2章1話 「変化」
9月13日。
宅配の仕事を終えたクノは、脳内へと意識を向けた。
「…………」
頭の中が視覚され、開かれる新聞やニュース速報。
そこからクノが選択したのは、政府から毎日送信されるバグによる死亡者情報。
「…………4月19日……東部のイーブタウンで、防衛省の男性1名、芸術家の男性と、その妻である人形技師の女性が死亡……。
……今日も半年前から誰も亡くなっていないのはよかった……」
安堵したクノは、そのままマンションの15階から飛び降りた。
季節は秋に突入したが、虚空を駆け降りる体と噛み締める唇を揺らす夜風は、まだ僅かに暖かい。
視界には金色に光る街灯の海。
ハウモニシティの夜の景色はいつ見ても飽きない美しさだが、そこを出歩く人々は殆どいない。
クノの真下はガラスが横に伸びた長い筒。
そのツルツルの上を歩こうものなら、普通は滑って高所からの転落事故死。
だが、彼はぴったりと着地。
スタスタとその上を駆けて、時には少しの距離を跳び、また着地して駆けて……を楽々と繰り返している。
やがて、穴が空いた地点までたどり着いたクノは、すっぽりと筒の内部に侵入。
筒の中は、さっきまでいた町とは異なるサイケデリックな色調の繁華街。
ネオンの灯りの柱や看板が立ち並ぶ広大な空間――地下大陸。
クノは【賢者庁】と書かれた看板の位置へと向かう。
「……」
そこには動く歩道のような、水平エスカレーターが延々と続いていた。
パシュン……!
クノがその領域に足をつけたと同時に、テレポートのように一息で終点へと到着。
賢者庁入り口前。
地下から飛び出したクノは中へと入り、2階へと駆け上がる。
突き当たりの部屋のドアを開けた。
途端に、暖かい空気と香ばしい豊かな匂いに包まれた。
* * *
「おかえりなさい」
任務から帰ってくる度の第一声。むしろこれを聞かないとスッキリしない。
鷹揚と落ち着いて、穏やかな凪の海のような安らぎの音。
「ただいま」
「おかえり、兄さん」
賢者庁の自室。
リビングの広いテーブル。
3人分並べられた、ピーマンや茄子、玉ねぎなどの野菜が沢山、半熟の目玉焼きがデーンと乗せられた、粉チーズ入りナポリタン。
そして、白いエプロン姿のベルウィンと、ピンクのエプロンを付けたシノが立っていた。
「たった今できたところだよ。
今日も自信作だから、先に食べてみて」
「いただきます。
ちょうど、お腹が空いていましたし」
即座に席についたクノ。
フォークで卵黄と麺を絡め取り、チーズと混ぜながら口に運ぶ。
5年半も食べてきた、ベルウィンが作る料理の味は……。
程よいケチャップの酸味に、卵のまろやかさが合わさった、バランスの良い味。
※個人の感想です。
ベルウィンの作る料理には、どんなメニューであろうと思わず顔を柔く緩ませてくれる温もりと慈しみという、唯一無二の魅惑的な隠し味があった。
※あくまで個人の感想です。
「今日も姉さんの美味しい料理が食べれて、幸せです。
あ、シノも手伝ったんですよね?」
「わたくしが来た時はもう殆ど終わってたから、ちょっと盛り付けをしただけ……」
(はにかむ我が妹は、相変わらず愛おしい)
「ありがとう、シノちゃん。
手伝ってくれるのはすっごく嬉しいし、一緒にいられて私も楽しいよ」
ベルウィンは、自身よりも身長が高いシノ(4歳年下)の頭を、よしよしと母親のように撫でていた。
賢者になってから5年半。
3人は毎日この部屋で、【家族】として一緒に生活している。
3人にとってこの空間が最大の日常であり、癒しであった。
「じゃあ、自信作はクノくんに好評だったということで……みんなで食べましょ!」
年月の経過と共に、ベルウィンの天真爛漫な振る舞いや言動が鳴りを潜めていき、彼女は明るくも落ち着いた性格へと成長していた。
* * *
3人が食事と入浴を終えて、明日の仕事のために就寝に入ろうとしたその時。
〈すまないな、夜分に〉
上司からの念話。
嫌なタイミングで、嫌な言い回し。
〈バグですか……?〉
〈正解だ、至急対策本部に来てくれ〉
予想通り、まもなくどこかの地域でバグが発生する。
クノとシノはすぐさま寝巻を脱ぎ捨て、戦闘装束と武器の支度に移る。
「……また、バグ?」
「はい、出撃しなければなりませんわ」
「なるべく早く片付けて戻ってきますので、ご心配なさらずに」
「早くなくてもいいよ。
その代わり……2人が守りたいものを守って。
それから、絶対に帰ってきてね。
いつも言ってることだけど」
ベルウィンは武器の点検をしているクノとシノに、毅然としつつも愛を感じる表情で言葉を返してくれた。
「「はい!」」
「いってらっしゃい!」
腕を掴むその手から感じる、慈愛と眩しい微笑みを受けて、クノとシノは送り出された。
* * *
「来たな来たな〜!
北の英雄もどき1号と2号!
何故、もどきであるか分かるか、え!?
僕こそが真の英雄になるからだ!!」
「夜中なのに元気ですね……。
僕は今やってるゲームも寝落ちしそうで、もう……」
ハイテンションとローテーションが出迎える。
ローテーションの観測士クリアは、まだギリギリなんとかなる。
ハイテンションの錬金術師ルードゥスと接する時は、額に青筋を浮かべることは5年経っても避けられない不変の事実。
「それで、バグの発生地域は?」
シノが努めて冷静に、賢者長官のハンディーに尋ねる。あの2人の私語に付き合ってはいられない。クノよりも、女性であるシノの方が不快に感じるようだ。
「クリア」
美しい容姿とは裏腹に意地の悪いハンディーは、自らは答えず顎でクリアを指した。
「……僕に言わせるんですかそれを……?」
「君の仕事だろう、発信するのは」
クリアの眼鏡越しの瞳と眉が垂れ下がり、いかにも不服そうな顔になった。
「………………はぁ……」
クリアはしばしの沈黙の後、口にかけたネックウォーマーの上からため息混じりに喋り始めた。
小さな吐息が眼鏡を曇らせて、彼の表情を覆い隠す。
「………時間は10分後……。
ラピッドタイプとマグヌスタイプが、それぞれ30体……。
場所は…………お二人にとっては辛いかもしれませんが……」
「「!?」」
最後の言葉で、その答えは容易に察せられた。
「アウェイ村……です……」
「「!」」
勿体ぶって出た言葉はやはり……。
2人にこびり付く、消す手段があったとしても、絶対に忘れずに残しておかなければならない記憶の反芻。
《人殺し》
「5年前にバグが現れてから、今日まであそこにバグの観測はありませんでした……。
……が……運命は残酷ですね……。
今からでも……他の人を当てることはできないのですか……?」
なぜだかクリアの様子が普段とは違った。
彼は他人の心情に気を回すような性格ではない。
だが、今はそんなことはどうでもいいし、曇った目と覆われた顔からはクリアの本音が読み取れない(元々読み取れないが)。
「全て周知だよ、君達のトラウマのことは。
だから這ってきたんだろう、我武者羅と?
自分達の戦う理由、原動力と昇華させて」
ハンディーは、クノとシノの前にヨタヨタと歩み寄って身を屈め、2人と目線を合わせて続けた。
「あの地に再度行って超えるしかないだろう、その苦しみから解放されたければ。
誰かに代わりを頼んで逃げるならば、一生君達はそのままだよ」
今回のクリアとは違い、ハンディーはいつも通り容赦がない。
しかし、薔薇の香りに乗せられたその言の葉には、こちらの肌をビリビリと刺激する熱い血が通っていた。
5年半でクノとシノが分かったこと。
まずハンディーは、本部の三人衆の中で一番外に出ない。仕事柄致し方ないのかもしれないが。
そして時々、核心をついた言葉や正論を胡散臭さがなく発言する。賢者になって2年目に突入した頃から見られるようになった。
この人も何を考えているのかよく分からないが、その点に関しては信用ができる。
「……分かっていますよ。
そんなことは――あの時からずっと……」
「ええ……。
定めた夢も、吐いた言葉も、刻まれた傷も、癒えない記憶も……全て背負って、わたくし達は今まで生きてきたのですから」
クノとシノは静かに、重く言い返す。
「あの村に、たかだか60のバグが発生したくらいで、ぼく達が塞ぎ込むとでも?」
「その心配も発破も杞憂ですわ!」
兄妹揃って口を緩ませて不敵に、真っ直ぐにハンディーを挑発。
「……ふっ、そうだな。
取り越し苦労だったようだ。
たまにはカッコつけてみたかったんだけどね、子供を導く大人らしく」
2人の気迫と心意気に、向こうも不敵な笑みで返し、そのまま手元のタブレットを操作する。
「ならもうできているだろう、準備はいつでも!
教えてやれ!
君達は人殺しではなく、人助けだと!」
「「はい!」」
ハンディーの手がタブレットの画面を勢いよくタップしたと同時に、兄妹の姿は司令室から消失。
アウェイ村へと一瞬の転送。
ハンディーの指でしか操作不能なタブレットによる、賢者の転送式。
「さぁ、チミ達!
今日も見せてもらうよ!
僕が何年もかけて、新たに開発した天啓コンボ――【相生の関係】と【プラトンの関係】を!」
本部の3人は相変わらずの性格。
しかし、皆は5年前の反省から、それぞれ何かが変化していた。




