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骨の館受付係  作者:
6/8

六 樹上の鷲

「なあ、本当に俺らだけで行くのか?」


 不安げな声でそう言ったのは、私と一緒に魔大鹿(ダーイン)に乗るブルーノだ。すでに聖樹の元へと向かっているのに、往生際の悪いことだ。魔鴉(ムニン)の知らせを受けた私達は、その言葉通り知らせを受けた者として魔鷲(フレースウェルグ)を訪ねることになった。こうなったら仕方がないので粛々と支度を済ませた私に、ブルーノは文句たらたらのようだった。


「誰かに代わってもらっても良かったのに、付いてきて大丈夫なの?」


「受付係のラウラが行くのに俺が逃げたら笑い者だろ! お前こそいいのかよ、こんな妙な使い走りを引き受けて」


「ビリエルさん達がいるから私がすることってあまりないし、鷲の話に付き合うのと聖樹の魔物に会うのはどっちがいいか考えたら、どっちでもあまり変わらないなあと思ったの。

 先輩達も危険はないって言っていたしね」


 ブルーノは体ごと振り向いている。臆病なところがある癖に、魔大鹿の走るに任せているとはいえ度胸のあることをする。しかしブルーノは私の返答に顔をしかめた。そんなに魔鷲が怖いのだろうか。私はまだ見ぬ魔物よりも、あの魔木鼠夫婦の方がよほど厄介だと思う。


 しかし、寡黙な牡鹿の乗り心地は存外に快適で、私は彼に乗れる機会が再び訪れたことだけは嬉しかった。……行き先で待っている魔物達がいなければ、と心から思う。

 私は、ふと思いついて振り向いたブルーノの耳元に口を寄せる。


「聖樹には魔木鼠(ラタトスク)一家も棲んでいるし、今乗っている魔大鹿だって元は聖樹の下にいたって言っていたわよ」


「なんだよ、まるで見てきたように言って。俺を騙そうっていうんじゃないだろうな」


 怪しむブルーノは、以前の私そのものだ。私だって彼と同じく聖樹の魔物の存在を疑っていたので、この反応はとてもよく分かる。分かるのだが、ブルーノにやられると何だか腹が立つ。自分で話を振っておいて理不尽だが。どう返そうか迷っていると、思わぬところから助けが入った。


『……若かった頃は、樹の傍で樹皮を食べて暮らしていた』


 お腹に低く響くその声は、魔大鹿のものだ。さすが、さりげなく優しい牡鹿だ。途端に目を剥いて絶句するブルーノに、私は笑ってしまった。話すはずのない騎獣が突然しゃべったのだ。その驚きは本当によく分かる。分かるので、ざまあみろと思ったのはブルーノには黙っておく。


 魔大鹿との楽しい旅は終わり、私はまたウルズの泉のほとりに降り立った。礼を言って糖蜜を与えると、牡鹿は以前と同じように悠然と草の上に横たわって休憩に入る。さて、いよいよ魔鷲との対面かと思いきや、聞きなれたジジッという鳴き声が耳に入ってきた。まあ、避けては通れないだろうと覚悟していたが、今回は先約があるのでなるべく早く切り上げたい。


「なあ、なんか変な音が聞こえないか……?」


 おっかなびっくり辺りを見回すブルーノが、ふいにぎゃあ!と大声を上げた。ああ、頭の上に乗ったな、と私は正にかつての自分を眺めるような気持ちで慌てるブルーノを宥める。それにしても、ちょっと怖がりすぎではないだろうか。目の前にぱっと現れた魔木鼠は、魔物というにはあまりに可愛らしい姿なのに。


『オウ、スモモのネーチャン! 魔鷲の旦那の伝言、ちゃんと届いたみてェだなァ』


『ホラアンタったら、挨拶もしないで! スモモのお嬢さん、しばらくぶりだねェ。元気だったかい?』


 息が合っているようでそれぞれ別のことを聞いてくる魔木鼠夫婦に、私はとりあえず挨拶する。


「どうも、お二人ともお久しぶりです。魔鴉(ムニン)の伝言のこと、ご存じなんですね。あと私は元気でした。お二人もお元気そうでよかったです」


 あれからなぜか私は「スモモの人」と認識されてしまったようなので、心外ではあるが面倒なのでこのままでいこうと思う。土産もスモモにした。ブルーノは当然ながら訳が分からないという顔をしている。だから来なくても良かったのに。


「ラウラ、お前は一体何者なんだ? なんで魔大鹿や魔木鼠と旧知の仲みたいになってるんだよ! お前骨の館の受付係なんだよな? なんかスモモとか呼ばれてるけど、お前はラウラだよな!?」


「うん。言いたいことはものすごく分かるけど、今は説明する間が惜しいから後でね。でもこれで、魔鷲(フレースヴェルグ)も本当にいるって分かるわよね」


「いやもうそれは分かったけど、魔物が喋るし訳が分からんし、怖いんだよ……」


 怯えた顔で私の肩を掴んでくるブルーノに、魔木鼠夫婦は『なんだい、揉め事かい?』と口を挟むしで、早くも場が混乱してきた。夫の方が魔鷲に何か聞いているようだが、この夫婦は人の不幸は蜜の味とでもいうように目をきらきらさせてこちらを見ている。自分達はあれだけ修羅場を演じておいて、他人事には興味津々とはどういうことなのか。


「ブルーノ、もう一度魔木鼠達を見てみて。ほら、すごく柔らかそうな毛並みで可愛いし、私達を食べたりしないから」


『そうだぞニーチャン。俺ァ自慢じゃねェが、うちのカーチャンが惚れた毛艶だけは他のオスには負けねえヨ』


 白い胸毛をふっくらさせて誇る夫に、傍らの妻は『素敵よアンタ!』と仲睦まじい様子なのでほっとした。このまま夫婦仲を悪化させず暮らしてほしい。私は付き添いのはずが見事にこちらの足を引っ張るブルーノを何とかしなければならない。


「……うん、よく見たらただの木鼠(りす)だ……」


『ただの木鼠のようではあるが、こやつらの歯は聖樹の幹に穴を開けられるぞ』


 急に割り込んだ聞き慣れない声。にわかに地面に大きな影が落ち、風が逆巻く。はっとして上向くと、私達の頭上で翼を広げた鷲が、音もなく泉の水面に降り立った。慌ててブルーノの方を見ると、放心したように美しい鷲を眺めている。


『ーーお前が魔木鼠達を仲裁したという人の子か』


 魔鷲の思いがけない言葉に、私は夫婦をじとっと見つめた。覚えのないことを言い触らしてもらっては困る。すると魔木鼠夫婦はきょときょとと黒い目を泳がせて言い訳を始めた。


『だ、だってそうでしょ? スモモのお嬢さんのおかげで、アタシ達互いに言いたいこと全部言ってスッキリ仲直りできたんだもの』


『そうだそうだァ! アンタ、俺達の話をずっと聞いてくれただろォ。今度も魔鷲の旦那の話を聞いてやって、胸の内を晴らさせてやってくれヨォ』


 魔鷲に何か悩みがあるらしいが、魔物の悩みというのは私に何とかできるものなのだろうか。解決しなかったら、やっぱり食われたりするのだろうか。そしてブルーノはいつ正気に返るのか。私の方が悩みが尽きないのに、この魔物達は何を期待しているのか。


「……何だか随分と大げさな話になってますけど、私は単なる受付係ですよ」


『お前が骨の館の者と聞いて、こやつらに呼ばせたのだ』


 大鷲がばさりと羽を震わせて顔を寄せてくるので、私は思わず退いた。その爪と嘴の鋭さを目の当たりにすると、やはりかなり怖い。魔鷲は骨の館に何か怒っているのだろうか。


「そ、それはなぜですか……?」


『むう、何故そのように遠くから話しかけるのだ。もう少し近くに来てくれぬか。あまり大きな声で言うのはのう……できれば内密にな、話をしたいのだ……』


「ええと、分かりました。……この辺りでよろしいですか?」


 急に羽繕いをしてもじもじする鷲に、魔木鼠達は首を傾げている。二匹に挟まれたブルーノも目を白黒させていて、彼らの様子が妙に牧歌的というか、なんだか気が抜けてしまった。私が泉の縁まで近寄ると、魔鷲は満足そうに瞬きをした。怒っているのではないようだが、とにかく彼の話を聞くしかなさそうだ。


 ようやく落ち着いたところで、大鷲は深みのある声で話し始めた。


『ーー私は気が遠くなるほどの長きに渡り、聖樹の頂からこの森を見守っておる。それが私の役目であり、聖樹をこの世に与えた神々との約束だからだ。それをお前達森の民も承知しているものと思っておったのだが……』


 私とブルーノは思わず顔を見合わせる。魔鷲のことを知らない者など、この森にはいない。小さな子供ですら、聖樹に棲む大鷲のことを眠る前の昔語りに聞いて育ち、年頃になれば聖樹やこの森の長い歴史を遺漏なくみっちり教えられるのだ。


「……なあ、なんか雲行きが怪しくないか」


「うーん、もう少し話を聞いてみよう」


 こそこそと相談する私達を気にすることなく魔鷲は目を閉じ、


『骨の館の者達は、厄介な人間どものことを……その……鷲と、呼んでおるそうだな』


「えっ……」


 言うなり、恥じらうように羽の下に首を突っ込んだ。そのまま身を震わせる大鷲を前に、私とブルーノと魔木鼠夫婦は絶句する。あれだけ多弁だったくせに黙り込む夫婦に何とか言えと目配せしてみたが、ブンブンと尻尾を振ってブルーノの足元に逃げた。そのブルーノも、青ざめた顔で頭を振るばかりだ。


 魔鷲が、太古の魔物が、私達に厄介者扱いをされたと思って怒っている。これは非常にまずい。思っていたよりも深刻な事態に、体の芯が一気に冷える。


「あ、あの、私達はあなたのことをそんな風に思っている訳ではなくーー」


 我ながら上滑りな言葉だ。信じてもらいたいのに、私の動揺がそのまま口から出ているようだった。


「北から来る人間達が無用に森を騒がせるので、彼らが訪れた時に暗号として! そう、ただの暗号として、北の方角を司るあなた様の名をお借りしていたまでのことです!」


『……それは、誠か?』


「本当です!」


 言い切ると、翼の陰から黄色い瞳だけが覗く。なんだかぎらりと鋭く光った気がして、私はブルーノの袖を引いた。魔力を帯びた翼の羽ばたきひとつで嵐を起こすという魔物が、私達に怒りを感じているのだ。


「ブルーノ、あなたも何か言って」


「な、何で俺が。ラウラが呼ばれたんだから、俺はおまけだろ」


「……これ以上何か言うのは怖い」


「俺だって怖いんだよ! 人に押し付ける気かよお前!」


「自分だって同じじゃないの!他人事だと思って!」


黙って目を爛々とさせる魔鷲を前にしては、もはやどちらが先に食われるかという違いしかないのだと気づいていたが、何かしゃべっていないと恐怖に押し潰されそうだ。


「あーもう、女はすぐああ言えばこう言う!」


『そうだなァ。可愛げってもんがなくっていけねェよなァ』


よりによってここで、というところで口を挟んだ魔木鼠夫に、妻の『何だってェ?アンタァ!』という唸り声が浴びせられた。と、妻はててて、とブルーノの下に歩み寄る。


『お兄サン、女の頼みは黙って聞いてやりなよォ』


 足元からの援護によって、ブルーノは渋りながらも折れた。「俺だって気の利いたことは言えないからな」などと言いながらも、一人で前に進み出たその背中が頼もしく見えてきた。……少し腰が引けているようだが。


「ええと、その……俺達、聖樹の魔鷲(フレースヴェルグ)の話を知っていても、俺達と同じように森の住人としてここにいてくれるお方だからって、親しみを持っていたから名を借りるなんてことをしちまったーーしてしまったんだと、思います」


 つっかえながら、それでも目を逸らさないブルーノの言葉に、黄色い瞳の大鷲は瞬きもせずに聞き入っている。


「悪気がないから許せなんて、図々しい言い分ですが……その、許していただけると……助かります……」


 急激に尻すぼみになった声に、ブルーノの足元の魔木鼠達まで尻尾をしおしおと下げている。しかし、当の魔鷲は丸い目を不思議そうにぱちくりさせた。


『いや、違う。私はお前達に怒っているわけではないのだ』


「えっ? で、でも、北の奴らのことをーー」


『そう、それを本当に私にちなんで「鷲」と呼んでおるのかを、知りたかったのだ!』


 不可解なことを言う魔鷲に、私達は揃って眉を寄せた。……魔木鼠に眉はないので、雰囲気だ。


『ねェアンタ、アタシは訳が分かんないよ……』


『俺もだよ。旦那は一体何を言ってんだァ?』


 魔鷲と知己の彼らでも分からないなら、私にはさっぱりだ。大鷲はようやく翼から顔を出すと、


魔木鼠(ラタトスク)と違って、私はお前達と関わることはほとんどない。ただ聖樹の頂上に居るだけの私のことなど、とうに忘れ去られたと思っておったのだ。それが、近頃は賊のことを「鷲」と呼ぶのだと魔木鼠が言うではないか……』


 感極まったように言葉を切ると、魔鷲は胸の羽毛を膨らませた。


『もしや、私にちなんでの名付けかと……そうであればと願っておったのだ!』


 ーー遥か昔、聖樹の高みに立つ魔鷲(フレースヴェルグ)と根元の魔蛇(ニーズヘッグ)との間に争いを生んだ者がいたという。私とブルーノは、足元にいるそのおしゃべり達をじっと睨んだ。ひゅっと身をすくませる二匹だが、かわいい仕草をしても私達はごまかされない。


「なんでわざわざ、そんなこと伝えに行くんですか」


『イヤ、別に深い意味があったわけじゃねェんだけど、世間話のひとつとして、そのよォ……』


「……俺、今なら魔蛇との一件もただの伝承じゃないって信じるわ……」


 ブルーノはげっそりした顔で言う。その足元では魔木鼠の妻が、あわあわしながら夫の不始末をなぜかブルーノに謝っている。この二匹は、遥か昔から魔物達におしゃべりを繰り返していたのだろう。

 魔鷲の予想外の繊細さに驚かされたが、怒っていないのなら、それで良いのだろうか……。少し考えて、私は生き生きと目が輝いている魔鷲に話しかけた。


「私達が聖樹の魔鷲のことを忘れたことはありません。……でも、森の住人として、あなたのことをもっと近しく感じられたらと思うのでーーひとつ提案があります」


 私が持ちかけた話に、魔鷲は巨大な翼を目一杯広げて了承してくれた。その時巻き起こされた風で魔木鼠が吹き飛ばされたり、ブルーノの顔面に私の頭がぶつかったりと、彼の喜びの表現はとても激しかった。


『では、来年の「羽根拾い」を楽しみにしておるぞ』


『スモモのネーチャンとニーチャン、また来てくれよォ』


 ご機嫌の大鷲と、少ししゅんとした木鼠達に見送られて、私達は魔大鹿の背に乗り帰路に就く。


「……ラウラ、お前魔鷲の羽根なんて持ってたのか?」


「うん、枝拾いに行った時に魔木鼠がくれたの。外で羽根を筆記枝みたいに使っているのを真似してみたいと思っていたんだけど、先に材料を調達できることになったわ」


 羽根の先をただ斜めに切り落としただけでは上手くいかず、縦に液の伝う切り込みを入れたいのだが、難しくて手間取っているところだ。そう説明すると、


「じゃあ、俺も手伝うよ」


 と、なんでかそっぽを向いたまま言うブルーノに、私は笑みを浮かべて礼を言った。魔鷲の羽根を分けてもらう「羽根拾い」も、怖がりだけど親切な幼馴染は、きっとまた一緒に魔大鹿に乗って付き合ってくれると思う。


 森に「羽根拾い」が根付くことで、寂しがりの魔鷲の孤独も少しずつ癒されるだろうか。

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