手続き 二日目
翌日昼前に牢から出されたグレートデンは、騎士により騒ぎを起こさぬよう何度も説教をされて釈放された。
地下から階段を上がり、平民の出入りする区画へと戻ったグレートデンは番号札に文鎮が乗っていない事を確認して番号札を取った。
腐っても元王子である。昨日の失敗を今日も繰り返すような事はしなかった。
「893番の方」
グレートデンが持つ番号札の番号が呼ばれた。丸一日を無駄にしたグレートデンにとって、この瞬間は感動すら覚える瞬間であった。
「婚約破棄の手続きを頼む」
番号札を渡し、手続きを頼むグレートデン。これで厄介な仕事も終わるかと思うと、感慨深いものがあった。
「では、申請書を提出して下さい。……用意されていないのですか?」
固まったグレートデンを見て、必要な書類が用意されていないと悟る職員。脇の引き出しから一枚の紙を出して説明を開始した。
「所定の箇所に記入して、提出して下さい。署名の欄はご本人にお願いします。婚約届けと付き合わせて確認しますので、代筆は無効となりますよ」
署名の欄は、男女双方が用意されていた。これが意味するのは、この場で婚約破棄の手続きは終わらないということである。なにせ、コリーの自筆の署名が必要なのだ。
「この場には俺しか居ないのだ。何とか俺の署名だけで……」
「なりません。相応の理由もなしに、特例は認められません」
因みに、本人が意識を失くして回復しないとか腕を失ったとか死亡した等の理由で片方の署名無しで受理される場合もある。しかし、この場合は単なるグレートデンの我が儘な為決して受理される事はないのだ。
「そこを何とか……」
「しつこいですね。これ以上は業務妨害とみなして……」
職員が騎士を呼ぶと感じたグレートデンは、脱兎の如く駆けて城から逃げ出した。その手にはしっかりと婚約破棄の申請書が握られていた。
馬車の待機場で乗ってきた馬車を探したグレートデンは、馭者に散々文句を言われながらアメショー公爵家を目指した。申請書にコリーの署名を書かせ、明日の朝一番で手続きをするためである。
「止まれ、それ以上進む事は許さぬ!」
「グレートデンだ。コリーに用があって来た。さっさと通せ!」
門の両脇に居た騎士が、ハルバートを交差させて馬車の侵入を阻んだ。それに対してグレートデンは、馬車の窓から顔を出して通すように要求した。
「平民の訪問など、本日の予定に入っておらぬ。訪問のアポイントを取って出直すがよかろう」
元王子と知りながら、一介の平民として扱う騎士たち。仕える主家に忠誠を誓う彼らにとって、その愛娘に冤罪を擦り付け罪に問おうとした元王族など即座に切り捨てても構わない……いや、即座に切り捨てるべき存在であった。
しかそ、それを行えばアメショー公爵家に過失が生まれるため、我慢しているだけなのであった。
「コリーに用があるから来ているのだ。この書類にコリーの署名を書かせぬと、正式な婚約破棄が出来ぬのだ」
「ならば、その書類をこちらで預かろう。ご当主様にお伺いし、必要があるならばコリー様に署名をして頂く。また後日来るがよい」
大事な主人やその愛娘に、バカな婚約破棄など行った愚か者を会わすなど言語道断。しかし、婚約破棄の書類への署名をせぬ事にはその愚か者が婚約者のままになる。
悩んだ騎士が出した結論は、書類を預かる事で書類への署名をしてもらうがグレートデンには会わせないという方法であった。
「ぐっ、わかった。ではまた明日出直して来るとしよう」
書類を騎士に手渡したグレートデンは大人しくミケ元男爵家へと帰っていった。
「お帰りなさい、グレートデン。昨夜はどうしたのよ!」
「城の者に嵌められてな。捕まって地下牢に入れられたのだ。きっとコリーの嫌がらせに違いない」
リビングに落ち着いたグレートデンは、昨日の体験をグレートデンの主観に基づいてマラミュートに話した。その内容は真実とはかけ離れた内容となっていたが、話しているうちにグレートデンもそれが真実だと思い込むようになっていた。
「そんな卑劣な意地悪をするなんて……」
「なのにコリーの署名が必要というのは癪に障る話だな。だが、これをやらねば公爵になれぬ。ここは我慢せねば」
手続きを終えたとしても公爵になどなれないのだが、ここにはそれを指摘する者は誰もいなかった。
こうして庶民に堕ちたグレートデンの二日目は終わる。公爵になるという、実現しない夢が覚めないままに。