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骨の館受付係  作者:
2/8

二 木の葉

 空は青く晴れ渡り、雲は残雪のようにまばらだ。陽射しは眩しく、ここに聖なる大樹が繁っていることや、それが決して私達の目には触れないことの不思議が心をよぎる。


「ここ毎日、天気が良くってありがたいねぇ」


 少し離れたところで、イーダさんが言った。私と同じようなことを考えていたのではないだろうが、空を仰いで額の汗をぬぐっている。


 私も彼女も、今日ばかりはいつもの猪皮の前掛けを外し脚衣も脱いで身軽になっているので、実はそれほど暑くない。さらに言えば、膝下まである長衣の裾もたくし上げて、剥き出しの足で泉の水に浸かっていたりする。人前には出られないが、なかなか涼しい。


 今日は毎年恒例の、木の葉拾いの日だ。

 この森で暮らす私達は、秋口に落葉してこのウルズの泉の水底に溜まった葉を、初夏になると掬い上げることを木の葉拾いと呼ぶ。森の外の人間達にはもちろんそのような習慣はなく、彼らは「木の葉拾い」と聞くと一様に不思議そうな顔をした。


 人々に世界樹と呼ばれる樹が、この森にある。魔法に守られた聖樹は、私達には見ることも触れることもできない。それが叶うのは樹に()む魔物達か、聖樹を守る一族だけだという。

 しかし、私達が聖樹の一部を手にする方法はいくつかあり、そのひとつが「木の葉拾い」なのだった。秋に聖樹の枝から離れた葉が、泉の水に浸されることで姿を表すのだ。


 大人の掌より一回り大きいその葉は、泉に落ちたばかりの頃は暗い緑色をしている。それが、ウルズの泉の水に晒されるうちに色が抜ける。聖樹の根元に湧く泉の魔力によって、葉は腐敗することなく白くなり、初夏に「木の葉拾い」をして葉を乾かせば、文字を書き記す木の葉の完成だ。私達が「木の葉」と呼ぶものはこれのことで、森の外の「羊皮紙」のようなものだ。


 羊皮紙はいくつもの行程を経て、手間隙かけて作られると聞いたことがある。羊皮紙でできた本があれほど高価なのも頷けるというものだ。森に来る商人はぼったくりだと陰口を言う者もいるので、大きな町ではもっと安く手に入るのだろうが。

 どちらにしてもこの森に羊はいないので、羊毛も羊皮も森の外に出で購うか、たまに訪れる商人に譲ってもらうしかない。


「どっこいしょ、っと」


「……ちょっとラウラ、いい加減にそれはやめなさいよ」


 水中の麻袋を私が気合いと共に引き上げたところで、何故か堪りかねたような顔をしたイーダさんが言った。何を、と問い返す前に、イーダさんは私に指を突きつけてくる。 


「あんた、さっきからどっこいしょだのよっこらせだのと、年寄り臭いのよ!」


「あれ? 私、そんなに言ってました?」


「言ってたわ。段々調子が出てきた感じで節まで付いてたわよ!」


 下半身が快適すぎて気が抜けていたようだ。仕事中は気を付けているのに、重い物を持ち上げる時の癖が出ていたらしい。一人暮らしの寂しさから独り言が増えた自覚はあったが、自宅では言いたい放題なのですっかり定着してしまっていた。


 水を含んで重いから仕方ないと言い訳をしてみるが、「掛け声はせめてよいしょだろう」と説教を食らった。似たようなものなのに、解せない。

                   

 その後もしたり顔のイーダさんによる「女性のかわいらしい言動」の教示が続き、聞き手の私は真面目な顔をして適当に相槌を打つのに終始した。それでも(はかど)ったのは、単調な作業なのでお互いに会話しながらの方が気が紛れたからだ。一緒に来たのが話上手のイーダさんで良かった。


「今年も豊作だなぁ」


 白い葉で埋まっていた泉は、ようやく底が見えてきた。それでもこれだけあれば、里のみんなの取り分にも十分に足りるはずだ。深みに溜まった葉は、里の男手が綺麗に(さら)ってくれるだろう。

 泉の周りは木の葉を干すための麻布でぐるりと囲まれており、既に半分以上が白い葉で埋まる様は、雪のようだった。それらは今日の作業を終えるまでに乾くだろうか。


「あんたはいちいち年寄りじみてるわね……」


 拳でとんとん腰を叩く私を見て、イーダさんは呆れたように息を吐いた。そうは言っても、屈んだり立ったりでそろそろ腰が辛かった私は、構わず大きく伸びをする。肩だか背中だか分からないが、ばきばきと骨が鳴ったらすっきりした。


 そんな私を見て、イーダさんも唸りながら両手を天に向かって伸ばす。目が合うと、どちらともなく水から上がり、濡れた裾を絞った。そろそろ休憩の頃合いだ。

 

「今日は私が作ってきたけど、口に合うかな」


「そんな、絶対においしいに決まってますよ。私、すごく楽しみにしてました」


 里で暮らす家族と離れてから、私は手料理に飢えていた。自作の料理を食べ飽きた身としては、誰かが作ってくれたというだけで嬉しいのだ。自分の料理がまずいとは思わないが、どんな味なのか、何が入っているのかと想像する余地があるのは、食事の楽しみのひとつだったと気付かされた。

 日替わりで食事当番をしていた里の両親やきょうだい達のありがたみが、今は身に染みている。


「嬉しいことを言ってくれるね。まあ、あんたにはいつも(まかな)いを作ってもらっているから、たまにはね。ほら、どうぞ」


 にいっと笑うと、イーダさんは籠から緑の葉の包みを取り出して渡してくれた。

 わくわくしながら包みを開くと、薄焼きの生地で肉や香草を包んだトゥスマだった。大好物にわあ、と子供じみた歓声を上げてしまったが、おいしそうなのだから仕方がないと思う。


 ごまかすように立ち上がり、私は手っ取り早く魔法で泉から瓶を引き上げた。付けていた重石を外して一つをイーダさんに渡すと、葉っぱの(ふた)を剥がして中身を一気に飲む。


「ーー冷たい!」


「本当だ。私らが木の葉を拾っていた辺りはけっこう(ぬる)かったけど、どこで冷やしてた?」


「反対側の中程に沈めておきました。何回か前の木の葉拾いの時に、あの辺りが涼しかったので次にやってみようと思ってて。うまくいって良かった」


「へえ。今の時期に冷たいのは川くらいだと思ってたわ」


 イーダさんは感心したように目を丸くすると、思いきりよく瓶をあおる。やはり冷たい山羊の乳は、こうしてごくごく飲むのが醍醐味だろう。寒い日はこってりとした乳に蜂蜜を混ぜて温めるのが好みだが、汗ばむ陽気の今は清水で冷やしたものが最高だと思う。


「ってことは、あんた達、泉で泳いだんだね」


 まったくもう、と子供を叱るような調子で言われてしまい、私は肩をすくめて瓶の中身を飲み干すのに専念した。私だけでなく、一緒に来ていたもう一人の同僚も嬉々として水に飛び込んでいたのだが、それを言うと余計にお小言が増えそうだ。

 と、イーダさんは急にしかめ面を和らげた。


「……私も身に覚えがあるんだけどね」


 恥ずかしそうに小声で言われ、私はほっとすると同時に納得した。


「もしかして、木の葉拾いを魔法でやってしまわないのって、やっぱり……」


「うん。この泉に大っぴらに足を踏み入れて涼めるから、誰も魔法を使おうって言い出さないんだろうね。ありがたい聖樹の葉をいただくんだから、手ずから拾うものだっていうのは建前だわ。

 木の葉拾いが若手ばかりに回ってくるのも、力仕事のあとで泳ぐ元気があるからだし」


 イーダさんは思えば私も若かったわ……などと遠い目をするが、私とそれほど年は離れていない。そんな物言いが出るのは、彼女が昨年長い付き合いの恋人と夫婦になったからかも知れない。まだそんな予定もない私は、二人暮らしのイーダさんが羨ましくなった。


 喉の乾きを癒したところで、私達はイーダさん特製のトゥスマに噛りついた。焼いた細切りの鶏肉には赤いたれが絡めてあり、噛むと小さな赤い実がはじける。するとリンゴに似た酸味が広がり、そこに香草のぴりっとした辛味と、もちもちした生地のやさしい甘味も加わって絶妙に混ざり合う。


 赤い実は、スグリではなくコケモモを煮たものだろうか。そういえばちょうど今頃に、白い花を咲かせているはずだ。秋に実ったら、こんな風に煮込んだり蜜漬けにして瓶に詰めておけば、色々使えそうだ。

 そんなことを考えながら、私は夢中でトゥスマを頬張った。


 赤い実の煮込みは、爽やかな酸味に良い加減の甘味が加えてあり、肉ととても相性が良い。もともと木の実を使ったたれは好きだが、これまで口にしたどれよりもおいしい。

 いつも母や近所のおばさんが作ったものを貰っていたけれど、イーダさんがあの小さな実をせっせと収穫して作ったのなら、ぜひ一から習いたい。


 私がいつも作る平凡な賄い料理よりも、イーダさんの軽食の方が圧倒的に技量が上に違いない。そう確信して目の前の凄腕料理人を見つめると、イーダさんはなぜか顔を曇らせた。


「そんなに驚くような味だった?」

 

 不安そうな声で訊かれたので慌てて謝ると、食べながら喋るんじゃないと叱られた。しかし、急いで飲み下すなんてもったいない真似はできない。私はイーダさんが呆れるほどゆっくりと食べ終えると、味付けや生地の作り方を根掘り葉掘り聞いてまた叱られた。がっつきすぎだそうだ。


「イーダさんが賄いを作ってくれたら、みんな喜びますよ」


「まあ、褒められて悪い気はしないけど……。ラウラ、どうしてあんたに賄い作りをさせているか、考えたことはある?」


 私が一番の下っ端だからだろうか。いや、少し前に里から若い子が入ってきた。でもその子は受け付けではないしーー。内心で混乱する私を、イーダさんは何だか複雑な顔をして見つめてくる。


「あんた、朝に弱いよね」


「……五年経って慣れましたけど、朝が早いのは苦手です」


「うん。で、あんたは昼休みまで耐えるのもしんどそうだなって、端から見てる私らは思ったわけよ」


 珍しく遠回しな言い方をされて、私は戸惑ったまま頷く。一向に理解しない私に業を煮やした様子のイーダさんは、だからね、と強い調子で続けた。


「そんなラウラを受付に置いとくと、掲示板に間違ってあんたの夕食の献立だのが載ったりして騒ぎになるから、昼になる前に厨房に引っ込んでもらって、賄いを作ってもらおうってことになったの!」


 きっと睨まれた私は、平身低頭謝った。

 猟師の会は、早朝から森の奥に向かう猟師達に合わせて日の出と共に仕事が始まる。まだ暗いうちに支度をして骨の館に向かうので、昼休みになる前に眠気に襲われた私は、働き始めた頃に何度かーーいや、何度もやらかしていたというのに、すっかり忘れていた。


 館の壁には、猟師達への連絡事項を掲示する石板がある。狩りの依頼や危険な魔物の注意喚起など、毎日細々と書き換えられるのだが、寝ぼけた私はそこに私物の石板を掲示してしまったことがあった。他にも間抜けな失敗をしたので、これからは新入りのお前が賄い番だと言われた当時、渡りに船だとばかりに喜んだことも思い出した。


 イーダさんをはじめ、受付係の誰もが私を叱責することなく、静かに騒動の種を受付から排除してくれたのだろう。中休みに茶菓子を出しただけで役に立った気になっていた私は、彼女らの目にどう写っていたのか。今さらながら、穴があったら入りたい気分だ。

 

「その節は大変申し訳なく……」


「いや、もう分かったから。私らはこれからもラウラの作った昼食を食べたいと思ってるし、あんたにもその方がいいんじゃないかな。適材適所って言葉もあることだしね」


 それに朝一番は忙しいから、遅く出てきてもらうわけにはいかないし、とイーダさんは頷く。

 からかうでもなく親身になってくれて、余計に申し訳ない。いよいよ居たたまれなくなってきたが、彼女の言う通り朝早いのは変えられないし、私は座りっぱなしよりも体を動かしている方が頭が働くのは事実だった。


 その後、木の葉拾いを終えてから館に帰りつくまでに、受付一同の好きな献立やおいしくするこつを伝授してもらい、明日からまた頑張ることになった。他のみんなにも、改めて謝ろうと思う。

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