捧げモノ
ポーン
一つの音が他の音を呼びその音が更に他の音を呼ぶ。それが連なり、時として途切れ、それでも誰かに何かを伝えたいように弾け飛ぶ。
例え指から血が流れようとも。例え指が千切れようとも。例え指が砕けようとも。例え誰にも分かられなくとも、今抱いてる思いが自分から出ていってくれるなら、弾いている指が無くなろうと。考えている頭が消え去ろうとも。動く体が霧散しようとも。構わず引き続けて亡くなりたい。そんな思いが詰まりながら音が弾け出る。
ポーン
誰も居なかった筈の音楽室から拍手が鳴り、驚いて音源を探る。
「驚いたな昼寝の為に逃げ込んできた教室でとんでもない音楽家に出会ってしまったよ」
現れたのは胡散臭い口調で話す、漆を塗り付けたような髪を持ち女学生と言われれば納得するかのような女性だった。
「アンタには関係ない事だよ」
「随分口の悪い少年だな。君ぐらいの年ならもっと可愛げにしなけりゃ勿体無いぞ?」
嫌みが通じなかったのか相手から近づいてくる。
「それに君のは力強いのに音の底に悲壮さが漂わしてる。もっと楽しく弾けば良いじゃないか」
「……楽しく?!」
鍵盤を叩きつけるように立ち上がり女性を睨み付ける。
「ふざけるな!何が楽しくだ!大切な人が居なくなって、驚かす事も!楽しませる事も!もう何も出来ないんだぞ!」
音楽で出し切れなかった物を吐き出すように
「まだ伝えてない思いだってある!約束だって果たせてない!」
悔しさを、怒りを、無念さをぶちまけるかのように
「勝手に現れて!俺の心に思いだけ残して勝手に消えて!」
吐き出せる物を只消し去るためだけに
「何で!消えちまうんだよ!
姉ちゃん!」
大粒の雨が流れ出し目の前の人が見えにくい。
苦笑いだろうか、困った時に出す目尻を下げて笑う笑みが出ている。
すまないな
その言葉に言葉を返せない。
「もう一回顔見たくなってしまってね?」
「ずるいよ……」
「ごめん」
詰まっていた思いは吐き尽くした訳では無いのに出て来ない。
「姉ちゃん知ってる?俺、姉ちゃんの事尊敬してたんだよ?」
「ほう、それは知らなかったな」
「姉ちゃん知ってる?俺、姉ちゃんに伝えたい事有るんだよ?」
「ふむ。さっき言ってた事かな?」
一歩一歩地を踏みしめて歩み出す。
「俺姉ちゃんの事好きだったんだよ?」
「私もだよ」
「愛してるんだ」
「偶然にも私もだ」
あと五メートル、四メートル、三メートル徐々に近づく。
「両思いだったんだね?」
「もっと早くに知りたかったよ」
吐息が聴こえるはずの距離まで近づく。
お互いがお互いを確かめるように触れようとする。
「なのに何で死んじまうんだよ……」
触れようとする手は空を切り何も触れない。
「死んじまったらもう言えないじゃんか」
姉の病室から逃げ出すように飛び出し、思い出の場所。思い出のピアノに向かって音を奏でていた所の出来事だった。
驚きはない。ただ、勝手に死んだ事が許せなかった。
「覚えてる?俺姉ちゃんにコンクールで金賞取るって約束したの」
「勿論だとも。まあ取れなくてベソをかかれたがね?」
「ウルサいな、言わなくて良いんだよ。……その時に言うつもりだったんだよ」
触れれないと分かっているのに触れようと手を伸ばし空を切る。それを何度も繰り返す。
「言われなくて良かったよ。もし言われてたら浮かれてどうにか成ってしまいそうだからね」
今も目尻が下がっている。光る物を流しながら。
「逝かなければならないようかな?」
ハッキリと見えていた筈の四肢が徐々に薄れていく。
「もう会えないんだね?」
「最後のお別れだよ?」
見えなくとも、触れなくとも、感じる手の温もりをただ噛み締める。
「コレからもピアノは弾くのかい?」
「……分からない」
「だったら引き続けて欲しいものだね?なにせ私はファン一号なのだからね?」
首を縦に振り涙を拭き取り、姉を見る。先程の怒りはなく。無念もなく。ただ伝える為に
「天国の姉ちゃんに届くように引き続けるよ。楽しみにしててな?」
最後に首を振り終わり顔を上げた時に見えた太陽のような笑みだった。
僕らの居た音楽室が旧校舎の為に取り壊されたり、念願のコンクールで金賞を取れたりと色々な事が起こり過ぎていった。
次第に僕は有名になり音楽家として大成していった時。よくインタビューを受けるようになった。
始まりに、貴方がピアノを弾く理由は何ですか?と聞かれると決まって僕はこう答えている。
僕の大切なファン一号の為です。と