五 北の鷲
森に再び「鷲」が来た。
最初に鷲を発見したのは森の住人ではなく森に向かう途中の商人で、気を利かせた彼が鷲に先んじて森に入り、骨の館に駆け込んでの一報だった。それを受けた私達が里と森の各地に散らばる猟師達に魔鴉で伝達したところ、彼らの動きは迅速だった。
猟師達は狩り小屋にいた人や里に帰っていた人、物見高い集落の住人まで続々と館に詰めかけてくる。中でも猟師の面々は壮観の一言で、有り体に言うと色んな種類のおじさんがひしめいていた。私がイーダさんにそう話したところ、何とも言い様のない顔で見られた。しかし私はスコルとアルビンさんに会えたので気にしない。
おじさんーーもとい、長年経験を積んだ熟練の猟師は猟師達を率いる立場にあるか、アルビンさんのように群れない人に別れる。そうなると彼らはそれぞれ自分の群れを率いて森に入り、交流するのは骨の館で行き合った時などに限られる。だから鷲の襲来は、熟練者達が一同に会する機会でもあった。今の館は、鷲がいなければ酒盛りでも始まりそうな活気がある。
「いやー、あんな厄介な鷲は久しぶりだわ。俺ぁ五十年か百年くらい前に来たーーなんだっけか、あのでかい剣を担いだ野郎だよ、あいつより面倒な奴はいねえと思ってたんだがなぁ」
「誰だよそいつは。鷲なんて大体でかい剣やら斧ふり回す奴ばっかりで、どいつだか分かりゃしねえ」
猟師のハッセさんとビリエルさんが、珍しく大きな声で話している。少し興奮気味のハッセさんに対し、ビリエルさんは苦虫を噛んだような顔で首を振る。
「だからあいつだよ、あのーー『我こそは北の大国なんちゃらの騎士』って口上を、いちいちやってから斬りかかってくる野郎だ」
「……それこそ、どいつか分からんくらいおるだろう」
横にいたアルビンさんが静かに言うと、ハッセさんは気を悪くすることなくアッハッハと笑った。対照的な二人だけど、相変わらず仲が良い。そこにビリエルさんも加わってあれこれ話が続いたが、今は猟師と猟犬達で包囲しながら監視しており、交代がてらそれを館に伝えに来たのがハッセさんだ。ハッセさんの話を聞いた何人かは鷲見物に行くと出ていった。自分から出向かなくてもここに連行されてくるのに、物好きな人達だ。
私はというと、もちろんこの館で鷲を待つ構えだ。今日は鷲対策のため骨の館は臨時休業のようなものだが、働き手は待機するので私は賄い作りを変わらずこなし、お昼になるのを待っている。一年前の鷲騒動の時と同じだ。場合によっては夕食どころか夜食が必要かも知れない。
と、館の外が何だか騒がしくなってきた。
受付でビルギットさんと顔を見合わせると、館の両開きの扉がばあん、と音を立てて開いた。
「ここが骨の館とやらか! ここの主と話がしたい!」
仁王立ちでそう言い放ったのは、全身を鈍く光る甲冑に覆われた大男だ。見るからに厄介そうな「鷲」そのものの姿に、館にいた一同が唖然とする。しかし直後に屈強な若手の猟師達が追い付いて、問答無用で縄を引っかけて外に引っ張り出した。肩やら肘やらの尖った悪趣味な装飾にうまく絡め、見事に拘束していたなあ、なんて思いつつ見送ったのに。
「ーーだからっ、私はっ、話がっ、したいとぉっ、申しておるぅぅぅぅうっ!!」
「待てこいつ! おい、もっと人数増やすぞ!」
縄だらけの金属がまた館に突っ込んできた。その背後から、彼に振り切られた猟師達がわらわらと追ってくる。この鷲、規格外の怪力の持ち主らしい。とても厄介だ。
「……どれ、俺らも加勢するかい」
ビリエルさんが軽く言うと、館にいた猟師達が一斉に動いた。足音もたてず静かに鷲を囲むように移動すると、ハッセさんが「おい、あんた」と鷲の気を引くように声をかけたーーと思ったら、次の瞬間には猟師達が鷲の甲冑の隙間という隙間に刃を滑り込ませて包囲していた。私にはいつ猟師達が腰の猟刀を抜いたのかも分からなかったが、若手猟師が尊敬を込めて「やっぱり凄いな」と呟いていた。首元にハッセさんの猟刀が差し込まれているので、鷲はとても静かだ。
「お前らはまだまだ詰めが甘ぇみたいだなぁ」
まあ、任せて戻ったのはハッセだけどなぁ、とビリエルさんが笑うと、抜刀している全員が肩を揺らして笑った。すると当てられた刃もぶれたようで、動けなくなっている鷲の方が「おい!危ないから動くな!」などと叫んでいる。おじさん達、絶対わざとやっている。
熟練猟師達はひとしきり鷲をからかった後、暴れないからと懇願していた鷲をようやく解放してやった。
「……私は、北の大国ニザヴェリル帝国より参ったアードルフ・ラーシャルードと申す」
本当に北の大国と言った。五十年だか百年だか前から変わらないのは本当らしい。半ば感心していると、私の横で猟師見習いのブルーノが「本当に言ったな」と小さく笑った。しばらく見ないうちに少し精悍になった幼馴染みだが、鷲が乱入した時はそっと受付に逃げてきた相変わらず要領のいい男だ。
どうやらビリエルさんを勝手に主と定めたらしいアードルフとやらは、周囲のざわつきを気にせず続ける。
「今日この大森林に参ったのは、わが祖父ベネディクトの願いを叶えるため。私はラーシャルード一族の者として、ぜひそれを成し遂げたいのだ!そもそもわが一族の祖は、魔物討伐で名声を得たことに始まりーー」
勝手に盛り上がる鷲ことアードルフは、やはり周囲の私達の冷めた視線に気づいていないようで、拳を握って熱弁をふるう。以前に来た鷲も人の話を聞かない輩だったが、「北の大国」の者は自国以外の者の話を聞くと死刑にでもなるのだろうか。同じ言葉を話せるのに通じないなんて、とても不思議だ。
アードルフの兜の面部分を眺めていると、またしてもブルーノが声をかけてくる。
「なあ、ラウラは前回の鷲も見たんだよな。やっぱりこういう奴だったのか?」
「……大体同じ。あの国は、わざわざ同じような奴を選んで森に送り込んでいるなんて噂もあるわ」
「それはもはや怪談だよな。森に嫌がらせするためだっていうのも説得力があってなお怖い」
一年前の時はちょうど獲物を仕留める機会と重なり、ブルーノは鷲を見ていなかった。実物を見るまでは子供のようにわくわくしていたようだが、今は何というか、珍獣を見るような目をアードルフに向けている。きっと私も同じ目をしているに違いない。
「あー、盛り上がっとるとこを悪いんだがなぁ。俺らは森に住まう者として、あんたのような狼藉者を歓迎することはできん。だから今のうちに大人しく国に帰ってくれると助かるんだが」
猟師達の顔役であるビリエルさんがようやくアードルフの話を遮ると、大国の騎士は心外だと言わんばかりにがしゃんがしゃん首を振る。しかしそんなことで動じるような猟師はこの場にはおらずーーいや、私の隣にいた。ブルーノはびくっと肩を震わせて私の後ろに下がった。急に動いて怖かったのだろうか。
「私がいつ狼藉を働いたというのか。私を一方的に捕らえようとしたのは、そちらではないか!」
「……本当に人の話を聞かねえ奴らだなぁ」
ビリエルさんが口を開く前に、ハッセさんがそうこぼしながら腰の猟刀を無造作に抜く。途端にがしゃんと身構えるアードルフは、口を開かなくてもいちいち騒々しい。ビリエルさんはちらりと咎めるような目をハッセさんに向けたが、それ以上はせず静観の構えを崩さないようだ。
「俺らが望んでもねえ魔物討伐とやらをしたいってぇなら、この、どこにでもいる親父から一本取ってみろ。そしたらあんたを認めてやる」
「ーー承知した!」
途端に猟師達が歓声をあげた。普段は気のいいおじさんなのに、やっぱり血の気の多い人達だ。他の猟師がハッセさんの抜け駆けに異を唱えないのは、すでに話が付いていたからではないかと思う。
それにしても、アードルフはよく了承したなと感心してしまった。先ほど猟師達に完全に制圧されたことを忘れたかのように、やる気満々だ。兜に隠れて顔は見えないから、多分だが。
骨の館の者としては承知しないでもらいたかったが、もはやお祭り騒ぎの様相で受付係の私達には止められない。前回と違って切羽詰まった状況ではなく、みんなの表情が明るいのはいいことだが。
とにかく、こんな狭い場所でアードルフに暴れられては堪らないので、野太い声で騒ぐ観戦者の皆さんもまとめて庭に出てもらった。
骨の館の庭は、荷車やそれを引く鹿や猟犬達も収まるようにかなり広い。要は土を均しただけの剥き出しの地面があるだけなので、切った張ったの大立ち回りをするにはちょうど良かった。こんなことをするために石ころを拾って草を抜いてたんじゃないんだけど、とイーダさんは文句を言いながらもその手にはしっかりお昼の軽食が握られていた。私が作った彼女直伝のトゥスマを食べながら観戦するようだ。
横でブルーノが羨ましそうに見ているが、これは館の者の賄いなのであげられない。だからそんな物欲しそうな顔をしないでもらいたい。お腹が空いた犬みたいで見ていられない。……私が懐から仕方なく出した焼き菓子を手渡したら、女神扱いされた。こんなことで女神と同格にされては、あちらはさぞ無念だろう。ブルーノは女神に謝った方がいい。
ブルーノが大人しくなったので、私はハッセさんとアードルフの対戦を見守ることにした。
先ほど抜いた猟刀を構えるでもなく右手に下げたハッセさんと、対峙するのは……誰だろう。どうやら甲冑を脱いだアードルフのようだ。あの悪趣味に尖った甲冑の本体は、意外にも普通の人間に見えた。顔をすっぽり覆っていた兜のせいで分からなかったが、思っていたより年若いようなのも予想外だ。切り揃えた短髪と真っ直ぐな眉は、いかにも武張った青年騎士といった風情だ。最近読んだ本に出てくる騎士が、ちょうどそんな風だったのだ。
「あいつ、思ったよりも随分若いなぁ。外の奴ならまだ三十年も生きてないよな、あれって」
口の端に菓子の欠片を付けたままのブルーノが、私と同じことを考えていた。何となく腹が立った私は、静かにしていろ、と目で訴えてハッセさん達に再び視線を向ける。何だよ、と不満げな声が聞こえたが、アードルフが身の丈ほどもありそうな大剣を構えたので構っている暇はない。
あんな大物、騎馬ではなく地面の上で扱えるものなのだろうか。前回の鷲は大きな戦斧を携えていたが、猟師達曰く、せっかくの武器に振り回されていて見ていられない、とのことだったが。
とにもかくにも、野次が飛ぶ中で対戦が始まる。
まず機先を制して攻勢に出たのは、意外にもハッセさんの方だった。獲物を待ち伏せる猟を得意にしている彼が動くとは思わなかった。その踏み出しがあまりにも静かだったので、アードルフの反応が遅れる。一気に距離を詰めたハッセさんの右腕が動いた。そう思った時には、地面を抉る大剣を躱したハッセさんが悠々とアードルフの首に刃を突きつけていた。
「これで終わりだな。じゃ、気を付けて国に帰りな」
目を見開いたまま固まるアードルフにそう言い捨てると、ハッセさんは館の中に戻った。観戦者達もぼやきながらそれに倣う。やっぱり大穴なんて狙っちゃいけねえ、などという声があちこちから聞こえてきたので、そういうことだったようだ。残されたアードルフは、蒼白になったまま立ち尽くしている。逃げたらどうするんだと思わないでもないが、これだけ多くの腕利きがいるので、私が気にしても仕方がない。といっても、私が心配する必要がないほどアードルフは戦意を喪失しているように見えた。
とにかくアードルフは、あの大剣を振り遅れて負けた。私には目で追うのもやっとだったが、ブルーノは何が起きたのか分かっていたようで、熱心に解説された。曰く、最初にハッセさんが前に出ながら、アードルフに向けて何度か仕掛けるふりをしていたらしい。それに惑わされたことに加え、やはりあの得物の重さが仇になってあっさり負けた、ということだ。私にはハッセさんの細かい技なんてちっとも分からなかったので、気分は蚊帳の外だ。
「だって、ただ前に走っただけにしか見えなかったし……」
「ラウラお前、こんないい場所で見てたくせに分からなかったのか? ハッセさんは目線で一回、足の向きで二回奴を牽制してただろ! 本当にぼんやりしてるなぁ」
目の動きとか踏み込んだ足先の向きがどうとか、精々小物を弓で射るくらいの私に分かるわけがない。そんな私の言い訳に、ブルーノはやれやれといった風に肩をすくめた。何だか知らないが相当調子に乗っている。
「まるでブルーノが負かしたみたいに言うけど、さっきあの人から逃げて来たじゃないの」
「別にあんな奴怖くなんかないさ。あいつの声がでかいから後ろに下がっただけだよ」
館の庭で言い合う私の手に、ふいに湿ったものが触れる。驚いて視線を下げると、私の癒しであるスコルが鼻先を押し付けておりーー頭に魔鴉を乗せて、所在なさげに立っていた。
鴉よ、そこはお前の止まり木じゃない。私だってまだ頭を触らせてもらえないのに。伝令に飛んでいた魔鴉は、澄ました顔で羽を休めている。ブルーノはおかしそうに、ふてぶてしいやつだなあ、などと笑った。
しかし鴉は、私の批難の視線浴びた途端に口を開いた。
『聖樹ノ鷲ヨリ言伝テアリ。ソナタラニ話タキ儀アリ。コノ知ラセヲ受ケタ者ハ、聖樹ノ根本ニ来ラレタシ』
驚いて固まる私とブルーノをよそに、魔鴉は同じことをもう一度だけ告げるとあとは何を訊ねても沈黙し、黒い嘴からはカアとしか音が出なくなった。この知らせを受けた者。私とブルーノは慌てて周囲を振り返ったが、すでにみんな館の中に引き上げていた。アードルフすらいないので、逃れようがない。
「なあ、聖樹の鷲ってまさかあの、魔鷲のことか? ……本当にいるのか」
「ミーミル先生に習った通りよ。私も最近知ったんだけど」
ブルーノを出し抜く機会とばかりに得意気に言ったつもりが、思ったほど声に力が入らず私はついにため息をこぼした。