1章14話 「消さない記憶」
「……」
「……」
クノとシノは、一軒の建物の前で足を止めた。
トントン……。
しじまの中に、残酷な程、軽く高い木の音が差し込む。
「……はい……?」
長い時を経て、すっかりとやつれきったか細い声の出迎え。
ゆっくりと、少しだけ開けられた扉。
「…………あなた達は……」
クノとシノを見た途端、目を見張り重々しい顔つきを向けてくる。
「すみません……」
クノはそれ以上言葉にできずに、押し黙る。
「えっと………………」
シノも同じだった。
「…………どうぞ……」
彼女――頬が老人のようにこけて白髪混じりになったモストおばさんは背を向けて、何も言えない2人をログハウスへと招き入れた。
* * *
「2週間前……アルシンとファムが村から出て行ったの……。
私の部屋に手紙だけ残して……」
以前にも入った、モストおばさんのログハウス。
おばさんは絞り出すような声で語り始めた。
「…………手紙ですか……」
クノとシノは木製の丸イスに座って、彼女の話を聞く。
「ええ……賢者になってみんなの役に立ち、今までの恩返しをしたいと綴ってあった……。
アルシンとファム、あの子達のそれぞれの字で書かれたメッセージも添えていて……」
「「!!」」
「手紙を見つけた後、すぐに村中を探したわ。
でも、どこにもいなかった……。
村のみんなで捜索届けを出したり、政府に問い合わせたりもした……だけど、全てが無駄に終わった……。
あの子達の痕跡を必死に調べると、村の駅からハウモニシティ行きの電車に乗車していたことが分かって、2人はあそこに行っていることは確かだった……。
それなのに、それ以降の足取りが全く掴めないの。
目撃情報も何一つなく、最初からあの子達がいなかったかのように……」
クノとシノの全身は冷たく濡れていた。
震える。
息が乱れる。
寒い。
心に大きな穴が空いた。
頭が崩壊して溶けていく。
2人がここに来た理由――ハウモニシティでのバグ大量発生事件の死亡者の中に、アルシンとファムの名前があったからだ。
話によると、遺体すら残っていない無残よりも酷い状態だったようだ。
彼らがバグの攻撃で死亡したと思われる位置には、アウェイ村の住人であることを示す身分証が入った財布が落ちていたらしい……。
おばさんのこの様子を見る限り、本当は全部把握しているに違いない。
彼女にも、その訃報や現場の詳細は届けられているのは確実なのだから……。
だから。
「大変……申し訳ありませんでした……」
これ以上聞く前に言うしかないと思った。
シノも同時に頭を下げてくれる。
「……どうして……あなた方が謝るのですか?」
おばさんは戸惑った表情を浮かべている。
「わたくし達がこの村に来たあの日……お二人から賢者に加わりたいという話を受けました……」
「!」
シノの言葉を聞いた途端、おばさんはしゃくり上げる声と共に、愕然とした目を露わにする。
「ぼく達は、お二人は村の皆さんと平和に暮らすべきだと反対し、そのまま別れました……。
ですが、」
相手は知りたがっている。
言わなければならない。
「……その時に発したぼくの言葉が、アルシンさんとファムさんを返って焚きつけてしまっていたのです……。
そうとは知らずに諦めただろうと勝手に解釈して……」
「……!」
おばさんは体を震わせて俯いた。
《実力があるのならば、防衛省は賢者の加入を認めてくれるとは思います》
賢者になることは終始にわたって拒絶はした。
けれども、確かに自分はそうも言った。
長く語った中でのそのたった一言が、それでも夢を諦めないと彼らに与えてしまった隙だったのだ。
その結果――アルシンとファムは、賢者になるためにハウモニシティに行き、運悪く発生した大量のバグに襲われて……。
「やっぱり……あなた達が……」
「?」
低い呻き声は、数多の魑魅魍魎を凌駕するおぞましさを纏っていた。
「確かにアルシンは、バグが現れたあの日も勝手に飛び出した。
でもね、賢者になりたいなんてまでは言う子じゃなかった!
それに、ファムまで賢者を希望するはずないわ!
あなた達が誘ったんでしょう!
同い年のあの子達を誘惑して!
そうじゃないかって、ずっと思ってた!」
刹那、身がすくみそうになったクノとシノ。
2人に雪崩のように怒涛に流れ続けるのは、久々に聞いた人間の罵倒。
しかし、そのような発言をする人間は決まって、利己的で汚い大人ばかりだった。
けれども、今回は違う。発言者の人格がそのようなものではないのは身に沁みて知っている。
「違いますわ!
わたくし達は賢者になるまでと、なってからの過酷さを説いて反対し続けましたわ!
第一、新米のわたくし達に勧誘なんてこと――」
「だったら、これは何!?」
弁明するシノの前に、おばさんは後ろ手から1枚の紙を突き出した。
「「!?」」
バグ概論と天啓~二つの因果関係とは? (地域の皆さま用)などと、見出しに書かれていた。ルードゥスが大衆向けに作成したものだ。
「あの子達の手がかりを知るために血眼に調べた。
……部屋のパソコンを覗いたら、こんな物が出てきた!
こういう紙が、何枚も、何枚も!」
おばさんは更に、机に乗っかっていた紙の山をこちらに向かって投げつけてきた。
「これは……」
2人の顔面にぶつけられた紙の束は、ヒラヒラと床にゆっくり降下する。
賢者全体のホームページ。
ある賢者へのインタビュー。
天啓のプレゼン文章。
バグの情報。
ハウモニシティの案内。
駅のきっぷ明細。
全て、アルシンとファムが部屋のパソコンからかき集めて印刷し、自分達の資料にしていたのだろう。
「あなた達が送ったんでしょう!?
賢者に憧れるように誘惑して!」
「知りませんわ、このような資料!」
紙に書かれている内容は、簡単にネットで入手できるような情報ばかり。本職の人間がやったのなら、もっと専門的で現実的な厳しい内容のものを送信するはず。少なくとも、クノとシノならそうするだろう。
「人殺し!」
「「…………!!」」
これまでの人生で聞いた中で、最も重く響く言の葉だった。
「あなた達がアルシンとファムを殺したのよ!」
そこにいたのは、2人にスープを振る舞ってくれたおばさんでも、アルシンとファムに愛情を注いでいたおばさんでもなかった。
(武器と呼ばれたぼく達は……人を殺すことしかできない……)
「返して!
2人を返して!
カエシテヨ……カエシナサイヨォォォォ!!」
鬼の目をした怪物が迫ってくる。
「!?!?」
「シノ……!!」
その手に握られていたのは……包丁。
反対の手には……伐採用の斧。
武器には武器。
怪物には怪物。
ブシャアアアアアアアッッッッ!!
天井に飛び散った、真新しい紅。
壁に大きく走る、狂気の爪痕。
床にトクトクとできていく水溜まりの中心で、倒れる影。
* * *
精神の底の底まで打ちのめされたクノとシノは、ハウモニシティを力無く歩き続ける。
(ぼくは……あの2人に、どんな言い方をすればよかったんだ……。
どうすれば止められたんだ……。
どうすれば防げたんだ……。
ぼくがあの時、くだらない嫉妬をしたせいなのか……?
どうすればあのバグに勝てた……?
武器さえ装備していれば勝てたのか……?)
周りを見渡しても答えは出ない。
瓦礫と化した建物の山。
折れて道を塞ぐ大木のような電柱。
分断されて向こう側に渡れない道路。
地面に転がっている笑顔の猫のオブジェ。
クノは虚ろの眼で、ふと上を見上げた。
「雪……そして雲に空……お日様……」
「兄さん?」
目の前に広がるのは、弱く惨めで無知な自分が映した光景。
(もうこの景色を見るのは終わりだ。
これが最初で最後に見る空にする。
二度と誰も殺さない。
二度と誰も傷つけない。
一片の曇りも、濁りも、翳りも、暗さもない、澄み切った青空を映し続けてみせる)
* * *
「兄さん……1人で抱え込まないで」
賢者庁の前にまで辿り着いた時、シノが声をかけてきた。
「シノ――」
その先に出そうとした言葉は、彼女の優しく押し当てられた人差し指に止められた。
「兄さんが何を思っているのか、何に苦しんでいるのか……全部わたくしにはお見通し。
そんなに1人で考え過ぎていたら……兄さんがわたくしよりも先に壊れてしまう」
いつになく凛とした瞳。
「わたくし達は家族……いつも怯えていたわたくしを兄さんはいつも守ってくれていた……。
だから、わたくしは兄さんの苦しみを壊したい……。
その苦しみを……壊して、殺して、消してあげたい」
シノはクノの肩に寄り添い、すうっと息を吸って、
「笑っているあなたと、ずっと一緒にいたい」
クノはシノの言葉に答えるように、柔らかな綻びを向けた。
「「………………」」
しばしの沈黙と瞑目で語り合い。
お互いのかじかむ唇が、暖かい温度をもって生気を注いでいく。
そっと2人は、唇を離す。
「……すみませんでした。
二度とこのような悲劇を起こさないように……ぼくとシノ、2人でまた最初から、勉強と訓練のやり直しですね」
「うん!」
笑顔を再び交わして抱き合うクノとシノに、
「2人じゃないよ」
「「!?」」
前方から馴染みのある声がした。
「わたしもいるよ、クノくん、シノちゃん」
「「姉さん」」
熱ってモジモジとはにかんだベルウィンが、入口の影から顔を出した。
「それに賢者には他にも仲間がいる。
やり直すのなら、みんなでやり直そう。
平和な世界にするために」
クノとシノは差し出された細い腕を取り、手を重ね気持ちを1つに合わせる。
2人の顔を見ても、ベルウィンは深く聞いてこなかった。
(そうだ、ここからが再スタートだ。
ぼく達の賢者での新生活。
バグのいない世界。
人を、家族を守る夢……全て叶えてみせる)
雪の結晶の形を描いて重なり合う3人の手は、儚く美しく輝いて。
「おかえりなさい。
クノくん、シノちゃん」




