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魔王

「――」


「かんりょ――うしま」


「いつみ――ふし――」


(話し声?)


聞こえてきたのは、何人かの話し声。


(なに?……何を言ってるの?)


次第に言葉は明瞭になるけれど意味が理解できない。


やがて光がゆっくりと収束して、徐々に周りの輪郭線が浮かび上がってくる。


光沢のある石の床、神殿のような列柱、高い天井、人影が三人。目に入って来るのは見たこともない風景だった。


(えっと――何これ?私、さっき駐車場へ出る扉を開けたよね)


一瞬意識を失っていた春菜の記憶は、過去と現在が錯綜する。


背の高い、貴族を思わせる華美な格好をした三人が、春菜に無遠慮な視線を向けている。


「こんなことを言ってはなんですが、召喚獣にしては少々貧相ではありませんか?」


「あれ人間なんじゃない?ねえサレオス、アンタ異世界獣を呼んだはずよねえ?」


「……」


三人は春菜を無視して会話を続ける。


「見かけで判断するなということですか?何か特殊な能力を備えているとか」


「黒い瞳と髪って珍しいわね」


「……」


(そうだ!扉を開けた途端白い光に包まれて!)


ほんの数十分前、夜の清掃バイトに出勤して、仕事の準備に取り掛かっていたところだった。それが何故こんな場所に立っているのか。どうやらあの光が関係していたらしい。


(この人達外人?あれ、いつのまにか言ってることがわかるようになってる。吹き替え版?)


混乱する春菜の頭。三人は日本人離れした容姿で、映画のワンシーンを見てるようで現実感が湧かない。


(三人とも凄いな。美形だ、イケメンだ。特にさっきから何にも喋らない真ん中の人)


キレ長で三白眼の冷たそうな目。綺麗な鼻筋に引き締まった口元。思わず見惚れてしまう美貌をしている。


「何やらこちらをジッと見ていますね。随分と間の抜けた顔をしてます」


「あら、初めて文明に触れた狸みたいで可愛らしいじゃない」


「……」


それにしても、美貌の三人に見つめられ続けるのは居心地が悪い。相変わらずこちらを無視して会話を進めているので、自分から話しかけるしかなさそうだ。


「あの、これは何かの面接?……と言うかここは何処なんでしょう?」


「喋りましたよ!言語能力を有する召喚獣なんて初めてじゃないですか!」


「それにしてもダサイ格好ね。何あの上下がくっついた服。頭の被り物だってセンス最悪、日除けかしらあれ」


「……」


驚く右端の人、呆れる左端の人、真ん中の人は相変わらず一言も発さず表情を崩さない。


まるで珍獣のように言われ、仕事着のツナギ姿を罵られ、面くらってばかりいた春菜もさすがにカチンとくる。


「ムー。ちょっと、失礼じゃないですか。どなたか知りませんが、初対面の相手にそんな風に言うの」


「……」


その言葉に反応をしたのか、真ん中の男の人が無言で片手を開いて前に翳かざした。まるで会話を遮るように、“待て”と指示するようだ。


「な、なんですか?」


春菜は行動の意味が分からず戸惑う。


「!」


「サレオスの命令を受け付けない!」


「ちょっと、コレ召喚獣じゃなかったの?」


驚く二人を余所に、サレオスと呼ばれ人が初めて怪訝そうに口を開く。


「お前は……何者だ」


「何者って、花沢春菜ですけど」


「ハナザワハルナ」


サレオスは台本の台詞を棒読みするように、抑揚なく名前を繰り返す。


「この召喚獣、今までのような命令の仕方は受け付けないのではないでしょうか。言葉を話すと言うことは、会話で意思疎通を図れということでは?」


「なるほど、グシオンの言うことも一理あるか」


サレオスは改めて春菜に向き直る。


「召喚獣ハナザワハルナ。俺の言うことは通じているな」


「はあ……」


春菜は気の抜けた返事をする。子供の頃やったゲームに召喚獣はよく登場していた。しかし、いざ自分がそう呼ばれると、動物扱いされるようでいい気はしない。


「覇気のない召喚獣だな。まあ、言葉は理解出来るようだが」


「あの、その呼び方止めて貰えませんか。花沢でも春菜でも、言いやすい方で構いませんので、ちゃんと名前でお願いします」


「ふん、主に注文を付ける召喚獣か。お前はアステガルトの者か?」


サレオスは鼻で笑った。頼みを顧みる気はなさそうだ。


「アス?えっと、意味が分からないんですけど」


「なるほど、異世界から来たと判断していいな。ではお前は人間か?」


「当たり前じゃないですか。他に何だって言うんです?」


サレオスは真っ直ぐに春菜の目を見つめていた。


今まで気が付かなかったけれど、よく見れば彼の瞳の輪郭はうっすら光っているように見える。他の二人も瞳もの色こそ違え、わずかに発光しているのは同じだ。


春菜は不遜な態度を取られたことも忘れ、サレオスの目に見入った。


(不思議な瞳。宝石みたいにすごく綺麗な緋色……)


「状況を理解していないようだから説明をしてやろう。俺が使役のために異世界から呼び出した召喚獣、それがお前だ」


「は?え?異世界?夢じゃなくって?」


突拍子もない言葉に、春菜は現実を疑う。明晰夢なら何度も経験がある。起きろと願えば夢は終わるはずだ。


(うん、夢なら大丈夫。こうして、起きろ!起きろ!って念じれば――起きない!)


しかし、目の前の光景が変わることはなかった。


「マジで、異世界ですか……?」


春菜の問いかけに、サレオスは黙って頷いた。突拍子もない話ではあるけれど、信じるしかなさそうだ。


(ここは異世界……ここは異世界。うん、それは信じよう。じゃなきゃ説明がつかない)


清掃会社の事務所にある扉から、突然見たことも無い景色に飛ばされるという現象。そんなことを可能にするテクノロジーは、日本にだって世界にだって存在しないはず。知らない世界の力が働いたと考えるしかなかった。


何よりも春菜にその言葉を信じさせた要因は、サレオスの姿が幻想世界の産物のように美しかったからに他ならない。


「どうやら理解したようだな――」


サレオスは再び片手を突き出すと、勿体付けるように間を空けて言い放つ。


「――城の掃除をしろ」


「はい?しろそうじしろ?何ツマラナイ冗談を」


言っているわけでは無さそうだ。あのイケメンからそんオヤジギャグが飛び出すとはちょっと考えにくい。彼は真面目に命令しているらしい。


(まさかまさか、私は掃除をするために呼び出された?)


状況を理解した途端、春菜は理不尽な扱われに気付く。


「ちょっ、なんで私が掃除なんてしなきゃならないんですか」


「お前はそのために呼び出された掃除スキルを持つ召喚獣だからだ」


「はあ?なんなのそれ!そりゃ一〇代のころからバイトで掃除をしてきて、それなりの腕前にはなってるけど、だからってタダ働きしろって?」


あまりの理不尽さに憤る。始業前に異世界から勝手に呼び出され、貧相だのダサイだのこき下ろされ、召喚獣呼ばわりで掃除を命じられる。いくら相手がイケメンだろうと、顔が好みであろうと、スタイルが抜群であろうと、これは無い。


「異世界にも人間がいたというのは驚きだが――その口ぶりから察するに、掃除スキルを持つことは間違いないようだな。まあ、俺の召喚に失敗があるはずもない」


「ちょっと、一人で得意げに納得しないでよ」


「我が召喚獣よ、再度命じる。この城の掃除をしろ」


「人の話を聞きなさいよ!召喚獣って呼ぶな!命じるな!あんたは王様か!」


声を荒げた春菜に、サレオスは憎らしいほど余裕の態度で「ほう」と目を細める。


「ア、アンタ見かけによらず怖いもの知らずねえ。でもちょっと落ち着きなさいよ」


ふーふーと息を荒げ興奮冷めやらぬ春菜に、羽飾りの付いたド派手な服を着た男の人が話しかける。春菜をダサイと断じた人だ。


「は?なにそれ、ステージ衣装?さっきまで舞台に上がってた?スゴ過ぎるんですけど 」


あまりに奇妙な物を目にしたおかげで、春菜の沸騰する体液も冷えはじめる。


「サレオス、これ以上この娘に命令しても効果は無いようです。言い分を聞いてみてはいかがでしょう」


「……いいだろう」


グシオンと呼ばれていた金髪の凛々しい人が、ようやく助け舟を出してくれた。


(でも私はあなたが貧相といったことは忘れてない)


さっきそう言いいながら、視線が一瞬胸に向いたのを春菜は見逃していなかった。自分でも気にしていることだけに敏感だ。


「いいだろう。言い分を聞こう。なぜ俺の命に背く」


サレオスがまるで詰問するような態度だ。どうしてこんな上から目線で語れるのかと理解に苦しむ。


「なんで命令に従わなくっちゃいけないの。こっちでどうかは知らないけれど、私がいた国では『職業選択の自由』っていうのが、憲法でも保障されているんですからね。仕事はあくまでも自分の意志で選んでするものなの」


「なるほど、掃除を生業としていたことは否定しないわけだな」


春菜は思わず息を飲み込む。清掃は副業ではあったけれども、失業中のこの先はどうなることか。それでもこの仕事を恥じたことは一度だってない。真摯に取り組んできた。


胸に手を当て、真っ直ぐにサレオスを見据える。


「そうよ。誰かに命じられてやっていた訳じゃない。自分の意志で働いて、お給料をもらってた。召喚獣だか何かしらないけど、私は奴隷じゃありません」


今の言葉の何処かに引っかかったのか、サレオスは銀色の眉をピクリと一瞬動かす。


「俺はタダ働きしろとは言ってない。報酬を支払えばお前は命令を聞くんだな?」


「ん?いや、そういうことじゃないでしょ。それに賃金が発生するなら、雇用契約であって、厳密には命令と言えないんじゃ――ん?いや、業務命令という言葉もあるのか?」


妙な所に引っかかっている春菜を尻目に、サレオスは上着の内ポケットに手を入れ、何かを取り出し親指でこちらに弾き飛ばす。


放物線を描きながら、金色の光を反射する小さな物体。春菜は慌てて両手で包み込むようにキャッチした。


「これって……」


「それの価値がわかるか?」


手の中に納まっていたのは金貨だった。大きさは五百円玉くらい。ただ、厚みは倍もある。見かけよりずっと重い黄金色の硬貨は、手の中で大きな存在感を放っている。


「お、重さ知りたいから量り貸してください!あと電卓も」


「ヴィネア、持ってきてやれ」


春菜の求めに応じ、サレオスが派手な衣装の男の人に指示を出した。


「それは構わないけど、重さの単位は同じなのかしら?あと、電卓って何?」


「しまった!重さがわかっても金1gが何円になるかなんて知らない!これじゃあ日給に換算出来ないよー」


「ねえ、サレオス。この子ちょっと残念な子なのかしら?」


「わからん……」


途方に暮れる春菜に憐れむような目を向ける二人。そこにグシオンがまた助け舟をくれる。


「あなたが今手にしている金貨100枚で、王都の郊外にある住宅が1軒買えると考えなさい。金貨100枚は庶民が一生手にすることのない大金です」


「それって日給ウン万円!?」


物価や金の価値が同じとは言えないまでも、大金であることに変わりはなさそうだ。今の清掃のバイトにしら何十時間分なのだろう。


金貨を見つめたまま考え込んでいる春菜に、ヴィネアが声を掛ける。


「どうしたのボーッとして。悩んでるわけ?」


「え、そんなこと……無い」


この給料は確かに魅力的だけれど、異世界で働くなんて出来るのか。春菜はまだ外国にだって行ったことがない。


「どうせなんだから、貰っておきなさいよ。私みたいな服だって着られるようになるわよ」


ヴィネアは胸元を得意げに摘まんで見せる。


(いくらお金を稼いだって、孔雀じゃあるまいしそんな服はちょっと)


と思ったものの、鼻を上に向けキメ顔を向ける姿に言葉を飲み込む。


「あれ、今『どうせなんだから』って言った?どういう意味?」


春菜は眉を潜める。


「ヴィネアの言うとおりです。サレオスの召喚で呼び出された以上、使命を果たすまでは元の世界には帰れませんよ」


グシオンが春菜の疑問を察するように答えた。


「はい?何か今とても大事なこと言いました?」


「呼び出された召喚獣は、使命を果たすまで己の意志で勝手に帰ることはできない。それが召喚だ。お前は俺に呼び出された時点で、掃除人として働くことが決まっている」


召喚を使った張本人のサレオスが、さらりと衝撃的なことを言ってのけた。その顔が得意げに見えるのは気のせいか。


「そういうわけよ。ようこそ異世界へ。ここは魔国イスラの王城よ。もっとも、周りからは魔王城なんて呼ばれて、今ではそれが定着しるけどね」


「私達は魔人。そして、あなたを呼び出したのは、唯一にして無二の我らが王」


ヴィネアとグシオンは臣下がするように、サレオスの両側で片膝を着き恭しく頭を垂れた。


「俺は魔王、サレオス・フォン。お前の主だ」


名乗りを上げたサレオスは緋色の瞳を輝かせ、意地悪な笑みを見せた。


春菜はその笑顔に魅入り、一瞬考えることを忘れた。しばらくして我に返り、今の言葉を反芻する。


「魔人?人間じゃないの?魔王?……えー!」


意味を理解した瞬間、あらん限りの声を張り上げた。それは石の床と高い天井に反射して、幾つものこだまになって魔王城に響き渡った。

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