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将棋千一夜  作者: 秋月しろう
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第十二夜 約束

「将棋千一夜」は30数年前、いやもう40年近くも前になるだろうか、私が職場の将棋部に所属していた頃、会報に連載していたショートショートである。今から思えば、よくもこんなものを書いて、会報に載せてもらえたものだと恥じ入るばかりである。「十五夜」まで書いて頓挫している。今更このサイトに載せるのは……と、躊躇したが、思い切ってアップすることにした。将棋を前提としたものなので、おそらく読む人も少ないだろうし、このサイトのほんの片隅に人知れずちょこんとその席をもらっておいても、特に叱られることもないかと、安直な思想でもって投稿することにしたのである。私も(とし)をとり、人生の第四コーナーを目の前にして、何か自分の書いたものを残しておきたいという気持ちが起こったのかも知れない。若書きの下手な文章ではあるが、その頃一生懸命書いたことを思い出した。


今回は祇園祭に因んで「第十二夜 約束」をアップする。

なお、「第十五夜 負け歩」だけは既に投稿済みである。




             第十二夜 約束



 祇園祭の宵山は想像していた以上に人で溢れかえっていた。久美子達がいる四条烏丸のあたりなど、道路にびっしり人が詰まって、ほとんど身動きの取れない状態だった。

 女達は一様に浴衣姿で手に団扇を携えている。久美子も紺地に小さく朝顔をあしらった浴衣を着、帯に扇子を挿した恰好でその人並みの中にいた。

「やっぱり、すごい人ですね」

 勝彦は久美子の手をつかまえて真面目な顔で言った。真面目な顔つきと、している動作がアンバランスのように思えたが、それがまた彼の良さに通じているようにも思え、久美子は自然に手を預けたままにしていた。実際、手をつかまえていてもらわないと、予想もしない方向からの人波に押し流され、はぐれてしまいそうになる。

 強い力で押されるたびにどうしても指先に力が入ってしまう。そんな時、勝彦もそれに応えるかのように、そのつど久美子の手を強く握り返した。

『この人とならうまくやって行けるのではないか』

 身体を小突かれるようにして流されながら、久美子はぼんやりと考えていた。


 久美子が叔父の勧めで林 勝彦と見合いをしたのは一カ月前のことだった。美男子には大分距離はあるが、がっしりとした体躯と誠実そうな人柄は好印象を与えるものがあった。

 幼い時に父を亡くし、妹と二人、母の手で育てられた彼女は、叔父の援助もあって、京都の大学へ進み、卒業した後、製薬会社へ就職した。

 二十九才まで独り身を通したのは何とか自分の力で、妹を大学に入れてやりたかったからである。二十五を越えてから折に触れ、叔父から見合いの話が持ち出されたが、久美子はいつもそう言って、相手と会うことすら拒み続けてきた。確かにそれが一番大きな理由だった。自分だけ叔父の援助を受けて大学に行かせてもらうというのはどこかしら罪を背負っている思いがしていた。妹には叔父の援助を受けずに自分と同じように大学まで進学させてやりたかった。

 しかし、そうは言いながらも久美子は自分でもどこか引っ掛かるものを感じていた。その理由(わけ)は分かっているのだが、人に話すと笑われそうで、どうしても言い出せなかった。



「俺、久美子と結婚するぞ。そう決めたんだ」

 鴨川の土手に腰を下ろし、雄一は星の少ない空を見上げながら、しかし、はっきりと久美子の耳に届く声で言った。久美子は何も答えず、ただじっと暗闇に流れる川を眺めていた。

 久美子より一回生上で法学部に在籍していた雄一は、学生運動に大学生活の大半を費やしていた。政治のことはよく分からなかったが、久美子はそれを語る時の彼の熱っぽい目に、自分にはない何かを見いだせるようで、どこかしら心惹かれるものを感じていた。雄一も自分とは違った世界に住みながらも、自分という人間を理解してくれていると感じていたのだろう、言葉はやや乱暴だが、久美子にはいつも優しかった。

 しばらくの間黙り合っていただろうか。と、突然雄一が話し掛けた。

「久美子は処女だろう」

 その言葉に、思わず久美子は雄一の方を振り返った。暗闇でなければきっと顔を赤らめているのを悟られたに違いない。しかし、そんなことはおかまいなく雄一は続けた。

「俺なぁ、これでも専門誌ではちょっとは有名な詰将棋作家でなぁ、こんなもん作ってみたんだ」

 そう言って、紙切れを三枚、ポケットから出してきた。

 久美子は雄一の趣味が将棋だということは知っていた。しかし、将棋は全く知らなかったし、まして、詰将棋というものがどんなものか、想像さえできなかった。

「今日は七夕だろう。これ、やるよ」

 七夕の日にプレゼントを贈る習慣があったのかどうか。しかし、久美子は素直に手を出した。雄一からプレゼントをもらうのはこれが初めてだった。紙には詰将棋が描かれてあった。

「これなぁ、曲詰って言ってなぁ、これを詰め上げると字が出て来るんだ。三つ詰ますと『ク』『ミ』『コ』って出るんだ」

 言いながら、雄一は宙に人差し指でクミコと書いた。

「ただな、もう一つ工夫がしてあってな、詰まされる玉将は絶対最後まで攻め方の駒には直接触れないようになってる。だから、王手は飛車、角、桂、香でしかできない。もちろん詰め上がりもそうだ。俺はこれを『処女玉』と名付けたんだ。恐らくこの趣向は今まで無かったと思う。

 雄一はそう言ってから少し間を置いて、

「ただ、久美子が処女でなかったらこの構想は根底から崩れるけどな」

 と、手を鼻にやりながら照れたように笑った。

 久美子は詰将棋のことは説明されてもどういうことなのかよく分からなかったが、彼が自分のために何かを作ってくれたということが非常にうれしかった。

「でもな、もし、……」

 雄一は急に真面目な声なった。

「もしも仮に、久美子が俺以外の男と結婚するようなことになれば、その時は、この詰将棋、鴨川に流してくれよな」

 二人の間に沈黙が流れた。遠くで花火の音が聞こえた。


 雄一はその後しばらくして大学を中退した。活動のため東京へ行ったという話は彼の友人から聞かされた。雄一からはそれ以降何の連絡もなかった。彼が共に学生運動をしていた女性と結婚し、東京で暮らしているという噂を耳にしたのはつい去年のことだった。



「ちょっと待ってて」

 久美子は勝彦を三条大橋のたもとで待たせると、自分だけ鴨川の土手に降りた。土手にもまだ人は沢山いたが、それでも何とか川辺に場所を見つけた。

 佇んで、しばらく川の流れを見ていたが、やがて朱色の帯の下から三枚の紙切れを取り出すと、それをそっと川面に浮かべた。暗い流れの中、白い紙片は幾度か久美子の視線にとらえられたが、やがてゆっくりと、もっと暗い闇の中へと運ばれて行った。

 どこか遠くで、花火の音が聞こえたような気がした。



                (了)


今となっては、この内容は既に時代後れとなっている。時代は変わっていると実感せざるを得ない。

この中に出て来る詰将棋の趣向は果たして本当に創作可能なのかと思ったりするが、まったく可能性0とは言えないのではと、自分勝手に作り上げたものである。


この「約束」を書き上げた時、編集委員長から「まるで少女小説だな」と酷評されたことは覚えている。まぁ、でも載せてもらえた、そのうれしさの方が勝っていたと記憶している。




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