7・ヒメの庭
寝室の窓辺、夜にカーテンを開ければ月の光が入るように、そこにヒメの庭がある。
黒いテーブルの上に作った箱庭が、ヒメにとっての家。しかし屋根は無いので庭と呼ぶ方がしっくりとくる。
未だに完成形では無い。いや、完成するということがあるのだろうか。飽きたときには配置を変え、季節によっては鉢植えの花を変えたりするのだから。
【フェアリーの住まいには、風、木、水、月光、地の5要素が必要。周囲を囲って覆い隠すものは不要。風の通りがよくなければならない。屋外が適しているが、条件が揃えば屋内に作ることも可能。フェアリーとよく相談して作ること】
古書を参考にヒメが気に入るものを配置してつくる小さな箱庭、小さな世界。
人の家の中の異世界、フェアリーの住むところ。
横80センチ、縦60センチ、深さ6センチ。檜の板で作った木製の鉢。
山の中の土、川の砂、化学肥料や農薬が混ざっていないような、人が来ないところの土や砂を木のバケツに入れて持ち帰り埋める。
【香りの良い淡い色の花が咲く草木を置くとフェアリーは喜ぶ。木の高さは40センチを目安に。プリムローズは必ず置くこと】
プリムローズの鉢を奥に置いてその隣には大きめの盆栽、ヒメリンゴの木を置く。これは木の鉢に直接植える。実がなればおやつにもなるのでヒメはこの木が良いらしい。
木の剪定に鉄の鋏は厳禁。古書には石を研いで刃物の代用にするやり方が紹介されているが、ジルコニア製の鋏でも良いらしい。
枝が隅のところを覆うようにする。
この木の陰になるところにヒメのトイレがある。
【フェアリーの便器は必ず主が手作りで作ること。陶器が良い。便器は消臭に香木を焼いて炭にしたものを底に敷く。葉陰に置き毎日掃除をすること】
香木の炭以外に活性炭でも良いらしい。これはヒメの様子を伺いながらいくつか試しているところ。
香木でも匂いの強すぎるものはダメなようだ。
ヒメリンゴの木の根本近くには苔の生えた石がある。これは最初はヒメのベッドだった。
夏場にはこの石の上で寝ることもあるが、今ではバスケットの中のタオルの中が、ヒメの寝床になっている。
このタオルは木の桶で、洗剤を使わずにクエン酸で洗い日光で乾かしたあと、そのまま夜も干して月光にさらすようにしている。
【妖精の住みかに生える苔は万病に効く。また、寝床にする石は魔除けとなる。いずれも妖精の魔法を帯びている】
うちの場合はバスケットの中のタオルの方が魔除けになりそうだ。
ただ、石に生える苔は確かに効果がある。市販の風薬より私の身体には合うようだ。風邪を引いたときに少し分けてもらったことがある。
トイレのある隅から見て、反対側の隅にはヒメの飲み水の入ったグラス。背の低いガラスのグラスを置く。この隣にヒメの浴槽、灰色のどんぶり茶碗がある。
こちら側の地面は砂になっている。トイレ側、ヒメリンゴの木の回りは緑の苔に覆われている。
砂地の方を飾る石には苔は生えてはいない。代わりにどれも表面をツルツルになるまで磨いてあり、光を反射する。石そのものに模様があるものが多い。
この石の配置は新しいものを見つけると頻繁に代わる。その配置にはなにやら意味がありそうに見える。フェアリーの魔法に関わるのかもしれない。
この砂地のところを掘ると妙なものが出てきたりもする。
【砂場はフェアリーにとって遊び場でもあり、また、食料の貯蔵庫でもある。フェアリーの食べ物が埋まっていることもある】
保存食なのか、おやつなのか、この砂地に埋めたりする。しかし埋めたことを忘れてそのままにしていることもある。
これが草木の種や実であれば問題は無い。キノコであってもたいしたことにはならない。
しかし、虫の足や虫の触角や虫の目玉などを埋めて忘れていることがある。
ヒメはときに得体のしれないものを持って帰って食べることがある。そういうものに限ってこそこそと持ち帰り隠れて食べる。その残りものを埋めてたりする。
そこからカビが生えることもあるので、これは見つけしだいこっそりと処分する。
蟻の卵を埋めて幼虫が孵ってしまったことが1回ある。自然そのものに近いといえば近いのだが。
パタパタと飛ぶヒメが指を差す。ヒメの庭の模様替え。ヒメの指差したところに私が手に持った石を置く。
新しくクチナシの鉢植えをテーブルの上に置いてみた。植物が増えて配置が変わったことで、ヒメの庭の石の置き方を変えている。
ヒメは首を傾げて考えながら、木箱に入れた石を選んでは、これはそこ、これはあっち、これは向きが違う、と手で示す。私はその指示のままに石の置き方を直していく。
ヒメの浴槽、灰色のどんぶり茶碗を囲むストーンヘンジのようになってきた。
季節ごとに咲く花の鉢植えを変えるときには、こうして模様替えをする。
何度かやっているのでヒメの好みというか、フェアリーの石の置き方というのが、解るときがある。
理屈は解らないのだが、この黒い石はここだろうか、と感じたときにはヒメの指示を待たずにそのまま置いてみる。
そしてヒメの表情を見て判断する。まだまだだなぁ、という顔であれば指示の通りに置き直す。ほぅ、なかなか解ってきたな、という顔であれば、私にもフェアリーの魔法が解ってきたか、と楽しくなる。
このヒメの庭は時を重ねる程に苔の色が濃くなり深みを増してゆく。箱庭がそのものが不思議な力を持っていくような気がする。
ヒメの指示の通りにしているだけではあるが、これを私が作ったというのは、まるで私が魔法使いにでもなったような気分だ。
このヒメの庭をより良くするために、散歩のときは手頃な大きさのそれっぽい形や模様の石を探すようになる。
配置がおわったところでヒメが新しく置いた石に触れる。
ザクロの果実酒のふたを開けて、ヒメの庭の出来映えを見ながらヒメとふたりで酒宴とする。
ヒメは桜貝の器でザクロの果実酒を飲みながら、庭のあちこちを指差して喋る。
今度はこっちに赤い花を、とか、飲み水のグラスに立てかける平たい石があるといい、とか、言っているのだろうか。
私はヒメの言っていることが解らないまま、それでも頷きながらグラスを傾ける。
古書で参考にする絵図とは、似ていて違う、私とヒメの箱庭。ふたりで作る小さな世界。
酒を飲みながら眺めていると、自分の身体が小さくなって、その世界へと迷い混むような。
石も苔も草も木も大きくなり、私を見守り包んでいくような、そんな錯覚を覚える。
さて、このヒメの庭で気をつけないといけないことがある。
フェアリーはきれい好きでありこまめに掃除をした方がいいのだが。
問題はトイレ。
ヒメは裸を見られることを恥ずかしがったりはしない。しかし、トイレで用を足してるところをうっかり目にすると怒る。顔を赤くして怒る。
なのでヒメのトイレは木の陰になるとこに配置をしてある。これが掃除のときも気をつけないといけない。
トイレの掃除もヒメが見ているところでしようとすると怒る。かなり怒る。
なのでトイレの掃除をするときは、ヒメが寝ている昼間のうちにこっそりとしなければならない。
ヒメのトイレ、蓋つきの陶器の器。木の色をした香炉に似た容器をヒメが寝ているうちに、そっと運び出す。
中身を取り出して綺麗に洗い、香木の炭と活性炭を混ぜたものを底に敷く。
そしてまたこっそりともとの位置に戻す。
なんだか泥棒のようだが、こうしないとヒメが拗ねてしまう。怒るというのも恥ずかしいのを誤魔化すように怒っている感じがする。
このトイレの掃除のついでにヒメの健康状態をチェックする。
【フェアリーの糞で健康を計る。健康なときの糞は白っぽい灰色で直径約3ミリの球体。1日に3粒程度。食べる量が多いと1日に4粒から5粒。1日に1粒が続けば便秘。水っぽいゼリー状であれば下痢。フェアリーの消化不良の原因の多くは心因性である】
ヒメの場合は下痢の多くは果実酒の飲み過ぎである。ヒメの糞の量は1日で3粒から4粒。これは他のフェアリーよりはよく食べるということだろうか。
【躁状態が続くと糞は赤くなる。ラベンダーやヨモギなど沈静効果のあるもの食べさせる。またポプリやハーブオイルで落ち着ける環境をつくる。鬱状態が続くと糞は青くなる。カラスウリ、蟻の卵など元気の出るものを食べさせる。糞が緑になるときはストレス性の偏食からの生葉の食べ過ぎ。アロエとカガンボの足がよく効く】
今のところたまに見る体調不良としては下痢。他には季節の変わり目と新月のときは体調を崩す。このときは糞の色は褐色になる。元気なときほど色味が無くて白っぽい灰色になる。
この糞の色をヒメの体調管理に役立てている。
しかし、このヒメの糞の状態をまじまじと確認しているところはヒメに見られてはいけない。
1度見つかってしまったことがあるが、そのときは半泣きで私の髭を引っ張って、赤くなって文句を言い続けて、そっぽを向いたその後3日間、私を無視して拗ねていた。
このときのやるせない寂しさというものは、なんというのだろうか。娘に嫌われた父親とはこういう気分なのだろうか。
フェアリーと共に暮らす上で、このトイレの掃除が1番の問題ではないだろうか。
【よく乾燥させたフェアリーの糞は人間に薬効のある香になる。貝殻の香炉に入れて焚けば、その煙は鎮咳、鎮痛効果がある。不眠症にも効く。また、この灰を水に溶かして飲めば整腸作用がある】
なので私がヒメの糞を乾燥させて薬にしようと保存しているところは、絶対に見つかる訳にはいかない。