一日目 午後
「わ、わかった。では、平民用の窓口とはどこにあるのだ?」
ここで騒げばまた騎士に囲まれると学習したグレートデンは、大人しく平民用の窓口の場所を問うた。
「平民用の窓口はここから……」
問われた男性は、事務的に淡々と平民用の窓口への道を語る。それを聞いたグレートデンは、再びその場に崩れ落ちた。その場所とは、城に入ってすぐの場所だったからである。
聞くに耐えない暴言を吐きながらも来た道を戻るグレートデン。尽きた気力を無理矢理捻りだし、動かぬ足を騙し騙し前へと動かす。
「へ、平民用の婚約破棄手続きの窓口は……」
「そこの窓口です」
元の入り口へと戻ったグレートデンは、教わった窓口で番号札を取りに行く。貴族用の番号札と違い、平民用の番号札置き場には札の上に文鎮のような物が置いてあったが、グレートデンは気にせずに番号札を取った。
「くそっ、こんな面倒な事を何故俺がやらねばならぬのだ。いや、マラミュートとの結婚の手続きの予行と思えば……いやいや、結婚の際は俺は公爵だ。自分でやる必要はない」
手近な椅子に座り、ブツブツと呟くグレートデン。不気味なその姿に、居合わせた人々は一斉に距離を取った。
「お母さん、へんなおじちゃんが居るよ」
「これっ、見てはいけません!」
ちょこんと狐耳を頭に乗せた狐獣人の少女がグレートデンを指差すが、その母親は慌てて少女を抱いて城から走り去った。可愛い娘が、得体の知れぬ不気味な男に興味を持つなど到底許容しかねるであろう事は容易に推察できる。
「1373番の方」
城の外では陽が傾き、町並みがオレンジ色に染まろうという頃だった。グレートデンの持つ1374番の前にあたる1373番の札が呼ばれた。
「長かった。本当に長かった。だかしかし、俺はやり遂げた。コリーとの婚約を正式に破棄し、公爵となってマラミュートと暮らすのだ!」
人がすっかりいなくなった城内で、戯言を叫ぶグレートデン。その間に1373番の札を持った者は手続きを終え、城の出入り口から去って行った。
「おい、何で窓口を閉める。俺の手続きがまだ残っているだろうが!」
グレートデンがまだ残っているにも関わらず、窓口の職員は窓口を閉めて荷物を纏めだしたのだった。
「もう四時ですから、今日の業務は終了ですよ。また明日お越しください」
「何を言っている、この通り番号札もあるのだ。さっさと婚約破棄の手続きをしないか!」
先の中納言なご老人が持つ印籠のように番号札を突きつけるグレートデン。しかし、職員には予想して効果はもたらさなかった。
「はて、本日の番号札は1373番で止めた筈ですが。札止めの文鎮が載っていませんでしたか?」
「ああ、文鎮が載っていた。それがどうした?」
「業務終了までに捌ける札に達したと判断した時に、札止めの文鎮を載せるのです。それ以上札を取られても、その日のうちに処理できませんからね」
載せられていた文鎮は、平民用の窓口だからという訳ではなく業務の受付終了の意味で置かれたもののようだった。それを知らないグレートデンは、長い時間を無駄とも知らずにずっと座っていたのであった。
「貴様、長時間待たせた挙げ句に終わりなどとふざけるな!俺の処理だけやっていけ!」
「そちらが知らずに勝手に待っていただけでしょう。こちらに落ち度がない以上、特例は認められませんね」
実際は、札止め以降札を取ろうとする者には気付いた職員が説明をしていた。グレートデンにはそれが為されなかったが、職員には説明の義務はなく善意で説明していたのだった。
なので、グレートデンに説明しなかったからといって職員に落度はなく、そんな事すら知らなかったグレートデンが間抜けであっただけである。
「一日かけて、何も出来ないなど承服出来るか!とっとと手続きをしろ!」
「衛兵、出合え、出合え、狼藉者だ!」
こうしてグレートデンは、駆け付けた騎士に取り押さえられ地下牢へと放り込まれた。
思いもかけず追い出された城に宿泊する事となったグレートデンだが、その顔に喜色が浮かぶことはなかった。
なにせ、出された食事は固い黒パンと僅かに塩気を感じられるスープ。寝る場所は固い石の台に向こうが透けて見えるのではないかと思える程に薄い毛布が一枚支給されただけだったのだ。
尚、グレートデンを乗せてきた馬車の馭者は勝手に帰る訳にもいかず翌日グレートデンが来るまで待たされる羽目になるのであった。