贅沢
「グ、グシオンさん!こ、これは違うんだ」
「言い訳は結構。料理が出来ているなら配膳室へ運びます」
「あ、あの!私がバアルさんに頼んだんです。お城に人がいない理由を教えて欲しいって」
一瞬、さっきの怒れるグシオンを思い出したけれど、今はそんな様子はない。
「サレオスが話さないということは、その必要が無いと判断しているからです。その意志を尊重することが大切です」
「ごめんなさい。でも、私嬉しかった!サレオスさんが、人間を、奴隷を解放したって聞いて。無理やり人を働かせるような人じゃないんだって分かって」
こみ上げる熱いものを堪えながら訴えた。グシオンは春菜の視線を真っ直ぐに受け止め、一瞬間を空けて、出口に顔を向け呟くように漏らす。
「もう今日はお休みなさい。明日からは大変な仕事が控えています。サレオスの期待を裏切らないように」
「は、はい」
冷静に厨房の中を歩き回りっているグシオン。表情は変わらず考えを読むことははできない。
バアルはこっそり片手を上げて「すまねえな」とでも言う様に目を細めた。
春菜は長屋二階の居室へと戻り、藁ベットに寝転がり一息つく。
「うぅ、流石に食べ過ぎたかも」
春菜は今までダイエットとは無縁の生活を送ってこれたのは、運動量(つまりは肉体労働)の多さのお陰だと考えていた。
けれど、実際は懐事情を考えて質素な食生活を送ってきたからに他ならない。
「毎日あんなに食べたら、流石にデブるかな。お米っぽいのはあったけど、果たしてこれから醤油と味噌なしでやってけるかは不安。となれば『無い物は作るしかない』だね」
春菜の好きな言葉だけれど、流石に味噌醤油の製法は記憶していない。
とりとめのないことを考えながら横になっていると、一日分以上の疲れと満腹で急に眠気に襲われる。
「うぅうー」
唸って眠気が消えるなら、受験勉強も、二度寝の遅刻も怖くない。
(ダメダメ、まだお風呂に入ってないし、着替えだって済ませてない。乙女としてそれは如何なものかと)
ベットから伸びる眠りの魔手をなんとか振り払い、ふら付きながら一階へと降りていく。
「お邪魔しまーす」
長屋一階に、衣類やシーツが棚に積まれている部屋があった。ここはさしずめリネン室といったところか。
「どれどれどれー」
棚からシャツを一枚取り出し手に取ってみる。綿のような手触りのシャツは、薄手でありながら密な平織で丈夫そうだ。
この部屋にある衣類やシーツはどれも綺麗に洗濯されていて、嫌な匂い一つしない。
「うーん、これとこれ」
寝間着として使えそうなチュニックとレギンスを探しだし、体に当ててサイズを確認する。
(よかった、これなら着られるな)
魔人の三人があまりに長身だったため、この世界の人たちはみんなそうなのかと心配したけれど、使用人達の背丈は春菜と変わりがないようでホッとする。
(あとはショーツなんだけど)
もちろん棚には下着の類も並んでいる。
(うーん、このデザイン……)
手に取ったショーツは両側を結んで着用する、いわゆる紐パンと呼ばれるものだった。
(ていうか、これしか無いんですけど)
棚に置かれた衣類は男女に分けて置かれているようで、女性用と思しき棚にある下着はどれもこのタイプだった。
「うーむ、これも初めての経験だ」
紐パンはどちらかと言えばセクシー系に入る。春菜は残念ながらこのタイプは一枚も持っていない。
「別に残念じゃないし!好みの問題だし!でもこれ、ホントに布と紐だけのシンプルさ。デザイン性もなければ、かわいさの欠片もないな」
実用本位でしかないことが作りから伺える。
「うん、仕方がない。この際、紐であるとか、可愛くないとか、そんなことには目をつぶろう、うん。だけど……」
よく洗濯されて、古着と言うほどくたびれてはいなけれども。
「わー、ゴメンなさい!勘弁してください!どうか新品を探させて下さい!」
リネン室で必死に下着を探し求めること十数分。なんとか新品のショーツを数枚見つけた。
「はぁはぁ。職探しより必死になったのは気のせいかな。ちょっと自己嫌悪……」
贅沢を言ってることは十分承知しているけれど、こればかりは許してほしかった。
着替えを部屋に置いてから厨房へ行くと、バアルが下げられた食事の後片付けをしていた。
「バアルさん」
「ゴフッ!じょ、嬢ちゃんかい、びっくりさせないでくれ」
集中していたのか春菜が入って来たのにまったく気付かず、大きな肩を揺らしておどろいていた。料理を配膳してくれた時の気配りといい、巨体と牙に似合わず案外繊細なオークだ。
「さっきはごめんなさい。グシオンさんに怒られなかった?」
「んあ?安心しな。あの人は本来優しい人だ。めったなことじゃ怒ったりしねーよ」
昼間は空気が変わるほど怒っていたから、あれがその“めったなこと”というわけだ。意外と身近な所に導火線がありそうで、これからは注意が必要だ。
「そっか、よかった。ちょっと尋ねたいんだけど、お風呂ってどうすればいいのかな」
「風呂?そういえば王族専用の四階には風呂があるって聞いたな。豪勢な話だ」
「えっと、そうじゃなくって、私が入りたいんだけど」
「ああ、嬢ちゃん風呂なんて入るのかい?やっぱりいいところのお姫様だったんだな、魔王様が呼び出しただけのことはある」
(お風呂=お姫様か……でもそんな身分の人は清掃業なんてしませんよ、多分)
そうツッコミたかったが話がややこしくなりそうなので止めておく。
「城内の風呂を使えばいいじゃないか」
「いやー、流石に王族用のはちょっと遠慮します。使用人はお風呂はどうしてたの?」
「俺達がそんな上等なもんに入るたまかい。外のたらいは見なかったかい?」
「うっ……やっぱりあれか」
昼間、長屋を覗いて回ってみたものの、入浴設備は見つからなかった。
代わりに目にしたのが、大きなたらいとスノコが立てかけられた、目隠し用のカーテンが吊るされた屋外の一角だ。
(うーん、まさかと思っていたことが的中してしまった)
隣には炉を備えた部屋があって、煮炊きをすることが出来るようになっていた。それが使用人用の厨房かもしれない。
(仕方ない。また甘えさせてもらおう)
流石に今からそこでお湯を沸かす元気はない。かまどに火を入れ、湯が沸くのを待っていたら寝てしまう。
「バアルさん、湯あみをしたいからお湯をもらえないかな」
「おう、構わねえぜ。そこの大釜にたっぷりと入ってるから、好きなだけ持っていきな」
「ありがとう、助かるよ」
バケツを拝借して湯を入れ、長屋の脇にある行水場まで運んでいく。なかなかに体力のいる作業だったけれど、清掃業で鍛えた体は伊達じゃない。
バケツを持って何度か往復していると「たらいを持って来れば俺が一度で運んでやらあな」と、バアルが声を掛けてくれた。なるほど、あれだけの体を持ってすれば、一度にこなせてしまうんだから羨ましい。
それでも、これから毎日この作業をやらなければいけないのだから、甘えるわけにはいかず、気持ちだけ受け取っておいた。
四回ほど厨房と往復して、なんとかくるぶしまでお湯が溜まった。井戸から汲み上げた水でお湯の温度を調整し、カーテンを張り巡らしてやっと湯あみの準備が完成だ。
「昔の人はあんまりお風呂に入らなかったって言うけど、なんだか理由がわかるな」
他にも燃料代が掛かるとか、そもそも清潔観念が今とは異なるとか、理由は他にもあるのだけれど、今した苦労だけでもお風呂の回数が減る理由には十分過ぎた。
「さて……」
服を脱ごうと手をかけて、ピタッと動きが止まる。
(うう、目隠ししたけど風でぱたぱた揺れてる。それに上から見ようと思えば丸見えだし、やっぱり屋外で裸になるのはちょっと抵抗あるな)
またもや未知の体験だ。でもこれからの生活を思えば慣れていかなければいけない。
春菜は観念し服もショーツも脱ぎ、すのこの上に置いた着替えの横に綺麗に畳む。
たらいに両足を入れ体育座りをしても、お尻の部分しか湯に浸かることは出来なかった。けれど、桶で湯をすくって肩からかけてやると、慣れたあの温もりがじんわりと伝わってくる。
「はあー」
魂が口から零れ落ちるんじゃないかと思えるくらい、安堵の溜息を漏らしてしまう。
「長い一日だったなー」
間違いなく、春菜にとって今日が人生で一番長い日だった(物理的にも精神的にも)。
「それにしても」
厨房でバアルが言ったことを思い返す。
(サレオスさんは何を考えているんだろう。魔王城で何があったの……)
奴隷を解放した理由を聞くことはできなかった。流石にバアルはもう喋ってくれないだろうし、グシオンからあんな風に釘をさされては聞きづらい。
「やっぱり、本人に聞くしかないのかな」
さっき言われたように、語って聞かされないのは、それがこれからの仕事には一切関係がないからかもしれない。
それでもやっぱり、サレオスが何を考えているのか、知りたいと思ってしまう。
今日会ったばかりにも関わらず、彼のことがこんなに気になるのは何故か。
(ん、ダメだ。明日からは仕事が始まるんだ。気を引き締めてかからないと……)
たらいの中で立ち上がり、背筋を伸ばして頬をぴたぴたと数回叩く。
夜風がひんやりと肌をなで、体にまとわりついた湯気を吹き飛ばす。ランプ一つの薄暗い明りのなか、上を向けば見たこともない星空が広がっていた。
「綺麗……」
北斗七星も、夏の大三角も、カシオペアもオリオンも、知ってる星座はどこにも見当たらない。
「わたし、本当に異世界に来たんだな」
明日から魔王城の掃除が始まる。




