一番生きていてほしかった
年末にやる、今年あった事件を振り返る番組のように。
高白さんは、ぽんぽんと、俺でも知っているニュースを挙げていった。
中東の国の富豪が、日本から帰ってきた夜に、自国で殺された事件。野党政治家が、暴力団の組員に殺されそうになった事件。日本を代表する大企業の価格カルテルに、インサイダー取引、ライバル会社への技術漏洩。
「それがぜーんぶ、雪桐事件に集約される……と、俺は考えている」
「…………はぁ」
俺は、そう答えるしかできなかった。一気に情報を流し込まれて、混乱していた。
「その決定的証拠を、雪桐紅子は握っていた。だから殺された。俺はそう結論づけた」
「雪桐は、ただの作家ですよ? 一作家にそんなことができるわけない」
そう言うと、高白さんは、変な顔をした。「こいつ、何を言っているんだ?」というように。
「彼女は、大物実業家・味村等尊の曾孫だぞ」
「味村等尊?」
そんな名前、聞いたことがない。俺が首を捻ると、高白さんは、「まあ、俺も芸能担当から移るまで知らなかったからな」と呟いた。
「味村っていうのは、戦後の日本を陰から操っていた右翼活動家だ。今は死んじまったが、あの男の息のかかった企業や団体は、まだ存在する」
「なんだか、陰謀論みたいな話ですね」
「その陰謀論が真実だったせいで、君まで死ぬことになったんだよ、草葉久道君。ま、俺もだけど」
自虐を込めて、高白さんは笑っていた。
「とにかく、雪桐紅子は、その特殊な立場によって、富豪の殺人事件や、カルテルが、裏で繋がっていたことを知ってしまった。それで殺された。それが、雪桐事件の真実だよ」
「ちょっと待ってください」
規模のでかい話を飲み込めないのもあるが、俺には、腑に落ちないことがある。
「雪桐が、それを知ってたのなら、むざむざホテルまで殺されに行くわけないでしょ?」
雪桐が殺されてから、俺は、それこそ、週刊誌から何までを買って読み漁った。家に溜めていた週刊誌とか、パソコンの検索記録とかが仇になって、やつらに雪桐の関係者だと特定されてしまったんだが、まあそれは良い。
ホテルのそばの監視カメラには、自らホテルまで歩いていく雪桐が記録されていた。これは、ネットニュースのカラー写真にも、週刊誌の鮮明じゃないモノクロ写真にも、通行人の証言でも証明されていることだ。
「ホテルで殺されるなんて、それこそサスペンスドラマの定石だし、誰かに脅されてだとしても、賢い雪桐がそんなことするはずがない」
雪桐紅子は、馬鹿じゃない。俺には、実業家とか、右翼とかはよくわからないが、あの雪桐が、自分から殺されに行くなんてことは、信じられなかった。
だが。
高白さんは、静かに俺を見据えたのみ。
「だから、君にメッセージを残したんだろ。死ぬことをわかっていたから、君に。俺はこう思うんだ、彼女は賢いからこそ、逃げられないと悟っていた。だから、一番信頼できる人物に託したんだ。今度は君が教えてくれよ、草葉久道君。雪桐紅子は、君に、何を託したのか」
「それは……」
何回も、何回も、何回も。あの男たちに、訊かれたことだ。あの男たちは恐れていた。雪桐が握っていた何らかのものが、明るみに出るのを。
だから、俺はギリギリまで殺されなかった。やつらは何としても、雪桐の遺した情報を、俺から引き出さなければいけなかったからだ。
俺の死因は、経管栄養中の窒息死だ。舌を噛むことすら許されなかった。
雪桐の伝言を話そうとすると、動悸がした。絶対に話してはいけないと、前世で自分に呪いをかけたからだ。思い込みというのは、とてつもない力を発揮する。
俺は、ようやく、舌を震わせながら、ゆっくりと答えた。
「“二人で遊んだ海は楽しかったね”、です。でも、俺は、雪桐とは中学で初めて会って、海で遊んだ覚えはないんです」
「ということは、雪桐紅子と海で会ったことがある人物が、秘密を握っている?」
「そうだと思います。雪桐からは、そんな話を聞いた覚えはないんですけど」
「何かの暗号だという説もあるな」
「遊び心がある奴だったので、そうかもしれませんね」
それを託されながら、俺は、雪桐の暗号を解けなかったわけだ。
しばらく考えていた様子の高白さんは、「ところで」と呟いた。
「これは、彼女には共有しなくて良いのか?」
高白さんが言う彼女とは、ミリィ先輩のことだ。彼女は今、“理解者”である教授と話し中のはずだ。丁度良い機会だと思い、ミリィ先輩の部室で、俺と高白さんは、二人きりでその話をしている。
俺は、頷いた。
「ミリィ先輩は、巻き込みたくありません。彼女は、雪桐の著書のファンであって、普通の人です。っていうと、なんか、俺も普通じゃないように聞こえますけど」
「ああ。全然、普通じゃないと思うよ」
「そこは、肯定してほしくなかったんですけど」
俺が苦笑いしていると。
「知っているかい、草葉君。雪桐紅子の関係者は、皆、悲惨な運命を辿っているんだ。運転中の交通事故死に、不運な落下事故、服毒自殺まである」
「あいつらがやりそうなことですね」
俺は、あいつらの身元を何一つ知らなかったが、高白さんの言っていることを信じるとすれば、あいつらは、人を自殺に見せかけて、あるいは事故に見せかけて殺すことなんて、朝飯前ということになる。
俺が皮肉げに笑っても、高白さんは、真面目な顔を崩さない。
「だから君は、普通じゃないんだ。さっきは一番信頼できる人物と言ったが、ただしくは……雪桐紅子が、一番死んでほしくなかった人物なんだよ」
「…………」
愕然とした。
「彼女は、いずれ君が特定されることをわかっていた。だから、彼らを牽制したんだ。“草葉久道は、私が仕掛けた爆弾の在処を知っている”とか、なんとか言ってね。だから、君は殺されなかった。最後まで、彼らは君を殺せなかった。彼らはとても慎重だ、彼らの犯罪の証拠を、何一つとして残すことは許されなかった。草葉君」
「はい」
「これが、雪桐事件の真実だよ。君は、雪桐紅子に、生きてほしいと思われていたんだ」
「……はい」
「俺が、君の前に現れたのは、諦めさせるため。どうか、雪桐紅子の意志を継いで、この世界で、クーシュルト・ルーサーとして生きてほしい」
「それは」
俺が何か言おうとするのを、高白さんは、手で制止した。
「異世界転生なんてものができたんだ。前世のことなんて、忘れるべきだと、俺は思う」
「じゃあ、なんで俺の前に現れたんですか」
「草葉久道を成仏させるため。謎を抱えたまま死んだ大学生に、どうして自分が死ななければならなかったのかを教えるためだ」
高白さんの瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。
「正直言って、俺もどうしていいかわからなかった。だけど、雪桐紅子の遺志を尊重するとしたら、この方法しかない」
「雪桐を殺した人間が、転生しているかもしれないのに、指を咥えて見てろって言うんですか」
「彼も奴らの駒に過ぎない。彼に復讐したって、根本的な解決にはならない。第一、彼がここに転生しているかどうかもわからない」
「そんなの、わかってんですよ!!」
俺は、拳を握りしめながら叫んだ。
「でも、そうしたら……っ、俺は、あんたは、なんでこんな記憶を持って生まれなければならなかったんですか!? 神様からの罰ゲームですか!?」
復讐相手は、現代の日本でのうのうと生きている。雪桐を殺した人間は、この世界にいないかもしれない。
「……すみません、高白さんに当たっても、なんにもならないのに」
「いや」
高白さんは、しばらく顔を伏せていた。何かを考え込むような沈黙が続いた後、そっと顔を上げて、口を開く。
「ひとつ、良いことを教えてやる」
鉛を流し込まれたかのように、その口調は、ひどく重い。不本意さがまとわりついている。
「俺の誕生日……つまり、レイド・フォールの誕生日は、十二月二十四日。そして、高白京也の命日は、おそらく同日。前世での命日と、今世での誕生日は一致している。そして、君と俺が同年代だということを鑑みれば」
雪桐紅子を殺した人物は、八月二十日生まれの、同じ年頃の人間ということになる。