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骨の館受付係  作者:
3/8

三 木の実

「あー、やっぱりもう駄目か……」


 掲示する石板に書き付けていたビルギットさんは、手にした筆記枝の先を見て唸った。隣に座った私もひょいと覗きこむと、繊維を丁寧に解され細く(すぼ)んでいるはずの枝先がすっかり開いている。

枝自体も使い込んで大分短くなっているので、確かに換え時だろう。


「これはもう、水に浸けておいても無理かも知れないですね」


「ちょっと前までは、一晩浸けておけば枝に付いた葉っぱまで元気になったんだけどね。手に馴染むから大事にしていたけれど……」


 心底残念そうなビルギットさんに、私は頷く。彼女は受付係の中で一番の達筆であり、普段から筆まめでもあるので、長く使っている筆記枝を大切にしているのを私も目にしていた。

 こうなれば、新しい筆記枝を使うしかないのだがーー。


「ーーねえイーダ。まだ筆記枝の予備はあったかしら」


 ビルギットさんが声をかけると、私達の後ろを横切っていたイーダさんは、奥に並んだ棚の引き出しをごそごそ探って首を振った。


「もう二本しかないわ。そろそろ行かないとって、思ってはいたんだけどね……。倉庫の分も見てこようか?」


「いえ、あっちは里に渡すものだから減らしたくないわね」


「そうだよねぇ……」


 イーダさんの苦々しい顔に、私もビルギットさんも同様の渋面を作る。しかし、先輩である二人はその先の話を一向に口にせず唸るばかりなので、仕方なく私が切り出した。


「……それで、誰が枝拾いに行きますか?」


 私の言葉に、イーダさんとビルギットさんは真剣な顔で私の肩を叩く。


「よろしくお願いします」


「ええー」


 こうなるだろうと予想していたが、ついにみんなが嫌がるという枝拾いの役目が回ってきた。しかし、二人は私の不満顔を物ともせずにてきぱきと指示を飛ばし、気がつけば筆記枝調達の先鋒として骨の館を送り出されてしまっていた。


「ラウラ、もしも駄目だったらまた日を改めるしかないから、日が落ちる前に帰ってらっしゃいね」


 手を振って言ったビルギットさんは、先ほどの憂い顔から一転、なんとも晴れやかな笑顔だ。

 温厚な彼女やあまり動じることのないイーダさんでも避ける枝拾いとは、一体何なのか。行き先のウルズの泉に危険がないことは分かっているので、やはりそこにいる相手が問題なのか。


 考えても仕方がない。私はビルギットさんがせめてもの(はなむけ)として呼んでくれた大きな牡鹿ーー魔大鹿(ダーイン)に鞍を取り付けた。餞などと言うと戻って来ないみたいだが、危険でないことはしつこく確認している。

 糖蜜の固まりを与えて「ウルズの泉へ」と告げると魔大鹿が脚を折ってくれたので、背の鞍に跨がる。手綱を持つと、私を乗せた牡鹿は心得たように音もなく駆け出した。 


 風の魔法を使って走るという魔大鹿の足は速く、乗り心地は思いの外快適だった。いつもは彼の眷族達に荷台を引いてもらっていたが、私には上等にすぎる乗騎のお陰で随分と早く泉にたどり着いた。


 木の葉を拾い終えた泉は、穏やかに揺らめきながら周囲の緑を映している。魔大鹿から降りると、大きな角の牡鹿は悠然と歩いて水に近づく。私は慌てて鞍を外すと、小袋から糖蜜の欠片を出して与えた。あとは枝の調達が済むまで休んでいてくれるだろう。


 私は首にかけていた紐を胸元から引っ張り出すと、その先に付いた小さな土笛をしげしげと眺めた。骨の館が所有する魔法具で、鶏の卵を少し平たくしたような形をしたかわいらしいものだ。色付けもしていない白い粘土で作られた笛は素朴で、魔獣を呼ぶ道具には見えない。


「本当にうまくいくのかな……」


 半信半疑で吹き口を咥えて息を吹き込むと、思いがけず澄んだ高い音が出た。いつの間にか岸から離れていた魔大鹿が、問いかけるように顔を向けてくる。水に沈まず平然と水面に佇む姿は、なかなか絵になる光景だ。

 こんなにきれいな音なら、来てくれるだろう。希望を持った私はもう一度笛を構えると、適当に音を鳴らしてみることにした。


 静かな泉に響き渡る澄んだ音色に、我ながら少し感動してしまう。出てきてください、と念じながら続けていると、不意に鋭く短い鳴き声のような音が混じり始めた。そして、ウルズの泉の水面を走り抜るように次々と小さな波紋が生まれーー。


「ーーうわっ!」


 突然頭の上に重みを感じて、驚いた私は尻餅をついてしまった。慌てて身を起こすと、頭の上にいる何かがジュジュッと鳴きながら跳ねる。思わず頭を振ると、


『ちょっとアンタァ! ヒトん家の前でぱーぽーぱーぽーと、うるっさいのよ!』


 素早く降りてきた()()は、私の膝の上で憤慨した。見た目は、赤みがかった黄色の柔らかそうな毛並みの小動物だ。太い尻尾をぶんぶん振り下ろしてジューッと鳴く声の主と目が合い、私は言葉もなく固まった。すると、目の前の魔物ーー魔木鼠(ラタトスク)はなおも甲高い女の声でいきり立つ。


『うちの子達が寝付くとこだったのに、なんてことしてくれたのさァ!』


「あ……すみません……でした」


 相手の剣幕に負けて謝ると、意外なことに激怒していた魔木鼠はピンと立てていた尻尾をしおしおと垂らし、溜め息を吐いたーーように見えた。そして魔木鼠は「こっちも悪かったよ」と怒りを静めてくれたが、そのいかにもしょんぼりとした風情は、私の中の庇護欲を煽るには十分だった。


 私は背負っていた荷物を漁り、持参していた皮袋を取り出す。そして、興味津々といった風に鼻先を近づけてきた魔木鼠に、袋の口を開いて差し出した。


「これ、よかったら食べてください。ーーお子さん達、と」


『あらまァ悪いわねェ! それじゃ遠慮なくいただくよ』


 魔木鼠は小さな前足で袋の中身ーークルミを掴み、長く伸びた歯を殻の繋ぎ目に差し込む。そのままぐるりと一周すると、二つに割れたクルミを長い指で器用に重ね持って中身を食べた。あっという間の早技に、私はじっと見入ってしまう。


 そのまま続けて三つ食べると、満足したらしい魔木鼠は皮袋を前足で鷲掴んで確保した。かわいい見た目に反して抜け目のない魔木鼠は、己の身丈に迫る大きさの袋を『よっこらせェッと』と()()()

 後足で立って前足で袋を担いだその姿に、私は唖然とした。まるで人のような仕草で背を伸ばすと、魔木鼠は泉に向かって声を張り上げる。


『あんた達ー! お土産をいただいたから、降りてらっしゃァーい!』


 すると、先ほどよりも激しい鳴き声と波紋が浮かんだかと思うと、瞬く間に六匹の魔木鼠がずらりと整列していた。彼らの背後の泉から、首だけを出して水浴びをしていたらしい魔大鹿(ダーイン)がこちらを見ている。優雅な休暇の邪魔をしてくれるなとでも言いたげな視線を受けた私は、そっと目を逸らすしかなかった。


『カーチャンおみやげはー?』


『早く早くー!』


『カーチャンおなかすいたよォ』


 鳴き声と共に次々と声を上げる子供達に、母親は毛を逆立てて一喝する。


『あんた達、お客様に挨拶しなさい! ほら、さん、はいッ!』


『こんにちはァー』


 棒読みで声を揃えた子供達は、六つ子はそっくり同じようにくりっと小首を傾げた。かわいいので、挨拶に『わかいネーチャンだー』と混じっていたのは知らないをふりをしておこう。笑顔で挨拶を返すと、母魔木鼠(ラタトスク)は子供の一匹にジジジッと鳴いて何やら言い渡すと皮袋を託した。


『ずるをしたり喧嘩をしても、カーチャンにはすぐ分かるんだからねッ! いいかい?』


『はァーい』


 元気よく返事をした子供達は転がるように整列を解き、並んだ四匹の背に袋を乗せ、残りの二匹はきょうだいの背中の上で袋を支えてえっちらおっちらと泉に向かった。

 どうやって帰るのか分からないが、大丈夫なのだろうか。そんな私の顔色を見て取った母親は、白い胸毛を膨らませて、しっかり者の子供達だから平気だと言う。しっかり者という問題ではないと思ったが、自信に満ちたーーように見えるーー母に告げるのは野暮というものだろう。


 後方を支える一匹はよたよたしていて危なっかしいが、尻尾で懸命に均衡を保っている。その様子を察した一匹が横から前足を伸ばして支え直した。この面倒見の良い子は、母から皮袋を渡された一匹だろうか。

 固唾を飲んで見守るうちに、とうとう彼らは魔大鹿がいる泉の真ん中まで到達した。


 どうやって聖樹に帰るのだろう。そもそも彼らはどこから来たのか。そんな私の疑問に答えるように、水上の子魔木鼠達は遥か頭上の魔大鹿に向かって元気に叫んだ。


『おじちゃーん! おいらたちをてつだってー!』


 王者の風格の大牡鹿を相手に、近所のおじちゃん呼ばわりである。怒った牡鹿に角で蹴散らされるのではないか。腰を浮かせる私に、母魔木鼠は『知ってる鹿だから、平気だよ』と前足を振った。知ってる鹿。彼らは付き合いがあるのか、どんな関係なのか、気になることはたくさんだが、今は彼らを見守ることにする。


 魔大鹿は顔色ひとつ変えずーー多分だがーー(おもむ)ろに頭を水中に沈めると、二本の角の間に子供達を掬い上げて水面に立った。魔大鹿が樹上まで連れて行くのか。そう納得しかけたところで、牡鹿は子供達を乗せたまま静かに首を下げーーぶんっと思いきり上に振り上げる!


「あっ! どうしよう! やっぱり怒ってーー!?」


 皮袋に掴まって空中に放り出された六つ子達は、しかし楽しそうにジュジュッと鳴き、『ネーチャンバイバーイ』という声を残して溶けるように消えた。これは大丈夫なのか。帰ったことになるのか。残った母親を振り返ると、髭をそよがせて『無事に帰ったねェ』と言った。


「今ので大丈夫……だったんですか?」


『あら、アンタ心配性だねェ。ちゃァんと帰ってったの、アンタも見てただろ』


 牡鹿にぶん投げられて霧散したようにしか見えなかったが、あれで帰ったのか。魔法の発動もみえなかったので納得しがたいが、私はそうですね、ととりあえず応じる。

 聖樹に棲むものをこちらの常識に当てはめてはいけない。この森や聖樹についての教えのひとつは、今の私の状況を示唆していたのだろうか。そういえば、私が里を出て骨の館で働くことにした時に、里の大人達から決まって言われた言葉があった。


 里を出れば、色々なことが分かるようになる。

 私はこの言葉を、単に森の外から来る人間達を通じて世間を知るということだと思っていたが、本当の意味は違っていたのかも知れない。私を含めた里の子供は、森の成り立ちに関わる聖樹の存在そのものは疑っていないが、先生から習った聖樹にまつわる諸々の不思議を話し半分に聞いていた。そんな子供らが大人になり、やがて聖樹の奇跡を目の当たりにすることで「分かる」のだろうか。

 

 私達の先生は、聖樹に棲む魔物達についてもきちんと教えてくれていた。曰く、魔木鼠(ラタトスク)とは聖樹の幹を縦横に行き来する伝達者で、無類のおしゃべり好き。確かに先生の言葉は正しかった。まさか本当に気さくに話しかけられると思わなかったが、意思の疎通ができるのはありがたい。


 気持ちを切り換えると、私は目の前の魔木鼠に向き直った。


「今日私がこちらにお邪魔した理由なんですがーー」


 真面目な調子で言うと、母魔木鼠は『何だい、改まって』と首を傾げる。が、不意に私から視線を外すと、耳と鼻を忙しなく動かしながら、茂みの一方に向かって恐ろしい唸り声を上げ始めた。

 今度は一体何だと私もそちらを向くと、果たして緑の木々をがさがさと揺らしてそれは現れた。


『おぅカーチャン、今帰ったぞォ!』


『……アンタァァァ!! 一体今何時だと思ってんだい!』


 一際立派な尻尾の父魔木鼠ーー推定であるーーはごきげんなだみ声を響かせ、カーチャンこと母魔木鼠は地を這うような怒声で彼を迎えた。これが所謂「朝帰りの亭主とそれを迎撃する妻」というやつだろうか。


 いつになったら本題に入れるのだろう。見つめあう二匹を前に、私は途方に暮れた。

どうぶつしか出ませんが続きます

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