27・フェアリー式マッサージ
「う……、むぅ」
背中が痛い。筋肉痛か。
まったく、歳はとりたく無いものだ。若い頃はこの程度のことで背中が痛くなることも無かったのに。
〈セイー?〉
ヒメが心配そうな顔で見上げてくる。
「大丈夫だよ、ヒメ。少し休めば良くなる」
首を回して肩を回す。背中がギシギシと鳴るような気がする。
「だが、今日は大人しくしておくか。すまんが今日の散歩にはついて行けないようだ。ヒメひとりで行ってきなさい」
いつもの夕暮れの散歩。ヒメについて行く散歩はヒメにとってはご飯の時間でもある。森で見つけたキノコや木の実、花など見つけては取れ立てのものを口にする。
その後は森で友達と遊び、ときには私もその遊びに少し混ぜてもらったりする。ただ、かくれんぼで私が鬼とかは、やめて欲しい。本気で隠れたフェアリーを私が見つけるとか、無理だろう。
そうしてヒメが朝まで遊ぶときは、私は先に帰る。ライトで夜道を照らしながら。
不思議と暗い森の中から帰るのに、迷って我が家に帰れないということはこれまで無い。
〈むー、〉
不愉快そうに眉を寄せて首を傾げるヒメ。
「すまんな、ヒメ。なに、風呂で温めて一晩寝れば良くなる」
何度か振り返るヒメが寝室の窓につけた小さな扉から出掛けるのを見送る。
さて、やるべきことはやっておくか。
今の私は久しぶりに、腹の底に怒りを溜めている。
筋肉痛になってしまったのは、森の近くに棄てられた産廃を片付けたからだ。どこの誰かは解らんがドラム缶に訳の解らん形のプラスチック。錆びて壊れた機械などを捨てていきおった。
警察には連絡してあるが、警察がこのゴミを片付けることも無い。捨てた業者か会社を探して、そいつらに処分させると言ってはいた。
1度調べに来て写真を撮り何やら書類を書いて、それっきりだ。
村の役場も同じこと。
「これは酷い」
と、言ってはいたが、役場がこのゴミを片付けることも無い。1度調べに来て、それで終わりだ。
ひと月以上待ってみて、何も変わらんのに頭に来て、私がゴミを片付けることに決めた。もう我慢ならん。
防護メガネをかけて革の手袋を装備する。
小さなポリ容器にドラム缶の中の油の浮いた刺激的な匂いの液体を入れる。灯油を入れるポンプで地面に溢さぬように移し代える。これは持てるサイズの小さなポリ容器に入れて、ゴミ袋に入れて村の燃えないゴミに出す。
中身を開けたドラム缶は充電式のサンダー、手持ちの回転研磨機でバラバラにして、ゴミ袋に詰める。これも燃えないゴミでよかろう。
錆びてボロボロの何に使うか解らん機械も、細かくバラしてゴミ袋に入るサイズにする。サンダーを当てて飛び散る火花で火事が起きないように気をつけて、水を入れたバケツも用意する。
私が運べる分を月に1度の燃えないゴミの日に少しずつ出すことにした。
ヒメに白金さん青茶さん、森のフェアリー達が遊ぶ森の近くにこんなものを捨てるとは。いかにも身体に悪そうな化学的な液体。錆びた金属。いずれもフェアリーの苦手なものばかりだ。これでヒメが病気になったらどうする。
そのことに頭に血が登り、充電用のバッテリーが切れる度に交換しては、産廃をバラしてゴミ袋に詰めて運んだ。
そして背中が筋肉痛になってしまった。怒りをぶつけるように作業に集中したので、自分の限界を見誤った。
錆びた金属を相手にしててその匂いが移ったのか、ヒメが私から、ツツツと離れて距離をとったので、慌ててシャワーを浴びた。
ヒメが私に近寄って来ない。ヒメが私に触れてくれない。これも産廃を森に捨てた奴のせいか、とイライラする。
あのゴミを片付けたところで、また捨てに来る輩がいるかもしれない。
書斎のパソコンで目的の物を探して、通販で注文する。出費がかさむがこれは必要だ。
私とヒメの暮らしを邪魔する者は、何人たりとて許さん。
その後はゆっくりと風呂に浸かる。丁寧に身体を洗って金属の匂いを落とすようにする。
さて、私ひとりであのゴミを片付けるとして、どれだけ時間がかかるのか。見当もつかん。
作業用の服はガレージで着替えて、家の中にはその匂いを持ち込まないように気をつけるとして。
いつもよりぬるめの風呂に長めに浸かり、ゴミの処理の仕方を考える。こんなことで私とヒメの生活が脅かされるとは。やれやれ。
風呂からあがると居間にはヒメがいた。もう帰ってきたのか。白金さんに青茶さんもいる。
〈セイー〉
ヒメが私の指を握る。どうやらヒメの嫌がる匂いは落ちたようでホッとする。
ヒメが私の指を引っ張るので、引かれるままに移動する。
「寝室で何を?」
聞いてみるとヒメはベッドを指差す。寝ろ、ということか? ヒメに促されるままにベッドに仰向けに寝転ぶ。
「これでいいのか? 違う?」
ヒメは両手を合わせてひっくり返すようなジェスチャー。ふむ、仰向けでは無くて、うつ伏せになれ、と。
ゴロリと転がってうつ伏せに。
「これでいいのか? そのまま動くな?」
ヒメがコクコクと頷くので、うつ伏せになり顎の下に両手を置いて、動かないようにする。
白金さんが私の顔の横に立ち私の様子を伺う。ヒメと青茶さんがフワリと翔ぶ。
何をするのかと待っていると、ヒメと青茶さんが私の背中に下りたようだ。微かな重みを感じる。
そのままふたりは私の背中を、まるでトランポリンのようにトン、トン、とジャンプする。
「おぉ、これは……」
肩甲骨の下から背骨の両脇を沿うように、背中のヒメと青茶さんがトン、トン、とジャンプしては踏みつける。程よい刺激が心地好い。
フェアリーの足踏みマッサージ。
ヒメが、白金さんが、青茶さんが、私の身体を気遣ってくれる。ジワリと目頭が熱くなる。
腰の上から首の下へ、そしてまた腰の上へと。背骨に沿ってゆっくり上下に往復する。
トン、トン、トン、トン、トン、
固まった背中がほぐれていく。力強さはないが、着地して踏みつけるポイントが的確だ。
白金さんが私の表情を見ながら、私の背中のふたりに指示を出している。なんというコンビネーションか。
トン、トン、トン、トン、トン、
心地好さに身を委ねる。私がフェアリーにマッサージされるとは。これを真鈴愛さんに話すと、また焼きもちを焼かれてしまうか。
このまま眠りそうになる。ヒメ、白金さん、青茶さん、3人の優しさに包まれて夢見心地に。私が何をしているのかを知って、労ってくれているのか。これは明日からも頑張ってあのゴミを早く片付けなければ。
たが、しかし、フェアリーとは単調なことは嫌い、何事にも面白味を追究する性分だ。
トン、トン、トトトン、トン、トトン、
背中をジャンプするリズムが変わる。そしてヒメ達は太鼓の上のタップダンスで鍛えた踏み技を、私の背中で披露し始めた。
トトン、トトトン、トン、タタ、トトン、
半分閉じてた目を開くと、白金さんがいつの間にか肩にハープを当てて私の枕に座っている。白金さんの手が小さなハープを奏で出す。
そして、背中のヒメと青茶さんが歌い出す。
〈♪たった、とらんた、らとらた、ろん〉
〈♪れるの、かおさぱ、れりーあろん〉
これはこれで気持ちよい。しかし、首を捻っても背中は見えない。ふたりは私の背中でどんなダンスを踊っているのか。
見たくても、見えない。
何とかして見ようとすると、動くな、と後頭部をテシテシと叩かれる。
白金さんが私の背中に乗ると、今度は降りてきた青茶さんがバイオリンを肩に乗せて引く。
フェアリーサイズの高い音のバイオリンが陽気なメロディを奏でて、私の背中の踊り場でヒメと白金さんが先程よりも複雑なステップを始める。
なんとかして見てみたい。しかし背中は見えない。スマホで動画撮影して、ダメだ、フェアリーは写らない。
3人のフェアリーはダンス担当と楽器担当を交代し、ときにメロディアスに、次にリズミカルに、更に情熱的にといろんな演目で私の背中で踊る。
興が乗ってきたようで、背中の感触も変わる。フェアリーの足の裏以外の感じが混ざる。
これはフットスタンプだが、これはニードロップか? それともエルボードロップか? こちらはヒップスタンプか? 私の背中でいったい何が行われているのだ?
いつもはそれを愛でながらコーヒーを飲んだり、スピリッツを飲んだりしているのだが、音楽と歌が聞こえて背中にそのステップを感じているのに、その姿が見えないというのは、辛い。生殺しの気分だ。
この足踏み?マッサージで背中もほぐれて腰も楽になったのだが、私の背中で、はしゃぐヒメ達の姿を目にできなかったことで、なんだかモヤモヤした気分だ。
翌日、またこのような機会が訪れたときの為に、寝室に置くための手鏡を通販で注文した。
その後、産廃をバラしては袋詰めにする日々。ある時、村の青年、平田君が軽トラに乗ってやって来た。
「うぇー? 瀬田さんひとりでこれ、ここまで片付けたの?」
「他にする者がいないだけだ。平田君は何で来た?」
「なんか瀬田さんがひとりでギャインギャインと音を鳴らしてるって聞いて、見に来たんだけど」
「サンダーの音がそんなに響いてたのか」
「なんでひとりでやってんの。なんかあったら連絡してって言ったのに」
「私が好きでひとりでやっとることだ。それに産廃を燃えないゴミに出すと文句を言う奴もいるだろう。ひとりの方が早い」
「そりゃま、そうかもだけど。それにこれって警察がなんかするから触るなとか、言ってなかった?」
「ひと月もこのままで、尻の重い輩が口先だけで囀ずっても何ひとつ片付かん。その間に廃液が土に染み込む」
平田君は軽トラから下りてくる。ポケットから軍手を出して手に嵌める。
「瀬田さん、俺も手伝うよ」
「いいのか? 平田君、お人好し過ぎやせんか?」
「えー? それ、瀬田さんが言う?」
平田君は大袈裟に驚く。いちいちリアクションが大きい。
「それに今は仕事もヒマしてるし。年寄りの瀬田さんひとりだと心配だし」
「それで人にいいように使われて、損な役回りではないか」
「そうでも無いよ。お礼にってキューリとかイモとか貰ってるから」
私は革の手袋を外してスマホを取り出す。前に調べたページを開く。
「軽トラがあれば、運べるか」
平田君にも見えるようにして、
「少し遠いがここの回収センターにゴミを運べるか?」
「えーと、そんな遠くもないか。料金が10キログラムで2百円、そんなもんなの?」
「業者に全部頼めば高いが、自力で持ち込めばそんなものだ」
「解った。じゃ、運んでしまおうか」
「待った。ここは前日に予約しないとならん。それと持ち上げられる大きさにまでバラすから、離れていろ」
革の手袋をつけて防護メガネをかける。サンダーのスイッチを入れて、ドラム缶の切断にかかる。回転する砥石が錆の浮いたドラム缶から火花を飛ばす。
「ちょっ! 瀬田さん待って! あつっ! 火花ー!」
「離れていろと言ったろうが」
平田君は無駄に大袈裟だ。
だが、軽トラがあれば運べるか。鉄クズも買い取るところまで運べるか。そんなに高くは売れないだろうが。
その後は平田君に手伝ってもらい片付けは進んだ。後日、ゴミを軽トラで運ぶのを平田君に頼み、私は大きいものをバラして金属を分けて運びやすくしておく。
「だけど瀬田さん、またゴミ捨てに来る奴がいたらどーする?」
「それも考えてある」
通販で買った品を平田君に見せる。平田君はそれを見て驚いている。
「え? 監視カメラ? こんなにいっぱい?」
「本物はこの2つで他のは全部ダミーだ」
「あ、ホントだ。軽い」
「これを目立つところにつけて、後は監視カメラ設置済みと看板でも出しておけばよかろう」
さて、これでどれほど効果があるか。
平田君はダミーの監視カメラをまじまじと見ながら言う。
「なんで瀬田さんがそこまでするの?」
「村に人を呼ぼうと、自然の豊かなキャンプ場を作ろうかと言っていたのは平田君だろう」
「あ、あれ憶えてた? あれは思い付きで言ってみただけで、あのとき賛同してくれる人もいなかったじゃん」
「キャンプ場をする、しない、は置いといて、豊かな自然を売りに何かしようとするなら、このゴミは邪魔だろう」
「まぁ、そうだけどさ」
平田君は右手にダミー、左手に本物の監視カメラを持って見比べる。私が持ってきたダミーの監視カメラが並ぶところをざっと見て、何故か私を半目で見る。
「瀬田さん、これにいくら出した? けっこう金かかってんじゃ無いの?」
「だから安いダミーばかりにしとる」
「それにあのサンダー、新しいよな? このために買ったのか?」
「うちでも使うから新しいのが欲しかったところだ」
「うちで使うなら充電式じゃ無くて、電源コードのある有線の奴にするんじゃないの?」
「平田君は意外と細かいことを気にするのだな」
「……瀬田さんのお人好し」
「やかましい」
少しずつ片付けようとしていた産廃の山は、思いの他、早く片付きそうだ。