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洗濯

コボルトたちとの仕事は順調に進んでいた。


春菜は可愛らしさに甘やかしそうになる気持ちをグッと押さえ、少々の後ろめたさはありつつも主人として毅然とした態度で接した。


掃除用具の使い方を教えながら城内を一緒に掃除して回り、顔と名前の見分けに自信が着く頃には、それぞれの個性もなんとなく把握出来ていた。


春菜が調理場のアンドロに頼んでおいた鍋を掃除室に持ち込むと、トウマが鼻をスンスンならしながら寄ってくる。この子は好奇心旺盛で一番質問することが多い。


「ご主人様、それはなんですか?」


「これは石鹸草の茹で汁を冷ましたものです」


グシオンに頼んでいたのがようやく届いた。石鹸草にはサポニンという天然の界面活性成分が含まれていて、イスラでも石鹸のない地域で代わりに用いられている。


煮出した液体を壺に移し替えると、透明な液体が泡を作りながら溜まって行く。


「この液体は洗剤です。汚れの酷い部分にはこれを付けて拭き掃除をします。これからは洗剤を用意するよう指示されたら、この壺を持ち出しなさい」


「はい」


「みんな整列!」


声を掛けるとコボルト達は素早く横一列に並ぶ。潤んだ目を真っ直ぐこちらに向け、よそ見をする者もいない。数日の指導ですっかり春菜を主人と認識するようになっていた。


「今日からあなた達には各自で現場に入ってもらいます。今から呼ばれる者は一歩前に出なさい。トウマ、ウリ、ラグ」


三人のコボルトがパタパタ尻尾を振りながら前に出る。一二人しかいないコボルトでも、明らかに序列が存在することを日々の行動で感じた。その上位と思われるのがこの三人。


「あなた達三人にはリーダーとして班を率いてもらいます。いいですね」


「はい」


春菜はそれぞれをリーダーとしてコボルトを三班に分け、掃除の担当場所を決める。


「そしてウリ、あなたをコボルトのボスとして指名します」


ウリは冷静で落ち着きがあり、周りから一目置かれている存在。


「以降、あなた達はチームとして動きなさい。何かあればリーダーに相談。リーダーはウリに相談。ウリは私に相談するという形を取ります。わかりましたね」


春菜の指示に従いコボルト達は一斉に動き始め、テキパキと用具を準備していく。柄を短くした箒やフロアダスター、雑巾やバケツをキャスターの付いた大きなカゴに入れる。このカゴは春菜が一度に荷物を運べるようにと作ってもらったものだ。


「準備が済んだら持ち場に移動して掃除を開始すること」


コボルト達はいよいよ今日から自分達だけで掃除に入る。


各自が現場に移動すると、春菜は三カ所を順番に巡回し、掃除が遅滞なく行われているか見て回る。根が働き者なのか、それとも春菜の指導が幸いしたのか、目を離していてもリーダーの元で真面目に仕事をこなしている。


コボルト達には初めの頃になかった変化が幾つか見られるようになっていた。


まず、仕事時以外では追いかけっこや取っ組み合いのように、じゃれ合うことが増えたこと。城内で走り回って、高価な装飾品を壊されてはかなわないと、慌てて裏庭以外での追いかけっこを禁止した。


休憩中もリラックスするようになったのか、仲間内でなにやらちょっかいを出し合って遊んでいる。人間のように表情から喜怒哀楽を読み取ることは難しくても、尻尾や耳の動き、舌の出しかたや目線を見ていると、なんとなく感情が分かるようになった。


最初のうちは呼ばれなければ春菜の側に近寄ることは無かったが、今では文字通りしっぽを振りながら用もないのに近づいてくる。その度に春菜は――


(うう、辛い!その毛並みをまさぐりたい!モフモフに顔を埋めたい!これは酷だ、ご主人を演じるうえでの一番の苦痛はこれだ!)


―と、身悶えしそうになるのを必死にこらえた。




コボルトの現場デビューをとなった1日を終えて、春菜は自分の居室に帰り大きく伸びをする。


「やった、無事終了!くぅー、大変だったなあ。我ながらよくやったよ私!」


掃除はミスや事故も無く、仕事内容も満足いくものだった。


「よし、今日はシーツを取り替えて気持ち良く寝よう」

ベットのシーツを剥がすと、チェストから取り出した洗濯された物に取り替える。


「サレオスさんのお母さんが住んでいたって聞くと少し恐縮しちゃうけど、やっぱり居心地いいよねこの部屋」


落ち着かないかと思った城内での生活も、今ではすっかりくつろげるようになっていた。


「お城での仕事は大変だけど、実は楽なとこもあるんだよね。洗濯しなくていいでしょ、ご飯もバアルさんが作ってくれる、家賃は無料だし、服も可愛いのがいっぱいあるし……福利厚生いいぞ魔王城!」


仕事の成功に気をよくして変なテンションの春菜は、ベットメイクを終えると部屋を出て行く。


「お邪魔しまーす」


ノックをして返事がないことを確認し、入ったのはサレオスの部屋。基本的に城の敷地外にある政庁で仕事をしているサレオスは、帰りが遅いことが多い。


今はまだ忙しくて毎日掃除に入ることは出来なくても、シーツの交換や簡単な片付になるべく入るようにしていた。こまめにポイントを稼ぐところがいじらしい。


「そういんじゃないから! ……って、誰に言い訳するわけじゃないけど」


クイーンサイズくらいはある大きなベット。布団を引っぺがし、覆い被さるようにしてシーツを交換していく。


(サレオスさんのベット)


我ながら呆れはするけれど、この瞬間に胸の高鳴りを感じることは否定できなかった。


春菜は洗濯に出すシーツを手にしたまま、ピタと動きを止めた。。そして、いつにない真剣な表情でシーツを見つめ、鼻をそっと近づける。


(サレオスさんの匂い……)


息を吸い込むと、日向のような、草原に寝転ぶような、心地よい安心感に包まれる。


「ハッ!」


しばらくして気付いたように我に返り、シーツをくしゃくしゃに丸めて部屋を飛び出していく。


(何やってんのよ私!シーツの匂い嗅いだりして。誰かに見られでもしたらなんて言い訳する気!)


とは言え、見たままなのだから言い訳のしようもない。春菜は気恥ずかしさに頬を赤らめ、廊下をズンズン進んで三階へと下りる階段に辿り着く。


「うわああ!」


「ヒ!」


バッタリ人と遭遇し、春菜は驚きのあまり大声を上げ、抱えていたシーツを床に落した。ヴぃっくりしたのは春菜だけではない。突然大声を聞かされた相手も、両手を上げるようにして身を硬直させている。


「グ、グシオンさん」


「あなた!……いきなり大声を出したら驚くでしょう」


「ご、ごめんなさい」


落したシーツに手を伸ばそうとした瞬間、階段から大きな声が響く。


「いかがされました!」


階下から上がってきたのは、数日前から城内に配置されるようになった二人の衛兵だ。


「これは、グシオン様にお嬢様。一体何が、お怪我はありませんか」


シーツを真ん中に硬直する春菜とグシオンを目に、衛兵は緊迫した声で尋ねた。


「大事はありません。少し驚いただけです。下がりなさい」


「あ、ははは。ごめんなさい。ちょっと、驚いて大声だしちゃいました。以降気を付けます」


「左様でありましたか。ならいいのですが」


衛兵は事件性が無いことを確認すると、階下へと下りて行った。平時、王族専用の四階に衛兵が置かれることはない。これはサレオスの指示だ。


「気を付けなさい。彼等に無用な心配をかけるものではありません」


「恐縮です……」


グシオンが落したシーツを拾い上げる。


「これは……」


「あ、ああ。シーツです。私の分とサレオスさんの部屋」


シーツから春菜へと視線を巡らせるグシオン。別に焦る必要はないのだけれど、あんなことをしただけに、なんとなく後ろめたい気分が込み上げてしまう。


「ご苦労なことです」


「いやあ、これが仕事ですから。じゃあ、私はこれで」



そそくさとその場を後にする春菜。『本当にそれだけですか?』というグシオンの声が聞こえたように思うのは気のせいだ。


(それにしてもグシオンさんて、驚くと可愛らしい声出すんだな)


春菜は階段の下にいた兵士に再度謝って、リネン室へと向かった。

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