狩猟
「何が起こってるの?」
春菜の疑問はすぐに解明する。たちまち森を突っ切るように飛び出してきたのは、体調が3メートルを超える大きな牙の生えた猪型の動物。
後ろからは牙を剥き出して追いたてるコボルト達の姿が。しかも、猪の尻には二人が噛みつきぶら下がっている。
「リマ!トウマ!なんて無茶なことやってるの!」
春菜はここにきてようやく聞き流していた言葉を思い出す。
『遊び相手も豊富だろう』
「そういう意味かー!もっと詳しく教えてよサレオスさん!」
コボルトの遊びとは狩りをすること、遊び相手は野生動物。その意味をようやく理解した時、コボルト達は猪共々再び森の中へ消えていた。
「クックク、この吠え声、この肌触りこそ狩場よ。貴様等!お嬢様は任せたぞ!」
バルバスは春菜を部下に任せると、弾丸のように森へ飛び込んで行った。春菜は驚くのに疲れ、口を開けて呆けたように見送る。
「ああ、行っちまった」
「戦が終わって城勤め。退屈そうにしてたもんな」
残された衛兵はいつものことだと言いたげに、落ち着いた様子だ。
「あ、あなた達!捕まえちゃったのその猪!」
しばらくして森から戻ったコボルト達は自分よりも大きな猪を、御神輿を担ぐようにして運んできた。猪はピクリとも動かない。『捕まえた』のではなく、『仕留めた』と言った方が適切だろう。
コボルト達は自分の仕事を褒めて欲しいのか、春菜の前に猪を置いてそわそわと顔色を窺ってくる。
「牙が四本も生えて、やっぱりコレ猪じゃない?どこをどうしたらこんな大きなのを倒せるのよ。まあ、聞きたくはないけど……。って、ちょっと待って人数少なくない?」
数えてみると一人足りない。狩りの最中に事故でもあったのか、春菜の胸中を焦りが駆け巡る。
「ねえリマ!一人いないけどどうしたの?」
「あ、本当だ。サハリがいない」
「今気が付いたの!あなた達はずっとその猪を追いかけてた?」
「はい!大きいでしょ。ご主人様のために捕まえたんです」
「バカ!こんな危ないことして、怪我でもしたらどうするの!」
春菜の剣幕にリマがビクリと肩を震わせた。その動揺は他のコボルト達にも伝染していく。
「どうしよう、サハリに何か起きたなら探しに行かないと」
「ご、ご主人様ごめんなさい、僕達……」
リマの耳はペタリと寝て、尻尾は元気なく垂れ下がっていた。主人に怒られた時の犬そのままの姿を見て春菜はハッと我に返る。
(理由も聞かないで頭ごなしに叱って、この子にこんな顔をさせてしまった。バカ、私が冷静にならないと、不安が伝染するだけだ)
罪悪感とリマへの愛おしさにに胸が締め付けられる。春菜は背筋を伸ばし顔をぶるぶる振って、バチンと大きな音を立てて頬を両手で叩くように挟み込んだ。
リマの前にしゃがみ込むと、小さな肩をビクリと震わせる。
「よくあんなに大きな猪を捕まえてくれましたね。立派よ。だけどこれからは私のために狩りをする必要はないの。自分たちの遊びとしてするなら止めないけど、怪我をしないことが条件。約束して」
「はい、ご主人様!」
コボルト達は全員で尻尾を振り、大きな返事を返してくれた。リマの肩を摩りながら優しく語りかけると、寝ていた耳が起きていく。
「ここにいない一人について何か知っている者はいますか?」
「はい、途中で大きな蝶々を追いかけて行くとこをみました」
一人が手を挙げて答えた。するとサハリはそこではぐれたか。
「リマ、あなた達は帰って来る場所がどっちにあるか把握してた?」
「はい。臭いを辿れれば僕達はどこからだって帰れます。それにご主人様の居場所なら匂いで分かります。なあ、みんな?」
「ええ!私そんなに匂いする?」
「うん、ご主人様の匂いならちょっとくらい遠くからでもわかるもん」
「ご主人様いい匂い」
一人がくんくん鼻を鳴らすと、つられた他のコボルトも一斉に春菜の匂いを嗅ごうと、顔を上に向けて鼻を動かす。
「ちょ、止めなさい、匂い禁止!って、衛兵さんまでやってる!何してるんですか!」
春菜に叱られしょんぼりと肩を窄めるコボルトと衛兵。
(はあ、驚いた。お風呂は念入りに入らねば……。でもそうか、帰る方向は分かるんだ。子ども扱いしすぎて無用な心配をしちゃダメだ。もうしばらく待って、はぐれた子が帰らなければ探しに出よう)
コボルト達はすっかりいつもの調子になって猪の周りで遊び始める。
「ていうか、もう一人大きなのが帰ってきてないんですけど」
血気盛んに飛び出したバルバスは、未だに姿を現さなかった。
「お嬢様、どちらへ?」
春菜がコボルト達から離れ、森へ入ろうとすると衛兵が呼び止めた。
「あ、あはは。ちょっとお花詰みへ」
「花摘み?では我らもお供します」
流石に護衛だけあって、側を離れようとしない。でもそれでは困るのだ。
「いえ、ですからホントの花詰みではなくて」
「??」
真意が伝わらずにこちらへ向かって来る二人。春菜は両手を前に出しストップを掛ける。
「おしっこです……」
「失礼しました!」
ハッとして背筋を伸ばした衛兵は、深々と頭を下げて引き返して言った。
「うう、言わせないでよ。『キジ撃ち行ってきます』の方がよかったかな?いや、通じなさそう。水分控えてたけどもう流石に限界」
きょろきょろあたりを見廻し、適当な場所を探しながらふと思う。
「あの子達、鼻がいいってどれくらいなんだろ。もっと距離取った方がいいかな。変なこと言い出されたどうしよ」
コボルトにまで恥じらうつもりはないけれど、何が起きるか分からないので用心に森の奥へと進む。いざ用を足そうと探してみても、中々適当と思える場所がない。森は日光が高い枝に遮られるせいで、下にはあまり葉が茂らずに隠れづらい。
(うーん、別に周りには誰もいないんだから、木の陰で適当に済ませちゃうか)
大きな木を見つけ近づこうとした時、枝が折れる乾いた音に春菜は飛び上がる。
(誰!まさか、さっきみたいな猪なんじゃ)
警戒しながら周囲を見回すと、小さな人影が駆け寄って来る。
「サハリ!」
「ご主人様!」
一人帰ってこなかったコボルトが、春菜を見つけるなり子犬のように懐に飛び込んできた。くっついて離れようとしない肩を掴んで引き剥がし、体の様子を確認する。
「よかった、心配したのよ。大丈夫?怪我はない?」
「うぅ、怖かったよ」
(サハリはみんなの中でも一番おとなしくて優しい子だもんね。狩りより蝶々追っかける方がよかったのかな。こんなとこ見ると、やっぱり子供にしか思えないんだけどなあ)
安心をしたのか、いつになく甘えてくるコボルト。
「やあ、よかった。そのコボルトのご主人は君だったんだね」
「え?」
いつからそこに立っていたのか。突然若い男の人が春菜に声を掛けた。サハリの様子を確認するのに夢中で、その後ろに人がいたなんてまったく気が付かない。
「道に迷っていたようだからね、僕がここまで送って来たんだ。コボルトは鼻が鋭敏でも自分の匂いは辿れないから、時にはこうして迷ってしまうことがあるんだ」
男の人はそう言って、手にしていたコンパスをポケットにしまった。歳は20代後半くらい。髪を後ろで結わえ、無精ひげを伸ばし、人のよさそうな笑顔を浮かべている。
「それは……どうもありがとうございました。主人としてお礼申し上げます」
「おや?君は……」
男の人は春菜の目に注目していた。覗き込んでくる彼の瞳の輪郭は、青色に輝いている。魔人だ。
「人間だったんだね。コボルトの主人が人間と言うのは珍しい」
「あ、はい。私とこの子達はお城の掃除人をしているんです。今日はお休みなので遠足……いえ、遊びに来ていて」
「へえ、掃除人!城の奴隷は全て解放されたって聞いたけど、君のような可愛い子もまだいるんだね」
男の人は気さくに笑った。他意はないのかもしれないけれど、声が甘い分口説かれているような印象を受けてしまう。春菜は言葉に詰まる。
「ごめんごめん、変な意味はないんだ。僕の名はアンドラス。実は僕も掃除屋をしているんだ。もっともお城ではなく、教会の仕事だけれどね。今は観光で王都を訪れていて、名高い魔王城を一目見たいと思って、ちょっと丘まで足を延ばしにきたんだ」
「ああ、それで双眼鏡なんて腰にぶら下げているんですね」
「え?」
アンドラスは眉に皺を寄せ驚いていた。
遠望のために双眼鏡を使う。ごく当たり前の行為だし、普通なら気に留めないのかもしれない。けれど春菜には、なぜか腰に掛けられている対になった黒い筒が気になった。
「それ双眼鏡ですよね?」
「あ、ああ。これのことか。なるほど双眼鏡とは言い得て妙な名前だ。でも驚いた、この国では普及はしていないと思ったから」
(ふーん、じゃあこの人はお金持ちか、新し物好きか)
二人で話し込んでいると、サハリが何か言いたそうに春菜の脚を引っ張る。
「ん?そうか、あなたお礼が言いたいのね。じゃあ、ちゃんとしましょう」
「ありがとうございました。おかげさまでご主人様にまた会えました」
「ハハハ、どういたしまして」
さっきまでと打って変わった大人な対応で、サハリがぺこりと頭を下げる。その様子にアンドラスは愉快そうにお辞儀を返した。
「君はご主人様というより先生みたいだね」
「やっぱりそう見えちゃいます?自分でもたまにそんな気がするんです」
「いいじゃないか。信頼関係が築けて統制が取れているなら。主従の関係は様々だよ」
春菜も最近そんなことを思っていただけに、そう言ってもらえると少し安心する。
「お嬢様ー、いらっしゃったら返事をして下さい。お嬢様―」
遠くから衛兵の声が聞こえ、その場のいる3人は一斉に声の方を向く。
「お嬢様?君は――」
「あははは。そんなガラじゃあないんですけどね」
城の掃除人がお嬢様呼ばわりされていたら、事情を知らなければ誰だって不思議に思うだろう。自分でもまだ気恥ずかしいだけに、照れ笑いを浮かべる。
「……どうやら君には少し秘密があるみたいだね。でも、女の人はそれぐらいの方が丁度いい。特に君みたいな綺麗な女性は」
(な!なんという歯の浮く台詞を臆面もなく!こっちまで恥ずかしくなっちゃうよ!)
それでも不思議と悪い気がしないのは、彼のやさしそうな笑顔と柔らかな物腰のせいか。
「さて、お付きの人が心配をしているようなので行った方がいい。僕もこれで失礼するよ」
「どうもありがとうございました。何もお礼も出来ずすみません」
「また、会えるといいね」
アンドラスは後ろ姿で手を振りながら森の奥へと消えて行った。
(ん?今人影が二つ見えたような……気のせいかな)
「ご主人様」
サハリがつんつんと春菜の袖を引く。
「ちょっと格好良かったです。あの人」
「はは、そっか。サハリは女の子だもんね。確かに無精髭さえなければ、かなりのハンサムなのに勿体ない。でも私には……」
「魔王様も格好いいです」
「そっ……そうですね」
偶然か、はたまた意図して言ったのか。春菜は「そうでしょ!」と大きな相槌を打とうとして、すんでで思いとどまる。
「……あ!私おしっこするところだったんだ!サハリ、衛兵さんを止めて来て!」
「はい!ご主人様!」
頼もしい返事で走り出すサハリ。衛兵の声はすぐ側まで近づいていた。
コボルト達の元へ戻ると、バルバスが巨大な角の動物を仕留め帰っていた。
「なんですと?狩猟地に人が?」
「はい。若い魔人の男性が、サハリを保護して連れてきてくれたんです」
「そうですか、他には何か特徴はございましたか」
「うーん。瞳が青色に光ってて、お城が見たくて丘に登ってたとかで、手に双眼……望遠鏡を持ってました。アンドラスさんという名前で、教会で掃除の仕事をしているって」
「教会ですと?……ザック!キーン!」
バルバスは緊張感の籠った声で衛兵の二人を呼ぶ。
「間に合わんとは思うが、その者の後を追え。日暮れまでに捕捉できなければ帰ってこい」
衛兵は指示を受けると速足に森の中へと消えていく。ただならぬ様子に春菜は不安を覚える。
「あの、バルバスさん。何か不都合なことがありましたか」
「いえ。お嬢様はどうかお気になさらんで下さい。その者、王家の狩猟地に偶然紛れ込んでしまったと言うならまだ許せもしますが――」
バルバスは顔をしかめる。
「魔王城を見るのに意図的に侵入を図った。教会の仕事をしているなら少なからず信心はあるはず。崇めるべき魔神と縁深い魔王様の城を見るのに、正面からではなく山から見下そうという。その意図が気に食わん。それだけです」
(確かに、そう言われればそうかもしれいない。……でも、サハリを送り届けてくれて、悪い人には見えなかったけど)
春菜は彼の優しげな笑顔と、手にしていた双眼鏡を思い出した。




