っ直ぐに伸びる鋭利な突き。
「…………ぐおおっ!」
人の肉を容易に裂くはずだった、斬撃の方角が反転。
エクラシーの放った一撃が、そのまま自分自身へと押し返されたのである。
着物を貫通して、ずぶりと鳩尾に刺さるのは、刀の柄。
それを押し込むのは、重く固い拳。
咆哮を上げたエクラシーの体内には、水風船が破裂したようなインパクトが走っていた。
鳩尾に刺さる刀剣に杭を打つように流れ込むエネルギーは、ポンプのような勢いで、外道を戦場から弾き出す。
飛ばされたエクラシーは、部屋の端の壁へと接着。
真正面――その身に銃弾を受けてうずくまっていたはずのクノが、縦拳を突き出した体勢で立っていた。
「初めて対オド特化型を使ったとはいえ、大分時間を要したな……小僧……」
「これも……訓練のつもりなんですか?」
その時。
「そんなものでいいでしょう」
横から、事態を収拾させるには絶好の声。
「撃ち込まれた銃弾の威力を全身に分散させて、ダメージを無効化。
その衝撃を脚部に移動させて、踏み込みの跳躍力と馬力を強化。
そこから瞬時に、妹の防御へと乗り出した。
更には、相手の斬撃の勢いもそのまま乗せた、寸勁の応用によるカウンター。
このような芸当は、賢者であってもなかなか出来るものではない。
満場一致の合格でいいでしょう」
「……あ、ああ…………2人とも認めるとしよう……。
これが……有史以来、人類を様々な事件や災害から守護してきた、D機関の力……」
腰が抜けていた防衛大臣は、解説役の補佐官の言葉で我に返って、クノとシノを承認する。
一方、鳩尾に一撃をくらっても、壁に打ち付けられても、涼しい顔のエクラシーだった。
「小僧に小娘、今日からはここが、お前達の家だ。
お前達の才覚と、これまでの努力を認めて、【武器】として使ってくれるそうだ。
もう貴様らは私に会うことはないだろう」
「……?」
「【営業】……まさか……」
エクラシーは、腐りきった馬糞にアンモニアを混ぜたような人柄に全く見合わない、爽やかな香りのしそうなミント色の吐息をこぼした。
そして――ぽかんとしている子供達を余所に、部屋から去っていった……。
その背中は、もはや父親としての情も責任も放棄し、新たな企みを募らせていた。
(抵抗しなければ殺されてた……。
抵抗すれば、ぼく達が今までの訓練で得た技を公開することになり、それを利用して売り飛ばす。
あの方はぼく達がどんな行動を取ろうと、今日この日、この場で……)
* * *
「…………兄さん……わたくし達、捨てられたの……?」
「そう……みたいです……」
静寂に包まれた空間に2人の呆然とした呟き。防衛大臣はハッと、咳払い。
「……んん、クノ君にシノさん。
君達は今日から、政府の所属になった。
始めは反対したが、君達なら優秀な人材へとなり得るだろう」
「……ぼく達はどうすれば……」
「それはこれからじっくりと、詳しく、手厚~く説明するが、一言で言うならば。
有史以来、人類の脅威として君臨し続けてきたバグ……を討伐する新人類【賢者】となって、バグと戦ってもらいたい。
バグの発生しない世の中を作るために――命を懸けて」
窓の外で吹き荒れる吹雪と同じように凍てつく言の葉。
クノとシノの幼気な心を震撼させた……。