いちかばちかの情報開示
茹だるような暑さが続いていた。
エアコンと扇風機を最大限稼働させて、それでも蝉の鳴き声がうるさい、そんな日だった。
けれど、俺の耳がそれらの音を捉えるのは、ずっと後のことだ。
『ここで臨時ニュースです。都内のホテルで発見された女性の遺体は、人気小説家の雪桐紅子さんでーー』
原稿を読み上げるアナウンサーの声ではない。俺の耳の奥でこだましているのは、数日前の彼女の言葉だ。
『ごめんね、巻き込んで』
知らない番号からかかってきた電話だった。だが、声ですぐに彼女、雪桐だとわかった。挙動不審になる俺に、彼女は落ち着いて、くすりと笑って。
それから、雪桐は殺された。犯人と報道された男は、連行されながらにやりと笑っていて、それがネットの玩具になった。心神喪失、責任無能力……そんな言葉さえ踊った。
だから、犯人が獄中で自殺した時、世間は納得をした。
他人の命と自分の命の境界線が存在しない人間はたまにいる。雪桐は、頭がおかしい犯人の自殺に巻き込まれた可哀想な被害者という枠組みになってしまった。
当初は“人気小説家”と言われていたが、実は彼女はライトノベル作家だった。
売れるものが売れる一方で、売れないものはとことん売れないこの時代。人気小説家といえば発行部数百万部、そんな概念を持っている世間の人間は、最初はこの肩書きに食いついたが、次第に興味を無くしていった。メディアで彼女の本の表紙が映るたびに、ネットでは晒しとか、共感性羞恥とかいう言葉が飛び交った。
……ふざけるなよ。
雪桐は、夢を叶えた立派な人間だ。殺されただけで、殺されたのに、どうしてこんなに酷い言われようをしなければいけないんだ。
そんな鬱屈とした思いを抱えて、俺は日々を過ごし。
……運命の、インターホンが鳴った。
そんなわけで、俺は死んでしまったのである。
死んでしまったが、最後まであいつらが知りたかった秘密を隠し通したので、チートでハーレムなスローライフを送ろうと思っていたのに。
「あいつがあんなことを言ったせいで……」
宝石を物色しながら、俺はぼやいた。店主は何も言わない。これは、そういう店だからだ。
魔法使いは夜に生きる。
そう言ったのは誰だったか知らないが、俺がきている闇市は、まさにそれを体現している。
これは、魔法使いの闇の部分。ここには、浅い闇から深い闇までが横たわっている。廃人になったり、体の一部が消えたり(捧げたり)、ちょっと切り傷ができたりする代物がたくさん売っているのだ。
俺が夜の王都にいたのは、何も下半身変態野郎に会いに行ったのではなく、この闇市が目当てだったのだ。
この闇市は、ミリィ先輩に教えてもらった。ついでに、諸事情で学院から出られない先輩には、おつかいを頼まれている。ていうか、そのために教えたのだろう、先輩は。
俺は、悩みに悩んで、手に持っていた赤燈石を戻した。先に、ミリィ先輩のおつかいを済ませてしまおう。
ホワイティー・ハイは、煽るだけ煽って、真実を教えてくれなかった。だが、ヒントは与えてくれた。
俺の他にも、転生した人間がいる。
……つまり、あいつも転生している可能性があるってことだ。
ミリィ先輩のおつかいを済ませた俺は、今度こそ、魔道具の物色にかかった。けれど、集中することができない。
ホワイティー・ハイが示した可能性。転生したのは俺だけじゃない。雪桐を殺した犯人も、もしかしたら、転生しているかもしれないのだ。
それをどうやって割り出したらいい?
そもそも、ホワイティー・ハイは、俺のことをどうやって割り出した?
どうして俺の正体を知っているはずなのに、ホワイティー・ハイは真実をすぐに教えてくれなかったんだ?
疑問は尽きない。途切れに途切れた集中力で、俺はやっと、一つの魔道具を選び出した。
……だけど、一つわかったことがある。
俺がするべきは、雪桐を殺した犯人の転生を探すことではなく、ホワイティー・ハイを探すこと。それから、どうにかして、雪桐が殺された理由を、雪桐が俺に託した言葉の意味を知ることである。
そうすればきっと、雪桐も、俺も、成仏できるだろうから…………ん?
「ていうか、雪桐ってもしかして」
ミリィ・レスタドーマは、原作のラノベでは、マッドサイエンティストだった。常に白衣を着ていて、そんなところも先輩にそっくりだ。
「先輩、お聞きしたいんですけど」
「なんだい?」
“土産”を手にほくほくしているミリィ先輩に、俺は、
「先輩は、実は転生者ではないですか!?」
雪桐のラノベの登場人物を名乗っている先輩は、雪桐本人なのではないだろうか、というのが俺の考え。
これで違ったら赤っ恥だし、危険な行為だ。先輩が転生者であったとして、あいつらの側だったりしたら? 俺はもっと、慎重にならなければいけないのではないだろうか?
……あの変態みたいに。
と、考えたところで、俺はなぜ、ホワイティー・ハイが全てを喋らなかったかを理解した。
そうか、アイツも、自信がなかったんだ。
だから、俺を試した。意味深なことを言って、俺の反応を見た。それでもわからなかったから、姿を消した。あの時俺が、決定的な、草葉久道である証明をしていれば、もっと多くのことを教えてくれたんだろう。
「じ、実は俺、前の世界で、草葉久道という名前で生きていて……わけあってこの世界で生まれ変わったんですけど、とある事件を追っていて……」
だから、馬鹿な俺は、直球勝負するしかなかった。一歩間違えたらゲームオーバー。ああ、これはゲームじゃなかったっけ。
すると、どうだろう。ゆったりと構えていたミリィ先輩は、途端に“土産”をわたわたとお手玉しはじめた。明らかな動揺。
「あ、あのっ、もしかして読んでました? 『落ちこぼれ魔術師の学園改革』……?」
ん? なんか、反応違くない? 俺が頷くと、ミリィ先輩は、頬に手をあてて。
「わ、私、あの、べにこ先生のファンで、新刊は二冊買う主義で! せっかく異世界に生まれ変わったんだし、憧れのミリィちゃんコスしながら、ミリィちゃんごっこしてみようかなーって思いまして」
「あ、ああ、そうなんだ……」
違った、雪桐のファンだった。湧き上がる彼女に、俺はほっとしたような、残念なような気持ちになった。そりゃそうだよね、都合よく、事件関係者だけが転生しているわけではないか。
「それにしても、クーシュルト君? でしたっけ? 草葉さんって呼んだ方が良いかな? あんまり、前世のことは喋らない方が良いですよ」
「? どうしてだ?」
「さっき、草葉さんが言ってたでしょ? とある事件って。それって、べにこ先生が殺された事件でしょ?」
彼女の声は、普段よりむしろ高かった。それなのに、俺の背筋をぞっとさせた。
「殺されますよ、草葉さんも」
「まさか、君も」
「ええ、私も、彼らに殺された人間の一人です……なーんてっ! 階段から落ちて打ち所が悪くて死んじゃっただけなんですけど」
「それは、ひどい死に方だね」
「誰も加害者がいなくて良かったです。強いて言うなら階段かな……神妙な顔されちゃってる。殺されるっていうのは真実で」
とん、と。雪桐のファンを名乗る女性は、俺の胸を指で突いた。ゆっくりと、目を細める。
「草葉さんみたいに、前世の魂が残ってる人間は、生徒会に連れて行かれちゃいますよ?」