相談
カーテンの向こう側。どこに居るのか見当はつかないけれど、それほど遠くない所にいるのは確かだ。
(怖い……)
この異世界に来て春菜は初めて恐怖を感じた。
誰がいるのか、何をしているのか、目的も分からない。息を殺してしゃがみ込み、不測の事態に備えていつでも逃げられるよう、カーテンの向こうの気配を探る。
足音が止んでからは物音も声も聞こえず、それだけに緊張感は増してゆく。
(いっそ、こっちから)
この場の空気に耐えきれなくなり、春菜は声を掛けようと口を開く――
瞬間、足音が再開し気配が遠のいて行く。
(よかった、遠ざかって行く)
悪意があって近くに来たわけではないかもしれない。それでも湯あみの時にカーテンの向こうに人の気配を感じるのは怖い。
(誰かに相談……ううん、そうじゃない。ここの人たちはずっとこの形でやって来たんだ。異分子は私の方。人がいるのが怖くてお風呂に入れませんなんて話したら笑われる)
新しい部屋着に袖を通す喜びも、こんなことの後では感じることができない。
(はぁ、せめて同姓がいてくれたら違うのに)
春菜の異世界生活二日目が終わる。
朝食を終え、掃除室で支度をしていると来客がやってくる。
「ああ、まだおったか」
「ビフロンさん、おはようございます」
現れたのは昨日、設計図を渡した鍛冶場のドワーフだ。
「おはよう。頼まれていたものを持ってきたよ」
「え?もう出来たんですか!」
ビフロンは手にしていた道具を春菜に差し出す。長い棒の先に木の板をT字型に取り付けた構造。フロアダスターだ。
「必要な物なんだろ?待たせちゃ悪いと思ってな、ちょいと急いでみた」
「ありがとう、とっても助かります。さっそく今日から使わせてもらいますね」
「喜んでもらえてなによりだ。で、それをどう使おうってんだね」
「見ててください」
春菜は昨日もらってきた滑らかな肌触りの純毛ストールを取り出した。
これに罪悪感を感じながらハサミを入れて、手ごろな大きさに切ってフロアダスターの板部分に張り付ける。そして、備え付けられてるピンで固定する。
「こうするんです」
床にストールで作ったクロス部分を密着するように宛がい、軽く室内を歩いて見せる。
フローリング用の使い捨てワイパーと同じ原理だ。
「ほお、始めてみる道具だな」
「乾式モップみたいなものですね。ポイントは柔らかくて細い純毛の生地を使うことです」
だから貰ってきたのは高級なストール。
「埃やゴミを吸着させるのに静電気が一役買ってくれます。これなら箒と違って埃を巻き上げることがないから、掃除に掛かる時間も大幅に短縮できて、なにより楽なんです」
「考えたもんだな。そんなもん初めてみるよ」
「私のいた世界……いえ、国では一般的なんですよ。と言っても使い捨てのクロスを使うのが普通で、ウールを使ったりはしませんけど」
「そうかい、使い捨てよりはそっちの方が節約になるな」
なるほど、大量生産の大量消費というシステムはこの世界にはまだ無いらしい。
「いやー、それを言われると耳が痛いです。洗って使い回すから、長い目で見れば費用はトントンかなって」
クロス一枚の値段は少々張るかもしれないけれど、なにせこの広い場内を一人でこなさなければならない。対費用効果で大目に見てもらおう。
「まあ、あんじょう気張りんさい。頼まれてる他の品も、出来上がり次第届けるから」
「ありがとうございます」
春菜が一礼すると、ビフロンは鍛冶場の方へ帰って行った。
(うーん、バアルさんといい、ビフロンさんといい、このお城の人たちって仕事熱心だな。それにしては……)
気になるのは城内の掃除具合。決して手を抜かれているわけではないのだけれど、もうひと手間かけてやればいい箇所に手が入っていない。大分違いが出るはずなのに。
(やっぱり、嫌々働かされていたってことになるのかな)
奴隷と言う制度の本質、そこで働かされる人たちの気持ちを想像することはできない。
春菜は早速新兵器を使って仕事に取り掛かる。今日掃除に入るのは一階。大廊下から左右に伸びている長い廊下だ。
春菜は廊下の端から端へ、歩きながらダスターを滑らせていく。
「うわ!これいい!昨日の床掃除とは段違いの進捗だ。地味なようでも掃除道具って進化を遂げているんだなー」
埃が均一に積もり白っぽくなっていた床。ダスターを掛けた部分は埃が綺麗に取り去られ、石材の珊瑚色が濃く現れる。
「ふふ、爽快」
昨日の苦労を思い、思わず顔が綻ぶ。
ダスター部分は一メートル程の長さがあるので、十回ほど往復すれば流石に広い廊下でも拭き終わる。
でも残念ながらこれだけでは終わらない。靴で汚された床を綺麗にするには、雑巾がけも欠かせなかった。
それでも人の導線部分、汚れている所を中心に掛ければいいから、昨日の労力に比べれば遥かに楽だ。
雑巾の準備をしている春菜に、背後から声を掛ける人物が現れる。
「それの効果は上々のようですね」
「おはようございますグシオンさん。今日も早いんですね」
「それを言うのは私の方ですよ。さっき、後ろから見させてもらいました。なるほど、純毛に生ずる静電気を活用してゴミを吸着させる。おもしろいアイデアです」
(わ、見ただけで仕組みを理解している。やっぱりこの人、顔だけじゃなく頭もいいんだ)
それに昨日も仕事をしている時に声を掛けてくれた。春菜を気にかけてくれていることが分かる。
「いやー、私の発案じゃないですけど、効果は上々でした」
「謙遜しないで下さい。異世界のテクノロジーを再現したのはあなたの力です」
「それもグシオンさんと、ビフロンさんのお陰、ですよ……」
「どうしました?」
春菜は突然言葉を詰まらせ、視線を床に落した。その様子を察したのか、グシオンが尋ねる。
「昨日の夕方、仕事が終わってから裏庭で湯あみをしていたんです」
どうしてこんなことを口走ってしまったのか自分でも分からない。けれどこうしてグシオンの顔を見ていたら、自然と言葉が出てきてしまったのだ。
「それで……」
「?」
(なんで私こんなこと口走ったんだろ。相談なんてする気じゃなかったし、話すようなことでもないのに)
口を開いたは良いものの、後の言葉が続かない。
「どうしました?」
「えっと、その、ごめんなさい、やっぱり何でもないです」
春菜は言葉を飲み込んだ。
正しいと思えること、必要だと思ったことなら物おじしないで話せる。でもプライバシーが確立された世界で育った自分の概念を、異世界の文化に持ち込むのは筋が違う。
(馬鹿なことを口走っちゃったな。こんなの甘えだよ)
グシオンは春菜を無言で見つめ、しばらくして口を開く。
「……案内しきれていませんでしたが三階に浴室があります。私が利用をしていますが、掃除までは手が回らずに、利用後に片付けをする程度になってしまっています」
「え?それってどういう?」
「ここをあなたの持ち場に加えてくれると助かります。異世界の浴室など馴染みはないでしょうから、掃除をしながら実際に使い勝手も確かめて下さい。ちなみに私は毎日入浴しますから、必然掃除も毎日必要になります」
「あ、ありがとうございます!それで、グシオンさんの入浴は何時ごろですか?」
「はっきりと決まってはいませんが、夜の遅い時間が多いです」
「分かりました!じゃあ、お風呂を使ったらそのままにしておいてください。次の入浴までには綺麗にしておきますから」
春菜の沈んだ顔にパッと明るさが戻る。仕事量を増やされて礼を言うのもおかしな話だけれど、お風呂を自由に使えと言ってくれている。そんな掃除なら大歓迎だ。
喜んでいる春菜に、グシオンが唐突に尋ねる。
「服を変えたのですね」
「はい、サレオスさんが魔王城に相応しくないと言うそうなので、ヴィネアさんに見立ててもらって着替えました」
見るに見かねたという表現をまた付け忘れているが、昨日春菜の服装を見て硬直したグシオンなら理由は分かっているはずだ。
「サレオスがそう言った?」
ピクリと眉を動かし、改めて春菜の全身を一瞥した。
何か感想があるかと少し期待したけれど、返ってきたのは「そうですか」という小さい呟きだけだった。
(そりゃそうだ、自惚れすぎだよ私。グシオンさんの方がよっぽど格好いい)
グシオンの装いは二重の折り返し襟が付いたダブルのコート、細身のパンツ、肩まで届くウェーブの掛かった金髪に三角帽子を被っている。
凛々しい顔立ちと細身のスタイルにゆったりした上着は、春菜から見ても不思議な色気を纏っている。
(魔人てみんな美形なのかな、それともこの人たちが特別?)
「……聞いていましたか?私は仕事に戻ります」
「ええ?はい!すいません!」
春菜は焦りで思わず背筋を伸ばす。色気に思わず見とれてましたとは言えない。
「新体制に移行して、城外で働く使用人は徐々に増えていきます。異世界の人間のあなたが戸惑うこともあるかもしれません。何かあれば私まで言いなさい」
(新体制。ヴィネアさんも同じようなことを言ってなかったっけ)
「城内の人員については当面現状です。一人で仕事をこなすのは大変と思いますが、汚れることも少ないと思います。可能な範囲で掃除を行ってください」
「はい、分かりました」
グシオンは業務連絡のように告げると立ち去って行った。途中、春菜の方に一瞬視線を向け、僅かに口を動かした。
(え?)
はっきりとは聞き取れなかったが春菜には『よけいなことを』そう言ったように聞こえた。
(どういう意味だろう。私が、それとも誰かが『よけいなこと』をしたっていうこと?)
考えてもその意味を察することは出来なかった




