選択
サレオスは部屋を見廻し、春菜に視線を向ける。
「掃除だけじゃない。庭園、営繕、厩舎、洗濯場、城では多くの人間たちが奴隷として働いていた」
「奴隷……」
歴史の授業でよく聞いた言葉。
もしかしたら今も春菜の世界にはそういう人達が存在するのかもしれない。でも、まさか自分がその現場に足を踏み入れるとは思っていなかった。
(奴隷、強制労働。だからこんなにも)
寒々しい様相を呈しているのだろうか。春菜は改めて掃除室を見廻した。
浮かんだのは当然の疑問。案内された城内に人間の姿は見当たらなかった。
「じゃあ、働いていた、その人たちはどこに行ったんですか?」
「……もうこの城に人間はお前しか存在しない」
サレオスは淡々と言った。答えになっていない、疑問は何一つ解消していない。
「何で存在しないの?みんなどこへ行っちゃったの、ねえ?」
「人間と魔人の違いを知っているか?」
「え、知らないけど」
「だろうな。魔人とは太古に魔物の血を継いだ人間のことだ。外見も身体能力も知能も同じ。違うのは血に魔を宿し、その力を行使できること。他には血の影響で瞳が光るくらいか」
「へ、へえ。そうなんだ」
確かに三人は瞳の輪郭が光っていた。
(なんで今そんな話をするの?)
「人間は血に魔を宿す者を恐れ決して受け入れない。魔人は力を行使できない人間を劣等種と見なす。対立する両者、それがこの世界の両者の関係だ」
サレオスは視線を上げ、遥か彼方の空を見るように語った。
春菜はその横顔に惹きつけられる。
(綺麗、でもどこか……悲しそう?)
「嫌なら帰って構わないぞ」
「え?」
「召喚獣を呼んだつもりだったが、まさか現れたのが使命も果たせない人間だったとはな。俺の魔もまだまだということか」
「どういう意味?」
「人間でも魔人でも、俺を拒絶する者はいらない。なにより、無理やりというのは俺の本意じゃない。希望するならお前も国に帰してやると言っているんだ」
「だって、さっきは使命を果たすまで帰れないって」
「そう、本人の意志ではな。だが、俺の意志をもってすれば送り返すことは可能だ」
「だ、騙したのね!」
カーッと頭に血が巡り、体温が上がる。あんなに選択肢はもう無いようなことを言っておいて。
「俺は嘘は言っていないぞ。お前がそう解釈しただけだ。よく思い返してみろ」
「うー」
『使命を果たすまで己の意志で勝手に帰ることはできない』思い返せば確かにそう言っている。でもこんな伝え方は反則だ。答えを半分しか言ってない。
「どうする。帰るか、残るか。俺を拒絶するか……自分で選べ」
サレオスは挑発するように言った。緋色の瞳は真っ直ぐに春菜を見据えている。
(勝手なことばっかり言って! ……でも、結局最後は私に選ばせてくれるんだ。確かに無職の私にこれだけの報酬は魅力的)
春菜は今まで彼が語った言葉を思い返す。
(だけど、そうじゃないんだ。私が一番気になったのはそこじゃない。言葉は少なかったけれど、この人は自分の考えを語ってくれた。本当の姿を見せてくれたような気がする)
背筋を伸ばし両頬を手で軽く叩く。そうして決心を決めると、サレオスの目をキッと見返す。
「やる、魔王城の掃除、引き受ける!」
「契約成立だな」
サレオスは意地悪そうに、ニッと笑った。
(や、やられた!この魔王、なんでそんなに楽しそうに笑えるのよ!ドSか!)
その笑顔は本当に意地悪そうで、見た瞬間は魔王の策略に嵌められたようにすら感じた。
「仕事は明日からで構わない。今日はもう休め。部屋はいくらでも空いている、好きな部屋を使って構わない。楽しみにしているぞ」
サレオスはそれだけ伝えると部屋を出て行った。
(楽しみ?どんな意味だろ)
言葉の意味を考えていると、入口で立ったままのグシオンと目が合い。しばらく春菜を見据えると、無言のまま部屋から出て行ってしまった。
(なんだったんだろ、今の)
魔王城で掃除人として働くことが正式に決まった。
春菜は城内に住むことはせず、裏庭に併設されている長屋の2階で寝起きすることにした。
ここなら職場はすぐ下だったし、きらびやかな城内よりも落ち着くように思えた。
幸い二階の部屋には、前任者たちが使っていたと思われるベットやテーブル、洗面台やクローゼットという設備、生活に必要な物資が残されていた。
どれも城内の物にくらべて遥かに質素だったけれど、こういう実用本位な物の方が遠慮せずに使えるから、かえって有り難い。
(庶民なんでこれで十分です)
掃除室の有様は散々だったけれど、居室は小奇麗に維持されていた。
(やっぱり、自分達が住む居室はちゃんと綺麗にしてるんだ。奴隷として働かされていた抵抗が、あの部屋に現れたんだろうな)
布団を干したり洗面所を片付けたり、掃除室の片づけをしていると、あっという間に陽が暮れてしまった。
ようやく片づけも済んで、備え付けのイスに腰掛ける。
「ふー、結構時間かかったけど、これなら明日からの仕事に間に合いそう」
背もたれにもたれながら、ぐーっと伸びをして天井を見る。壁際に置いたランプが、長い影を延ばしていた。
(さっきはやられたなんて思ったけど、本当はそんなんじゃないんだ)
思い返すのはサレオスとのやり取り。
(人間と魔人の関係を話してる時、彼の瞳に宿っていたのは悲しみだった。私にはそう感じた)
奴隷として働いていた人たちがどうなったのか、結局語ってはくれなかったけれど『お前も国に帰るか』『無理やりは本意じゃない』という言葉にその答えがあるように思えた。
春菜にはサレオスが悪い魔王だとは思えなかった。
挑発されたとか、金貨に目がくらんだとか(もちろん少しはあるけれど)そんなことが理由で掃除を引き受けたわけじゃない。
あの時サレオスが見せた瞳と、わずかな言動を見聞きしただけで、この城で働きたいという思いが芽生えた。
(もしかしてこれって魔王の魔力!?)
ブルブルっと強く頭を振って、バカな考えと否定する。彼がそんな卑怯な真似をするわけがないと。
(そりゃ、見た目が好みであることは否定できないけどさ)
ぐくきゅ~。お腹が盛大に鳴って、誰かに聞かれてしまわなかったかと、誰もいるわけがないのに部屋を見廻す。
「はぁー、お腹減った。よく考えたら、召喚されてから大分時間が経ってるもんね。厨房行けば何かもらえるかな」
春菜が長屋一階にある厨房に向かう。
バアルが部屋の中央に設えた炉の前で巨大な鍋をかき回していた。彼の前だと大鍋がフライパンくらいの大きさに見える。
扉が無いので、入口の壁をノックする。
「ゴフッ、嬢ちゃんか」
バアルは手を止めて、気さくに対応してくれた。見た目で年齢は分からないけれど、そんな呼び方をするとは結構な年配者なのか。
「何作ってるんですか?」
「シチューだ。今朝締め鹿を。野菜と一緒に煮込んでる」
「私も頂いていい?」
「もちろんだ。この城もすっかり住人が減っちまったから、料理人としちゃあ食べてくれる人は大歓迎だ」
『人が減った』と言うことはバアルは以前からこの城に務めていることになる。
「ねえ、バアルさん。どうしてこのお城には人が全然いないんですか?」
「……ああ、そのことか。グシオン様からは何も聞いてないのか?」
バアルは言葉を濁し、再び大鍋を掻きまわしはじめた。